消費する命
トロヌス対岸からオットー・ハルベルンより。
そして夜が明けた。
朝日が優しく世界を照らすと同時に眼前に広がる軍勢を闇夜から浮かび上がらせる。
アルト攻防の最後に相応しい軍勢の数は総勢一万三千とサヴィオン史上でも類を見ない大軍となった。その内訳は歩兵八千、騎兵三千、弓兵一千と第三鎮定軍の半数近くが参戦する事になっている。
最早ここまでくると人と言う個では無く軍という一個の生命体としか感じられなくなるものだ。その頭脳たる北軍中将たる私はこの朝日を思いの外静かに見つめていた。
それに今日はどこか体調が良い気がする。もっとも胸の病のせいで食を断っていたせいか、妙な浮遊感を覚えてしまっているのが難ではあるが。
「ハルベルン殿、全ての攻撃準備整いました」
「よろしい。攻撃開始前の訓辞を行う」
「………………」
「どうした?」
すると幕僚は口をもごもごさせた後、「閣下のお姿が」と気まずそうに口を開いた。
「私の姿がどうした?」
「その、なんとも儚げで、ガラス細工のように思えてしまいました」
「男に言われても感動しないな」
「ご無礼をお許しください」
「かまわない。我が身が永くないのは自覚が、ある。だがその前になんとしてもジギスムント殿下の命を遂行せねばならない。もし、大事の最中に私が倒れた場合だが、貴官が指揮を引き継ぎ、万事滞りなく作戦遂行に励み、最後まで殿下への忠節を尽くしてくれ」
右手の手のひらを相手に見せるように行う帝国式敬礼を幕僚が黙って行う。
それに薄く微笑んで答礼し、バルコニーに出る。そこから見える一部の兵達が何事かと視線を向けてきた。
「皆の者! いよいよ時は来た。長く暗く、辛い昨日を過ごした皆の者よ。今日本日、これまでの苦悩は終わりを告げる。
今日この晴天の元に黒十字が昇天する時――即ち、名誉ある第一帝子殿下の軍旗が敵城に翻る時こそ業苦の如く我らを苛んだ戦が終わるのだ。
これは過去に報いるための勝利である! これは死んでいった者達に報いるための未来への勝利である! 戦死した仲間に、戦死した友に報いるのは今ぞ!」
私の声がどこまで響いたのかは疑問だが、それでも兵達は一斉に鬨の声をあげる。
そう、誰もがこの最後の決戦に沸いている。
闇に閉ざされた戦況。細る補給。流れる夥しい血に辟易し、故郷での夏を思い出していた事だろう。
だがそれも今日で終わりと思えば落ち込んでいた士気も多少の回復を見せてくれた。
後は――。その時、喉の奥から熱い液体がこみ上げてきた。命を消費するという行為を実感させる味が喉を駆けあがるが、それをなんとか飲み下し、眼前の兵達に命令を告げる。
「……ッ。ぜ、全軍、突撃せよッ!!」
すでにセヌ大河は凍り付き、大軍が進むのに苦労なく渡る事が出来るようになっている。これも昨夜のうちに敵が夜襲をしかけてきてくれたおかげだ。そのおかげで敵の魔法使いが川面により氷魔法をかけてくれたようなものだ。
「「「サヴィオン帝国万歳! ジギスムント殿下万歳!!」」」
兵達が喊声をあげると共に対岸からラッパの響きが伝わってきた。今更警戒のラッパか。いや、敵が手ぐすね引いてももう遅い。
我らの拳はもう振り下ろされたのだ。後は互いに力つきるまで殴り合うのみ。だが国としての体力が尽きているアルツアルは我らの前にただ消耗されるだけだ。
勝てる。いや、勝つ。勝ってみせる!
そして勝利のために軍勢はゆったりと動き出す。だが敵もこの物量にあきらめる訳なく、あの忌々しい轟音を朝の世界に響かせてきた。
◇
トロヌスからロートスより。
「元気な奴らだ。朝くらいゆっくり過ごせば良いのに」
塹壕から頭を出せば意気軒昂な敵と敵と敵達が見えた。
くそ、こちとら夜襲と言うサービス残業と今日の作戦策定を終えてやっと眠りについたところだというのに。
忌々しく響く警戒のラッパを耳に塹壕を見渡せば夜露で泥と化した壕内に倒れるように寝ていた兵達がノロノロと戦闘配置につくところだった。
「おはよう、ロートス……。すっごく眠いね」
「おはよう、ミューロン。ほら目を覚ませ。サヴィオン人が殺されにやってくるぞ」
「うーん……」
ダメだ。完全に幼なじみが寝不足になってらっしゃる。
まぁ攻撃の号令をかけたら彼女は目を覚ますだろうからいいや。
さて、それに攻撃正面はこちら側――ウード王橋を中心に攻めてくるつもりだろう。今日の作戦についてエンフィールド様との打ち合わせも夜のうちに終わらせてあるから大丈夫だと自分に言い聞かせ、なんとか心の平安を招き寄せる。
「第一、第三小隊は銃列を敷け! 第二小隊は作戦通り予備兵力とし、リンクス臨時少尉が指揮しろ!」
ノロノロとした動きがだんだん鋭さを増していく。
そんな中、泥にまみれた軍衣姿のリンクスが駆け足でやってきた。
「おはようございます大尉」
「おう、おはよう。いい天気だな」
「えぇまったく」
なんとも律儀に挨拶をしてくれるのだろう。思わず世間話をする体で応えてしまった。
もっともそんな生真面目な所がリンクス臨時少尉の良いところなのだが。
「では作戦通りに」
「頼んだぞ臨時少尉。ワーウルフ族の力、期待しているぞ」
「お任せください!!」
尻尾をブンブン振る犬を思わせる彼は威勢良く「第二小隊我に続け! おらッ! 気合い入れてけ!!」と叫びながら塹壕を後にしていった。朝から元気一杯だな。
「さて、第一、第三小隊、構え!」
対岸からは敵の喊声が響き、それと同時に地を伝うような振動が這い上がってきた。
どうも敵さんもやる気満々のようだ。
ならばそのやる気諸共皆殺しにしてやろう。
と、その時、四四二連隊戦闘団に所属する臨編砲中隊が砲撃を開始した。
彼の中隊が保有する火力は三門の大砲であり、それらが順次に鉄の楔を河に叩き込んでいく。
それもどれもが燧発銃の弾丸を袋に詰めた散弾であり、それが着弾と同時に周囲に巻き散らかされ、周囲の兵を挽き肉へと変えていった。
そのせいか、敵の動きが多少鈍ったように思えた。とは言え速度が鈍化しただけで押し寄せてくる人波は変わらない。なんと言っても敵は逃げようにも後方から押し寄せる友軍のせいで退路がないために前進するしかない。
だからこうして待ちかまえていた。
「距離は……。百五十を切るな。狙え! 撃て!!」
本来ならもう少し近寄らせて命中を喫したい所だが、的は無数にある。この距離でも適当に発砲しても何発かは命中するだろう。つまり投射量を増やして少しでも敵に損害を与えてやるつもりだ。
「再装填急げ!!」
陣地に白煙が舞う。それと同時に隣の島――ウエスト島からも砲声が響きだした。
肉と鉄がぶつかり合うその瞬間に悲劇が生まれるもそれは後続から押し寄せる者によってかき消されていく。
誰もが生を慈しむ事無く、ただ生を消費していく。これを地獄と言わずに何を地獄と言うのだろうか?
「構え! 狙え! 撃て!!」
轟音、白煙、火花。
それでも敵は止まる事無く前進してくる。ここまでは作戦通りか。
「よし、本陣地を放棄する! 総員、後退!! 後退!!」
装填する事もなくあっさりと墓穴を捨ててトロヌスの中心街に向けて足を動かしていく。
その間にも敵はトロヌスへの侵攻を進めてくる。
「ここは他に比べて敵の抵抗が薄いぞ!」
「おい! 敵が逃げるぞ! こっちから進軍出来る!」
「帝国万歳!!」
間抜けなサヴィオン人が俺達の後を追うように前進してくる。そして俺達はその喊声に振り返る事無くトロヌスを駆け、すでに廃墟となった貴族館に駆け込む。
そこはウード王橋に向かって庭園の造られた二階建ての屋敷であったが、氷塊による破壊の限りを尽くされて垣根は吹き飛び、屋敷の壁はぱっくりと開口部を生んでいた。その屋敷に飛び込むと同時に「敵の先頭集団見ゆ!!」の警報が上がった。
今、俺達が屋敷に飛び込んだのに一体誰が警報を発したのか?
それは――。
「タルギタオス中尉、後は頼んだ」
「任せておけ中尉――いや、今は大尉でしたね」
その屋敷の中に身を潜めていた影達が動く。その主こそ第四四二連隊戦闘団第四騎兵中隊を率いるケンタウロス騎兵のタルギタオスだった。
彼は元々、エンフィールド大隊の騎兵中隊長をしていたのだが、今年の冬に行っていた命令無視の限定攻勢に共に参加した責でその職を辞っしていた。
しかしレオルアン方面からの撤退作戦中に後任の騎兵中隊長が行方不明となってしまったがために復職したのだ。
「おい、野郎共! これまで活躍は歩兵共に奪われて来た! だがここに来て大地を征する我が一族にお声がかかった。これは風と土の神様が我らに戦えと言っているに違いない! エフタルで捨てきれなかったこの命、その捨て時は今ぞ!! 攻撃目標敵、歩兵集団! 突撃にぃ進めッ!!」
ケンタウロス達が屋敷の奥から現れては民族刀である曲刀を引き抜いて行く。
そして獰猛な喊声を上げながら前進してくる敵兵に斬りこむ。その歩兵も渡河を主に想定しているのか、騎兵へ対抗できる長槍では無く刀剣が主のようだ。
そんな無抵抗な集団にケンタウロスが駆けこめばそのスピードと馬体を生かした衝撃力のある突撃が炸裂した。
敵兵は抵抗らしい抵抗なく蹄に潰され、曲刀に血を吸われていく。
「く、フハハ! 中々やるな! 案外やるな!! 俺達も戦端を開くぞ! 総員着剣!!」
鈍色の銃剣が引き抜かれ、兵達が己の燧発銃にそれを装着していく。そんな中、父上の形見である山刀を引き抜き、自分の銃を背中に回す。
「ねぇロートス! もう良いよね。もう我慢しなくて良いんだよねぇ!」
「ここでの負ければ我らは全てを失う。諸君。大隊戦友諸君。故郷を奪われ、仲間を奪われた戦友諸君! 我らに今あるのは重い武器とちっぽけな命のみだ。その全てをも奪われて良いのか? 迫りくる死を座して待っているか?
否だ! 雄々しく戦い、血路を開こう! さぁ戦友諸君。楽しい楽しい業務の時間だ! 我らに風と木の神様の加護があらん事を! 全軍、我に続け!」
それと同時に言葉にならない怒声が喊声へと生まれ変わる。
積み重ねた怒りが足を動かし、乱戦となり始めた庭園へと突入する。それと時を同じく側面から二つの部隊も動き出した。一つは先ほど別れたリンクス臨時少尉率いる第二小隊であり、もう一方は第四四二連隊戦闘団に強制編入された第九九九執行猶予大隊――オステン大隊だ。
「まんまとエンフィールド様の策が通ったな。く、フハハ」
我らが美形の連隊長の作戦ではワザと水際陣地を放棄し、敵が突出した所を側面から叩き、殲滅すると言う作戦だ。もっともその間に他の方面の友軍の損害を無視して作戦を行う関係上、何度も使える手では無いし、誘引出来る距離もたかが知れているから包囲出来る部隊もそう多くは無い。それでも敵の一部隊丸々食えそうだが。
そしてついに混戦の中に飛び込めば恐慌を喫した敵兵と目があった。
その兵士はどうも傭兵らしく、薄い革鎧に粗末な長剣しか装備していない青年だった。その青年目がけて小刀を振るえば彼の顔を薄くなぞるに終わる。
「おら! 死ね! 死ね!!」
「ぎゃあああ」
お世辞にも上品とは言えない、ただ刃物を振り回すだけの戦いに敵兵の顔が段々青ざめていく。
「な、なんで笑える!?」
「お前を殺せるからだ!!」
防戦一方の傭兵は顔を引きつらせ、さっと距離を取るなり剣を放り投げた。
「こ、降参する! 命だけは助けて――」
「嫌だ!!」
敵の瞳が見開く。それと同時に一歩を踏み込んで革鎧で防護されてない首筋に刃を突き立てると筋と筋が断ち切れる感触が指先から伝わって来た。
その適度な弾力のある感覚に満足感を覚えながら引き抜くと面白いように傭兵の首から出血が起こる。このまま血抜きしてやろう。ハンターとして獲物の血抜きはもっとも大事な行いだからな。
と、その時、敵の中から白色系の軍衣が垣間見えた。あれは――。
「オステン大隊か!」
重犯罪者で構成された国民義勇銃兵隊の恥と言うべきオステン大隊はその凶暴さを隠す事無く本能のままに戦闘――いや、殺戮を推し進めていく。その先頭を行くエルフが手にした国民簡易小銃を騎士に向ける。その騎士は、アルツアルの騎士だった。
そして止める間もなく濁った緑色の瞳のエルフが火縄を火皿に押し付ける。
轟音と白煙が舞い、銃口の先にいた騎士が崩れ落ちていった。
「クスクス! オレぁねぇ執念深いんだ、中尉さん! オレぁの事を散々殴りつけやがってこのクソ看守!!」
そう言えば以前、国民義勇銃兵隊を訪れた際に二人の曹長と会った。その時の一人が狂人――アンリ曹長であり、そのアンリ曹長を殴りつけていた看守――上司の中尉が居た。コイツ――。
口を開きかけようとした瞬間、アンリとばっちり目が合った。すると彼はニヤリと嫌な悪相を浮かべるや、乱れる敵をかわしながら近づいて来た。こっち来んな。
「おやおや大尉さん! 見ちまいましたねぇ」
「……俺も殺すのか?」
「やだなぁ。エルフの好で殺しはしません」
『殺しは』ね。他に何をするつもりだこの変態野郎。
「それに今はいつも以上に気分が良い! いんやぁ我慢したかいがありましたよ」
「……この――」
「おんやぁ? 大尉さんだって一度は思った事があるはずだ。『こいつはなんて無能な奴なんだ。お前がオレぁの足を引っ張るんだ。だから殺してしまおう』って」
そんな事は――。
無い、とは言えない。いや、先ほどの光景とて俺は見たことがある。なんと言っても俺が上官であるハカガ中尉を射殺したのだから。
そう、ハカガはどうしようもない上司だった。あの上司と共に心中するのはゴメンだったし、明らかに部隊運用は俺の方が上手かった。だから――。
「おやおやぁ!? もしかして大尉さん、思っただけじゃなくて実行しちゃったんですかい?」
「………………」
「クスクス。ま、今はそれどころじゃないようですがねぇ。オラ! テメェら! 中尉さんが死んじまったからオレぁが指揮を執るぞ」
絶句。
何に絶句って、俺とアンリの思考回路が同じだった事と、それを実行してしまった事に深い反省を覚える。
だがそんな俺を差し置くように戦況は動き出す。中庭での挟撃を受けた敵軍はすでに虫の息だ。
「押し込め!!」
アンリの楽し気な声に周囲が活気づく。トロヌスを巡る戦は始まったばかりだというのに心の暗雲だけは晴れなかった。
なんやかんやでロートス君はアンリ君を同族嫌悪しているような感じです。
あと回収されない死体が腐っているだけで他に腐要素はなんてありませんよ。なんか腐っぽい描写がりますが腐は意図してません。死体以外は(くどい)。
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