倒れる貴族と辟易する貴族
サヴィオン帝国ヴァルテック辺境伯ドルマン・ヴァルテックより。
私は全ての国の頂きに立つ国――サヴィオン帝国に属する騎士だ。その至高の国の騎士達を束ねる天上の御人たる皇帝陛下より私は辺境伯の爵位を賜り、帝国南部の鎮護の任を受けたヴァルテック家の当主だ。
私は皇帝陛下のご期待に応えるべく長年、蛮国アルツアルとの戦いに身をやつして来た。
だが今年で五十も半ばに差し掛かる齢になり、日ごとに生気が薄れ始めた事を自覚するようになった。
そのため帝国悲願の大遠征であるアルツアルへの領土回帰を目指した戦に参加する事無くこうして鷹狩のついでに徴税官の真似事を傍仕えの騎士二人としている。
「はぁ……。ハウサーの奴は今頃アルトで祝杯をあおっているだろうか……」
ヴァルテック家の本家の長子であるハウサー・フリ・ヴァルテックは我がヴァルテック騎士団への入団を蹴り、武者修行がしたいと称して帝都の第二近衛騎士団に入団して第一帝子殿下であらせられるジギスムント・フォン・サヴィオン殿下の指揮する第三鎮定軍に従軍している。
本音を言えば手元において領地経営も含めて我が手で指南したかったのだが、本人の言う事も分かる。
近衛と名を冠する騎士団は帝都防衛のために三つ組織されており、そのどれも厳しい選抜試験を通らねば入団が許されない精兵の集まりだ。故にそこで切磋琢磨し、その技術を持ち帰って欲しいとも思う。
思うが、どうしても心の中に穴が開いているような気がしてならない。
やれやれ。息子の心身の成長のための旅を祝ってやれないとは私も老いたものだ。
息子が凱旋したら、その祝いに爵位を譲ろう。
「……それにしてもエフタルまで遠回りしてアルツアルを攻略するなど、ジュシカ領に血を流した英霊に申し訳が立たぬと思わぬのだろうか。私が若い頃はあの要塞突破のために槍を振るったと言うのに最近の若者と来たら……」
いや、もし我が所領からアルツアルを攻めたとしても私はこの歳だ。最早満足に槍を振るう事も叶わない。
それでも生あるうちに最期を飾る戦に、皇帝陛下への最後の御奉公を為したいものだった。
いや、儚い妄想に浸っていても仕方ない。もう少しで第三亜人村だ。
「やれやれ。亜人の臭さは辟易するな。おまえ達にも苦労をかける」
「いえ、辺境伯様の御傍をお守りするのも我らヴァルテックの騎士の使命です」
「領都から五十キロはちょうど良い遠乗りですし、何よりこれから鷹狩ではありませんか。良い気晴らしです」
出来た部下が二人。これはこれで運が良かったと言えよう。なんとも彼らになんら武勲を上げさせられないのが口惜しい。
苦い物が口内に広がるのを感じつつ、鼻をひくつかせる。
比喩で言ったつもりだが、なんだか臭うな。
本当に亜人の臭いか? 鼻が曲がりそうだ。
だが卑しい亜人を受け入れ、村を作らせたのには理由がある。
元来奴らはサヴィオン混乱期に乗じて神土を犯した大罪人であり、皇帝陛下がサヴィオンを治めるようになってからは帝国の北域に追いやられていた。
それを三代前の皇帝陛下が南部の荒れ地開拓のためにこぞってヴァルテック領に集めさせたのだ。元々蛮国との国境地帯である我が領地のさらに南部は帝国建国以来小競り合いが続いているため集落が少なく、開拓しようにも治安の観点から入植者も集まらなかった。
それを亜人で補うため、南部の僻地に亜人村をいくつか建設した。
その結果、亜人村が生みだす財源はアルツアルと直接対峙するヴァルテックの貴重な財源となっている。
まぁ手間が無いと言えば嘘になろう。一揆を防ぐために複数の亜人村のうち一つを優遇したり、単一の種族で管理するのではなく複数種混ぜあわせ、時折住民を別の亜人村に移住させて団結力を削ぐようにしている。
その上、単独の村での一揆を防ぐためにも森への出入りを禁じ、単一の作物を栽培させる事で兵糧が蓄えられるのを阻止したりと色々と手間がかかっているのが難点だ。
「辺境伯様。見えましたな」
部下の声に思考を打ち切り、早々に仕事を終えようと決心する。
これが終われば鷹狩だ。これで憂さを晴らさせてもらおう。
「……何か、焦げ臭くないか?」
「言われてみれば確かに。山火事でしょうか?」
それは困った。ここ数日、晴れが続いているから盛大に燃え広がってしまうかもしれない。
もっともこの付近には亜人村しかないから別に心配する事もないが、それでも税収が落ちてしまうのは避けたいところだ。
今年の夏がいささか涼しすぎたせいで全国的に税収が落ちているが、アルツアルへ送る兵糧を確保するために税収の低下は何が何でも避けたい。
仕方ないな。亜人村はまだ取れ高が分からないが、例年通り七割五分――いや、八割だな。東方での騒動の行く末は聞き及んでいないが、出征中の第三近衛騎士団へ臨時に糧秣を供出するよう勅が出されるかもしれないから八割で行こう。
どうせ冬を越せぬ亜人が出ても奴らはぽこぽこガキを生むからなんて事はない。
「へ、辺境伯様! 村から火の手が!?」
そして街道を抜け、村にたどり着いてみれば轟々と火炎を吹き上げる家々。麦畑も盛大に燃え上がり、手のつけようが無いほどだ。
「な、ななな――!?」
火消しはどうしたと叫ぼうとした時、道ばたに倒れる女を見つけた。
衣服が乱暴に破かれ、犯された形跡がある。
まさか盗賊か!?
いや、盗賊ならわざわざ麦畑に火をかける意味がない。そ、それよりせっかくの税収たる麦が高らかに炎上してしまっている。
「ひ、火を消せ!」
「しかしこの勢いでは――! 我らは魔法陣さえ無いのですぞ。魔法でもどうにかなるものでは――」
「つべこべ言わずに火を消すのだ!」
炎に怯える馬から飛び降り、井戸に走る。こうなるのだったら魔法についてよく勉強しておくべきだった。
元々生活に困らない程度の魔法は身に着けているが、大規模な魔法は才が無かったからまったく不勉強であった。
己を呪いながら釣瓶井戸に駆け寄り、深々と沈んだ桶を引っ張ろうとする――が、異様に重い。
水の重さだけでは無いそれを引き上げると、桶の中には老エルフの首が入っていた。苦悶に歪む狂相を浮かべたそれが世界の全てを呪うような目つきで見返して――。
「うわああッ!?」
思わず桶を井戸の中に取り落とし、後ずさる。異様に呼吸が早くなっている。空気を取り込んでも息苦しさが解消されない。
ふと、救いを求めるように視線をさまよわせると枝のようなものが無数に突き出た燃える家を目の当たりに――。違う。枝じゃない。腕だ。
無数の腕が救いを求めるように窓と言う窓、戸口の隙間と言う隙間から突き出され、そのまま燃えている。
「ひぃいぃッ!?」
なんだこれは! なんだこれはなんだこれはッ!?
ここは天の星々に見放された地の底なのではないか!?
「辺境伯様! あれを!」
駆け寄ってきた部下が天を指させばそこには数メートルもの翼を広げたドラゴンが森の陰から飛び立つ所だった。
生まれて初めて見るドラゴンに全身の毛穴が汗を拭きだし、いよいよ呼吸もおぼつかなくなる。そのせいか胸に疼痛が生まれた。
「あ! あのドラゴン、馬車か何かを吊って――。あぁ! あの旗は!?」
馬車の尾部から掲げられた旗は赤、青、黄色の三色旗がはためいる。
あの旗は! あの旗は蛮国アルツアルの――うぐッ。
「辺境伯様!? 辺境伯様!! お気を確かに!! 辺境伯様!」
胸に激痛が走るとともに視界が暗転していく。まるで心臓を誰かに押さえつけられたかのようだ。
何もかもが闇の中に没していく。
私は……のか。こんな…………。もう何も……ない。さむ………………。
……らない。た………………。……はず……なか……。
はは…………。すま…………。
◇
トロヌス島からロートスより。
左を見る。悦に浸って俺なんて眼中に無いエフタル公国の長――エフタル大公閣下がでっぷりとした肉体を椅子に沈めている。ぶっちゃけ椅子の足が折れないか心配だ。
右を見る。表情を硬くした美形の騎士エンフィールド様が無言で動くなと命じてくる。
「それではロートス男爵大尉」
厳かな声に呆然としているとエンフィールド様が椅子の足を蹴られた。あ、座ってちゃまずいんですね。
「は、はい!」
勢いよく立ち上がるとそんな俺を嘲るようにバタンと椅子が倒れ、十メートルを優に越える長机を囲む貴族達から失笑がまき起こった。
てか、なんで俺はその長机の上座側に居るのだろう。それも長机の上座は左に座るエフタル大公閣下で、俺の寄親であるはずのエンフィールド様よりも上座に居るし。
その向かいにはアルツアルの高級将校――貴族達がまるで動物でも見るような目で俺を値踏みしている。
なんと言うか、株主総会にうっかり入り込んじゃったような気がしてならない。入り込んだ事なんて一回も無いけど。
「先の作戦、真に大儀であった」
そして長机よりも上座――部屋の奥の三段も高い場所で笑みを浮かべるアルツアル王国第二王子マクシミリアン・ノルン・アルツアル様が玉座の隣に設けられた椅子に座りながらそう言われた。
「リュウニョからも聞いている。二日かけて三つの村に甚大な被害を与えたそうだな。よくやってくれた」
問われているが、口を開ける状況では無いことくらい知っている。ただ黙って頭を垂れる。
それにマクしミリアン様が浮かべている笑みは俺の笑みと同じ臭いがする。
本心では何を考えているのか分からない上辺だけの笑み。表情筋だけを使った形だけの笑顔。
営業慣れしているな。
「諸君。我が国は建国よりサヴィオンの脅威にさらされてきた。そして先祖達は勇猛果敢に戦い、各種族の自由と尊厳を守ってきた。
しかしそれはあくまで防戦であり、輝かしい戦勝を得てもサヴィオンの魔の手から民草を守るだけで精一杯であった。
だが此度ッ! アルツアル建国より初めてサヴィオンに一矢を射掛けたのだ!
我らは初代アルツアル王さえ成し得なかった歴史的な攻撃を成し遂げたのだ!
その困難に満ちた任務をロートス男爵大尉は見事果たしてくれた。皆に代わり謝意を表す」
ぼーっとしているとエンフィールド様が何かアクションをしろとでも言うように咳払いをした。
あ、ここは喋るべきなんですね。
「あ、ありがたき幸せ」
「うむ。だがロートス男爵大尉の英雄的行為は言葉で労うにはいささか足りぬ。よって我が妹より一級騎士勲章を授与を執り行う。ロートス男爵大尉。前へ」
え? これ行って良いの?
ちらっとエンフィールド様を伺うとついに呆れを表情に浮かばせながら頷かれた。
な、慣れてないんだよ!! 賞をもらうとか中学校の皆勤賞くらいしか無いんだよ!
「し、失礼いたします!」
足は間接を忘れたかのようにピンと伸び、手もぎもちなくしか動かない。まるでガチョウ行進だ。
すると開会以来一言も発さずに置物のようになっていたアルツアル王国第三王姫イザベラ・エタ・アルツアル殿下がマクシミリアン様の背後から動いた。
なんと言うか、会議室に入室されてから守護霊よろしくマクシミリアン様の背後に控えている姿がすごく怖かったとは口が裂けても言えない。
そんなイザベラ殿下が最上段から一段、二段と降り、立ち止まる。あ、最後の一段は降りないんですね。
「ロートス大尉。予の前に」
「はッ」
不動の姿勢でその前に立つと若干微笑まれた気がした。
もしかしてそんなに滑稽なのだろうか。
「ロートス大尉。貴官の活躍を表し、アルツアル王国第二王子マクシミリアン・ノルン・アルツアル及び同国第三王姫イザベラ・エタ・アルツアルの名において一級騎士勲章を授与する」
すると壁際に居た従者が音もなくやってくるや、高価そうなシルクで出来た布の上に置かれた赤いリボンがついた銀色のメダル型の勲章をイザベラ殿下が手に取る。
「おめでとう」
肋骨のような胸飾りにイザベラ殿下の細指が勲章を取り付け、そっと胸を叩かれた。
その瞬間、心臓が自分の物とは思えぬほど跳ね上がったのを隠しつつ、一歩下がって一礼出来たのは自分でも奇跡だと思った。
「ロートス男爵大尉。重ねて言うが、此度はよくやってくれた。しかし王国は更なる君の活躍を望んでいる。それに応えてくれるか?」
「はい! ロートス大尉。身命を賭して王国ため――」
「いやはや。目出度い。我が騎士が叙勲されるとはなんたる誉れか。皆にも感謝を表す」
その脂っこい声の主はギシギシと椅子に悲鳴を上げさせながら立ち上がった。
「王都での勝利に重ね、二回目のアルヌデン平野での勝利。そして間を置かずして此度、我がエフタルの騎士が輝かしい戦果をもたらした。見よ! 高らかに昇った救国の狼煙を! これは天の星々がエフタルの再興を望んでおられる証ではないか?
主の祝福に包まれし我らが神土をサヴィオンより取り戻せとの啓示ではないか?
ならば我らは主のご期待に応え、万難を排して国土を奪還せねばならぬのではないか?
主の恩寵厚き公国と王国に勝利を! 勝利を!! 勝利をッ!!」
なし崩し的……とでも言うのだろうか。
突如として始まったエフタル大公閣下の演説に不完全燃焼感を残しながら叙勲式と言う名の会議が閉幕した。
もっともアルツアル側はアルツアル側で会議があるから残るとの事で長机の半分を占拠していたエフタル側がぞろぞろと退室して行く。その際、俺はいくら今日の主役とは言え、身分が身分なので最後尾に立って部屋を出たのだが、アルツアル側――特にマクシミリアン殿下や有力なアルツアル貴族であるヤン・ジュシカ公爵中将等は非常に苦い顔をしているのを見てしまった。
それを疑問に思いつつ他のエフタル貴族達と別れ、エンフィールド様と営地に帰る折り、上司から重いため息を吐き出された。
「あの、俺の作法が成っていなかった事をまず謝罪いたします。申し訳ありませんでした」
「そう言う問題では無いよ。まぁ君は兵の調練よりも少しばかり貴族としての作法を学ぶ努力をした方が良いのは言うまでもないがね」
はぁと生返事を返すとエンフィールド様は周囲を見渡し、周囲を警戒するように見やる。
と、言ってもここはセヌ大河の上――トロヌス島と平民街を繋ぐ大橋の上であり、不審人物など見あたらない。強いて言うなら破壊された建築物を修理するための木材を運ぶ荷役くらいだ。
「ロートス大尉。君はエフタルの騎士か? それともアルツアルの男爵か?」
「それってどういう?」
「言葉通りさ。私の記憶通りなら君はエフタルの騎士として爵位――騎士位を得た。その後、第三王姫殿下より男爵に任じられた」
「あー。つまり忠誠を誓った主が二人居るわけですか?」
「そうとも見れる。実際はエフタル大公はアルツアル王よりエフタルの地の統治を代行しているに過ぎない」
つまりどう足掻こうと大公閣下はアルツアル王の下に位置している、と言うことか。
そう言えばアルツアルやエフタルの貴族制度だと任命者では無く任命者の寄親と星々に忠誠を誓うことになっているから、大公閣下を一貴族と見ればエフタル貴族はアルツアル王にも忠誠を誓っている、とも見れるのかな?
なら俺は元締めであるアルツアルの貴族とも言える訳か。
「問題はアルツアル王位が空席になっている事だ」
「あれ? 誰も即位していないので?」
「君は世事も知るべきだな。いつまでも田舎エルフでは困るぞ」
「申し訳ありません。しかし王家を継がれる方はいらっしゃるではありませんか」
「即位してなければ身分は王子のままだ。それに陛下がお隠れになられて間がないから喪に服さずに即位も難しい」
あの、そこらんは田舎エルフには分かりかねるのですが……。
「端的に言えば戦況がよろしくない上、第二王子殿下には実績が乏しい」
マクシミリアン殿下はサヴィオンとの開戦の折りはガリアンルートに留学中であり、戦に関与したのもアルト攻略戦の最末期だ。
だが第二次アルヌデン平野会戦での勝利にも携わっているし、ぶっちゃけ王都解放の立役者と言えば実績もあるんじゃないの?
「謂わばこれは第三王姫殿下派閥の言い分だ。アルツアルがもっとも苦しい時に防戦をしてきたのが第三王姫だからな。第三王姫殿下を本大戦の功労者として即位させたい動きがある」
「イザベラ殿下が王位を狙っているという事ですか?」
「さぁ。天上人の御心は分かりかねるよ。ただ第三王姫殿下を押す最大派閥がエフタル大公閣下であらせられるのを忘れたかい? 第三王姫殿下は閣下の姪子であらせられる。だから本人の意志に関係なく動く者は動くのさ」
あー。そう言えばエフタル大公閣下はエフタルでの権力を盤石にするために有力な親族を地方に飛ばしたり、アルツアルに送り込んだんだっけ?
そんなお人の姪が王位を目前にしているから黙っている訳が……。あ――。
「もしかしてなのですが、俺が勲章をもらったときに言葉を遮ったのも――」
「察しが良いな。だからこそ閣下は君をエフタル騎士――アルツアルでは無く閣下の家臣だと周知されたのだ。簡単に言えばお手柄を取りたいのさ」
「それはあまりにも横暴なのでは?」
「これくらい貴族の嗜みのようなものだよ」
皮肉っぽい表情を浮かべるエンフィールド様に思わず苦い物を感じてしまった。
胸糞村襲撃の続きを期待した方、大丈夫です。まだまだ戦争は続くので次の章はそうしたお話にします(暗黒微笑)(要らん世話)(コーナーで差をつけろ)
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




