農民と農民
指揮官が走るというのは非常によろしく無いシチュエーションだ。それほど慌てる事態が起こっていると無言で部下達へプレッシャーを与える事になり、士気を落とす事になる。
そんな最悪な形で将校斥候から帰還してきた俺を見たミューロンが即座に戦闘用意を下令し、偽装も半ばも馬車の周辺に降下龍兵達が一斉に集まる。
「どうしたの?」
鈴のように澄んだ声にも険しさが宿っている。
一同に会した部下達も馬車を中心に円陣を作り、異変が無いか警戒態勢に入りつつも全員が耳を立てているのが分かる。
「村人に発見された」
「えぇ!? 何やってるの? もしかして森から出ちゃった?」
「ミューロンじゃないからそんな大胆な事はやってねーよ。森に隠れてたら見つかった」
「……最近、森を歩いていないからってエルフが人に――それも森の中で見つかるなんて不用心じゃない?」
確かに森での歩き方でエルフより秀でる種族など存在しない。
そう、エルフより――。
「相手はエルフだった。どうして帝国の村にエルフが居るのか分からないが、間違いなくあれはエルフだった。ヤーナさんの話から周囲に騎士の部隊は居ないみたいだが、税の取り立てに少数の騎士が巡回している可能性がある。よってこれより村へ攻撃を開始する。リュウニョ殿下はすぐに出立出来るよう離陸の準備を」
「あい、わかった!」
「アシル一等兵とエルマン上等兵はリュウニョ殿下の護衛に残れ。異常があり次第、どちらかが伝令となって俺に状況を伝えろ。それ以外は俺に付いて来い」
人間族の二人を残し、それ以外は全員を攻撃要員にする。
それでも人員は十二人か。心もとないが、なに、相手は農民だ。大した抵抗は受けないはず。
「各自、てつはうと火炎瓶を一つずつは携帯しろ。銃にも装填、いつでも撃てるように!! かかれ!」
バタバタと馬車から運び出されていた木箱が開封され、そこに詰められた火炎瓶やてつはうがバケツリレーよろしく兵員達に回されていく。
その間に俺は銃の装填を済ませ、そしてハミッシュの新作である拳銃にも弾を入れるべく弾薬の詰まったポーチに手を伸ばし……。あれ? 弾丸って共用できるのか? 不安に思ってカートリッジを取り出し、それを銃口に押し当ててみるとなんだがぴったり入りそうな気配がした。
まぁ弾丸に関してはカートリッジを包む油紙ごと押し込むから多少弾丸が小さくても大丈夫だろうし、この弾丸は薬室に押し込んだ火薬が燃焼すると共にその勢いで弾丸底部に詰められたコルクが膨張して銃身に張り付くような構造になっているから平気だろう。
「ロートス! もうすぐ準備完了だよ!」
込め矢を巧みに扱うミューロンの声に「分かった」と返しつつカートリッジを噛み切り、そこから黒色火薬を火皿に――いや、これはいらないのか。そのまま銃口に流し込み、くしゃくしゃにしたカートリッジごと椎の実型の弾丸を装填。銃身下部に取り付けられた短い込め矢を使って弾丸を薬室底部にまで押し込む。
「それでハーフコックにしてミスリルキャップを取りつけるんだよな」
ベルトに着けた小型のポーチから白銀に輝く凹状のキャップを取り出し、火門にはめ込むが、こりゃ小さくて戦闘中だと取り付けに苦労するかもしれない。まぁ慣れの問題だろうけど。
「よし、準備は良いか?」
戦闘の準備が整った一同を見渡し、一息つく。
大丈夫。大丈夫、大丈夫。ヤーナさんの話からして正規兵は存在しないはず。いても少数。騎士相手でもてつはうや火炎瓶があるから短期戦ならこっちが断然優位だ。
それに村の自警団が居たとしても一揆を防ぐために大した装備ではない筈。
そう、今までにない優位。今までにない圧倒的な装備。今までにない、敵。
「く、フハハ。今まで散々サヴィオンに攻め立てられてきたが、今回は違う。俺達が攻めるのだ。俺達が奴らを攻撃するのだ! 俺達が奴らを蹂躙するのだ!! 横列をなせッ!!」
ミューロンを基準に降下龍兵が横一列に広がり、そうした兵達に「着剣!」を命じる。
鋭く研ぎ澄まされたソケット式の銃剣が銃口にはめられ、朝と昼の中間に移ろうとする太陽の光を反射させ――。
「担えぇ銃ッ! 前へ進めッ!!」
父上の形見である山刀を抜き、ゆっくりとした歩調で歩み出す。
急いてしまう心を押し隠す様に軍靴は悠遊と下草を踏みつぶし、やがて森を踏破すれば先ほど見つけた村が眼前に広がった。
実りに輝く麦畑。その向こうに見える家々からは浪々と生活の煙がたなびき、右往左往する村人が見て取れた。
「このまま三十歩前進!!」
刈り取りを控えた麦を倒しながら降下龍兵達が進み、その真ん中で立ち止まる。見た所、家々の方では農民達が何が起こっているのかと言う疑問を投げかけてきているだけで戦端が開かれる気配は無い。
それより違和感があるとすれば――。
「エルフに獣人……。人間は居ないのか?」
そう、見た所人間族が居ない。その上、獣人と言ってもワーウルフ族や猫族に兎族と雑多な種族が寄り集まっている。
町とか人口の大きな集落ならまだ分かるが、こんな小さな村になんで多種族化しているのだろう。うちの村だったら一軒だけドワーフが居たが、それだけだ。いや、エフタルの辺境の村と比べても仕方ないか。
「止まれ! 構え!!」
号令と共にピタリと軍靴の響きが止み、一糸乱れぬ動きで燧発銃の撃鉄が完全に引き起こされる。
「……空を狙え! 撃て!!」
白煙、轟音、火花が散るや農民達から悲鳴が立ち上った。
威嚇は十分。そう、威嚇だ。さすがにサヴィオン人とは言え、無抵抗の村民を射殺するような精神はしていない。して、いない。
「装填!」
混乱の極に居る村人を睨みながら命じれば即座に兵達が弾を込めなおす。慣れ親しんだ動作を終え、いよいよ待ったなしの演目が始まった。
「これより村落へ進軍する! 各自警戒を厳となせ! なお、自衛の場合のみ発砲を許可する。無闇に住民を刺激するな!! 前進!」
緊張を頬に張り付けた部下達と共に進むと、村から年老いたエルフとそれを守るように屈強そうなワーウルフ族の男が歩み出て来た。
互いに自然と立ち止まった時、それはちょうど十メートルほどと接近戦が難しい距離になっていた。
それにしても近づいて来た二人ともよれよれの麻で出来た服を身に着け、屈強と思っていたワーウルフの男などよく見れば痩せて骨が出ている。もしかして俺達の村よりも貧しい暮らしをしているのだろうか。
「俺はエフタル公国貴族ジョン・ホルスタッフ・エンフィールド伯爵大佐が寄子。ロートス男爵大尉である。名乗られよ!」
「わ、わしはこの村の村長をしておるシリルと言います。あなた方は――?」
「シリル村長。我らはエフタル義勇旅団第四四二連隊戦闘団より分派されたロートス支隊であり、エフタル大公閣下及びアルツアル王の名の下に本村を我々の指揮下に置く。すぐに武装解除して村人を村の広場に集めろ」
「エフタル? アルツアル? 何を言っておるのじゃ?」
「いいからすぐに武装解除して村人を広場に集めろ!」
強い語気に押されたシリルが顔を引きつらせながら村に戻って行く。すると軍衣の下に着こんだ襦袢が汗でじっとりとべたついている事に気がついた。
やばい。初対面の上に父上よりも年上のエルフに怒鳴ってしまったが、声が震えなくて良かった。それに喉がヒリヒリと乾いてきたせいで裏声になりそうだったのも隠し通せた。
「ロートス? 大丈夫?」
「ん? あぁ、平気だよ。それより周辺への警戒を厳とせよ。伏兵に気をつけろ」
ミューロンの気づかわしげな碧の瞳に見とれそうになるのを意識的にやめて周囲を警戒するが、矢などを射掛けて来る気配は無い。それよりも村の一角に村民達が集まり出しているようだし、そろそろ良いかな。
「よし行くぞ。総員、撃鉄をフルコックにしろ。いつでも撃てるように」
ぞろぞろと麦畑を踏み越え、村人達が集まっている広場――と言う名の家と畑の間に出来上がった道に住民達が恐怖心を抱きながら集まっていた。数としては二百人くらいだろうか。一斉に襲い掛かられたらさすがにひとたまりも無いな。どこぞの家に分散して収容させようか? いや、最終的に俺達の目標はサヴィオンへの攻撃だ。
ならば収容するよりもどこかに逃がす方が人道的か。
「シリル村長は居るか?」
「は、はい」
「村人は何人居るんだ?」
「全員で二百割るくらいです……。それよりもアルツアルのお方が何も無い村にどうして?」
「我々はサヴィオン帝国に対し、その破壊命令を受けている。すぐに荷物をまとめ避難するように」
「破壊?」と言葉を反復するシリルが降下龍兵を見渡していく。
「何をバカな……。村を捨てろとおっしゃるので? そうしたらわしらはどんな目に遭うか……。どうか同族と憐れんで見逃してくだされ。わしらは麦をご領主様に納めねばならんのじゃ。それに皇帝陛下の慈悲によってわしらはこの地に畑を持てているのです。どうか、どうか」
必死に懇願を浮かべるシリル村長の姿は滑稽と言うより哀れであった。
それに集まりつつある村人達も不安を隠そうとせずに顔を曇らせている。
「わしら亜人は土地も持てぬ、星々の寵愛から零れた種族じゃ。この村が作られる前――百年くらい前までは氷に閉ざされた帝国の北域に追いやられていたのを畏くも皇帝陛下が南部開拓のために土地を下さったのじゃ。おかげで麦が育てられるが、生憎今年は不作でのぅ。このままでは来年の種もみも残せるか怪しいのです。どうかご慈悲を」
……うーん?
帝国語と言うやつだろうか。コイツが何を言っているのかさっぱり分からない。
なんだか俺の耳には帝国の為に麦を育てていると聞こえてしまう。
同じエルフなのに?
俺達が故郷を追われ、隣近所の仲間を殺され、家に火まで掛けられたと言うのにコイツは帝国のために麦を作ると?
絶望的な戦況の中、撤退戦に従事してエフタルを捨てた日も。
家族を守るためにと出陣したアルヌデン様を襲った悲劇の日も。
冬の寒さに凍える中、サヴィオンに抗った日も。
アイネ率いる有翼重騎士団に追いまわされていた日も。
間近に迫る終わりを前に王都で戦っていた日も。
俺達が命を賭けて戦っていた日も、コイツらはサヴィオン軍のために麦を作っていたと?
皇帝の慈悲で土地が持てた? ただ単に国境の危険地帯を開拓するリスクを押し付けられただけじゃないのか。そんな辺地で暮らしながらサヴィオンに肩入れしていると?
だから俺達に慈悲を乞うだと?
ふざけるな。
「村長。繰り返すが、早急に避難するように」
「な!? あんたそれでもエルフか!?」
「同じエルフだからこそ、避難する時間を与える」
「わしの話を聞いておらんかったのですか!? 畑を失えば食ってはいけません。毎年、冬を越せぬ者だっておるんです。そんな我らを哀れに思われぬのですか!?」
「それじゃ、あんたは村を奪われ、焼かれ、仲間を――父上をサヴィオンに殺された俺を哀れに思ってくれるのか!?」
シリル村長が息を飲むのが伝わるほど静けさが一気に広まった。
それを誤魔化す様にアンリ曹長に火炎瓶にて麦畑に火を放つよう命じると、頭に疼痛が走るのが同時だった。
「イテ……ッ」
ごつりとした何かが側頭部に直撃し、反射的に痛みの震源を抑えるが、指先に血の感触は無い。それでも痺れるような痛みを感じつつその方向を見ると森で俺と目が合ったエルフの少女がそこに居た。
涙を堪えるように。
恐怖を耐えるように。
彼女は俺を睨みつけ、肩で息をついて――。
「出て行けー!」
その声は頬を打つように響き、そしてそれが呼び水となって村人の間から「そ、そうだ!」「アルツアルとの戦なんて他所でやれ!」「出て行け」とコールが声高に叫び出される。
すると先ほどの少女が再び地面から小石を拾い、キッと俺を睨みつけ――。
「ロートス危ない!!」
「ミューロン――!?」
止める間もなくミューロンが銃を構え――。
轟音、白煙。銃口から火花が迸る。
ミューロンと少女の距離は十メートルも無かった。だがその十メートルの間に張られた濃厚な白壁が全てを隠す様に広がる。
雷鳴に似た銃声によって酷い耳鳴りに苛まれ、周囲から音が消え失せる。まるでこの白煙が晴れれば何事も無い少女がそこに立っているのではと錯覚を覚えてしまうほど静けさ。
だが徐々に悲鳴の声量が大きくなり、煙が晴れればそこには倒れ伏した少女の胸元に朱の花が咲いている光景がそこにあった。
村人たちは蜂の巣をつついたよう右往左往と逃げ出す者で広場があふれ始める。
どうする? このままでは反撃を企図した村人が出るやもしれない。ならば――。
「総員構え!! 目標、村人! 狙え!!」
ミューロンの先制攻撃に乗じて一気に力の差を見せつけ、反撃の意志を砕くしかない。
「――? 狙え! お前達どこを狙っている! 村人を狙えッ!!」
だが兵達も明らかに動揺している。
それはそうだ。降下龍兵は愚か、ロートス大隊や国民義勇銃兵隊は元々故郷を追われた農民や商人を集めた部隊だ。だからこそ、彼らは躊躇ってしまう。同じ民草を撃つ事に――。
「こいつ等は敵だ! 我らを苦しめたサヴィオンの手先だ! 躊躇う必要は無い!! 狙え――」
「大隊長! おらはその命令に従えないだ」
「――!? ネイバ軍曹!? 何を言っているんだ! まさか命令不服従か? それがどういう意味か分かっているのか!! 狙えッ!!」
それは目をそむけたくなる醜い顔をした巨漢――オーク族のネイバ軍曹だった。王都の解囲作戦である『夏の目覚め』作戦に失敗し、エフタル大公様より敵本陣強襲の命を授かった時、共に降下龍兵隊に属した彼はあろうことか銃口を俺に向け、懇願するように叫んだ。
「お、お願いだ! こ、ここに居るのはサヴィオン人だけども、騎士でも傭兵でもなんでもないただの村人でねーか。おら達と同じ、ただの農民でねーか! お、おらは嫌だッ! 同じ農民を手にかけるだなんて。だから、大隊長。どうか命令を取り消してほしいだ!!」
命令に従わねばならぬ。しかし同じ農民を撃てない。そんな葛藤の混じったオークの隣に居たエルフの青年が今度はネイバにその銃口を向けた。
「ネイバ軍曹殿! 銃を捨ててください! 貴方がしているのは大尉殿に対しての叛逆だ! こいつ等は紛れも無く利敵行為をするエルフの面汚! 大尉殿のおっしゃるとおりサヴィオンに利するなら同じエルフと言えど罰せられて当然だ! だから大尉殿に銃を向けるな!」
その言葉に他のエルフもネイバに銃口を向け、威嚇するように銃を捨てろと吠える。それにもう一人のオーク族が銃口をエルフに向けて「お前らこそ銃さ降ろせ!」と銅鑼を打ち鳴らしたような声で一喝する。
部隊が、真っ二つに割れてしまった。
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