東方王
「ま、待っておくれ! このエリーザベト・イヴァン・オストスカヤが異議を挟む!」
「……申してみよ。直言を許す」
「この時局で東方王即位はサヴィオンに明確に叛意を現すものだ。皆にもデルソフの檄文が出回っていおろう。それによればサヴィオンは二週間と経たずにワルシス入りを果たす。
その上、昨日のうちに北方巨人族の侵入が確認されたと言う。
この二正面の敵に打ち勝つ策はあるのかい? ここは速やかに殿下の首をサヴィオンに届け、残った者達で巨人討伐に動かねばならぬのではないのかい!」
確かにエリー姉さんの懸念は分かる。
巨人討伐を急いでもワルシスに帰るまでに二週間。そして来週には余の討伐軍がやって来る。
巨人討伐に出払えばワルシスが空になってしまうし、サヴィオンとの戦をしていては巨人が領民に手を出してしまう。
そもそも巨人との会敵に一週間ほどの時間というは正直ギリギリの時と言って良い。これ以上遅れれば巨人をイヴァノビッチ領内で迎え撃つ事に成り、それは領民を巻き込んだ戦いになる事を意味している。
その上、東方辺境騎士団の主力はアルツアルなのだ。騎士団主力が居れば二正面作戦も展開できたが、今の東方にそのような余裕は無い。
「それに、殿下が即位の暁にはサヴィオンとの融和のため、その下準備が進められてきた、そうだね、ディートリッヒ殿」
「……えぇ。その通り」
「その即位の際に新たに宰相と摂政を置き、東方王をお支えする……。だがその協力にはなはだ疑問を覚えるのはあたしだけかい?」
クラウスに視線を向けると老騎士はやれやれと言わんばかりにこちらに向き直る。
「クラウス。直言を許す」
「ありがたき幸せ。実は殿下の正式なご即位に際し、私を宰相に、そしてオストスカヤ殿を摂政に任じて頂く勅を得る事に成っております。
それは偏に権力がサヴィオンのみに偏るのを防ぐためであり、東方とサヴィオン――両国の同盟を堅固にする意図があると皆々様にご説明してきたのですが――」
それが裏目に出た、か。
確かに東方にとって余の謀反騒ぎは青空に稲妻が走る様な物だ。
その上、クラウスからそのような穏便な東方王即位の話を持ち出されていたのに蓋を開ければサヴィオンとの戦が待っていたとは洒落にもならない。(それさえ余は今聞いたが)
「言っておくが朕の思い描く東方王即位とクラウスのそれは全くの別物だ。そもそも摂政を任ずるつもりは無い」
「――! 殿下は東方の総意を無視するつもりかい?」
「待て待て。それに宰相も置くつもりは無い」
その時、柔和な顔をしていたクラウスが凍り付いた。長く余に仕えてくれているが、こんな表情をするとは初めて知った。
まぁ今までクラウスの掌で踊っていたと思えばこれくらいの仕返しをしたところで責められはせんだろ。
「改めて布告する。朕の政に宰相も摂政も必要は無い」
「殿下は旧態とした王政を再び東方に敷かれるおつもりですかな? しかし東方の民は野馬のように自由気ままである事を忘れた訳ではありますまい」
東方平定においてその成功理由は母上の義理の実家――デルソフ家との協力関係にあったがためだ。
そのおかげでデルソフ家を中心とした東方の切り崩しに成功し、強大な騎馬の民である東方を支配下に置くことが出来た。
それは東方王の貧弱性にある。国土の隅々まで王権が行き届いて居ればサヴィオンに協力する貴族も居なかった事だろう。
だがそれは東方の民が支配されるのを潔しとせず、風のように自由にどこまでも吹いていく事を至上の悦びとするが故にどうしても王権は弱体的になってしまうのだ。
それが唯一東方を下す策略であった。
「確かにこの国は一人の王が統治するには難がある。故に議会を招集し、共和制を敷こうと思う」
現在のガリアンルートを中心とした古の巨大帝国――帝政ルートでは一時期、王政を廃して元老院が政治を治めたと史書に記されていた。
それを手本にすれば東方貴族の自治を守りつつ国の体裁を維持できるはずだ。
もっともその手綱を引く者の存在が重要である事は言うまでもない。
「なるほど。貴族合議制ですか。昔、そのような御本を殿下にお読みした事がありましたな」
「それでどうだクラウス」
「良き案かと」
「……オストスカヤ。お前はどうだ?」
エリー姉さんと呼びそうになった。それでも口から出た言葉にほぞを噛まれながらも彼女は「サヴィオンと巨人はどうするので?」とこぼした。
まぁ目下の懸念は政治体制などではなくそれだな。
「逆に問う。デルソフ家はどれほどの戦力を持ってくると言っておる?」
「それは知らされて無いが、奴の所も息子を含めた騎士団主力をアルツアルに送っているのを考えるとせいぜい三、四百かそこらか」
「ふむ。サヴィオンからの援軍を含めれば討伐軍は二、三千ほどに膨れるだろうな」
対して今の東方で動かせる戦力は総じて一千五百ほど。もっともそれは在東方貴族の総戦力であり、東方から離反してサヴィオンに利する貴族も居るだろうし、日和見を決め込む輩も少なくないだろう。
実質、安心して動かせるのはこの場に居る貴族達に連なる騎士団――五百を行けば上場くらいしか集まらぬ筈。
やはりアルツアルに東方辺境騎士団二千を残して来たのは痛いな。
「だがやってやれぬ数字では無いな」
確か、余の前任で東方平定をしていたアドルフ・ラーガルランド公爵は三倍の兵力差で破れている。それを思えばなんとでもなろう。
「しかし、巨人を相手にして休みなくサヴィオンと戦うなど出来る訳ない! その逆もまた然り。一体どうするんだい?」
「何か勘違いしているようだが、サヴィオンなど鎧袖一触だ。サヴィオンを下した後に巨人を始末すればよかろう」
別に敵を軽視する訳では無い。だが如何なサヴィオンでも東方は破れる事は無い。
「いくつか理由はあるが、サヴィオンも我らと同じく此度に出て来るのは留守騎士団だ。実力はたかが知れている」
それに義兄上のおかげでサヴィオン軍主力はアルツアルで泥沼の戦を強いられている。こちらに回す戦力も限定されるだろう。
それを思えば最大の脅威はデルソフ騎士団のみであり、魔法以外で東方辺境騎士団がサヴィオンに劣っている物は無い。もっともその魔法も高機動を旨とする東方の騎馬の民にどれほど通用するのか疑問がある。
確かにその火力は既存の如何なる物を破砕する力があるが、それは命中した時の話。固定目標相手だったからこそその火力を十全と発揮できたのだ。つまり当たらなければなんの意味も無い。
「その上、今のサヴィオンには東方を征服した朕が居らん。対して東方を征した朕がここに居る! それでも敗北を恐れる者が居るというなら早々にデルソフの陣に加わるが良い。戦場で出会ったら朕自らその首、叩き落としてくれるがな!」
謁見の間に割れんばかりの歓声が響き渡る。
そうしてやっと自分の口元が笑顔の形になっている事に気が付いた。
そして不満そうな二人の視線に「エリー姉さん」とまず姉貴分に向き直ろうとするが、体が言う事を聞いてくれない。なんとか隠しているが震えが止まらないのだ。
「まったく、あんたって娘は……」
「エリー姉さん。まず馬を大量に手配してくれ。東方において名馬の産出地であるオストスカヤの馬を大量に」
「馬? どうするんだい?」
「まずは一撃を持って不埒者に東方が誰の物なのか分からせてやる。そのために大量の馬が居るのだ」
く、フハハ。戦となれば余の独擅場だ。
◇
清浄に満ちたワルシス聖堂。ステンドグラス越しに差し込んでくる強烈な光に照らされたそこは窓が開け放たれているおかげでまだ我慢できる空気が漂っていた。
「――それでは汝、アイネ・イヴァン・デルソフよ。これをもって天と子と星霊の御名において東方王冠を授ける」
夜空を思わせる漆黒の祭服に身を包んだ老司祭の手によって金色に輝く冠が乗せられる。
――もっともこうした戴冠式はサヴィオン式のそれであり、東方ではこうした格調高い儀式は廃れてしまっていた。
そもそも東方王とは東方を統べたイヴァノビッチ家の自称でしかないし、東方王冠の歴史も古いとは言えない。
だがそれを敢えて執り行うのは星神教が余の即位を認めたと言う事実が欲しかったからだ。
これで余の即位には天の星々がお認めになられた事であり、如何なサヴィオンでもそれに異を唱えれば異端の謗りも免れない。
そうした権威付けなど何の役にも立たんと昔なら一蹴していたが、今は少しでも限られた時間で穴を埋めて地盤を確固たるものにしなければならない時だ。手抜きは許されない。
「これにて全ての儀式は終わりです」
「世話になった」
籠手を嵌めた手で王冠に触れる。なんとも頼りない重さだが、その意味を考えれば非常に重く、まるで余に似合っていないような気がする。
そんな様になっていない自分に苦笑しつつ立ち上がればガシャリと静かな聖堂に鎧の擦れる音が響く。
そして振り返れば戴冠式の参列者であるエリー姉さんことエリーザベト・イヴァン・オストスカヤ公爵とクラウスが主の御前とあって両膝をついた姿勢で余の事を見つめていた。
「殿下――。いえ、陛下。ご立派になられまして……。感極まるとはまさにこの事。これほど陛下にお仕えできた事を嬉しく思った事はございません」
「クラウス。貴様、奸臣のくせによくもぬけぬけと」
そして対するエリー姉さんは複雑そうに眉を潜めたまま「おめでとうございます、陛下」と一応の東方王即位を認めてくれた。
まぁ全てが丸く片付いた訳では無いが、それでも前進はした、かな?
「それにしても戦があるとは言え、参列者がお二方だけとは寂しい戴冠式になられましたな」
「司祭殿。これもまた東方のやり方故、致し方ないのだ」
「ですが正装では無く、戦装束での戴冠など聞いたためしが――。いえ、ここは東方でしたな」
「分かって下さり何よりだ」
我が身を包むは華美なドレスなどではなく白銀に輝く鎧に一対の翼を模した飾り羽。
確かに儀式を受ける様相では無いな。
「しかし良くお似合いです。まるで主が遣わされた星霊のようではありまんか」
「く、フハハ。それは身に余る言葉だ。それより此度は助かった。約束通りすでにステルラの星教会宛てに書状を送ってある」
「これはかたじけない。陛下の信仰心にただただ頭が下がります」
まぁタダで戴冠出来るほど世の中優しくはない。
互いに見返りと打算を突きつけ、出来限り損失を減らしながら最大の利益を引き出す。
そんな交渉の結果、旧イヴァノビッチ領の一部を教会に寄進する事になったし、教皇宛てにこの老司祭に謝意がある旨の手紙を送る事で手を打ってある。
「もう行かれるのですか?」
「すでに皆を待たせているのでな。ではこれにて」
「陛下に星々の御加護があらん事を――」
その言葉を最後にワルシス大聖堂を後にすれば、さんさんと降り注ぐ陽光が目を突き刺した。
それに目を細めつつ聖堂前の広場を見やればすでに隊列を整えた六百の騎士と二千の傭兵が集結していた。
「ガリアンルート傭兵が本当にやって来るとはな。まぁ軽騎兵は百だけか」
「陛下がアルツアルで使い潰すから悪評が立っておるのですよ」
「たわけ。東方よりもアルツアルに行った方が稼げるから数が揃わなかったに決まっておろう」
まぁ傭兵を使い潰すのは否定しないが。
それよりも今は――。
「オストスカヤ。何か言いたげだな」
「……そりゃ、どうしてこんな奸臣を未だに傍に? これで陛下に謀反の疑いがかけられた謎が解けました。これだけの事を下準備と言ってやっていたのですからサヴィオンも慌てましょう」
「同感だな」
実は東方に届いたのは傭兵や兵糧だけではなく、ガリアンルート王アワリティアと星神教会教皇陛下からの親書までくっついてきたのだ。それも東方王宛てに。
ガリアンルートと星神教双方の後押しを東方が受け、なおかつ帝都において余が調略を行って居るとあってはサヴィオンも動かずには居られなかったのだ。
「いやはや。船長は便宜を図るとだけ言われていたのですが、大変な便宜がついて来たものとこのクラウスも驚いております」
「どの口がそれを言うか」
船長? と言うのがガリアンルート王を指しているのは分かって来たが、こいつ、どんなコネを持っているんだ?
「それに陛下。これだけ支援を頂いてお代は大幅におまけされているのです。どうでしょう」
「どうでしょうってお前――」
確かにこの傭兵にしろ兵糧にしろその値段は相場から三割も安い値であり、その条件として東方産の馬の輸出をすると言う破格の条件であった。
もっとも強欲なゴブリンの王が強大なサヴィオンに睨まれている東方を助太刀するために格安で支援をしてくれた――とは思わん。
これは見えぬ戦だ。
戦後を見据えた政なのだ。
きっと戦後になればより密接な協定を結ぶ運びになり、支援を受けた側としてはゴブリンの要求を飲まねばならぬ身になるだろう。
それを狙っているに違いない。
まぁ東方の名物など馬や農作物くらいしかないし、碌な海路も無い。その上、今まで交易路を頼って来たサヴィオンは敵となっているとあっては交易の一切をガリアンルートに頼らなくてはならなくなる。
つまり交易において東方をガリアンルートに依存させようとしているに違いない。
「諸手を挙げて喜べるはずもあるまい」
「左様です。東方はこれからかじ取りが難しい嵐に突入するでしょう。なに、荒れた海で櫂を漕ぐのは慣れております」
「何を訳の分からん事を」
とは言え、だ。
「クラウス。その、あれだ。朕は政をよう知らん。故に――。その……。お前に出していた暇を解き、朕の筆頭従者の任を授ける」
「かしこまりました」
「陛下! それは待っておくれ」
エリー姉さんに何事かと尋ねれば当然のように「こんな奸臣を抱き込むのかい?」と言われた。
ごもっともである。
「奸臣が一人くらい居る方が張りが出る。違うか?」
「だけどね――」
「サヴィオン流の政に関してはクラウスほど長けた者はそう居らん。それにガリアンルートへのコネも捨てがたい。如何にガリアンルートが東方を狙っていると言ってもその財力を無視しても成り立つ国はそう無いからな。ま、上手く御してやる」
私は馬ですかとクラウスが憮然とした表情で抗議してくるが無視する。
「朕には足らぬものばかりだ。それを補うのには忠臣も奸臣も必要だと思っている。どうか分かってくれ」
「そこまで言うのなら文句は無いさね。せいぜい寝首を掻かれないようにね」
「く、フハハ。心得た」
さて、なんとか東方は安定の方向に向かって動き出している。
だがそれで満足を覚える訳では無い。
まずは、サヴィオンに別れを告げよう。
余が生まれ育った国に――。
そろそろこの小説の主人公が転生エルフ(サツバツ)でヒロインが幼馴染エルフ(サツバツ)である事が忘れ去られている気がしてなりません。
ご意見、ご感想をお待ちしております。




