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短編2

お友達の距離感

作者: 猫宮蒼
掲載日:2026/09/12



 リリアは元婚約者が訪れたと告げられて、すぐに意味を理解できなかったのかその目をまぁるくさせてきょとんと瞬かせた。


「まぁ、ヴェイン様が? 一体どうなされたのかしら?」

 自分付きの侍女でもあるメイナも首を「さぁ? 何でしょうねぇ?」と傾げてこちらもわからないと言わんばかりだ。


 ともあれ、来たというのなら相手をするべきなのだろう。

 リリアは別にヴェインに対して二度と顔も見たくない、と思っているわけではないのだ。


 そうはいっても婚約者だった頃とは違い、今はもう婚約者でもなんでもない。

 だからこそ、

「メイナも一緒に」

「勿論でございます」

 使用人を周囲に配置した状態で、決して二人きりになってはいけない。

 それくらいはリリアだってわかっていた。



 リリアの婚約者だった男、ヴェインは応接室にやってきたリリアを見るなり、

「婚約を解消だなんて一体どうして」

 と、納得がいかない様子だった。


「そうは言われましても……」


 対するリリアとしては困るだけだ。

 だって別に、リリアからあの方と結婚なんて嫌です! と泣きついたわけじゃないのだ。


 ただ、婚約者との様子はどうだと父に訊ねられた時に正直に答えただけで。

 別に嫌ったりしていたわけではない。

 父が婚約の解消に向かわなければ、いずれ二人は結婚していたはずだった。


「この婚約を決めたのはお父様で、解消を決めたのもお父様。

 そこにわたくしの意思なんてありません。

 なので、婚約解消についてお聞きしたいのなら、父にどうぞ」


 まるでお役所の役人みたいだわ、なんて思いながらもリリアは淡々と答えた。


「君が、望んだわけではないのか?」

「えぇ、私は別に。お父様が決めたから婚約者となりましたし、お父様が決めたから婚約者ではなくなりました」


 そもそも貴族の娘にそこまでの自由はない。

 いや、与えられる場合もあるけれど、そんなのは極わずかだ。

 大抵は親の決めた相手と結婚する。


 婚約が決まり、いずれ結婚するのなら……と相手へ歩み寄ろうとはするけれど、婚約がなくなったのなら歩み寄りも何もあったものではない。

 それどころか、婚約者でもない異性と親しげにしているなんて噂が流れたら、あの家の娘は尻軽だの男好きだの不名誉な噂があっという間に広まって自分だけではなく家の名まで貶められかねない。


 だからこそ、婚約者だった頃はヴェインと良好な関係を築こうとしていたが、婚約者でなくなった以上こちらから会いに行く事はないし、手紙を書く事すらない。

 知り合う前の関係――つまりは無関係な頃に戻るだけ。


 リリアと話したところでどうなるものでもない、と判断したヴェインはリリアの父に会えないかと問いかけてきたが、しかし残念な事に。


「お父様は昨日さくじつより出かけておりますの」


 そっと首を横に振った。


 いつ戻られるかわかる? と近くの使用人に問いかければ、問われた使用人は戸惑いながらも、

「数日、かかるかと……」

 ハッキリとは答えなかった。


「何処に行ったかは?」

「お答えできません」


 ヴェインの問いに返したのは、事態を聞きつけてやってきた執事である。


「戻られてからで良ければ、言付けなり手紙なり、お渡ししておきますが」


 旦那様はお忙しいので、と言われてしまえばヴェインも戻るまでここで待つなど言えないし、急いで伝言なり手紙なりを届けてもらうにしても、どうして婚約を解消してしまったのか、という問いに緊急性があるようには思えない。仮に届けてもらえたとしても、その内容を見たリリアの父が至急返事を……とはならないだろうと判断して、仕方なしにヴェインは席を立った。


 婚約を決めたのはリリアでもなければ、ヴェインの意思でもない。

 リリアの父であり、ヴェインの父――つまりは家の当主だ。


 婚約が解消されたのをヴェインだって父親から聞かされた。

 何故、という問いを父にそのまま投げかければ答えが返ったはずだが、しかしその時点でのヴェインにとってはリリアが何かを言って婚約の解消に至ったのだと思ったからこそ。

 だからこうして彼女の元へやって来た。


 心当たりがなかったわけではない。

 だから、それについてかと思ったのに、こうして出会ったリリアの態度からはそれすら感じられなかった。


 そうなればヴェインにとって知りたい情報を持っているのは父だ。


 急な訪れを謝罪し、屋敷を出る。



「……あちらの御当主様は頭が痛いでしょうね」

 窓からヴェインの姿が見えなくなってから、リリアは他人事のように呟いた。

 実際既に他人である。


 婚約が解消された原因は、恐らくリリアの発言にある。

 だがリリアが悪いわけではない。リリアは問われた事に正直に答えただけだ。

 そこには悪意も何もなかった。


 ヴェインには仲の良い友人がいる。

 リリアにだって仲良しの友人がいるから、それについては構わない。というか、友人がいないと言われる方が困る。人脈を築く事もできない相手と婚姻とか、社交が大変なのが最初から目に見えているので。


 ただ、ヴェインの言う仲の良い友人は女性であった。


 幼い頃からの付き合いで、気心の知れた仲。


 恋をしている、とかではない。

 どちらかといえば兄と妹のような、そんな関係に近いのかもしれなかった。


 ただの友達。


 そう言われたのはリリアだって憶えている。


 確かにヴェインの反応から、その友人相手に恋をしているだとかの気配は感じられなかった。

 お相手の女性がヴェインをどう思っているかまでは、リリアにはわからなかったが。


 自分の方が彼と付き合いが長いのだから彼の事は良く知っている、という優越感なのか、はたまた自分は友として特別な存在なのだと知らしめたかったのか。

 ともあれ、彼女が度々ヴェインとの仲を見せつけるような行動に出ていたのは間違いではない。


 ただそのたびにヴェインは彼女はただの友人だと言っていた。再三、まるで念を押すように。

 だから嫉妬をする必要はない、という意味だったのか、だから疚しい事はない、という意味だったのか。

 リリアにとっては最早どうでもいい話だ。


 目の前で親しい様子を見せつけられても、自分にはわからない話で盛り上がっていても。

 それは婚約者の目の前でやるべき事なのか、疑問はあったが友を蔑ろにもできないというヴェインなりの考えがあったのだろうと思う事にしている。



 ある日リリアは父に「最近どうだ?」と問いかけられた。

 婚約者との仲は良好か。そう問われているのだとは理解できた。


 仲は悪くないと思う。

 ただ、殊更に良好かと聞かれるとリリアにもわからない。


 何故ならヴェインは友人の相手をしている事の方が多かったので。


 だからリリアは正直に答えただけだ。


 共にでかけると、高確率でヴェイン様の友人と遭遇してしまい、ヴェイン様は友人との話で盛り上がっております、と。

 その間私は特に何をするでもなく眺めているだけなので、私にもバッタリ遭遇できる友人がいればよかったのですが……とも。

 自分にわからない話で盛り上がってる挙句、こちらの事を会話にいれるつもりもなさそうな友人には最初から期待していないし、話の輪の中にリリアを入れようとするでもないヴェインの気遣いを期待するのも無駄だ。

 だったらその間、自分にも話で盛り上がれる誰かが近くを通りかかってくれてもいいのに、と思うくらいはいいだろう。


 リリアは他にもヴェインと友人の仲の良さを正直に伝えた。

 時として肩を抱き距離が近い事も。

 友としてよくあるらしい、という事も。



 リリアはヴェインの友人の性別は言わなかった。

 だから最初はリリアの父も、まぁ仲の良い友人ならそういう事もあるな、と思っていたのだ。


 けれどもその後のリリアの言葉にどうやら違和感を覚えたらしい。


「その後決まってヴェイン様は、友人だと念を押すのです」


 もう何度も聞いておりますのにね。


 コロコロと鈴を転がすように笑えば、父はなんとも言えない表情になった。


 そうだろう。


 毎回念を押すように友人だと言う状況がそもそもおかしい。


 最初に友人だと紹介したなら、その後はもう言う必要のない言葉だ。

 だというのに毎回そんな風に言うとなれば、まるで本当はそうじゃないと言うようなものではないだろうか。


 相手が女性だから、誤解をされないように念を押しているだけ、とリリアは思っている。

 だがその友人が女性であるとリリアの口から知らされていない父は、相手が女性だとは思っていなかった。


 男同士の恋愛というのもないわけではない。

 リリアの父の脳裏によぎったのは、それだった。


 同性に恋をし、想いを消せないという者もいないわけではない。

 だがしかしこの国では同性婚を禁じられている。


 だからといって想いを簡単に諦められるか、となると人の心はそう簡単なものではない。

 隠れてひっそり関係を続けている……なんていうのは暗黙の了解とまではいかなくとも、普通に存在しているのだ。愛人を囲う方がまだ堂々とできるが、同性であるが故に愛人を囲う以上にひっそりと、隠れるように。


 恐らくリリアの父もそういったものを想像したのだろう。


 まぁ普通に考えればヴェインの友人と言われて最初から女性を連想する事はない。同じ男性だと考える。


 しかし娘を同性愛者の元へ嫁がせたとして、果たして跡継ぎを産む事ができるのか。

 白い結婚となり、子が生まれないのをリリアのせいにされて生家に返されるならまだしも、できそこないの嫁として家に置き続け本当の恋人のカムフラージュとして在り続けるとなればどう考えたって針の筵だ。そんな人生を送らせたいわけではない。

 ……と、娘の幸せをそれなりに考えた父は、頭の中で最悪の想像を展開させた後、ヴェインをこっそり調べる事にしたようだった。



 そして父がこっそりとヴェインの様子を確認した時、ヴェインは友人と共にいた。

 それはリリアとの間に割り込んでくる女性ではなく、本当に普通の友人である。

 男同士、気心の知れた仲。

 ちょっと雑で気安い関係。

 誰が見ても別におかしな部分のない、本当に普通の友人関係。


 けれどリリアから言われた言葉が頭にあった父は、その普通の光景を見て、この後でリリアにあえてただの友人だと念を押す意味とは……? と深く考えてしまった。

 その言葉を言う時の友人はその友人ではない、と誰も父に訂正などできなかったからだ。


 その結果、禁断の恋とか、一方的にヴェインが彼に想いを寄せているのではないか、とそれはもう深く疑い勘繰ったのである。


 嫁いだ先で跡取りが生まれたとして、その子は言ってみればリリアの父にとっても一応孫と言う存在である。

 だからこそ、生まれたならば祝うつもりは勿論あるし、生まれる日を待ち望むだろう。


 だがもし、白い結婚を強要されてできないだけなのに、子はまだかと期待するような声をかけるような事になってしまったら。


 追い詰めるつもりがなくとも娘を追い詰める結果になってしまうかもしれない。


 どうやら父はそこまで考えたらしい。



 結果として、父は婚約の解消に踏み切った。


 ヴェインの父に事情を説明し、ただの友人にしてもそんなに毎回念を押すなどおかしいとまで言い放ち、うちの娘が悪者にされるような事にはなりたくないと、悩むヴェインの父を振り切って婚約の解消をもぎ取ってしまったのだった。

 ヴェインの父もまさか自分の息子が同性愛者であるとはすぐに信じられない様子だったが、だったらどうして毎回ただの友人である事を強調する必要があるのか、と問われれば、答えられなかった。

 ヴェインの父もまた、そこまで念を押すとなると、まるで疚しい事があるようではないかと考えてしまったのだ。


 だからこそ、ヴェインの父もまた、婚約の解消に同意するしかなかった。


 直接本人に――ヴェインを呼び出して確認すれば誤解であるとなったはずだが、しかしこの誤解が誤解なので。

 呼び出して、お前同性愛者なんだろう? なんて言われてしまえばヴェインは確実に否定する。

 それも強く。

 実際ヴェインは同性愛者ではないだろうけれど、そうかもしれないと疑っているリリアの父とヴェインの父にはどう映るだろうか。

 真実を突き止められてしまって、動揺から強く否定していると見るだろう。

 本当だ。違う。信じてくれ。

 そんな風に言えば言う程、同性愛者である事がバレた事にどうにかしなければとするように見えるはずだ。


 仮に事情を聞いて、友達だと念を押している相手が女性であると知られたならば。


 リリアはともかく、リリアの父もヴェインの父もただの友達で誤魔化されてくれるはずがない。

 一歩間違えたらそれは不貞と見なされてもおかしくはないと強く叱られるかもしれないし、紛らわしい行いを正すでもなく毎回そんな事をしているのかと糾弾するかもしれない。

 お前がいくら友だと言ったところで、周囲の勘繰りが消えるわけではない、と告げられるかもしれない。


 誤解を招く行為を何度も繰り返すとなれば、リリアの父とヴェインの父、両名のヴェインに対する評価は大きく下がることだろう。



 同性愛者疑惑か同じ過ちを繰り返す愚か者、果たしてヴェインにとってはどちらがマシだろうか。


 家に帰り、自分の父に何故婚約の解消をしてしまったのかを改めて問いかけた時、彼がどうするのかは知らない。ただ、もしまたリリアの元を訪れて改めて婚約を……と言われたところで、リリアとしては頷くつもりもない。父が了承するのなら従うが、恐らくそうはならないはずなので。


 ヴェインについての話が社交界で流れる事はないだろう。

 その話を広める相手はそもそもいないはずなので。


 だからまぁ、精々リリアの父やヴェインの父から気の毒な生き物を見る目をむけられるだけで済むと思う。


 唯一、ヴェインのこの話が広まる可能性があるとするのなら。


 友人だからと言っていた女性とヴェインが結婚をして、その後社交でリリアに対してあの女性がマウントを取ってきた時だろうか。


 ただ、まぁ。

 今の時点でリリアとの婚約が駄目になった元凶とヴェインが果たして婚約したとして、上手くいくかは定かではないし、そうでなくともヴェインの怒りの矛先はその女性に向く可能性が高いので。


 もしも本当に今リリアが想像したような、かつて友人だったはずの女性がリリアに対してマウントを取るような行いに出たのなら。その時は遠慮なく真相を伝えてやろうと思うが、別に今わざわざそんな話題を流すつもりはリリアにだってない。

 そのせいで他に結婚相手が見つからなければ、ヴェインに恨まれてしまうかもしれないからだ。


 自分から恨みの矛先になるつもりはリリアにだってあるわけがない。


 あの友人以外の女性と婚約が決まったとして、次は同じ過ちを繰り返さなければそれに越した事はないとリリアも思っている。



 どのみち、ヴェインの今後についてリリアが知る機会は当面ないだろうし、知ったとしてそれなりの時間がかかるのは間違いではない。


「答え合わせは数年後の社交界、かしら……?」

「お嬢様?」

「あら、ごめんなさい、なんでもないのよ」


 ふと漏れてしまった呟きをメイナに聞かれてしまったが、リリアは何でもないとばかりに笑って誤魔化すのであった。

 次回短編予告

 騎士科に在籍するアンジェリカはある日同じく騎士科に属するメルルゥへ声をかけた。

 彼女は騎士科の令息たちと距離が近く、傍から見ればまるでお姫様のようでもあった。メルルゥだけがちやほやされているだけであれば、アンジェリカとて何を言うでもないけれど。

 だが他の騎士科の女性までメルルゥと同じような扱いでいけると思われるのも困るので。


 次回 代用なんてまっぴらです

 都合よく扱われる事を望む人なんてほとんどいない。

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