第三次アルヌデン平野会戦・4
戦線中央部。そこにはエフタル義勇旅団を主力とする四千の兵が三千を下回るサヴィオン軍にその数の暴力を叩きつけているところだった。
戦野に狂った調子の軍鼓が打ち鳴らされ、それに合いの手を入れるように大隊毎にまとまった軍靴が刈られずに立ち枯れる麦を踏みつぶしていく。
その戦列最前線ではレオルアンや王都より供給された燧発銃やタッチホール式の急造銃に加え、石弓射手や長弓といった遠距離武器を中心にした部隊が横二列に展開し、そのすぐ後ろに張り付くように長槍兵が張り付いている。
衝撃力のある騎兵が出るまでは前衛の遠距離組が敵を漸減し、いざ騎兵が出れば長槍兵と位置を入れ替えて槍衾を作って騎兵の突破力に対抗するという算段だ。ついでに着剣した燧発銃等を使う事で長槍兵の薄さを補完する狙いもある。
この新戦術の利点は四辺に濃密な槍衾を作らねばならなかった四辺方陣よりも機動力を得られる点にある。
従来の四辺方陣戦術であれば隙間のないガッシリとした陣形を組む事で鉄壁の防御力を発揮するのだが、機動による陣形の乱れが防御力の低下に直結するため機動はおざなりになっていた。それこそが四辺方陣の最大の弱点でもあった。
強力な魔法を有するサヴィオンにとって今や四辺方陣は動かぬ的であり、草刈りでもするようにその方陣を打ち崩す破壊力を手にしてしまったのだ。
故に四辺方陣の誇る防御力を犠牲にしても機動力を欲した結果がこの陣形なのだ。
「止まれ!」
ラッパの音階が戦場を走り抜けると同時に一人の大隊長である男爵少佐が号令を掛ける。すると隷下の大隊――およそ五百名が足を止め、前衛が攻撃の準備に取り掛かる。その背後では同じ部隊の長槍兵が固唾をのんで様子を見守り、いつ自分達が矢面に立つ時が来るのかと不安を覚えていた。
「構えぇ!」
敵との距離はおよそ五十メートル。士官の命令に兵達が身体に叩き込まれた所作を実施して行くが、その多くは動作が鈍い。
根こそぎ動員の結果による錬度不足がその原因の一つでもあるが、最大の理由は自分達に向けられる殺意だ。
相対したサヴィオン軍からもついに反撃として弓兵が矢を射掛け出し、次々と銃兵や弓兵が倒れていく。
「うろたえるな! 狙えぇ!!」
指揮官の威圧する号令が戦場に響くと共にその背後から空気を震わせる爆音が轟く。
第四四二連隊戦闘団に属する臨編旅団砲兵大隊に所属する野戦砲中隊より重量四キロの鉄球が吐き出され、大地を抉り取ったのだ。
その上、アルト攻防戦の後に作り上げられた新型砲による砲撃も加わる。それは既存の散弾よりも凶悪に敵の頭上で炸裂し、熟れたザクロの実のように弾片を撒き散らす。
その圧倒的な攻撃に銃兵達の心に嗜虐的な悦楽が浮かんだのは言うまでもない。
「撃てッ!!」
号令一下、引鉄に込められた力が殺意となり、一斉に火花を散らす。
鼓膜を貫くような甲高い銃声が世界を支配し、音という音をむしり取ったのだ。
それに間髪置かずに新たな砲声が世界を揺るがし、サヴィオン軍戦列に土煙と爆煙を巻き上げさせる。
盤上の駒を弾き飛ばす様にサヴィオン軍歩兵が飛び散り、その光景が昨日まで民衆だった兵達を力づけていく。もちろんその光景に大隊を率いる指揮官も口元に今までの蓚酸を舐めさせられたサヴィオンが打ち破られる様に笑みを作る。
そんな大隊と他の大隊の狭間にてこの光景を作り出したドワーフ達の小隊がいた。
「弾着よし、なのじゃ! 臨編臼砲中隊本部へ伝達。『弾着よろし、同一諸元、効力射』じゃ」
小さなドワーフの親友がつぶさに攻撃の成果を認めるや、配下のドワーフが三脚に取り付けられた鏡を操作する。
反射鏡と名付けられたそれは太陽に向けた平面鏡を遮光板で隠す事で明滅を作り、そのタイミング如何によって決められた符丁を伝える本格的な通信機だ。
元々はハミッシュが拾った鏡でイタズラをしていたのを見咎めたエンフィールド様がこれを遠隔地との意志疎通に使えないかと発案したのが始まりだった。もっとも本人は冗談として作らせたものであり、この会戦で本格運用出来るとは思っていなかったようだ。
むしろ先の第二次アルヌデン平野会戦において初の間接照準砲撃を実施したハミッシュがこのアイディアを熱心に完成させたといって良い。
これにより旗を用いた通信よりもより複雑に、多くの情報を伝達出来るようになったのは言うまでもない。
「ハミッシュ軍曹、ダメです! 曇って通信できません」
反射鏡に取り付いていた人間族の少女が顔を曇らせながら小さな上司を見やる。
そう、太陽の光を反射させて明滅のタイミングで情報を伝える反射鏡の性質上、日光が無ければ通信出来ないのだ。そして忌々しいことに空には雨を抱き込んだ黒い雲が湧きだしている。
「晴れそうにないのぅ。仕方あるまい。一度中隊本部に戻るのじゃ。一人は中隊本部に先に効力射を実施するよう伝令に走ってくれ! それじゃ撤収なのじゃ!」
ハミッシュ達観測小隊の任務は反射鏡を用いて臨編臼砲中隊よりも前進して砲撃効果の観測にある。
特に柘榴弾は起爆のタイミングが肝であり、それの効果を本隊よりも前進してより正確に状況を伝える必要があるのだが、生憎の天気とあり、その任務も全うできそうにない。
故に彼女は早々に撤退を選んだのだ。
「撤収準備完了であります!」
「よし、引くのじゃ!」
ふと、ハミッシュが周囲を見やると先ほどまでほぼ同位置にいたはずの友軍の姿が消えている。代わりに敵陣に向け、卑しく、原初的な殺戮の叫び声が響いていた。もっとも彼女自身、己の低い目線では友軍がどのような状況なのか検討もつかなかったが、少なくともドワーフらしいがさつさがその感情を押し流した。
きっと大丈夫。きっと――。だからこそ兄じゃも平気だろう、と。
そんな思いを抱きながら五百メートルほど離れた砲兵陣地へと戻る。
だがその健気な明るさは一発の爆音によって引き裂かれた。
「――! な、なんじゃ今の!? 砲声、ではないのぅ」
規則的な暴力の産声ではない。
それよりも遙かに凶悪な轟音が友軍陣地を襲っている。それにハミッシュは隷下の部隊に駆け足を命じ、跳ねる心臓を平坦な胸に隠しながら大地を踏む。
そしてそこには地獄があった。
朦々と白煙がたなびく臼砲陣地。兵達は右往左往しているのが遠目からでも分かる。
それと同時にさらなる爆音が響き、土煙が立ち上った。
「ふ、伏せるのじゃ!!」
何が起こっているのか分からなかった。分からないが、少なくとも先ほどの爆発が装薬や柘榴弾に引火して起こった事だというのは分かった。
装薬単体であればそれほど問題ではない。そもそも黒色火薬単体の装薬であれば引火しても激しく燃焼するのみで爆発の危険はそれほど多くはない。
だが柘榴弾は違う。導火線に火が灯ればそれは内包された殺意を破裂させるからだ。その一つの爆発がまた誘爆を生む事もあり得る。
故に災厄が過ぎ去るまで身を縮め、早くこの危機が過ぎる事をハミッシュはドワーフの神である土と火の神様に祈りを捧げるしかなかった。
そして幾ばくかの時が経つと誘爆の音も途絶え、ただ悲鳴のみが蠢くようになった。恐る恐る立ち上がったハミッシュの瞳には砲身が破裂した臼砲や体を引きずる兵士達が写りこんだ。
「一体、何が起こったのじゃ……?」
もっともその疑問はすぐに氷塊する。
陣地に戻り、走り回る兵を捕まえて中隊本部の場所を聞いてそこに向かうと野ざらしの中隊本部にて幾人もの負傷者が集められていた。
その中に煤と血にまみれた臨編旅団砲兵大隊の指揮官であるウェリントン・エンフィールド大尉が居たのだ。
「た、大尉! ど、どうしたのですじゃ!?」
「やぁ、ハミッシュ。戻ってきてくれたか……。良かった」
「一体何があったのですじゃ?」
「僕も直接見ていた訳じゃないが、どうも第三小隊の臼砲が発砲と同時に爆発したようでね。恐らくだが、導火線の調整に失敗したのか、取扱を誤ったのか、ともかく何かの拍子に柘榴弾が意図せぬ爆発してしまったようだ。それが折り悪く近くに集積しいた砲弾や装薬に引火したらしい。おかげでこのざまだよ。ははは」
「……ッ。か、顔が――」
「ん? あぁ、どうも目をやられたらしい。何も見えないんだ。さっきまで耳もダメかと思っていたけど、徐々に聞こえるようになったし、こうして喋れる口もある。大した事はないよ」
「何を暢気な! す、すぐに療兵を――」
だがウェリントン大尉はそれが何だと言うように口元を緩め、ぼろぼろに傷ついた指先をさまよわせながらハミッシュの頬をなでる。
「確かに、自然界の遍く事象をこの目で観察出来なくなったのは悲しいかな」
「治療すればまた見えるのですじゃ!」
「だと良いね。でもこの世には目に見えぬ摂理が遍在している。僕達、練金師はそうした星々の御業を解き明かし、再現する事が使命。星々の奇蹟は深淵にして広大だ。ならば目が見える世界だけが全てではないはずさ。これくらいで僕の探求心は衰えもしない。そして練金師の命はその探求への意欲が霧散した時に訪れる。だから僕の事は当分心配いらないよ」
「でも――! でも――!」
「まぁ、少し疲れたかな。後は、任せたよ」
するとそこへ布と板を組み合わせた担架を持った革鎧姿の兵が駆け込んできた。
「療兵です! 負傷者を後送するのでどいてください! おい、貴族様から後送するぞ!!」
瞬く間に療兵が負傷兵の袖口の階級章を改め、すぐにウェリントン大尉が担架に乗せられ、後方の治癒魔法の扱える者を集めた野戦病院へと連れ去られて行ってしまった。
それをただ見送っていたハミッシュだが、すぐに煤まみれの伍長の階級を持ったドワーフがやってきた。
「軍曹、大隊本部要員はかろうじて生き残って指揮を取られておりますが、臼砲中隊の本部要員はことごく全滅。よって大隊本部は野戦砲中隊本部へと指揮所を移し、現状我々は独自に作戦行動を続行せねばなりません。なお次席指揮官は、貴女です。軍令に則り指揮を願います」
「わ、わしが――!?」
「お前もザルシュの娘だ。それなりの事を親父さんより教えられてきたんだろ」
エンフィールド様率いるエンフィールド騎士団――第四四二連隊戦闘団に属するドワーフ達の多くは前線で戦う銃兵と違い、ほとんどの戦いで後方よりの支援に徹してきたがために多くのエフタル出身者を残していた。
この伍長のドワーフもその一人であり、ハミッシュと同村の出身者だった。
「ダメなら他の奴に――」
「わ、分かったのじゃ。やる」
「よし、よく言った! それでこそザルシュの娘だ!! 今、中隊で抱えてる砲は三門。さっきの爆発で半分ダメになりました、軍曹」
「弾薬はいくつあるのじゃ?」
「この会戦用のやつは半分ほど吹き飛んじまったせいで……。一門あたり十もありません。多くて七発、八発くらいかと」
絞り出すように導き出された数はあまりにも友軍を支援するには少ないようにハミッシュは思えた。
だがいざ友軍が突撃と相成れば同士討ちを避けるために砲撃は中止される。そのせいか他の砲兵中隊からの射撃音も少なくなってきているように思えた。
「最優先は負傷者を集める事じゃ。それから新たに弾を後方から――」
「その分はありません。弾は今ある限りで、残りはマサダ要塞攻略のために使うのでこの戦では使えません」
「そ、そうなのか!? ならば、仕方ないのう。それより負傷者の救助と残存砲兵の再編を命じるのじゃ。それが完了するまで砲撃は中止!」
「ハッ!」
大丈夫、自分もやれる。
兄じゃのように部隊を指揮し、戦う事が出来る。
何より今は戦況が落ち着いているから自分でも中隊をまとめられる。
そんな彼女の思惑通り残存の兵達のとりまとめが粛々と進んでいるうちに戦場の色合いが変わった。
それに気づいたのはハミッシュ率いる観測小隊が少しでも高所から戦場を俯瞰するために持ち込んだ梯子によじ登った兵が上げた悲鳴だ。
「警報ッ! 左翼より敵騎兵見ゆ! 友軍を包囲しつつあり!」
「な!? ほ、砲撃用意じゃ!! 観測要員はすぐに持ち場へ!」
幸い、負傷者の救助と部隊の再編、そして残った砲弾の再分配もすんでいる。その結果、三門の砲それぞれに七発の砲弾が割り当てられている。
そこへ空から新たなる使者が砲兵陣地に飛び込んできた。
第四四二連隊戦闘団を中心に着用される詰め襟式の軍服をまとった鳥人族の少女が弾丸のように舞い降りてきたのだ。
「伝令! 指揮官は?」
「わ、わしじゃ」
「え? こんなちっこいのが!?」
「小さくて悪かったのう! 中隊長殿は戦死、大隊長も戦傷により後送されてわしが臨時に指揮を執っておるのじゃ」
「大丈夫なの? ま、いいや。それよりエフタル義勇旅団から伝令。敵が来てるから援護されたし、以上」
「見れば分かるのじゃ!」
「空から見てないのになんてお気楽! 良い? 敵は騎兵――それも魔法使いを含んだ一千ほどの部隊だよ! たぶん君たち全員殺されちゃうかもね」
「……え?」
「アハ! どう? 中々ステキな戦場でしょ。気張って戦うんだよ! 命の捨て場所はここだからね! アハハッ!! ヤーナもすぐ戻るから一緒に楽しもう!!」
鳥人族の言葉にハミッシュの表情が凍り付くと同時に彼女と同じ種類の笑みを自分の想い人が浮かべている事に気がついていた。
自分の命を歯牙にもかけない愉しげな響きにどうしてそんな顔が出来るのかとハミッシュは訪ねたくて仕方なかった。そしてどうしてそこまで闘争を愛せるのかとも、訪ねたかった。
どうしても通じあえぬ思考の導き方に種としての隔たりを感じずにはいられなかったが、今はそれより包囲されんとする友軍を救わねばならない。
「それじゃヤーナは行くね。」
「あ! 待つのじゃ! 他の砲兵にはわし等が伝令を送るからお主は友軍左翼の小丘に向かってほしいのじゃ。確かそこには大隊規模の予備戦力がおるから力になると思うぞ!」
「分かった! それじゃ武運を祈ってるよ! バイバイ!」
引き絞られた弓から射掛けられた矢の如く、ヤーナは駆けだして再び空へと舞い上がる。
そこへ先ほどの伍長がやってきた。
「あの鳥人はなんと?」
「……敵が、来ておる。エフタル義勇旅団より支援命令じゃ、砲撃用意! それと大隊本部に伝令、友軍が包囲されつつあり。至急支援されたし、以上じゃ」
伍長が頷き、去っていくと人知れずハミッシュの小さな体が震えた。
”全員殺されちゃうかもね”
その言葉に今まで感じた事もない怖気が這い上がってくる。
確かにもうダメかもしれないという局面は幾度もあったが、それでも彼女は矢面に立つ事はなかった。その多くが後方から前線の兄じゃやミューロン達への支援だったからだ。
故に間近に迫った死の神の鎌に彼女は打ち震えていた。
「兄じゃはいつも、こんな気持ちで戦っておったのじゃな……」
エフタルから撤退する時、兄じゃは後悔しないように戦おうと言っていた。自分もその通りと思い、戦ってきた。
それなのにいつしか兄じゃやミューロンは戦そのものを楽しむようになってきた。
過去に捕らわれ、復讐を全力で楽しむ姿を否と言った事もあった。
だが迫り来る死に対して彼女は故郷のためとも、後悔しないためにともという想いは霧散してしまった。
ただそこには黒々とした恐怖だけがそこにあった。
私事ではありますが、このたび『邪神転移!』がモーニングスター大賞の一次通過しました。そのため調子に乗って続編を準備しており、そのため本作の更新速度が低下いたします。許してください。なんでもしますから!
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




