龍の姫と新人男爵
王都アルトを南北に分かつセヌ大河。そこには三つの中州があり、それぞれ西からウエスト島、トロヌス島、オステン島と名がつけられた要塞島が連なっている。
そのトロヌスにはアルツアル王国最高意志決定機関たる王城や高級貴族が邸宅を構える中心の中の中心地であった。
『あった』と言う過去形なのはこの夏を通して戦ったサヴィオン軍との戦闘により多くの家々が廃墟となったからだ。サヴィオン軍の攻撃が身分の貴賤に関わらず降り注いだ結果、壮麗だったアルトの街並みは大概瓦礫へと変貌してしまっている。
だが足を踏み入れたトロヌスではあらかた瓦礫が片付けられ、腕に覚えのある大工達がこぞって槌や鋸を振るっていた。
なんとまぁ。まだ平民街じゃ瓦礫の撤去や遺体の収容もままならないと言うのに。おまけに遺体を天の国に返すために連日火葬が執り行われているおかげで平民街の気温は肌を焼くほど熱いし、臭いし、脂っぽいしで瓦礫撤去従事者が熱中症でバタバタ倒れる有様だ。そして人手が減ったせいで瓦礫撤去が遅れ、なおかつノルマが増える。過労と荼毘のせいでまた人が倒れるとエンドレス・ブラックな日が続いている。
てか高温多湿な環境下に放置された死体って溶けるんだと初めて知った。知りたく無かったけど……。
「どうした主殿。何か不満かい?」
視線が大工からスラっと伸びた黒髪の女性に動くと、その細長い光彩が――蛇のような目だと思うのは不敬だろうか――より細まった。何か勘ぐってるのかもしれないな。なら正直に言おう。なんかこの人――このドラゴンには隠し事が出来ないような気がする。
「なんと言いますか……。まだ平民街では仮設の家さえ作られていない有様なのにと思いまして」
「貴族と平民が同じ有様じゃそれはそれで貴族の面目が保てないさ」
これはアレか。出自による思考方法の違いなのだろう。
思えばこのお方はバクトリア王国第二王女のリュウニョ殿下であられた。
前世の彼女にそっくりな相貌からなんとも言えない気まずさがあると思っていたが、それはこうした出自による考え方の違いも加味されているのかもしれない。
「そう言われると返す言葉がありません。如何な貴族になったと言っても根は田舎エルフですから」
「そういえば言いそびれていた。爵位の授与をバクトリア王姫として祝わせてもらおう。ロートス男爵」
「や、止めてください! 鳥肌が立ちます!」
そう男爵呼びされるの慣れていないんです。
「家名はどうするんだい? もう考えたのかい?」
「いえ、その……」
「なんだ。まだなのかい?」
「言い訳をさせてもらえるのであれば叙勲以来、トロヌス攻防戦に第二次アルヌデン平野会戦と戦闘に次ぐ戦闘で考える暇も無く……」
「そう言えばそうだったね。さすがハイエルフ。でもそうした言い訳を呟くのは貴族としてどうなのかな?」
そう言われると返す言葉も無い。てか、エンフィールド様からも貴族らしくとか言われていたな。あの人に言われると何故かムカついてしまうが、美人のバクトリア王姫殿下なら素直に謝罪したくなるあたりそっちの気はないんだなと安心を覚える。
「それは失礼しました。以後、気をつけます」
「それ、気をつけないやつでしょ。それで? 今日はどうしたの?」
「はい、『竜巻』作戦の補助攻勢である『台風』作戦についてです」
「あぁ。あれ作戦名がついたんだ」
『竜巻』作戦の補助攻勢として画策された陽動攻撃である『台風』作戦は少数兵力を空輸し、サヴィオンにちょっかいを出す作戦だ。
その要となるのが運び屋となりつつあるリュウニョ殿下なのだが――。
「ちなみになのですが、リュウニョ殿下は――」
「殿下禁止!」
「失礼しました。それでリュウニョ様はどこまでこの戦争に関われるのかお聞きしたくて」
いくらイザベラ殿下から交戦規定無しを宣言されてもリュウニョ殿下は立場が違う。
そもそも第三国の姫なのだからあらかじめ線引きをハッキリさせておきたい。そもそも中途半端と言うのが一番いけない。
ハッキリしない仕様書と戦った結果、納期直前で八割作り直せと言われた悪夢が蘇ってしまうからね。
「――? 主殿? どうした。顔色が優れないぞ」
「たぶん暑さのせいです」
「それはいけない。だがバクトリアには龍の血よりも食事が肝要と言うことわざがあってな。食を疎かにしていては健康を損なうという意味なのだ」
「は、はぁ」
バクトリアって料理に力を入れている国だったの? ドラゴンが暮らす島ってのは聞いていたけど食事が美味いって話は聞いたこと無いけど。
てかドラゴンって何食ってるの? 鋭い牙してたし肉とか? 生肉がぶってやってるイメージあるけど、バクトリア料理ってどんなのだろう?
「今度、何か作ってやろう」
「お、恐れ多いです! 殿下の料理を口に出来るなど――」
「殿下禁止!」
「申し訳ありませんでした。それより話を戻しますが、リュウニョ殿下――いえ、リュウニョ様は輸送のみ尽力してくださる、と言うことでよろしいのですか?」
「あぁ。今のところ、そう思っていてくれ」
……今のところ?
「つかぬ事を聞きますが、今後は輸送以外の作戦にもご協力してくださる、と言うことで?」
「確証は出来ないが、この間、帰省した時にバクトリア内に大陸情勢への介入を唱える派閥が出来上がっていてな」
いつの間に帰ったのだろう。いや、そう言えばアルト攻防戦の最終局面においてリュウニョ殿下のお姿をお見かけしない頃があったな。
確か、アルツアル王国第二王子マクシミリアン・ノル・アルツアル殿下をガリアンルートよりお迎えした辺りだったか。王都救援のための南アルツアル諸侯軍を取りまとめてお戻りになられた彼の王子をトロヌスに連れてきたのが、このドラゴンの姫なのだ。
きっとそのあたりで一度帰国していたのかもしれない。帰国した上で再度アルツアルに来られたと言うことはバクトリアの本格参戦は現実味のある話なのだろう。
「その、田舎エルフの浅知恵なのですが、お国の方は大丈夫なのですか? 確か内戦が終わったばかりと」
「そうだな。それは兄上に任せている。私も色々と事情が変わってきている。本来ならバクトリアにシャルを婿入りさせて、私は適当な領地をもらって暮らすはずだったが、この国は第一王子が戦死しているだろ」
「あぁ。もしかしてリュウニョ殿下がアルツアルに嫁入りされるので?」
「そう言う風に話が進んでいる。そのせいで――。いや、まずはバクトリアの宗教からか」
「どう言うことです?」
「バクトリアとは神の御手により大海から引き上げられた国であり、そこに暮らす龍は神によって選ばれた種族だ。故に龍が虐げられる事も、奴隷になる事も許されはしない。そう言う風に思っている。いや、そういう常識があると言うべきか」
何その選民思想。いや、確かに龍が他の種を超越しているのは分かる。だって制空権はおろか航空優勢を保持しえない軍がどうなるか、それは前世の歴史が証明している。
つまりこの世界でも空を飛ぶ事と軍事力は直結してしまうと言える。そしてまともな対空兵器が無いのだからそうした選民思想も生まれるのだろう。
「つまり、そのお考えのために殿下がアルツアルの王妃になられた暁にはサヴィオンに龍の王妃の国が攻め立てられているのでバクトリアは出兵する、と言うことで?」
「話はそう単純じゃ無いけど、まぁそう思っても良い。それにバクトリアも大陸情勢に無関心って訳ではない」
まぁそうだよね。国を強く大きくってのは世界や歴史を越えた想いだからね。国内をまとめあげたのなら次は国を豊ますために国外をとなるのは必然の流れか。
彼の種族が本格的に侵略戦争とかしたらすぐに世界帝国くらい作りそう。そう思うと不謹慎だが、内戦でどろどろしている方が世界の方がまだ平和なんじゃ無いだろうか。
「何かよからぬ事を考えていないか?」
「べ、別にそんなことありませんヨ」
「ふーん。それで、どこまで戦争に関われるか、の話だったな。直接攻撃関与しなければ、まぁ良いかな」
「飛行中に攻撃しなければ良い、と言う事で?」
「そんな感じで。だが向こうが攻撃してきたら遠慮はいらない」
つまり正当防衛であれば飛行中でも攻撃出来ると言う事ね。いや、この考えだと敵の攻撃を誘引して航空攻撃を正式に行えるとも考えられるが、落下傘も無い状態でそんな賭けに出る勇気なんて無いからな。
「分かりました。あと、これが当日の作戦の詳細です。検めてください」
腰に吊るマップケースから『台風』作戦のタイムスケジュール等が記された書類一式を取り出し、それをリュウニョ殿下に渡す事でお仕事も一段落だ。
「確かに受け取った。ん? 馬車に乗るのは十五人? またえらく少数だな、主殿」
「まぁ破壊工作だけですから。敵と正面きって戦う様な事はしませんし、そう言う時こそリュウニョ様に脱出を支援していただければ」
「貴族らしからぬせこい戦い方だな」
「成り上がり者故、ご容赦を」
「やれやれ。いつまでもその言い訳が通じるとは思わない方が良い。貴族とは高貴である事を義務づけられているのだから」
「はぁ……」
とは言えピンと来ない物は来ないのだ。でも高貴なる者の務め――ノブレス・オブリージュは男爵になる前から色々やっているような……。
思えばエフタルからの撤退戦に始まり、アルヌデン会戦での遅滞戦にアルヌデンの街を放棄した後の遅滞戦、冬の奇襲攻撃に春も防衛や遅滞戦やって夏になっても防衛線……。我ながらにこれだけやって褒章が受勲だけなの? 夏のボーナスって出ないの? ブラックなの?
「貴族と言いましても何をして良いのやら」
「おやおや。弱音かい?」
「いえ、そもそもの話、男爵に任官されたと言え、領地をもらった訳でもないですし、ただの称号なのかと思うと……」
するとリュウニョ殿下はぽかんとまるで同じ言語解する生物なのか訝しむような視線を向けて来た。その驚きを現した表情が前世の彼女の顔と被ってしまう。確かあれは俺の趣味を暴露した時だったか。
「いや、その、ですから、ほら。俺って田舎エルフじゃないですか。お貴族様がどのような事をしていらっしゃるのか見当もつかなくて」
「寄親から知らされなかったのかい? まぁその調子じゃ知らされていないようだね」
どうもリュウニョ殿下の話によると国によっても若干の違いはあるが、基本的に爵位を得た者は王への謁見が許される、騎士団の編成権を得ると言った種々の権利が認められるらしい。
てか王への謁見って王族とは爵位を得る前からしていたけどね。
「あと貴族の任官も出来るよ」
「え? そうなんですか?」
「バクトリア連合王国とか他所の国は基本的に貴族の任命は国王陛下しか出来ないけど、アルツアルだと自分より下の位階――男爵の主殿なら騎士を任命する事が出来る――要は王の代理として貴族が任官の権利を持っていると言う事さ。だから任官の際に任命者では無く任命者の寄親と天の星々に忠誠を誓わせている。わかった?」
へー。そうなんだ。確かに今思えば部隊編成において士官を任命する時に臨時少尉としていたが、その任命自体は俺に一任されていたし、俺が騎士になった際も確かにエンフィールド様では無く大公閣下に忠誠を誓わされた覚えがある。てっきり銃を扱う特別な部隊と言う事で俺に丸投げされていると思っていたが、そうした論拠があったわけね。
「それとアルツアルで言う爵位と階級も関係があるから一度寄親に確認してみると良い」
「それは良い話が聞けました」
そうと聞ければ何人か騎士位に任命して階級を臨時少尉から少尉や中尉に引き上げてあげよう。部隊も大隊に昇格したし、より多くの士官が必要だし、何より士官に任官出来ればより多くの給与を与える事が出来る(給与はエンフィールド様より部隊予算として頂いているから俺は腹が痛まないし)。
てか、もしかして俺が勝手に騎士を任官しないようにエンフィールド様は黙っていたんじゃないだろうな。いや、そうに違いない。俺は労基の隙間を潜って賃金をカットしようと言う経営陣を見ているから何が何でも上役を信用なんてしない。絶対に信用、しない。しないんだから!
「主殿? どうして泣いているんだ?」
「いえ、なんでも、ありません……!」
そろそろ労組とか出来ても良いんじゃないだろうか。給与にしろ労働時間にしろ。それにアルト攻防戦以来まともな休暇をもらった記憶が無い。
せっかくミューロンと和解したと言うのに――。あ。
「しまった」
「どうした主殿?」
「ミューロンの誕生日をすっかり忘れてました」
正確には誕生日では無く誕生月なのだが、一年間無事で生きられた事を木と風の神様、そして周囲の人に感謝する習わしがあるのだが、すっかり忘れていた。てかよくよく考えたら俺やミューロンって成人の儀式受けてないじゃん。
あぁもうサヴィオンのせいで無茶苦茶だよ! 絶対に許さん。ぶっころす!
「主殿は顔色が豊で感心する」
「ありがとうございます。いつもニコニコとするのが得意なので」
「まぁ、嬉々としているのは否定しないけど……」
何か含みのある言い方ですね、とは言わない。スルースキルだ。
久しぶりにリュウニョ殿下登場で口調が怪しくなっているという。すみません。
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