薫る風
「先に説明した通り、本攻撃の目標は敵の重要施設の破壊にある。口惜しいがわざわざサヴィオン人と戦う事もないし、捕虜を捕る必要も無い。ただ破壊せよ! 以上が『薫』作戦の概要である! 良いな!」
「おうッ!」
狭い馬車の中に男達の怒鳴り声が響く。緊張と充足感、戦意と恐怖の入り混じったなんとも言えない空気。あぁくそ、震えている暇さえ無さそうだ。
『これより着陸する! 各自警戒!』
そう声――リュウニョ殿下曰く風のマナに呼びかけて音を遠隔地に伝達する云々と言っていたが、ファンタジーの事はよく分からない――が響くと共に降下を現すように腸が持ち上がるような感覚を覚えた。それに合わせいよいよ脳から快楽物質が津波のように溢れ出してくるのを感じる。もう戦いたくて戦いたくてうずうずしている。
「降下龍兵行くぞ!」
「おうッ!」
その言葉と共に馬車が大きく悲鳴を上げ、着陸した事を知らせてくれた。
「総員立て! これより火器の使用自由! 我に続け! 突撃にぃ進め!」
一気に馬車の後ろ板――あおりを蹴飛ばして久々に大地を踏みしめる。ふと背後を振り仰げば小ぶりな小屋ほどのドラゴンが馬車から伸びたロープで固定されていた。
「お世話になりました!!」
礼もそこそこに周囲を見渡せばそこにはサヴィオン軍のテントが幾重にも作られた野戦陣地のど真ん中に居る事が分かった。
そう、俺は敵本陣を強襲するために種々の侵攻ルートを思索していた。
それは陸路であり、上下水道だったりだが、どれも上手くいくビジョンが浮かばなかった。だがリュウニョ殿下に吊り下げられた馬車を使用した空路なら、と言う事で殿下にどこまでアルツアルの戦争に足を踏み入れるか聞いたのだ。
その答えにリュウニョ殿下は「ドラゴンとの共同作戦など、世界初であろう」と快諾してくれた。どうもリュウニョ殿下は新しい物事に対し肯定的な人らしい。
「行くぞ! 止まるな! 止まるな! 走れ走れ走れ!」
そしてリュウニョ殿下による敵本陣への空挺作戦が急速に準備され、こうして『薫』作戦は発令された。
もっとも作戦と言っても黎明に敵地に降り立ち、トロヌス島の聖堂が打ち鳴らす朝の鐘と共に作戦を終え、リュウニョ殿下に回収してもらうという穴だらけのものだ。いや、エフタル義勇旅団司令部からの命令もだいぶ穴だらけだし、この際、深いとこまで考えるのはやめた。やめて敵を殺す事だけ考える事にした。あれ? 作戦の主眼は敵施設の破壊で――。
もういいや。とにかく暴れよう。
「各自、前方のテントに突入する! 近接戦闘に備えろ!」
リュウニョ殿下には大きなテントが敵の本陣だろうし、その近くに降下するよう頼んでいたので、まず眼前のそれっぽいテントに足を向ける。
そして銃を背負い革で襷がけにすると腰に吊っていた父上の形見である小刀を抜く。そう言えば父上もハイエルフなのだろうか。もしそうなら、俺と同じような事を思いながら戦場に行ったのだろうか? あの温厚な父上が身の内に敵を殺す快感を覚えていたのだろうか?
分からない。
分からない。あぁ父上! 俺は貴方に聞きたい事がまだこんなにあったのですよ!
「吶喊!!」
口に残るは苦い味。脳にはそれをかき消さんばかりの興奮。心臓が高鳴り、小刀を握る掌がべたつきを増していく。
「く、フハハ」
人として失ってはならない忌避感も今となってはエルフの性なら仕方ないとタガが外れるように晴れやかな感情が流れ込む。それが思わず漏れ出てしまった。
くそ、震えが止まらぬほど楽しいじゃねーか!
そんな浮き立つ心のままに敵のテントまで駆け寄るとそこの入り口には歩哨と思わしき帝国の騎士が二人詰めていた。その二人とも急に空からやって来た龍に驚いているのか、口をポカンと開けて職務放棄しているようだ。
「く、フハハ!」
慌ててロングソードを引き抜く一人の騎士に斬りこむが、こちらの方がリーチが短いがために寸での所で剣により一撃が弾かれた。
一度間合いを取り直すために下がると相手はいよいよロングソードを正眼に構え、対峙してくる。だがその騎士の横合いから火縄銃がフルスイングされ、彼は慌てて飛び退くも体勢を崩してしまう。
「今だ! 囲め! 囲め!」
「く、卑怯だぞ!」
この仕事に卑怯もブラックもあるもんか!
こちとら強制的に死地に追いやられてるんだ。お前のようなぬくぬくと暮らしてきた騎士様に卑怯と罵られようが気に病まないね! もう労働環境のせいで病みそうなんだ。
「おら! 死ね!」
「クタバレだ!」
「グハッ! やめ――」
彼が立て直す前に火縄銃を振り回していたオークと共に袋叩きにしてしまうと、ちょうどもう一人の騎士を相手にしていた五人組の方も終わったようだ。彼らの足下に血だまりができている。
「よし!」
そしてテントの入り口を山刀で切り裂くと鼻についたのは墨の匂いだった。うん?
「おいおい。ここ、本陣じゃないぞ」
隣に並び立ったザルシュさんの言葉通り、そこは工房を思わせる空間だった。大量に積み重ねられた紙束。重厚な鉄板。そして樽の数々。
どう見ても本陣には見えない。
だがサヴィオンのテント群の中でもっとも大きな物はここだったはず……。
警戒しながら中を物色すると、その紙束に複雑な文様が描かれた物が大量に積んである机を見つけた。これって……。
「魔法陣か?」
「大尉殿! この鉄板、何か絵が描かれているようであります。うわ、なんだこれ!? 墨でべったりしているぞ」
振り返れば兵達も周辺の物色をし出したらしく、各々興味深げにテント内をいじりだしていた。
そんな中、ザルシュさんは兵の持ち上げていた鉄板を凝視しながら腕を組んでいる。
「曹長、どうした?」
「こりゃ……。もしかしてこの文様を紙に写し出す絡繰りじゃねぇか?」
「文様を?」
「このへこみに墨を流せば出っ張ってる所と紙が食い合って墨が写るって言う……」
印刷、か。
なるほど。サヴィオンが綺麗な魔法陣を印刷で作っていたのか。なるほどなるほど。
「おい、手分けして小さい印刷機――この鉄板を馬車に運び込め」
「しかし、本陣破壊は?」
「隊を二分する。曹長とネイバ軍曹は鉄板の搬入の指揮を執れ。他は敵本陣を強襲する」
要は力仕事に定評のあるドワーフとオークを除いて索敵しながら敵本陣を目指すと言うわけだ。
すでに外からは騒々しい怒鳴り声が響きだしている。早くしなくては。
「曹長。搬入する鉄板は小さい物を頼む。量はリュウニョ殿下と相談しろ。それが終わったら周辺の破壊工作でもしておけ。では健闘を祈る」
外に駆け出すとちょうど手近なテントから騎士達が飛び出てくる所だった。そいつ等から視線を外さないようにしながら雑嚢に入れていた小瓶を取り出し、火の魔法を唱える。
「投擲!」
王国の簡易急造兵器の一つである火炎瓶だ。瓶の中には油で満たされており、その口には導火線変わりのぼろ布がつけられている。
それをアンダースローで投擲すると着弾と共に瓶が割れ、中身がまき散らさせた。その油にぼろ布の火が移り、瞬く間に炎のカーテンを作った。
「く、フハハ! 行くぞ!」
その調子でテントに向けて火炎瓶やてつはうを投げたりして騒ぎを大きくしつつ、時にはテントの影に隠れたりしながら周囲を探るが――。
「無い!?」
あれから何分たったろうか?
すでに火炎瓶もてつはうも三、四発ほど使ってしまったが、それらしいテントが無い。
幸い、サヴィオン軍の多くは王都攻略に投入されているらしく、この陣地に屯する敵兵の数は少ないようだ。だが少ないと言ってもおそらく二百人弱は居るだろうに……。
ぜんぜん作戦目標を達成出来ていないが、仕方ない。これ以上粘ると数に押しつぶされてしまう。
「よし、仕方ない。撤収だ」
「よろしいのですか!?」
「玉砕だけは嫌だからな」
消化不良ではあるが、よくよく考えるとここでの戦果をエフタル義勇旅団司令部は確認出来ない。俺が致命傷を敵本陣に与えたと申告すれば相手はその真偽を確かめられない。うん、確かめられないよな。
「退くぞ!」
まぁ敵の使う印刷機を奪取出来たし、戦果が皆無でない事を救いと思いつつ、帰路に付くのだった。
◇
自軍の天幕にてエルヴィッヒ・ディート・フリドリヒより
体が火照るように熱く、渇きが癒えない。
そんな不快さと共に目がさめると左足にひどい激痛が走った。
「くッ……」
なんとか半身を起こすと自身にかけられていた絹の薄布がさらりと落ち、左足に巻き付けられた包帯が否が応でも目に入った。
なんと、なんと忌々しい!
王都攻略の前哨戦を華々しい勝利と飾るために出陣したというのにこの様だ。
敵の攻撃を受け、その一撃がたまたま左足を捉えた。その一撃はミスリルとなめし革で覆われた靴を易々と貫通し、肉を、骨を穿った。
治癒魔術を得意とする魔法使いの話によると肉と骨が複雑に砕けた上にミスリルが内側にひしゃげより傷を悪化させていると言っていた。そして足を切らねばならぬと。
「い、いやだいやだいやだ……!」
足を切るだと? そ、そんな恐ろしい事が出来るか! それに殿下――ジークと結ばれると言うのに片足が無いとあっては帝族に泥を塗るようなもの。絶対に足を切る訳にはいかない。
だが――。
「え、壊疽を起こしたら――」
そうなれば苦しみ抜いた末に死ななくてはならない。いや、壊疽だけではない。破傷風にかかったら絶え間ない苦痛に翻弄され、死なねばならない。そんな状態で人間らしい最期を迎えられるはずがない。
ふと、熱でぼんやりする頭で周囲を見ると枕元の机に果物と水瓶が置かれていた。そしてその中に小さなナイフも。
「か、かくなる上は――」
苦痛の前に潔く。
そう決意して震える手でナイフに手を伸ばすが、取りこぼしてしまった。
やはり怖い。死は何よりも怖い。すべてが無に帰してしまう事が恐ろしい。
そして走馬燈のように昔の事が流れてくる。
ディートリッヒ家との争いに勝利し、それを祝う父上や母上。そしてわたくしに魔法の才がある事が分かり、帝立魔法院に入学したあの日。
天才と呼ばれ、様々な魔法をこの手で生み出す事で大きな自信をつけた。
だが途中、アイネ殿下が学院に編入されてきたせいでその栄光は終わり。アイネ殿下はまさに神童だった。先生達も一目置くほど卓越した魔法技術を持っていたのだ。
いや、それだけではない。周囲をまとめあげる事にも長けていた。まさに王の器たる人だと思った。
「それが、悔しかった」
クラスの輪の中心はいつもわたくしだった。先生から誉められるのも、テストで一位を取るものわたしだった。それなのに――。
そうした嫉妬の見苦しさにわたくしはアイネ殿下と対立するようになった。
だが、唯一彼女に感謝を捧げるとすればジギスムント殿下との出会いだ。ジークはアイネ殿下の参観にいらしていたとき、たまたま話す機会があり、それか少しずつわたくし達の距離は縮んでいった。
そして父と母の病没。
そのせいでわたくしはフリードリヒ家を継承し、真の殿下の家臣となった。
「それなのに、それなのに――」
せっかくジークの家臣となったと言うのにこの体たらく。泣きたくなる。
今のわたくしは何の役にも立たない木偶の坊でしかない。それに対し、アイネ殿下はどうか? どこかの戦場に立っているのかもしれない。ジークの役に立っているのかも知れない。
アイネ殿下だけには負けたくないのに――!
と、その時外から悲鳴があがった。
なに? と思う間もなく今度は爆音が響く。
「ヒィ!?」
この音は耳にこびりつくあの音だ。わたくしから足を奪ったあの――。
止まらない恐怖が這い上がってくる。それから身を守るように先ほどずり落ちた絹の布団を頭からかぶると、今度は震えと冷や汗が出てきた。
荒い息を堪えつつ周囲に響く破壊の音を耳にしていると、その中でかすかに足音を感じた。
聞き間違い? いや、聞こえる。こんな騒音の中でも確かに――。
恐怖で体が凍る。従者は? 護衛の騎士団員はどこに?
様々な疑問が交錯し、正常な思考をつみ取っていく。
そして足音がテントの外で止まった。ぴくりとも動かない。もしかして聞き間違い? そう思った矢先、テントがビリリと切り裂かれた。
「ひ!?」
情けない悲鳴と共に身を起こし、先ほど取りこぼしたナイフを拾おうとして、ベッドから落ちる。
足から鋭い痛みが這い上がるのと落ちた衝撃でうまく立てない。そんな醜態をさらしながらなんとかナイフをたぐり寄せ、入り口の相手に向けると、その者は身の丈が優に二メートルを越える筋骨隆々とした者だった。
「んだ? 女でねーか。怪我さしてるのか?」
「な、なんだ貴様!?」
「おらか? おらはネイバ軍曹だ。第一中隊第三小隊の先任下士官をしている」
名を名乗ったそれは確かに人間ではなかった。
顔は非常に醜く、天の星々の寵愛からこぼれた存在を思わせた。なんと醜悪な豚面。そしてこの巨漢。オークだ。
人を見境無く襲い、女を犯すという種族。
どうしてオークが!? それに先の爆発。外では一体なにが起こっているのだ!?
だがそれより眼前のオークだ。そのオークが持つ武装は手にした杖のようなものと細身の剣のような物が腰につられているだけのようだ。
対してこちらはナイフのみで満足に動けないほどの怪我をしている。それに熱のせいか先ほどからうまく焦点があわない。
「だ、誰の許しを得てこの天幕に入った!? この下郎!」
「んな事言われてもな。おらはただ中隊長の命令でさ、テントを物色しているだけだ。あんた本陣の場所はわかねぇだか?」
「誰がお前のような奴に教えるものか!」
「んー。困っただ」
首を傾げるオーク。まさかわたくしを犯そうというのだろうか。鳥肌が立つ。帝国公爵たるわたくしの体を辱めるなど考えただけで震えが止まらなくなる。
先ほどはあきらめたが――。
「く、殺せ!」
「んだ? そうだな。中隊長も捕虜は取るなと言っていたし、本人も望んでいるのなら、仕方ないだ」
「――え?」
「可哀想だどもな、殺してやるだ」
そしてオークはずかずかと天幕に入って来るや無造作に拳を振り上げた。本当に殺される。そう思うと体が強張り、思わず目を瞑ってしまう。
だが拳が風を切る前に「降下龍兵集結! 急げ!」と言う声が聞こえて来た。
「しまっただ。大尉殿が御呼びだ。うーん。捕虜取るなと言われちょるが……。あんた悪ぃが付いてくるだ」
「え? ちょ――」
するとオークはこちらが抵抗する前にナイフを軽々と取り上げ、そしてこれまた軽々とわたくしを担ぎ上げた。「離せ!」と抵抗を試みるが、オークの剛腕はびくともせずのしのしと天幕からわたくしを連れ出した。
戦火の猟兵もついに百話到達です(幕間を除いて)。そんな百話目はみなさん大好き女騎士のくっころ回ですよ! それも相手はオーク! (この後の処刑タイムに)ドキドキしますね!
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




