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カイ登場です。
「――っ」
走っていたら、右側からいきなり包丁が飛んできた。
――キンッ――
「……いきなり包丁投げてこないでくださいよ」
包丁は肉屋から飛んできた。
「おう、わりーな。手ぇ滑っちまった」
肉屋の店主が厳つい顔でにやにやしてやがる。
……冗談じゃない。
手が滑った包丁が、寸分違わず首に向かって飛んでくるわけがない。
「そんなわけないじゃないですか。俺、手を滑らせて飛ばされた包丁で死ぬ、なんていう間抜けな死に方したくないんですけど」
「あぁん? 細けぇこと気にしてんじゃねぇよ」
「……はいはい」
この店主は用事があると、ナイフなり色々なものを投げてくる。
何時ものこと過ぎて、もう慣れてしまった。
ちなみに、先ほどの包丁はきちんと弾き返しておいた。今は店主の顔の横に突き刺さっている。
「おいおい、冷てぇじゃねぇか。今日は俺の相棒なんだぜ?」
そういえば、包丁を投げられたのは初めてかも知れない。
「珍しい……というか、初めてなんじゃ?」
「おお! そうなんだよ、実は!」
……厳つい顔でにこにこされても、な……
っていうか、割と本気で急いでたはずなんだが。
「今日はアレだ、お前の誕生日だろ?」
「っ! 覚えてたんですか?」
「ったりめぇだろ! お前に投擲教えたの、誰だと思ってやがんだ!」
「……その節はお世話になりました」
そう、この店主の投擲技術は素晴らしいものだ。俺は昔、彼から投擲を教った。
それだけではない。
先ほどのように、飛来物を狙った場所に弾き返す技術は、数件先の酒屋の主人に教わったし、そもそも飛来物を弾いた物――刃渡り30cm程の小剣――は、もう少し先の鍛冶屋が作ったもので、扱い方もそこで教わった。
……粗野な連中ではあるが、俺にとっては師だ。礼儀として、敬意は払うべきだと思っている。
「それで? 今日は何ですか?」
「ホラよっ!」
「っと!」
軽い調子で放り投げてきたが、結構重い。
「今使ってるヤツ、そろそろ変え時だろうと思ってな。他の奴らとも相談したら、そうなった」
投げて寄越したのは、様々な物――それこそ、投擲用のナイフから毒まで――が既にセットされたホルダーの入った麻袋だった。
腰に固定するものだけでなく、腕や脚に固定するものもある。
ホルダー部分は質の良いなめし革で作られていて、着け心地も良さそうだ。
それに比べて今使っている物は随分前から使っているので、擦りきれてきているし、そもそもサイズが合わなくなってきている。
丁度、そろそろ買い替えなければ、と思っていたところだ。
「……ありがとうございます。買わなければと思っていたところでした」
「おう、当然だな」
他人の道具の具合など、そうそう気付けるものじゃない。
流石、の一言につきるな……。本当によく見ている。実際に活動しているところは見たことがないが、凄腕の隠密なのだろう。
顔の横に刺さっていた包丁を抜き、肉を切りさばいている今も、全く隙がない。
「うわー……相変わらず隙がねーのな」
「カイ……」
「……ああ、言いたいことはわかってる」
「あ、リク~、おはよ~」
「おはよ♪」
「リクってば、相変わらずカワイイ~」
「あ、だよね!」
「女の子みたい~」
「女の子の格好したら、絶対わかんないよね~」
「わかるわかる~」
…………。
「……カールイン・レーベル。お前も相変わらずだな、朝っぱらから」
一人の男が、少女3人を連れている……様に見えないこともない。
本当に相変わらずだ。
……一つ言えるとすれば、カイに非はない。
「あ~、リクが無視した~」
「おはよ、ってば~」
「つれないな~、も~」
………………。
「……オハヨウ。俺はカイに用事があるんだ。……カイを放してやってくれ」
「「「えぇ~」」」
「……ははは」
カイが乾いた笑いをあげる。
……その気持ちはわかる。何故なら、彼女たち3人は俺達を練習相手にしているからだ…………暗殺の。
そう、カイは今、3方向から首に剣を向けられている。
和やかな会話を繰り出しつつも、視線はカイから離れず、顔は真剣そのものだ。
「おい、小娘ども! 後で付き合ってやるから、放してやれ」
見かねた店主が声をかけるが、3人は動かない。
「…………オイ」
ドスのきいた声で脅され、渋々短刀を下ろした。
かなり不服そうだが、仕方がない。
「絶対に相手して貰いますよ~?」
「サボったら、営業妨害してやるんですから~」
「何がいいかな~、やっぱり毒かな~?」
「……勘弁しろよ……」
……サボらなければ良いだけの話である。
隠密の者は、元々あまり約束をしない。これはいつ死ぬかわからない身の上の性だろうし、理解できる。
が、この店主のはただのサボり癖だろう。
「ふー、やっと解放された」
「別におとなしくする必要なかったんじゃないか?」
「やー、あいつら、本気でやると泣くだろ?」
「まあ……」
それでも俺は本気でいくけどな。
周りの大人連中もカイも、あいつらに甘いんだよ。
泣いて許されるのは、恵まれた連中だけだ。その他大勢には決して許されない、至上の贅沢なんだから。
……もっとも、俺の考えを誰かに押しつける気はないのだが。
……いや、今はそれどころじゃないんだった。
「カイ、話がある。家に戻るぞ。」
「おけ、わかった」
家では……まだマナが寝てるはずだ。