避けて通れても
最近、妙に運がないと思い始めている。
朝起きたら寝ぼけていたのかベッドから落ちてしまったし、石につまずいて転びそうになったし、なぜか知らないけど女子から熱視線を浴びるし、教科書で指を切り血が出てしまった。なんて今日は不幸なんだ。昨日も運がなかったし。私、そのうち交通事故にあって死んじゃうのかな…。
思わずため息が出てしまうほどに、鬱だ。うつ病になってしまうがいい、と言われてしまいそうだ。ならないよ? 私健康優良児だからね?
同士こと冬弥君情報。私たちの観察対象の美少女が、王子を捜している。
彼女が言うにその王子は颯爽と助けてくれたそうだ。女子生徒だが、さりげないしぐさがかっこよく、微笑んだ表情がとてもきたと。
…何がきたんだよって思ったが、それ、わたしなんだよねぇぇ。
「うげ、」
「どうかしたのかい?」
思わず声を出そうとしたが変な声が出てしまった。それに反応した彼に苦笑で返す。恥ずかしいわ!
現在彼との勉強会だ。長い休み時間に図書室で教えてもらっている。利用知る人が限られているからちょうどいいと彼が言っていたからだ。
彼のストラップ消失事件の日、私は彼女の制裁場面を見たのだ。校舎裏という、まさしくテンプレな場所で。校舎裏は私と彼が昼食をとる場所なので、絶対に調べなければいけないところだった。それに、彼女のことを制裁していた子の言葉に、同情してしまったからだ。そのことを彼に伝えたら「お人よし」と言われ、笑われた。うるせい、これが私じゃい。
私は彼に何でもないと返す。しかし彼は納得いっていないようで、じっと私を凝視してくる。
「なんでもないってば」
「気になる。…ああ、あのことかい? 観察対象が王子を捜している」
「うっ。まあ、そうなんだけどねぇ」
鋭いなあ。そう口に出せば自慢げに鼻を鳴らした。相変わらずの無表情だけど、声だけはどこか嬉しげだ。わかりにくいなあ。
彼はペンを回して、ふむ、と考える。
「あの子はどうして君を捜しているのいささか疑問だが…礼は言われたのだろう?」
「うん。だからなんで捜してんだろうなあって」
「王子にでも惚れたのかね」
「ないない」
笑いながら返す。冗談じゃない。
彼は私をチラ見してきたが、息を吐いて本へと視線を戻した。興味ないんだろうなあ。ほとんど無関心なんだから。…私なんかが彼を語る資格なんてないと思うけど。
数式の羅列。ああもう。数学なんて嫌いだ。
「あ。ナツ」
「ん? なに?」
声だけで返す。彼は先ほどよりも少し声量を落としている。どこか、焦っているようにも聞こえた。
「急いでここから出よう。危ない気がしてきた」
「危ない気って…まさか、あの子が…?!」
「…そうとでも思ってくれればいいよ」
音を立てずに彼は立つ。なぜ音が出ないのか。疑問に思って私も習ってやってみたが、音が出た。ちょっとショックだった。
片づけてノートたちを抱える。一息ついて、ここから出ようと足を動かした。
「早く」
彼の一言と、私の手首から伝わる、彼の体温。
私の腕を引っ張って彼は歩いていく。ちょ、ちょっ! 恥ずかしいというか! なんというか! おおよそ今の私の顔は真っ赤になっているであろう。安易に想像できるよ! それに対し彼は涼しい顔をしている。あまり表情は変わらないけど、脈はないようだ。悲しくなってくる。私だけ舞い上がるとか、気色悪いじゃん。ねえ?
図書室に誰が来たのかわからないまま、私と彼は廊下を歩いていく。おい待て。これって、人前じゃないですか?! めっちゃもろ見えじゃないですか! 恥ずかしいったらありゃしない!!
何とも言えない感情が出てきてしまい俯いて歩く。うぐぐ…素直に喜べない自分が憎いぜ…嬉しさ半分、羞恥半分。割合的には羞恥の方が上だと思いますがね!
彼の歩みが止まり、手を放してくれた。
「ごめんよ、ナツ。痛かったかい?」
「…ううん。ありがとう。…さっきの、誰が来るの?」
私が問えば彼は視線を逸らした。言いなさい。じっと凝視する。こちとら恥ずかしい思いをしたんだからね!
そんなことを思ってみていたら、彼の後ろから見知った顔が現れた。そこの子は私を見ると名前を呼び、口元を抑えた。
「お、王子が、逢引…?!」
「なにが?! 逢引じゃないよ!」
心なしかニヤついているが放っておこう。
黒縁眼鏡で黒のボブヘアーの彼女は私の親友だ。神崎梓といい、彼と並ぶほどの変人だ。いわゆる腐女子というものらしい。彼女は隠しているようだが私には一切隠さない。黙っていればかわいいのに、と思わずにはいられない。
そんな彼女は寄ってきて、彼の方を向いた。
「知り合い?」
「あ…うん。友達」
「ほうほう。王子にな。夏奈が男だったらよかったのに。今でも十分萌えますけど!」
一人で言って、一人で完結する。いわば自己完結をする彼女は変人で、扱いにくい。
「…ナツ、」
「…なんかごめんね、冬弥君」
私の方を見て彼は言った。謝っておく。一応彼女の知り合いだし。
「このこと、たけちゃんが知ったらどうなるんだろ。うしし、面白そうだ」
笑っている彼女にドン引きだ。苦笑いを浮かべれば、何か察したように去っていった。いい笑顔と、大きく振られた手つきで。いらないよ。
ため息を吐いて彼を見る。うお! なんか怒ってる? オーラが先ほどとは全然違い、どす黒いような、なんというか。
私地雷ふんじゃった? 恐る恐る彼の方をうかがう。なんか怖い…。
「…ナツ、」
「な、なに?」
なんかどもっちゃったけど気にしないでね!
「あの子は?」
「…え? あ、ええっと。中学からの友達だよ」
「ふーん、そう」
なんで私じゃなくて梓の方いくのぉおお?! あ、脈なしなんですね、わかります、わかりたくないけど。…なんか虚しくて泣けてきそうだ。
興味ないことにはとことん無関心な彼に興味を持たれた彼女。観察対象とは違う。しかも、私の親友。ついでに彼は私の片思いの相手だ。
なんて残酷なんだ神よ! 私が何をやったっていうんだ?!
…実際のところ彼女の方が身長高いし、胸大きいし、かわいいよ? 私なんか、どこをとっても平々凡々の塊と言われる(自称させていただく)女だよ。男は可愛くてスレンダーな子の方がいいさ。彼も変人だけど男だから同じだよね! 泣けてきた! 心が!
しかしさっきから全然しゃべらないんだけどこの人。
「あの、冬弥君?」
「……つぶしておこうか」
「は?」
彼の言ったことが理解できなかった。つぶす? なにを?
不思議で不可解で意味が不明な言葉。どういう意味なのか。主語をはっきりしてくれないとわからない。誰に向かっていったのかも、わからない。
彼はひとりごちにうなづいて、私の頭に手をのせた。
「ナツは気にしないでくれ。僕が少し気になっただけだ」
「…そっか、わかった」
「…勘違いはしないでくれ。決して彼女に興味を持ったわけじゃない」
無表情だけど焦った声。ああよかった。彼女がライバルにならなくて。
無意識に顔がゆるんでしまう。うれしいなあ。
「何笑っているんだい」
「う、うるせぇやい」
「口調が違うよ。…うん。君はこの方がいい」
「なにが?」
「こっちの話だ。気にしないでくれ」
そう言って彼は目を細めた。口は相変わらず動いてないけど、笑っているようだ。動いた! 感動!
そういえば、と思い彼を見る。いい加減手を下してほしい。首が痛いよ!
「さっきの話の続きが聞きたいな」
「さっきの話? なんだった?」
「図書室から出た理由。誰が来るのかってことを」
また聞けば彼は視線をずらした。話をそらしたかったんだね。聞かれたくなくて、ないことにしたんだね。わかるよ、気持ちはわからないけど。
頭に置いてある彼の手を自分で下す。彼はハッとして私を見るが無視だ。どうしても聞きたい。ごめんね冬弥君!
「…そんなに、気になる?」
「うん」
素直に答える。彼は私の腕を掴んで、感情を消した。
「鞍馬 明宏」
声にも、目にも感情を出さなかった。言い終えた後に彼を見る。冷たい、目だ。思わず息をのんだ。
しかし名前を言われても知らないんですが。「誰?」と聞いてみた。彼は首を横に振ってきくなといった。ふむ、苦手な人物なんだろうか。
口出しはできないのでいわない。
「ありがとう、言ってくれて」
「…ああ。でも、そいつに会ったとしても話さないでくれ。あいつはダメだ」
「う、うん。わかったよ」
曖昧に頷けば彼は疑い深く見てきた。知らない人と話さない主義だよ私! 女の子は別だけど!
彼はかすかに笑んで、教室へ戻ろうと促してきた。その言葉に返事をして、彼の後を追った。