戦争イベント
渚はシャワーを浴びて汗を流す。
体をよく吹いて、頭に巻いたタオルをとって髪を下す。
まだ水気の残る髪が肌につくのも気にせず、渚はVR機体に体を預ける。
「それじゃ、あいつらに自慢してやりますか」
渚がそうつぶやくのと、VR機体が稼働するのはほぼ同時だった。
それからすぐに渚の意識は仮想現実の世界へ移る。
先ほどまでレッドドラゴンと死闘を繰り広げた火山の洞窟で、左手の指で空をなぞる。
いま彼女にはメニュー画面が宙に浮いているように見えるが、他の人からは何をやっているのかわからない。
とはいえ大体の人が動作からメニュー画面の操作だと気付くのだが、その操作の内容まではわからない。
渚は周囲に気を配りながら、メニュー画面のフレンドリストを選択し、一斉配信のボタンを選択した。
これは渚とフレンド登録した者全員に一方的に言葉を伝えるものであってふだんは使われることのない機能だ。
しいていうなればギルド、友人や仲間同士の集まりのリーダー格が何かのイベントを行う際にメンバーに呼びかける際に使われる程度だ。
『発魔法使いモミジより宛フレンドたちへ 魔法コンプ、最果ての火口最深部にて』
簡素なメッセージだが、反応は劇的だった。
『mjd』『さすがどえむ』『もみじはぁはぁ』『すっげぇ』『さすが俺の嫁』『まさかこんな苦行さえ乗り越えるとは……』『暇人乙』『ニート乙』
それらのメッセージを受け取った渚、ゲーム内での名前はモミジはドン引きしていた。
平日の夕方、それも今日は水曜日だ。
週のど真ん中で翌日仕事が待ち構えている者も少なくはないだろう。
それを、フレンドの八割以上が答えてくれた。
しかものその半分がモミジの姿に対してセクハラ発言を繰り返す者だったことにドン引きしていた。
「これは……みんな性欲盛んだな~」
モミジの姿は小学生と見間違えるほどに小柄だ。
しかし、通称中の人と呼ばれるプレイヤー、つまり渚は25歳の社会人であり、その年齢にふさわしい体躯を持ち合わせている。
もっとも肉体の成長はあまりよくないため本来出ている部分は、平らだ。
「おいロリ! メッセの話は本当か! 」
メッセージを送信してから程なくして数人の男性が高難易度のダンジョンである、最果ての火口最深部へ到達する。
その様子からは一切の疲労は見られない。
そのかわりに焦りが見て取れる。
「ロリ言うな、もうすぐ全員集まるだろうからそしたら見せてあげるよ。
真の魔法使いの戦闘力を」
モミジは幼い体躯に似合わない眼光で駆け付けた剣士たちを見つめる。
妖艶、というよりは悪だくみをする子供のようだったが、そのことを口にする者はいない。
そのようなやり取りをすること十数分、モミジの知り合いの大半が最果ての火口最深部に到達したところで、モミジはアイテムを選択した。
それは『帰還の翼』と呼ばれるアイテムで、ダンジョンから最寄りの街へ一瞬で移動できるという物だった。
このアイテムはその利便性から重宝されるが、別に珍しいものでもなく安価なのでプレイヤーは全員所持していた。
話を戻して、最寄の街に辿り着いてからモミジを含む一行は馬車に乗り込んでからモミジが魔法を行使する。
【ディメンション】、自分、もしくは自分を含む団体を指定した場所へ転移させる魔法だ。
これは【空間魔法】の熟練度を上げていくことで取得できるスキルだが、当然所持している者は少ない。
理由は言わずもがな不人気な魔法使いを使わないこと。
そしてもう一つあるがこれは後述する。
「すげー便利だよなその魔法」
「おぼえる? 」
「サブじゃ無理だろ、今から新しいキャラ作っても無駄だし」
このサブ、というのはサブアカウントという意味ではない。
サブ職業、メイン職業といわれるものが剣士や魔法使いである。
サブ職業とはメインの他にもう一つだけ職業を選択することができる。
例えばメインは剣士だが、サブ職業で魔法使いを選択して魔法剣士としてプレイする者もいる。
ただし魔法使いをメインに据えて剣士をサブに選ぶという事はない。
理由はサブ職業のスキルをすべて取得できるわけではなく、おおよそ半分のスキルしか取得できない。
それに加えて取得できるスキルは下級の物が中心で上級の、つまり【ディメンション】のような難易度の高いスキルは取得できない。
これが【ディメンション】取得者が少ないもう一つの理由だ。
「そういやもみじんのサブ職業って何? 」
「メイン魔法使い、サブ賢者だよ」
賢者というのはアップデートと共に追加された職業だ。
ゲームシステム上転職ができなかったため、運営側が急遽転職ポーションというアイテムを配信したり、サブアカウント作成権という資格を配信したりという対応に追われたのはある意味自業自得と言えなくもない。
とにかく、賢者という職業は後から追加された魔法使いに代わる職業と言えばよいのだろうか。
あまりに強すぎたために弱体化されてしまい、そして今度はサブ職業としての立場を確立してしまった魔法使いの代わり。
賢者は魔法使いほど万能ではない、というのも覚える魔法が攻撃魔法と回復魔法の二つだけで、補助や転移の魔法を覚えることはない。
その分、魔法使いよりも攻撃力と防御力、HPに余裕があるように作られている。
つまるところ、魔法の威力は魔法使いに劣るが魔法以外の戦闘では魔法使いを圧倒すると言えばわかるだろうか。
「それっていみあるの? 」
前述のとおり、魔法使いはあらゆる魔法を覚える。
それに対して賢者は攻撃と回復の魔法だけ覚える。
それはすなわち賢者の覚える魔法は魔法使いも覚えられるという事だ。
「賢者の魔法スキルと魔法使いの魔法スキルは別個に用意されているの」
モミジ曰く、魔法使いと賢者は別のスキルを使っている。
それは同じ結果を出すが、途中の計算式が違うということだ。
「なるほどね、MPバンプのための賢者ということ」
「そうそう」
MPバンプ、とは魔法やスキルを使うために力であるMPを劇的に増やすことをさす。
通常、魔法を使い続けることでMPは増加するがスキルの中にはMPを増加させるものもある。
ただしそのスキルは賢者と魔法使いにしか用意されていないので、サブ職業にはMP増加と強力な魔法が使える魔法使いが多い。
「それで、どこにふっかけるの」
「アトラシア」
モミジの言葉に馬車に乗り合わせた全員が固まる。
ふっかける、とはドミナスオンラインの用語で戦争を仕掛けるという意味だ。
さらにアトラシアとはドミナスオンラインの中に存在する大国の名前だ。
宗教国家アトラシア、過去にいたとされる獣人やエルフを殲滅したとされる国家でプレイヤーの大半から嫌われている。
その理由はとあるプレイヤーが運営にこう質問したことから始まる。
『エルフとかドワーフとかは追加されないんですか』
それに対する答えがこれだった。
『聖国アトラシアが滅ぼしたので永久に追加されません。
ついでに獣人とかも滅ぼされていますのでけも耳もありません』
それを聞いた大半のプレイヤーは装備を整え、大金を支払い聖国アトラシアに戦争を吹っ掛けたという。
しかし、仮にも種族を滅ぼした大国だった。
高レベルのプレイヤーが集まっていたとはいえ、数の暴力相手では分が悪く、最終的に両者痛み分けとなった。
その国に、スキルをコンプリートしただけの魔法使いが挑む。
無謀を通り越して蛮勇というべきだろう。
「さて、ではやりますか」
モミジは馬車から降りる。
他のプレイヤーは馬車の中からそれを眺めているだけだ。
戦争を仕掛ける際に近くにいたプレイヤーは自動的に敵味方に割り振られてしまうため中立であることを示す必要がある。
それが馬車だ。
馬車に乗っているプレイヤーはどれだけ近くにいようが敵味方として識別されることがない。
ある種のバグを利用した手段だが、発見から修正がなれないので半分は公式とされている。
『発魔法使いモミジ 宛聖国アトラシア お前潰す』
聖国へ向けてメッセージを飛ばす。
これが開戦の合図となる。
戦争イベントはこのようなメッセージを送ることで発生し、勝利した側には大金や大量のレアアイテムが転がり込む。
しかしデメリットとして負けた場合、最悪キャラロストさえあり得る。
つまり今まで育てたキャラクターを失ってしまうのだ。
「スキル【プロミネンス】」
火竜さえ炭に変えた高温の炎がアトラシアの城下町に降り注ぐ。
その光景は神の裁きとでも言われたら信じてしまいそうなほどだ。
「すっげ……」
モミジの背後で一人のプレイヤーが呟く。
「続けてスキル発動【無水の津波】」
先ほどまで【プロミネンス】で焼かれていたアトラシア城下町に、草原だったはずの場所から突如水が現れて次々とアトラシアを飲み込もうと襲い掛かる。
「スキル【神の裁き】」
アトラシアを襲っていた津波が消失して、街全体が全貌を表す。
【プロミネンス】と【無水の津波】に襲われた町は既に壊滅と言っても過言ではない。
そこに、もう一つの魔法が発動された。
【神の裁き】、極大の雷を落とす魔法だ。
炎で焼かれ、津波で押しつぶされた所へ雷。
結果は感電である。
「これでとどめ、スキル【ブラックホール】」
最後に発動した魔法ブラックホール。
そのままの意味でブラックホールを生み出す魔法だ。
それを街の中心部、つまりアトラシアの城に向かって放った。
モミジの両の手に持つ杖から放たれたそれは、音も立てずに進路にある外壁や家を飲み込みながら突き進み、城にあたったところで肥大して消えた。
後には陥没した地面のみが残り、アトラシアという国は消滅した。
『WINNER』
モミジの頭の上に表示された文字を見て、一瞬の沈黙の後見ていたプレイヤーたちが歓声を上げた。
「マジで勝ちやがった! 」
「さすが対軍戦最強! 」
「つかあの速度であの威力連射されちゃタイマンでも勝てねえよ! 」
「俺速攻死ぬ自信あるわ」
「俺もプロミネンス耐えられるかどうかだわ」
「さすが公式チート、強すぎて弱体化されただけでなく必要経験値を引き上げられただけある」
さまざまな声が飛び交う中、聖国アトラシアがあった窪地から元の姿のままのアトラシアが生えてきた。
「うわぁ……」
その光景に思わずモミジが声を上げる。
そのまま勢いで魔法を打ちそうになるのをこらえて馬車に乗り込んだ。
所謂リスポンといわれるシステムで、モンスターや人間が絶滅しないよう復活するシステムだ。
「あんなリスポン始めてみた」
「俺もだよ、気持ち悪い」
「聖国つーかモンスターそのものだな」
各々妙な後味のままその場を後にした。
「あ、レベル上がってる」
モミジのステータスに微妙な変化をもたらして。