とある船長と漕ぎ手 【ガリアンルート王アワリティア】
ガリアンルード王国の王都ルードの一角。そこはガリアンルードの国土ではなく宗教国家ステルラと呼ばれる最小の異国であった。
国と言ってもステルラは一つの都市でしかなく、産業も農業もまったく発達していない小国である。
だがステルラの持つ力はかのサヴィオンや東の異教徒の国であるオストル帝国よりも遙かに強大だ。その国土に反する力とは宗教である。
この国は世界の各地に広がる星神教の総本山であり、教皇が市長を勤める宗教国家だ。故にステルラを敵に回すと言うことは全世界の星神教徒を敵に回すと言うことでもあるし、ステルラの国民は世界に散らばる星々を崇める星神教徒達と言える。
故にこの小国を攻めようとする国はこの世に存在しない。それにステルラの隣国の長であるオレ様もその星神教徒の一人だからいざ、ステルラを攻める国が出てきたらその国にオレ様は宣戦を布告する義務があると言えた。
「アワリティア陛下。付きました」
「うむ」
馬車がゆっくりと停止し、侍従が扉を開けると眼前に天を突くようなステルラ大聖堂が飛び込んできた。
王位に就いてから早五年。その間せっせと布施をして来ただけあっていよいよ城のような出で立ちに成り出している。
「しばらくその辺で遊んでいろ」
「ハッ」
侍従に金貨を一枚握らせ護衛も極力遠ざける。王としては関心出来ない事だが、今のオレ様は一介の商人にすぎない。
身につける衣服も上流商人のそれを身につけているせいで王と分かる者は身辺の者を除いておらぬ。
やはり護衛をぞろぞろと連れて主に祈りを捧げていては主も迷惑に思うだろうと思って礼拝の時はいつも護衛をつけず、商人に変装している。もっともオレ様は王であると同時に商人だから商人に変装すると言うのも変な話だが。
「さて」
聖堂の前で簡易礼拝――胸の前で五芒星を切る仕草――をして身の汚れを落としてから聖堂に入る。
するとすでに厳かな聖歌が奏でられており、蝋燭の明かりが星々の輝きを模した五つに張りでた聖像を照らしていた。
説教台に立つ老司祭――教皇が額に汗を流しながら歌う様を見つつとある礼拝席の端に座る。
「隣を失礼する」
「構いません。船長」
そこにはこれまた商人然とした初老の男が腰掛けていた。
だが商人にしては背筋が良すぎるし、何よりその瞳が戦野を知る軍人のそれだった。
「久しいな。お前から呼び出されるとは思わなかったぞ、クラウス」
「船長もお元気そうで。ですが、わたくしは今、お役ごめんの状態で」
「なんだ。また失業したのか」
クラウス――クラウス・ディートリヒと出会った時、こいつは借金を抱えた元貴族だった。いや、見てくれとしては奴隷とそう変わらないものがあった。
だがその瞳に宿る強い復讐心と気品さだけが奴隷では無いことを訴えていたのを覚えている。
「此度は我が主から暇をもらっただけであの時のように借金がある訳ではありません」
「そうか。だがオレ様と違って上手くいっていないようだな」
「やはり個人で国を相手にするのは骨が折れます」
「復讐か? 家を奪った」
彼と初めて会ったとき、オレ様はただの漕ぎ手だった。重い櫂を日がな一日漕ぐ奴隷と変わらぬ身であり、クラウスはオレ様の隣に座っていた。
その時、奴は自身を没落貴族だと言っていた。元は公爵家に連なる帝国有数の貴族だったが、皇帝の代替わりでフリドなんとか家との政争に負けて多額の借金を背負い、その借金を返すためにガリアンルードに来たと話してくれた。
もっとも話半分にしか聞いていなかった。そもそも貴族のような者がする仕事では無かったし、もし貴族ならこんな労役をするくらいなら己の矜持に従って死を選ぶだろうと思っていた。
「そうですな。我が家を見捨てた現帝を許す訳にはいきません。もっとも船長のおかげで帝国貴族に返り咲く事ができました。本当に感謝しています」
「なに、お前の剣の腕があってこそだ。オレ様もあの時のミスリルを元手に王にまで成れた」
オレ様達は罪を犯した。
出向直前の船で反乱を起こし、船長や甲板長を襲った。そして船の実権を握り、オストル帝国に渡って捉えていた船員達を奴隷として売り払い、その対価として大量のミスリルを手に入れる事が出来た。
当時、サヴィオン帝国は魔法技術の研究に熱を入れていると言う情報を船長達が話していたのと、当の帝国貴族様がそれは間違いないと話していたため金や銀を放ってミスリルを買いあさったのだ。
そしてガリアンルードに帰ってみれば帝国への輸出品としてミスリルの高騰が始まっていた。
船員達は互いに同量のミスリルを分かち合い、それを元手に商売を広げていき、ある者は貴族に戻る事が出来、ある者は王にさえなった。
「東方はなんと言うか、異国情緒があって面白かったな。ありゃ、なんて種族だった? 魔人つーのか? 浅黒い肌に角の生えた」
「人間至上主義の帝国にはおらぬ種族です故、なんとも。わたくしとしては向こうの宗教観――空と言う思想はとても興味深かったです。いや、あれは宗教と言うより哲学ですか。もっとも教会で話す事ではありませんな」
「で、なんだ。昔話をしに来たんじゃないんだろ?」
「もちろん」
その時、聖歌が一層に盛り上がる。
だがそれを冷ややかな目で見つけるクラウスはなかなか口を開こうとしなかった。
「我々の成功を神々は祝福してくださるのでしょうか」
「何がいいたい」
「……船長や甲板長をわたくしは手に掛けました。彼らの犠牲があったからこそ、我らは莫大な富と手にすることが出来たと言っても良い。それを主は許されるだろうか」
「主のお許しが無ければ今ここにはおらん。クラウス。この世は理不尽だ。地震に地滑り、病に戦。この世は苦しみで満ちている。だがこうして互いに昔話に興じるほど余裕のある者さえ居る。
理不尽こそ主の御心なのだ。だから祈るしかない」
そう、祈るしかない。だがそれは最後の最後まで人の手で出来る事をすべてやった者のみが言える言葉だ。オレ様はそれをしてきた。あの時もそうだ。
クラウスがやたら剣の腕が良いことを知り、ミスリルが売れる事を周到に調べた。そして祈りながら航海をし、今を手に入れた。それだけは胸を張って言える。
「祈る、ですか。船長。そろそろわたくしは自分のためではなく、子のために祈りたい」
「――貴様、身持ちしていなかったのでは?」
「身持ちはしていました。それこそあの船に乗り込んだ時から。我が妻は、フリドリヒ家と言う我がディートリヒ家の分家の死客に殺されました」
「あー。確かそのフリドリヒ家が今の皇帝派なんだったか?」
「えぇ。短いつきあいでした。子はおりません」
じゃ、子供とは一体誰の事だ?
その疑問が通じたのかクラウスは「帝国第二帝姫殿下です」と小さく答えた。
「東方辺境領姫か。だがその姫様からお前は暇をもらったのだろう?」
「えぇ。いささか強引な手であの人を東方王にしようとしたのですが、それが原因で」
「なるほど。読めたぞ。お前、東方辺境領姫を名実ともに東方王にするつもりだったな? それで東方をけしかけて帝国と相争う。そんな所だろう」
帝国から見放されて貴族から追われた騎士が帝国に復讐しようとしている。
なんてつまらない奴だ。まったく生産的じゃない。これだから人間は。
「もし、東方に新たな王が誕生すればいずれ帝国と争わねばならないのは理解しております。しかし、それとわたくしの復讐はまったく別問題です」
「なに?」
「確かにディートリヒ家を――妻を奪った帝国は憎い。ですが、今はそれ以上に殿下への忠誠が勝っております。
わたくしは殿下を王にしたい。あのお方は王の器をもたれている。それを腐らせるのはなんとももったいない」
そしてクラウスは周囲を見渡すとより声を潜めて言った。
「第二帝姫殿下には前帝陛下の血が流れております」
「なに!?」
その声に周囲の者が睨んでくる。その者達に愛想笑いを浮かべ、聖歌を二、三節ほど歌って誤魔化しながら先ほどの言葉を吟味する。
帝国は確か万世一系の皇帝家によって相続されるはず。つまり前帝の弟である現帝よりも前帝の娘のほうに帝位継承権が発生する、だったか。
「本当なのか?」
「ディートリヒ家の隠し書斎に陛下の書簡がしまわれており、そう書かれていました。その上、帝家の捺印まで」
それが真なら世界がひっくり返る。だがそれが発表されていないと言うことはクラウスがお熱の第二帝姫の方に即位の準備が整っていないと言うこと。
いや、違うな。発表しても消されるのがオチと言うことか。クラウスの父のように。
「で、その書簡は? それを見ない限り信用できない」
「ははは。そんな大事な物を持ち出すはずがありません。我が家に大切に保管しております」
「何を保管しているとぬかす。空気でも保管していられてはたまらん」
そもそも真偽をクラウスの口からしか聞いてない。
こいつは昔から腹の読めない奴だったからな。信用ならん。
「すべては船長にお任せします。ですが、わたくしは殿下によって生かされて居るのです。そのご恩を返すためにも生きねばなりません。ですのでここは一つ、支援をいただきたい」
「支援だ? ガリアンルードはアルツアルを滅ぼす連中を支援しないぞ。あそこは我が国最大の貿易相手だからな」
一番良いのはサヴィオン共々力つきて和平という形が一番良い。そうすれば戦後の復興のためと言って大量の物資を売り込める。だがその購買意欲さえ萎えるほどの損害をアルツアルが被ってはならないという非常に厳しい条件がつくが。
「帝国への支援ではありません。東方へです」
「東方?」
「東方の騎士団――有翼重騎士達の主力はアルツアルに出払っております。東方に残るのはその予備戦力のみ。
そして晩夏には北方巨人族の襲撃が予想されております。ですので食料や武器を融通してほしいのです」
「で、ガリアンルードにはなんの見返りがある?」
「新たな販路が開けるではありませんか。特にここで東方王になられる第二帝姫殿下へ恩を売っておけば殿下が即位したあと、東方王御用達の印が押せます。
殿下にとっても、そして船長にとっても悪い話じゃありません。それにわたくしの喜びは殿下の喜びでもあります。皆が幸せになる。そんな未来を作るための提案にございます」
東方へ、ね。確かに今まではサヴィオン帝国経由で売り買いをしていたが、それが直接となれば話は違う。
「なら馬だ。東方の馬を寄越せ」
「おや? てっきり魔法かと思われましたが」
「魔法の研究ならこちらでもやっている。それにガリアンルードは海の玄関だ。サヴィオンに比べてミスリルも安い。その上、東方の印刷技術もついに我が国で軌道に乗り出したところだ。いずれ追いつく物をねだっても仕方あるまい」
「なるほど、さすが船長。馬の方は手配しましょう」
「話が早くて助かる。それでガリアンルードにはいつまで居る? あとでオレ様の商会員を付けるからそいつと交渉をしろ。全権を託す」
「ありがたき幸せ。一応、明日までルードに居ようかと」
「明日? また早いな」
「戦争は待ってくれません。それにそろそろ我が愛しの姫君が巨人討伐のために東方に帰ってくる頃でしょう。すでに舞台は整えてあるので殿下の東方王即位は時間の問題です。ですので早々に帰らなくては」
まったく忙しい奴だ。だが時間を無駄にしないと言う点は気に入っている。それにあの航海をくぐり抜け、異国をさまよった仲だ。少しは便宜をはかってやろう。
「さて無駄話も終わりだ」
いつの間にか聖歌は終わり、辺りには水を打ったような静けさが広がっていた。
そして説教台に立つ教皇が聖書をめくり、それを一読していく。
天の星々の数だけ主がおり、聖人がおり、星霊が居る。その慈悲に感謝し、日々慎ましやかに暮らしましょう。
なんと綺麗な言葉だろうか。故に身の回りの汚れに想いが巡る。
オレ様はきっと死んだら天の星々に加わることなく、地の底の底にあるという地獄に落ちる事だろう。
それだけの事をしてきた。だが後悔は無い。
他者を蹴落として生きて来たのだからな。クラウス、お前もそうだ。何を願ってもお前も共に地獄に落ちるのだ。あの船を奪い取ったあの日にオレ様達の審判は決したのだから。
だがその最期の日まではこの世を謳歌しよう。
主の許しから離れた場所でこの世を生きよう。
ん? なんか調子が狂うな。そうか、クラウスが「我々の成功を神々は祝福してくださるのでしょうか」と聞いてきたせいだ。
なんと柄にない事を。
そして教皇の話が終わると祭礼式典が執り行われ、蜂蜜と黄身で星のように輝く無発酵のパンと黒豆を炒った物から抽出された黒湯――夜空の黒を現す――を用いた星別を受けていく。
そこでクラウスに思い切って聞いてみた。
「なぁクラウス。お前なんで帝姫の肩を持つ。まさか船長達への罪滅ぼしのために立場の悪い帝姫に手をかしてるんじゃねーだろうな」
「それだけは違います。まぁ前船長達を奴隷として売ってしまった事は気がかりではありますが。ですがわたくしの中で船長は貴方だけです」
「じゃ、なんだって――」
「……殿下は覚えていないようですが、わたくしは言われたのです。貴族籍を剥奪されると宣言されたあの城で、殿下は『生きていれば良いことがある』と。それを信じてわたくしは――」
「待て。良い話しにまとめているが計算があわねーぞ。そもそもお前がガリアンルードに渡ってきたのは前帝が死んだ年で、帝姫が生まれた年と同じだ。赤ん坊がそんな事言えるわけねーだろ! さっきも帝姫のために生かされてるとかぬかしてたが、ありゃホラだな」
「ははは。バレましたか」
こいつ。やはり油断も隙もない。
と、言うことは前帝の血を引く帝姫と言う話しもどこまで本当か分からない。
昔から腹の読めない奴だと思っていたが、やはりだ。信用ならん。
「そうむくれないでください。船長。ですがこれだけは信じて欲しい。わたくしは殿下に忠を誓った騎士であり、船長と共に高見を目指すために高級船員を襲った逆徒でもある。
わたくしは昔から変わりません。わたくしは――あの海に櫓を漕いだ我々は傲慢なのです。
全てが欲しい! 金も名誉も何もかも。そのため利用出来るものは全て利用する。そうでしょう」
「呵々! 然り。欲しい。全て欲しい。この世の全てが。だからこそ船長達を襲ったのだ」
「そう、それが故に尊敬する船長達を奴隷として売り払ったのです」
「これっぽちの金で満足を覚えるほど我らの財布は小さくない」
「これっぽちの名誉で満足するほどわたくし達は安くない」
なるほど、やはりか。
この男、帝国から名誉を奪われたからこそそれを取り返し、さらなる名誉を欲するか。それこそ砂漠に水を撒くが如く名誉を欲するか。
そのための第二帝姫。そのための爵位。そのためのガリアンルード王アワリティアとの面会。
面白い。面白いぞ。こいと組んでいればさらなる富が舞い込む事だろう。
やはりあの出会いは星々の導きであったか。
主よ、感謝します!!
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