第1話 第一期生
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日本で初めて設立された、界域攻略者専門の高校――国立境界攻略高等育成校。御門慧がそこへ入学して、十二日が経った。
昼休みの訓練場で、真壁圭吾が三人目の相手を吹き飛ばした。相手の拳を左腕で受け、直後、右拳を胸当てに触れさせる。
ドンッ――と遅れて衝撃が炸裂した。相手の身体が数メートル後方へ飛び、マットの上を転がる。
「三連勝」
御門慧の隣で、榊ミオが言った。
榊ミオは、宙に浮遊している黒いスマートフォンだった。縦長の画面には二つの白い丸が浮かんでいて、今はその二つが訓練場の真壁を見ている。
慧はミオではなく、真壁の右腕を見る。
「今ので、溜めてた衝撃はほぼ使い切ったな」
「勝った直後の感想がそれ?」
恐ろしく流暢なAI音声が、呆れたように言葉を紡ぐ。
入学したばかりの頃は、慧もさすがに面食らった。だが、界域攻略者を育成するための国立校だ。何かの実験なんだろう。
そう考えることにしてからは、あまり気にならなくなった。
真壁圭吾の能力、《返衝》。受けた衝撃の一部を蓄積し、次に触れた対象へまとめて返す。
短い黒髪に、がっしりした体格。入学前の実技試験では一位だった。
「強いけど、触らないと返せない」
「無能力なのに、よく実技一位をそんな雑に評価できるね」
「強いとは言った」
「全然褒めてない」
「御門!」
訓練場から真壁の声が飛んできた。
「聞こえてんぞ!」
「耳いいな」
「放課後、訓練場来い!」
「予定見てから」
「お前が予定見るわけないだろ!」
周囲から笑いが起きる。真壁とは、だいたいこんな関係になっていた。
国立境界攻略高等育成校。
十五年前から世界各地に出現している《ゲート》と、その内部に広がる《界域》を攻略する人材を育成するため、日本政府が今年設立した高校だ。
ただし、界域攻略は強い能力者を集めれば済む話ではない。界域には、それぞれ固有の法則が存在する。
一定時間ごとに、重力の向きが変わる場所。観測された時だけ、現象が確定する場所。交わした約束が、そのまま物理法則になる場所。
敵を倒すより先に、その世界が何を要求しているのかを理解しなければならない。
だから集められたのも、戦闘能力に優れた人間ばかりではなかった。
戦える者。異変を見つける者。記憶する者。人をまとめる者。危険なら撤退を選べる者。
第一期生、三十六名。能力も性格もばらばらだった。
そして、その中でただ一人。
御門慧だけが、能力を持っていない。
少なくとも、検査上は。
「二人とも、ここにいたんだ」
渡り廊下の向こうから久世アヤが歩いてきた。長い黒髪を後ろでまとめた、長身の女子生徒。昼休みだというのに、腕には資料の束を抱えている。
「探してた?」
ミオが聞く。
「御門君を」
「俺?」
「午後の予定、見てないでしょ」
「見てない」
「即答しないで」
アヤが紙を一枚差し出した。
《第五限 能力応用実習》
その文字に赤線。下には、
《特別講義へ変更》
「内容は?」
「知らない。でも全員参加」
「また予定変更か」
「界域攻略に特化した高校の一年目よ。予定通り進むと思う方がおかしいでしょ」
アヤは平然と言った。
「それに、こういう急な変更への適応力を測られてる可能性だってある」
「そこまで疑う?」
「ここなら、ないとは言い切れない」
そこへ紙パックのジュースを持った男子がやってきた。明るい茶髪に細身の体格。制服も少しだけ着崩している。
橘颯真。
「ああ、それ。アメリカの件じゃない?」
アヤが眉をひそめる。
「……何それ?」
「同年代の選抜が六人来るらしいよ」
「どこ情報?」
「食堂」
「情報価値ゼロ」
「厳しくない?」
「出所不明の噂を事実扱いする方が危ないでしょ」
「じゃあ補足」
颯真が笑う。
「昨日、職員二人が食堂で『六人分』って話してた。俺が近づいたら話題変えた。片方の資料に英語名が六つ。今日になって五限が変更」
アヤが一拍黙る。
「最初からそれを言って」
「食堂って言った方が面白いじゃん」
「そういうところが信用できないの」
颯真は気にした様子もなく慧を見る。
「御門は?」
「来ると思う」
「理由は?」
「去年、日米の若年攻略者育成協定が結ばれてる」
颯真の眉が少し上がった。
「そこまで調べてんの?」
「学校選ぶ時に見るだろ」
「普通は協定書まで見ないと思うけど」
「そうか?」
「そうだよ」
ミオが即答する。
慧は入学前、この学校について調べられるだけ調べていた。設立母体、予算、関係省庁、教員の経歴、過去の界域事故、前身となった研究事業。
理由は一つだった。
七年前。慧の近所に、一人の女性がいた。
血は繋がっていない。それでも慧にとっては、姉のような人だった。夕飯を作ってもらったこともある。宿題を見てもらったこともある。界域の話を初めて聞いたのも彼女からだった。
彼女は当時、
『国の攻略者育成の試験計画に参加してる』
とだけ話していた。正式な名称は教えてくれなかった。
その彼女が、界域で死んだ。
事故だった。
公式には。
数年後、この学校の設立が発表された。関係省庁も、施設も、公開された一部の教官の経歴も、彼女が昔話していた内容と妙に重なった。
なのに、正式開校以前に若年攻略者を育成していた記録は、どこにもなかった。
「また考え込んでる」
ミオが言った。
「何を?」
「どうせ学校のこと」
「顔に出てる?」
「十二日見てれば分かる」
「怖いな」
「こっちの台詞」
「二人とも」
栗色の髪を肩まで伸ばした女子生徒が、訓練場の入口を指していた。白石千紘だ。
「さっき倒れた人、まだ起きてないけど大丈夫かな」
見ると、真壁に吹き飛ばされた男子の周囲に数人集まっている。
「先生いるから大丈夫じゃない?」
颯真が言う。
「でも大丈夫じゃなかったら困るでしょ」
千紘はそのまま訓練場へ向かった。
「昼休み終わるよ」
「遅れたら先生に謝る!」
アヤが小さく息を吐く。
「白石さん、またやってる」
「放っとけないんだろ」
颯真が笑う。
「久世って白石と真逆だよね」
「何が?」
「白石は困ってる人を見たらまず助ける。久世は、今それを自分がやる必要があるか考える」
「役割分担は必要でしょ」
「ほら」
「何が『ほら』なの」
予鈴が鳴った。
「戻るよ」
アヤが踵を返した。
教室へ戻る途中。
「御門」
呼ばれて振り返る。
赤茶の短いボブ。猫のような目。時任玲奈が壁にもたれていた。
「君たち、いつも一緒で仲がいいね」
「そうか?」
「昼休みも一緒。移動も一緒。だいたい隣にいるじゃん」
時任は慧とミオを交互に見る。
「じゃあさ」
慧の肩に指先が触れた。
「三秒以内に否定しなかったら、榊のこと美人だと思ってるってことで」
「は――」
声が出ない。
喉は動いた。口も開いた。なのに音だけが出なかった。
時任が指を三本立てる。
「三」
慧は時任を見る。
「二」
「一」
時任が笑った。
「はい、決定」
「――ふざけんな」
三秒遅れて声が出る。
「否定、間に合わなかったね」
「お前が喋れなくしたんだろ」
時任玲奈の能力、《遅延》。触れた対象に起きる現象を、最大三秒だけ先送りする。
今遅らせたのは、慧の発声だった。
「でも否定しなかったのは事実でしょ」
「してる」
「してないよ」
「してる」
慧が時任の背中を指した。
「後ろ」
「……後ろ?」
ミオが先に気づく。
「あ」
時任の背中に、小さな赤いタグが貼られていた。
実地訓練用の意思表示タグ。通信が使えない界域でも意思を伝えられるよう、生徒全員が携帯している。
青は《了承》。黄色は《保留》。赤は《拒否》。
「……いつ付けたの?」
「お前が肩に触った時」
「私、まだ何言うか言ってなかったけど」
「内容じゃない」
「じゃあ何を否定したの」
「お前がこれからやろうとしてること」
「それあり?」
「三秒以内に否定しなかったら、って言ったのはお前だろ」
慧は赤いタグを見る。
「否定の方法までは指定してない」
時任が黙った。
「……めんどくさ、この人」
「褒め言葉として受け取っとく」
ミオがくすりと笑った。
予鈴が鳴った。
五限。
黒瀬征司はチャイムと同時に教室へ入ってきた。短い黒髪には、少し白髪が混じっている。教師というより、現場の人間に見える男だった。
「全員いるな」
真壁がすぐ手を挙げる。
「先生。アメリカ来るって本当ですか?」
黒瀬の手が止まった。
「誰から聞いた」
何人かが颯真を見る。
「橘か。……まあいい。想像はつく」
黒瀬は大型モニターを起動した。
白い森。その中央で、一台の装甲車が横倒しになっている。
「七年前。北海道第四界、第一層」
慧の視線が止まった。
七年前。
「調査隊六名。帰還者一名」
ゲートで人が死ぬ。全員、それを知ってこの学校を受験している。
「この写真から分かることを挙げろ」
一人が手を挙げる。
「装甲車が破壊されています」
「見れば分かる」
「敵性生物が写っていません」
「写っていないだけだ。他」
アヤが手を挙げた。
「車体だけ雪が積もっていません」
「続けろ」
「周囲の樹木には積雪があります。車両だけ後から置かれたか、周辺で別の現象が発生した可能性があります」
「悪くない」
真壁が言う。
「側面装甲、内側から割れてる」
画像が拡大される。確かに外へ膨らむように裂けていた。
「正解」
慧は画面の右下を見る。
「タイヤ」
「何だ」
「右後輪だけ沈み方が違う」
さらに拡大。
一本だけ、雪ではなく地面そのものへ半分ほど埋まっている。
「理由は?」
「まだ分からない」
真壁が振り返る。
「分からないのかよ」
「分からないから気になるんだろ」
アヤが言った。
「なら判断材料にはできない」
「今はな」
「使えない情報を全部残してたら、重要なものが埋もれる」
「消した後で必要だったって分かる方が面倒だ」
「私は切る」
「俺は残す」
黒瀬が二人を見る。
「そこまで」
そしてモニターを指した。
「分からないものを、分からないまま持ち帰る。それも攻略だ」
慧の指が止まった。
その言葉を知っていた。正確には、よく似た言葉を。
『慧。界域じゃね、分からないことを勝手に捨てちゃダメなんだよ』
七年前。彼女がそう言った。
慧は黒瀬を見る。
黒瀬はもう次の資料へ切り替えていた。
「帰還した一人は、敵を倒していない。資源も回収していない。能力も途中で使用不能になった」
「じゃあ何を持ち帰ったんです?」
真壁が聞く。
「記録だ」
黒瀬は答えた。
「気温。時間。地形変化。能力使用回数。仲間が死んだ順番」
画面が切り替わる。
《第二次調査――全員生還》
「その情報で、次の六人は帰ってきた」
黒瀬が三十六人を見回す。
「この学校は、お前たちを国内最強の能力者にするためだけに作られたわけじゃない」
「じゃあ何で俺たちなんです?」
真壁が聞く。
「国内最強だけなら、すでに大人がいる」
一拍。
「政府が今年選んだ三十六人は――」
誰も喋らない。
「死ぬ前に、何か一つでも持って帰れそうな三十六人だ」
慧はその言葉より、さっきの一言が気になっていた。
分からないものを、分からないまま。
偶然か。
それとも。
「感じ悪」
ミオが小さく言った。
「聞こえてるぞ、榊」
「聞こえるように言いました」
何人かが笑う。
千紘だけが手を挙げた。
「先生」
「何だ、白石」
「帰還した一人は、その後どうなったんですか?」
黒瀬が一瞬だけ止まる。
「生きてる」
千紘の表情が少し緩んだ。
「そうですか」
それだけで前を向いた。
黒瀬が画面を切り替える。
青い海。その中央に浮かぶ、二重のカルデラ。
「青ヶ島」
誰かが呟く。
次に表示された文字で、教室がざわついた。
《日米共同育成計画 第一次実地交流》
「ほら」
颯真が小さく言う。
「結果が合っただけ」
アヤが返す。
「まだ言う?」
「アメリカ側六名。日本側八名」
黒瀬が続ける。
「一週間後、青ヶ島第六界第一層で共同実地試験を行う」
慧はモニターの隅に表示された管理番号を見る。
《K-04-0719》
見覚えがあった。
七年前。彼女が一度だけ家に持ち帰った資料の端にも、同じ形式の番号が印字されていた。
「先生」
「何だ」
「その資料、学校ができてから作ったものじゃないですよね」
黒瀬の視線が慧へ向いた。
「なぜそう思う」
「管理番号の形式が違う」
一瞬。
黒瀬の表情から、何かが消えた。
「よく見てるな」
「どこの資料です?」
「今のお前に必要な情報じゃない」
「じゃあ、必要になる時は来るんですか?」
黒瀬は答えなかった。代わりに次の資料へ切り替える。
「参加者は明日発表する」
真壁が手を挙げる。
「俺は?」
「確定」
「久世は?」
「確定」
真壁が慧を見る。
「御門は?」
「なんで俺を聞く」
「無能力が本物の界域で何するか気になるだろ」
「お前の好奇心で決めるな」
黒瀬が言った。
「御門も確定だ」
教室中の視線が集まる。
三十六人の中で唯一、能力判定《該当なし》。身体能力も平均。実技成績も下位。
それでも入試結果は、
《総合攻略適性 A》
入学してから十二日。他の生徒たちが実際に能力を使う姿を目の当たりにするたびに、疑問は大きくなっていた。
なぜ、自分がここにいるのか。
だが今は、それよりも確かめたいことができた。
慧はもう一度、管理番号を見る。
この学校について、調べられることは全部調べたつもりだった。それでも見つからなかった過去が、今、初めて目の前に現れた。
青ヶ島第六界。
慧は初めて、そこへ行きたいと思った。




