会敵
東方平野にて、ミヒャエル・オスト・デルソフより。
「お止めする事は叶わなかったか……」
広大な緑の野の中に立てられた幕舎の中で呟くも、それを返してくれる者は居ない。
すでに歳も六十を過ぎ、何時天の国に召しても不思議ではない我が身だが、まだまだ現役と体を張ってきた。だがここ最近――三ヶ月ほどで身よりも中身がどっぷりと歳を取ったような気がしてならなかった。
そうと言うのも東方問題についてサヴィオンの使者より問いただされたためだ。
そもそもアルツアルから引き返してきたアイネ殿下は何を思ったのか急に東方王即位に興味を示され、自身の派閥へ工作に取りかかりだした。
最初こそあの怪しげな筆頭従者の甘言にでも乗ったのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。
だが東方王即位の意志があると言う割に工作も中途半端であり、本当に即位されるのか疑問になる行動ばかりであった。
もし、本気で東方王即位に奔走しているのなら純粋に手助けもしただろう。オストスカヤからも内々に殿下が東方王に即位される事でサヴィオンとの関係をより一層強固に出来る云々の書状をもらっていたのもそれを後押しする理由だった。
だが東方ではガリアンルートと結託した大規模な戦支度を行っている気配もあり、殿下の見え透いた調略を不審がったサヴィオンが先に動いてしまったのだ。
「はぁ……。アルツアルとの戦の最中故に帝室が殺気立っているのは分かるが、東方の戦支度は巨人族相手の物と説明をしても聞き届けられなかった……」
毎年の事だから気にすることはないと帝国執政室――帝室に訴えもしたが、それにしては規模が大きすぎると一蹴され、東方貴族の一員である私にも叛意があるのではと追求が及んでしまった。
故に、故にこうして東方に我が槍を向けねばならんとは……。
だが致し方ない事なのだ。アルツアルに出征中である跡取り息子の事を思えばここでサヴィオンに忠を示さねばならん。
そう言い聞かせるように念じていると「侯爵閣下。馬の準備が整いました」と侍従から声がかかった。
「今、行く」
何時になく重い鎧に身を沈めながら幕舎を出ると辺りには煌びやかな騎士達が忙しそうに駆け、随伴してきた歩兵達が方陣を組み始めていた。
哀れだ。東方騎士にかかれば敗れぬ方陣などあるはずがない。そんな見るまでも無く勝敗が決していると言うのに戦場に連れて来られるなど哀れで仕方ない。
それに東方諸侯に送りつけた文に書いた日数は歩兵を勘定に入れずに計算された数字だ。歩兵を随伴している今、当初の予定よりも遅々とした進軍になってしまっている。
時間を与えれば殿下に追随する貴族も増えて行くだろう。そうならぬために歩兵を置いて来るように進言したのだが……。
「勝機をみすみす捨てているようなものではないか」
「おやおや。東方三大貴族と呼び名の高いデルソフ閣下にしては気弱な事を」
その言葉に振り向けば白馬に跨がった大男――ヴィルヘルム・ラーガルランド殿がイヤな笑いを張り付けて私を見下していた。確か、兄のアドルフ・ラーガルランド公爵閣下は愚息と同じくアルツアルに出征中であったな。
「こちらは我が第二近衛騎士団二千に貴殿のデルソフ騎士団三百。対し、敵は六百かそこらと言うではないか」
昨日の偵察に出た者達が東方辺境騎士団と接触し、ここ――オストスカヤ領の平原のど真ん中で戦う公算大として我々は陣を敷いたのだ。
その戦力は重騎兵だけで八百。軽騎兵三百と騎士の機動力こそ最上の戦力とするサヴィオンらしい様相を呈していたが――。
「お言葉ですが東方貴族を甘く見ない方がよろしいかと」
「気持ちはよーく分かるぞ、デルソフ殿。確かに貴殿の属した東方を悪く言うつもりは無いが、所詮は東方の蛮族。逆に我々サヴィオンが優れておるせいで相対的に東方は蛮地となってしまうのだ」
「……しかしラーガルランド公爵閣下は我ら東方に大分手を焼かれていたようですが?」
彼の兄であるアドルフ・ラーガルランド公爵は蛮夷討伐の名の下に東方に攻め込んできたが、イヴァノビッチ家やオストスカヤ家、そして私を含めたデルソフ家を中心にした東方貴族の連合騎士団の前に敗北を続けていたはずだ。もちろんそこに私も入ってた。
確かにラーガルランド公爵閣下は将としての才覚はあったが、如何せん東方騎士団とサヴィオン騎士団では地力が違いすぎるのだ。
「確かに兄上は大分手を焼いていたが、あんなならず者を集めた騎士団だから手こずるのだ。対して我々は? 皇帝陛下より下賜された精鋭の近衛騎士団だ。その上、魔法戦力もそこらの騎士団とは比にならぬほどだ。いくら東方騎士が相手とは言え話にならんだろ」
ヴィルヘルム殿が言うように近衛騎士団には帝都鎮護のために多くの魔法使いが在籍している。
その上、近衛騎士団そのものが選抜制のため団員の練度も高いと聞く。
確かに近衛騎士の多くは実家の騎士団を継げぬ次男や次女達が騎士として剣一本で立身するための組織でもあり、彼の騎士団に入団出来る事は何よりも名誉と考えられている。
そのため近衛と名乗るだけの実力を有しているのだ。
「しかし、兵法にも敵を侮る事なかれとあります」
「見かけによらず心配性だな。なに、案ずるな。我に任せておけ。がはは!」
不安だ……。
それに一番の懸念はサヴィオン側として出兵する東方貴族が我がデルソフ家のみと言う事だ。
それは殿下が東方の取りまとめに成功しつつある、と言う事だ。もちろん中立を掲げる家もあろうが、イヴァノビッチの血を引く殿下とオストスカヤが組んでいるのだからそれは少数派だろう。
これではこの戦に勝てたとしても戦後のサヴィオン支配がいよいよ難しくなろう。
だがここでサヴィオンを裏切る訳にも行かぬし、何より私はアイネ殿下を――孫を手に掛けようとしたのだ。すでに後戻りなど出来ない。
それに今更東方王を名乗られようが、既存の東方ではすぐに息詰まるのは目に見えている。
なぜ、皆はサヴィオンに敗れたのか考えぬのか。
騎士としての能力だけなら東方は世界に覇を唱えられる実力があろう。だがそれが成せないのは東方王をしても御せない荒馬然とした貴族の性分にある。
皆、分かっているのだ。この身を縛れる者は一切存在せぬと。皆の心は野馬のように自由なのだ。
故に東方支配など長続きしない。
それはイヴァノビッチ家が、そして今の東方がそれを証明している。
ならば変わらねばならない。そんな独りよがりの国家がこの先生き残れるはずがないのだから。
故に戦うしかない。
ふッ……。最後の最後で物を言うのは勝者に従うと言う古い東方のやり方か。なんたる皮肉か。
◇
「やっと会敵か」
昨日、サヴィオンの斥候を発見されたことでいよいよと言う思いを抱いていたら太陽が朝と昼の間に差し掛かった頃合いでサヴィオン軍を見つける事ができた。
誤算としてはサヴィオン軍との接触を作戦では二日頃――遅くても三日と試算していたのだが、サヴィオンが堂々と歩兵を引き連れてきたせいで接触まで四日もかかってしまった事だ。
そもそもサヴィオンも東方も騎馬を主力に据え、その機動力をもって敵を翻弄する事を強さにしていた。故に今回の討伐も騎馬主体の機動戦となる事が予想されたために策を練ってきたのだが……。
まぁ歩兵を連れて来たと言う事はサヴィオン軍の目的が東方辺境騎士団の殲滅ではなく東方の再占領にあるのだろう。アルツアルでの戦もあろうによくやるものだ。
「数は……。二千五百を下回るくらいでしょうか?」
「そのようだな。それに東方騎士も混じっているようだが、あれは――」
「デルソフ家の軍旗のように見えますな」
余の隣に立ち並ぶクラウスが眼を細めて呟く。
敵の半数ほどは歩兵だが、もう半分が騎士で占められている。その騎士の中にはこちらと同じく羽飾りをつけた集団が混じっていた。だが位置は最左翼とどうも主力とは勘定されていないように思えた。
対してこちらの戦力は総数六百だが、輜重隊を除けば内情は五百人だけ。サヴィオンと違い、足の鈍る歩兵は全部ワルシスに置いてきたし、輜重隊も馬車を用いた快速戦力で固められている。
おかげでクラウスの呼び込んだガリアンルート傭兵で連れてきたのは軽騎兵百のみだ。もっとも歩兵はもしもの備えとしてワルシスに待機させているが、傭兵が頼みとなるのは東方の終焉を意味しているので戦力としては宛にしない方が良いだろう。
「あ……」
「どうしました?」
「すでにガリアンルートに傭兵の契約金を払ってしまったのだからなんとしても元を取るために歩兵も連れてくるべきだったと後悔しておる」
「なるほど。失念しておりましたな。しかし傭兵は馬ほど早くは駆けられませぬ」
「それはそうだが……。クッ。金を無為に使ってしまった」
悔しさが口一杯に広がっていく。だがそんなやり取りを見ていたエリー姉さんが困ったようにため息をついた。
「あんたらねぇ」
「しかしな。朕は東方を預かるものだ。金のやり取りもキッチリせねばならんだろ」
「そりゃそうだけどね、そんな力んでたらいざって時に力出ないよ。小難しいことはそう言うのに長けた家臣に投げるもんさ」
「なるほど。良いことを聞いた。頼むぞクラウス」
「やれやれ。苦労ばかり増えてしまうとは爺は早く楽隠居がしとうございます」
「フン。宰相を狙っていた奴の言葉には聞こえんな。さて――」
程良い雑談で心も和んだ。
まぁ所詮相手はたったの二千五百ほど。他愛ない。
「陣を組め!! 馬車組の全面に横隊を作れ!!」
ラッパの音階と共に騎士達が横一列に散会していく。その手には身には不釣り合いなほど長さを誇る超長槍が握られており、その穂先に取り付けられた小旗が風に揺れている。
「さて、挨拶に赴くか。エリー姉さん」
「あいよ。ディートリッヒ殿じゃなくて良いのかい?」
「クラウスより東方三大貴族が一同に介した方が良かろう」
デルソフ家は確かに敵だ。余の命を狙った時点でそれは確定している。だが祖父上殿に東方王就任の挨拶をせぬのは失礼だろう。
故にエリー姉さんのみを連れて戦場のど真ん中に向かう。するとサヴィオン側からも煌びやかな鎧を身につけた男が二人やってきた。
一人は我が祖父――ミヒャエル・オスト・デルソフ。もう一人は……あぁラーガルランドの弟か。
「やぁやぁ!! 我こそはラーガルランド公爵家が次男、ヴィルヘルム・ラーガルランド!! 我々は皇帝陛下の勅を携え、逆賊たる蛮地再征討に赴いた次第である!! 今ならば皇帝陛下のご恩情にすがる事を許そう。如何か!?」
相変わらずラーガルランドの血族と言うのはどうしてここまで体と声が大きいのか。おそらく五十メートル以上離れているのにここまで明瞭に聞き取れるとは思わなんだ。
とりあえずその雷のように響く声を無視して祖父上殿達の白目見えるまでの距離に近寄る。
「我が名は――」
そしてふと、余は生まれ育ったサヴィオンに宣戦布告――裏切るのだと自覚を覚えた。
それは一瞬で身を重くし、喉を干上がらせてしまう。
籠手の中に浮かんだ汗が指先にまとわりつき、非常に気持ち悪い。
そうか。今まで捨ててしまいたいとあれほど願って来た帝姫と言う身分。だがそれは確かに余の一部としてそこに存在していたのだ。
確かにサヴィオンでは陰謀渦巻く帝室から命を狙われるし、帝立魔法院の時は義兄上にべったりなフリドリヒからいじめに似た嫌がらせも受けた。そうした陰険なものから余は背を向けて逃げるために戦野に身を置いて来た。
よくよく考えれば碌な事が無いが、それでもサヴィオンは故郷であったし、帝姫と言う身分も余の一部であった。
その半身を今から切り落とそうとしている。その事が非常に重く、重く重く――。重くのしかかって来る。
すでに覚悟はしていたはずなのに――。
それなのに足下が揺らぎそうになるほどの不安と寂寥を抱え込んでいる。
それに余の血筋でも仕えてくれた貴族達が居た。母上も居られる。そうした全てを捨てようとしている。
それらを切り捨てる事がこれほど怖かったとはな。
だが、だからこそ――。だからこそ余は――。
「我が名は東方王アイネ・イヴァン・デルソフ。朕こそ東方の真の主なり。我が東方を侵す者共よ。言葉は不要。かかってこい。相手になってやるッ!!」
だからこそ朕は第二帝姫の地位を捨てよう。今まで縋ってきた物を捨て、自分の手でつかみ取ってみせる。
思えば暗殺者や政敵の顔色を伺うやり方は朕の性分にあわん。そんな事を考え続けるよりも自分の手によって切り開いてやる。それこそ朕に似つかわしいというもの。
ミーシャ。どうかそんな朕を見守っていてくれ。
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