サヴィオンの村
『降下するよ!』
耳元に直接響くような声にゾワリとした感触と共に臓腑が持ち上がる様な浮遊感に襲われる。
そして馬車が悲鳴のような軋みをたてると共に体を押し付けられるような重みを感じると共に「降車!」と叫んでいた。
「降車! 降車!! 急げ! 急げ! 急げッ!!」
あおり板が外され、燧発銃を手にした兵達が巣を突かれた蜂のように飛び出していく。
と、言っても先発して安全を確保するためにアンリ曹長以下の身軽なエルフや人間が飛び出し、一呼吸おいてオーク達がてつはうや火炎瓶の詰められた木箱を手に素早く駆けて行く。
これも事前の訓練通りだ。もっとも十二、三人だからこそ出来る統率であり、これ以上人員が増えると訓練だけで戦争が終わってしまうだろう。
さて、忘れ物等は……。無いな?
深呼吸をし、銃を握りしめながら馬車を出る。その際に出撃間際にエンフィールド様から掛けられた言葉を思い出した。
『この作戦は戦況を左右する物ではないが、竜巻が失敗した時の保険でもある。先にも言ったが軍事面では無く政治面の作戦だ。失敗は許されないぞ』
すんごいプレッシャーをかけられたが、大丈夫。なんと言ってもサヴィオンに打撃を与えれば作戦目的を達成できるのだ。正面切ってサヴィオン騎士相手に遅滞戦闘をする訳ではないのだから難易度は低いはず。
そう自分に言い聞かせながら馬車を出ると訓練通りエルフと人間が馬車を守るように円形に展開し、その内側に火力の高いてつはうなどを持つオークが周辺を警戒している。
周囲は朝日が現れようとする穏やかな原っぱが南に広がり、北には森が鎮座する静かな空間だった。
ここまでは作戦工程通り。
王都を発った後、三日ほどかけてジュシカ領に到着し、薄暮を利用してサヴィオン本土に浸透――。
「ロートス! 点呼完了。降下龍兵総員十三名及び協力員二名、事故ゼロ名、現在員計一五名。異常無し!」
「よし。それじゃ早速馬車を隠すぞ! ミューロンは馬車の隠蔽を指揮するように。歩哨を立てるのを忘れるな。 ヤーナさん、良いですか?」
「はいはーい」
ミューロンが鈴のなるような聞き心地の良い声で命令を出すのを横目にヤーナを手招きする。
そうしながら腰に下げたマップケースから一枚の地図を取り出す。それはジュシカ様からもらったサヴィオン帝国内の地図だ。
もっとも測量を基に作られたものではないため大雑把なものでしかないが。
「確認ですが、俺達がいるのはジュシカ領の要塞線からおよそ五十キロの、この辺りですよね?」
「そうそう。ジュシカ領に隣接する帝国のヴァルテック辺境伯領のど真ん中。正確には飛行中に東風を受けながら飛んだからちょっとずれているかも。少なくとも北に一キロほど行けば村落があるはずだよ。ちなみにヴァルテックの領都までだいたい四、五十キロと言うあたりかな? どちらにしろどっかの村まで行ければ正確な地理が分かるけど」
ヤーナさんの口ぶりはアバウトそのものだが、GPSはおろか標識さえ無いのにだいたいの位置をそらんじられるって凄くない? 逆に何を根拠に断定しているのかすっごく気になるが、もしかすると俺達エルフが森の中で方向感覚を失わない様に鳥人族も本能的に位置情報を掴み取れるのかもしれない。
渡り鳥的な感と言うべきかな?
「斥候を出しましょう。メンバーは俺とヤーナさんに……。ミューロン以外のエルフかな」
その言葉に馬車を森の際に押しやっていたミューロンのほっそりとした耳がピクリと震えた。
うん。分かるよ。言葉には出されていないし、顔も見てないけどすっごい不満のオーラを感じる。
「ミューロン来てくれ」
「はい、大尉殿」
そんな冷めた目で俺を見ないで。お願いだから。
「ご、ごほん。これから将校斥候に出る。それまで部隊の指揮を頼んだ」
「曹長に任せるのじゃだめ?」
「その曹長がザルシュさんだったらそうしたさ」
生憎、この部隊の先任曹長はあのアンリだ。
さすがに彼に部隊を任せるのは不安が大きすぎる上に超絶VIPのリュウニョ殿下と奴を一緒にしておくのはいただけない。
もっともミューロンもそれに納得したらしく「あー」と頷きながら唸っていた。
「仕方ないね。それではミューロン臨時少尉。部隊の指揮権をいただきます」
「頼んだぞ。出来るだけ交戦は避けてリュウニョ殿下の御身を――」
「ソレガシなら主殿に着いて行きたいが?」
「なるほど、そうですか――。ん?」
表情筋が強張るのが分かる。痙攣するように口元が引きつり、反射的にぎこちない営業スマイルが浮かんでしまった。
「……あの、もしかしてリュウニョ殿下ですか?」
「殿下禁――」
「いいえ、殿下。身分を考えてください!」
「考えた上さ。サヴィオンの国情に踏み込める機会はバクトリアには無かった。その情報を持ち帰りたい。それに連中もバカではないからソレガシに気づけば殺そうとはすまい」
あー。バクトリアの宗教観からリュウニョ殿下を害した場合、サヴィオンに国を上げて報復するんだっけ?
木っ端兵士がその事情を知っていればいざと言う時に交渉役になってくれるかもしれないが……。
「しかし、危険がある事には違いありません。殿下の身に万が一があれば降下龍兵は帰還する事が困難になりますし、この部隊の責任者としてご同行いただくことを了承する訳にはいきません」
「今更何を言うと思ったら。すでにアルトでも共に死線を潜り抜けた仲だろう。それにエルフは言うに及ばずオークよりもソレガシの身は丈夫だ。人間程度に後れを取る訳がない」
確かに王都での『夏の目覚め』作戦の折に一緒に行動していたけどさぁ。
だけどもし傷でもこさえようものなら作戦の成否に関わらずに俺に責任が追及されるんじゃないだろうか? それは嫌だなぁ。
「なに、主殿には迷惑はかけん」
「……本当ですか?」
「あぁ! それで、どうか?」
……うぅ。
「………………。……分かりました。その代わり勝手な行動は慎みください」
「了承した」
はぁ、作戦開始から胃に穴が開きそう……。
リュウニョ殿下をお連れするのなら部隊を前衛と後衛に分けてリュウニョ殿下が直接戦闘に巻き込まれないようにしないといけないな。で、なおかつアンリが何かやらかしそうだからリュウニョ殿下とアンリを分けて――。
……なんで俺は敵地まで来てシフト管理の真似事をしているんだろう?
ん? そう言えば――。
「そう言えばリュウニョ殿下」
「もう殿下はいいだろ」
「失礼しました。リュウニョ様は飛んでいる時にこう、耳元で喋る様に聞こえる魔法を使いますよね? あれって人の御姿でも使えるので?」
「もちろん造作もない」
これは……。使えるのでは?
「分かりました。では馬車の隠ぺいが完了次第、出立します」
それから少しして森の際に寄せた馬車にポンチョと個人テントを兼ねる布を端と端を結んで大きな布にしたものを馬車に掛け、その上に落ち葉や枝などを被せて偽装を済ます。
さらにミューロンには将校斥候が戻るまでより完璧な偽装を施すよう伝えて出発する事にした。
◇
俺を含めたエルフ五人とヤーナさんにリュウニョ殿下を混ぜた将校斥候が森に分け入っておよそ一時間。
ヤーナさんの感が正しいのならそろそろ帝国の村に行きつくはずだが――。
「……主殿」
「止まれ……!」
リュウニョ殿下の張りつめた声と共に右手を握りしめたハンドサインを送るとドラゴンの姫を守るように続いていたヤーナさんともう一人のエルフの上等兵が周囲を警戒しながら姿勢を低くした。
それにリュウニョ殿下も続きながら真剣そうに『声』を聴きとる。
「主殿。アンリ曹長からだ。村を見つけたと」
「分かりました。では前方に展開している残りの三人は現在地にて待機と伝えてください」
「分かった」
リュウニョ殿下は風の魔法を使う事で遠隔地に声を届けたり、逆に声を拾う事が出来る。まぁ原理についてはいまいち分からないが、簡易的な無線通信が行えると言う事だけは分かっている。
もっとも距離には厳しい制約があるらしく、百メートルくらいを過ぎると一気に聞こえにくくなるそうだ。(ちなみに戦闘斥候であるアンリ達三人のエルフとの距離はすぐに援護と集結が出来るよう二十メートルくらいの距離を保っている)その上、風の状態によってその距離は増減するとの事で前世で使われていたトランシーバーほどの安定性は無いのが悔やまれる。もっとも無い物ねだりは良くないと分かってはいるが。
「俺達はアンリと合流する。行くぞ」
ちなみに陣形としてはリュウニョ殿下を守るグループと前衛に分かれているが、戦闘斥候三人はさらに扇状に展開して索敵範囲を広げている。本来なら情報伝達に齟齬が生じるから密集して行動せねばならないが、リュウニョ殿下のおかげで離れていても即座に命令を伝えられるので今回は散開して進撃している。
リュウニョ殿下が着いて来るのは不味いと思ったが、これはこれで着いてきて良かったとさえ思ってしまうのはいささか現金すぎるだろうか?
「こっちでさ、大尉さん」
そしてアンリと合流するとさすがに彼も声を押し殺して手招きして来た。
そんな彼は静かに指を一方向に向ける。
黄金に輝く麦畑。山際に縫うように点在する石の囲いに守られた三角屋根の家々……。その屋根から顔を出した煙突からは薄らと白煙が蒼穹に吸い込まれていくのがよく見えた。
「……確かに村だ」
見える範囲で家は十軒かそこら。だが死角にもまだ家はあるだろう。麦畑の広さからして百人以上五百人未満といったところか?
そんな麦畑を観察していてふと気づいた事があった。もしかして……。
「ここがサヴィオンの村か。初めてサヴィオンを見たバクトリア王家になってしまったが、リザードマンの農村とそう変わらないな」
「り、リュウニョ殿下、あまり前に出られては危険です」
「分かっている。それにしても見事な麦だ。春撒きの麦にしてはいささか収穫が遅いような気がするが、北に位置するサヴィオンならこのようなものか?」
「……リュウニョ殿下。もしかすると今年は不作なのかもしれません」
「は? だが見た感じだが、穂も真っすぐ立派に育っているではないか」
「真っすぐ育ち過ぎです。実りがあるなら穂の重さに茎が耐えられずに強風の折に倒れてしまうものです」
もっとも倒れたら倒れたで実が傷ついたり発芽して味が落ちたり収穫量が減るので考えものではあるが……。
とにかくこの村の麦はなんだか倒れた麦が一切見当たらない。特に山や森に近い畑でもピンと麦が立っているのが不安をくすぐる。
まぁ遠目から眺めているだけだから実際はよく分からないけど。
「そう言うものなのか?」
「えぇ。ですが春撒きの麦はだいたい雨にやられて秋撒きの麦に比べると取れ高は減るのが常ですので気のせいかもしれません。俺の村は基本秋撒きだけだったので」
冬に麦を撒いて夏には米を育てるのが基本的な農法だった。もっともうちの村は狩猟生活の方が盛んだったが。
なんにせよ、この村が不作だと言うのならやる事は決まっている。く、フハハ。
「……主殿がその笑顔を浮かべると碌な事が起こらないとこの夏は思い知ったのだがな」
「何を言っているのですか?」
「自覚無しか。これだからハイエルフは……」
呆れられてしまったと言う事は考えを見透かされたか? ドラゴンって人の心が読めるんだろうか?
そう思っていると嫌な笑みを浮かべたアンリが「やりますか?」と銃を見せびらかす様に持ち上げる。
彼が所属していた国民義勇銃兵隊第九九九執行猶予大隊――オステン大隊では鉄銃に火門と呼ぶにはおこがましい穴を開けただけのタッチホール式の急造銃が配備されいたが、目出度く降下龍兵に編入された事で燧発銃に得物をチェンジしていた。きっと早く己の愛銃に血を吸わせたいのだろう。分かるよ、その気持ち。
「いや、周辺の偵察を終えてから――」
ガサリ。
「――!?」
何かが藪を動かした音に視線を向けるとそこには少女が居た。俺やミューロンよりも一回りは年下と思われるその娘はつぎはぎだらけの粗末なワンピース風の衣服に汚れたエプロンをかけた農村でよく見かける出で立ちであり、なおかつ耳がエルフのようにピンと尖っていた。
見られた――!
「――ッ」
「……!」
声をかける間もなく少女は走り出し、村へと駆けて行く。
しまった。しまったしまったしまったッ……!
油断した。てか気配全然無かったんだけど。まるで森の歩き方に熟知しているような感じだったな。エルフの俺でさえ気づかぬほどとは。
「大尉さん! どうするんで!?」
「は?」
「は? じゃねーよ。エルフに見られちまったぞ。やるか? やらねーのか?」
エルフ。そうか。エルフなら本能的に森の歩き方に精通しているから気配に気づかなかったのか。それにあの尖った耳もエルフのそれだと遅まきながらに気づく。
と、こんな無駄な事を考えるな。現実逃避を辞めろ。これは締め切り間近のプロジェクトとは訳が違うんだ。
「ヤーナさん! この村から一番近い騎士団の駐屯地は?」
「そ、そんなの領都しか無いよ。距離にして五十キロはあるかな? あ、でもこの時期だと麦の出来を調べに徴税官が出回ってるかも」
最悪だ。もう俺達の存在が露顕したと見るべきか。本当なら周辺の地形や様子を確認してから襲撃したかったが――。
「やるぞ。偵察は終わりだ! 馬車に戻って本隊と合流する!! 撤収! 撤収ッ!!」
どちらにしろ行動が遅いか早いかの違いだ。
さぁ始めよう。楽しい楽しい戦争を。
く、フハハ。
――あぁ、そう言えばなんでサヴィオンの村にエルフが居たんだ?
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