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言ってしまった以上は、もうどうしようもない。口にした言葉は戻らない。全てを受け止める以外に仕方がない。
御子は必死の思いで目をつぶる。「千里眼」と言っても、本当に目を合わせて心を覗く訳ではない。目は心の窓にはなるが、実際は相手の頭に浮かんだ感覚や情景を、自らの感覚として受取っているのだから、目をつむったからと言って、力を使わずに済む訳ではない。
それでも御子は反射的に目をつむった。懸命に自らの心を押し殺し、誘惑をはねのけようとした。思わず息まで止めてしまった。
だから、その瞬間、良平が笑っていた事に気がつかなかった。肩をゆすられて、初めて我に帰る。
「やった!そうか!なんだ、もっと早く教えてくれればよかったのに。御父さんには知らせたか?」
良平は、頬を高揚させながら、軽く息を弾ませている。
「まだ……」
「そうか、早く教えてやれよ。いや、まさか俺が人の親になれるとは思わなかった!」
あまりの良平の様子に、御子は良平がきちんと話を聞いていなかったのかと思った。
「良平、ちゃんと聞いてくれたの? この子、千里眼を持ってるって」
良平は表情を変えなかった。やや、目を丸く見開きはしたが、
「勿論聞いたさ。さすがは御子の子だ。親の血をそのまま継いだんだな。こりゃあ、楽しみだ」
「楽しみって。良平。この子、人の感情を知ってしまうのよ? 知りたくもない事も、これから山のように感じ取ってしまうのよ。この先どれだけ傷つく事か」
良平は、御子の言葉にややあきれたような表情を見せた。
「お前、そんな事を気にしていたのか? それなら心配ないさ。傷なんて、何も感じない方がおかしい。傷の痛みが分かるから、幸福の感じ方も知る事が出来るんだ。空腹を知らない奴が、物を口にした時の喜びを知るか? その味を実感できるか? 苦しみ? おおいに結構。そんなの大したことじゃないと、俺が教えこんでやるさ」
「そんなに単純にとらえていいの? これから子供の人生、背負って育てようって時に」
良平は笑いだしてしまった。少し、気持ちが高揚しているのかもしれない。
「俺達がどんなに背負ったって、そんなもん、たかが知れているさ。子供の人生は子供のものだ」
良平は軽く息を整えると、あらためて御子に向き直った。
「なあ、女ってのは、どうしても、幸せってものは穏やかで静かで、波風の立たないものだと思いこみたいものなんだな。でも、実際はそうじゃないだろ? 別に千里眼じゃなくったって、苦しい事はあるし、辛い事は辛い。だが、だからこそ分かる幸福も、山のようにある。俺達見たいな半端者が、どれほどの親になれるかなんて分からないさ。それでも子供なんて、自分で幸せを見つけて育つもんだ」
今度は御子の方があきれる。
「そんな、そんな考え方したら、無責任じゃない? もっと子供の事を考えて……」
「考えてどうなるもんじゃないのさ、人生は。お前だってそうだろう? 俺達は愛情を注いで、自分達の出来る事を精一杯やってやるだけだ。それしか人なんて、育てようがないのさ。何よりも、御子。お前自身がその証明だ」
「私が、証明?」
「そうだよ。お前は自分で、自分の生き方を決めて来た。どんなに人の心が見えようとも。そりゃ、多少は周りの人間に、いろんな事を教わっては来ただろう。しかし、それだって、お前が受け入れたり、納得したりして選んできた事さ。お前の子なら、間違いなくそういう事が出来る子になるだろう。俺達もそれを伝えたいと思うだろう。しかもその子は、この世の誰よりも俺達の思いを真っ直ぐに受け取れる能力を、生まれながらに持ってるんだぜ。こんなに嬉しい事があるもんか」
嬉しい。良平は確かにそう言った。今、良平の心を覗く必要なんてない。もう、これだけで十分だ。
「何だか、迷ってたのがバカみたい」
御子も、心からそう言った。これまでの不安が、霧が晴れるように取り除かれていく。
「そうさ。まったくバカな事でこんないい知らせを先延ばしにしたんだ。今日は、しっかり御馳走にしてもらわないとな。ああ、土間さんや、礼似さんにも謝らないと。どうせ、お前もあの二人にせっつかれたから、白状したんだろう?」
痛い所を突かれたな。御子はそう思いながらも、すっかり心が明るくなって、怒る気になれなかった。
苦悩があれば、喜びは、より大きい。今、自分でそれを実感していた。
「どう?良平とは仲直りしたの?」
土間はそういいながら、真柴組の事務所を訪れた。後ろから、そっと礼似もついてくる。
「失礼ね。良平と喧嘩なんてしてないわよ。ちょっと、報告が遅れちゃっただけで」
御子はむくれて見せる。
「よっく言うわ。私が聞きださなかったら、ずっと隠しておこうとしていたくせに」
礼似がさっそく茶々を入れる。
「まったく。あんた達、どうして素直に謝るって事が出来ないの?そのうち、性格歪むわよ」
この期に及んで軽口を言いあう二人に、土間はあきれながら言った。
「あらあら。一番歪んでるのは土間でしょ?私を使うばっかりで、自分は高みの見物を決め込んでいたんだから」
「まあ、そう言えない事もないわね。人づてで物をすませようなんて、ちょっと歪んでるかもね」
礼似の憎まれ口に、御子まで乗っかった。
「はい、はい。こんな時だけ気を合わせないでよね。だからちゃーんと、自分の口で聞きにきました。御子、あんた、私達が初めて顔を合わせた時、私がハルオの事を気にして、あんたに脅えていたって、気がついてたの?」
土間はあらためて質問した。
「ああ、そんな事もあったわね。あの時はそこまで深くなんて考えてなかったわよ。私の能力を気にして、脅える人なんて、沢山いたんだから、またかって思っただけ」
御子はあっさりと答えた。
「そんな事だろうと思った。でも、おかげで私はハルオの事抜きで、御子を信頼できたのよね」
「あの時だって、私は言ったはずよ。勝手に人の心を覗くような真似はしないって。私、そんなに言葉をいい加減には使わないわよ。本来、人って言葉を使って相手の気持ちを知るものなんだから」
「そうよねえ。御子の方が、言葉で伝える大切さは、知っているのかもしれないわねえ」
土間はしみじみと言った。
「そうよ。伝えたい事は何回だって、口に出して伝えなくっちゃ。あきらめたらそれまでよ。伝わるものも、伝わらずに終わってしまうわ」
伝えたい事は何度でも伝える。土間は昔の事を思い出した。ハルさんは、本当に伝えるべき事は、口癖のように言ってでも伝えてくれたっけ。まるで、呪文のように。
「じゃ、今、ちゃんと伝えとくわ。あの時は私もむきになって悪かったわ。ハイ。これで恨みっこなしね」
礼似が笑いながら言う。
「随分軽く済ませてくれたわね。まあ、私の方こそコソコソして悪かったわよ。でも、良平より先にあんたに知らせる羽目になったのは、ちょっと悔しいけどね」
「そこは自業自得。これに懲りたら、良平に無駄な隠し事なんて、二度としない事ね」
礼似がぴしゃりと言った。
「そんなこと分かってるわよ。もう、二度と、こんな騒ぎは起こしません」
御子もなんだかんだあったものの、今は幸せそうな顔で笑っている。やっぱり御子の独り相撲だったんだろうな。土間と礼似もその笑顔を見て安心した。
「で、肝心の良平はどうして……は、はははは」
礼似が奥から出て来た良平の姿を見て笑いだした。
良平は、大柄な体に御子のエプロンをつけて、掃除機を抱えながら顔を出したのだ。
「そんなにモロに笑うこと、無いじゃないですか」
良平も恥ずかしげに不満を言う。
「もう、昨日からこんな感じ。私に何も持たせないのよ」
御子はやれやれという顔をする。
「俺なんかましな方です。お義父さんなんか、御子が身をよじっただけでも大騒ぎだ。先が思いやられる」
土間も礼似もくすくすと笑いが止まらなくなってしまった。まったく、真柴組らしいわ。
「そう、そう。もう一つ用事があって今日は来たのよ」
そういいながら土間は、カバンの中から、小さな袋を取り出した。
「何?」
御子が土間から袋を受け取る。
「これをね、子供が生まれるまで持ってなさい。効果、抜群よ」
御子が袋を開けると、中から古びた小さなお守りが出て来た。安産のお守りらしい。
「これはね。富士子がハルオを生む時に、私が持たせてやったお守りなの。富士子も出産前に私が散々心配かけたから、妊婦としては決していい環境じゃ無かったけれど、それでもハルオは元気に生まれて来たわ。これを持ってさえいれば、きっとあんたの子も元気に生まれて来ると思うの」
「土間……」
御子は感慨深かった。土間が過去を語るのは、決して心やすい事ではない事は分かっているから。きっと礼似も同じように思っているだろう。
「ありがとう。大切に身につけるわ。良平のお守りと一緒に」
御子は以前、良平からもお守り代わりの品を受け取っている。彼の失った足が組を守ろうとしてうけた弾丸を、お守り袋に入れて肌身離さず身につけているのだ。
御子は心の中で子供に語りかける。あんたって、生まれる前から幸せ者よ。こんなにいろんな愛情を受けて生まれる事が出来るんだから。
「ね、出来ればそのお守りは、無事に子供が生まれた時には、ハルオに渡してやってもらえないかしら? 私、富士子と暮らした部屋を引き払った時に、あらかたの荷物を処分してしまったのよ。だからこれは数少ない、ハルオにとっての母親の形見の品なの」
「分かったわ。必ず渡す。それに、必ず元気な子を産むわ。千里眼なんて気にならなくなるぐらいに、元気な子に育てるわ」
御子は小さなお守りを、いとおしそうに手の中に包み込んだ。
「その意気、その意気。やっぱり御子はこうでなくっちゃ」
礼似も嬉しそうに言う。
「そうよ、礼似。あんたの合いの手は、私が一番入れられるんだからね」
御子も明るい笑顔を見せている。
「なんでもいいけど、二人ともほどほどに頼むよ。今組長は尋常じゃないんだ。御子が笑っても、怒っても、この世の終わりみたいに大騒ぎだ。でなくても賑やかうちが、一層騒がしくて大変なんだからな」
良平がそんな事を愚痴っていると、
「良平!御子の部屋の掃除はすんだのか?赤ん坊にほこりの影響が出たら、大変だぞ!隅々までしっかり掃除してくれ!」
組長が部屋の奥から大声をあげる。
「はい、はい!今すぐやります!」
良平も奥に向かって叫ぶ。
「これが数カ月も続くと思うと……。疲れるなあ」
そういいながら掃除機を抱えて部屋の奥へと姿を消した良平を見送りながら、三人は、心行くまで笑い転げていたのである。
完