01-01:気になる前髪
……気になる。
気になる気になる気になる。
気になりすぎて、苦手な英語の授業にまったく身が入らない。
蔭山さん……蔭山倫の存在が。
あたしは窓際の席、蔭山さんは廊下側の横一列分前の席。
ここから彼女の横顔がよく見える。
彼女の顔で一際目を引くのが、緑がかった光沢ある黒髪。
両肩から背中へ垂らした太い三つ編み。
そして、長い前髪。
長い前髪。
長い前髪。
超長い前髪。
眉はおろか目はおろか、鼻の下まで伸ばした前髪。
入学から2カ月、蔭山さんの目を、瞳を、一度も見たことがない。
前髪から飛び出した鼻は形よく尖ってて、高い。
かろうじて前髪が及んでいない唇は血色のいい赤桃色で、ツヤツヤな見た目からリップでのケアもこまめ。
顎から喉へのラインはきれいにくびれて、細い首へと続く。
ボリュームあるサイドの髪からは、白いお耳がこんにちは。
なのに目は厚い前髪に覆われて確認不可。
女子力高そうなのに、あの伸び放題の前髪はいったいなに?
そもそも前が見えているのか。
漫画の陰陽師系キャラが顔に張っつけてる布のようなものだ、その長い長い前髪は──。
「……先生」
蔭山さんが挙手。
ちょっと高めの、澄んだいい声。
アニメ声というやつ。
声質が近い声優は、えーっと……って。
気にするべきはそこじゃない。
「なんだ、蔭山」
「その例文、きのうと同じものですけど」
「……ん? ああ本当だな、すまん。よそのクラスと進捗勘違いしていた」
「もお、利賀先生? 担任なんですから、わたしたちの顔忘れないでくださいよぉ?」
「担任だからって特別扱いはしない……と、初日のあいさつで告げたはずだぞぉ? アハハハッ!」
──あはははっ!
利賀マナカ。
細い裾のスーツがビシッと似合う、きつい瞳に針のような細眉、銀縁の眼鏡に額全開、いかにも才女風なわれらがアラサー担任。
ジョーク染みた言い訳につられて、にわかに教室に起こる笑い声。
先生に指摘できたということは、蔭山さんしっかり見えてる。
板書が、英文が。
あの簾のような前髪の隙間から、黒板がきっちり見えてる。
そして、真っ先に先生へと物言いができる率先力、コミュ力。
長い前髪という暗そうな見た目の印象とは違って、陰キャじゃない。
ならば利賀先生のように、髪を後ろで束ねて明るい印象の見た目にしたほうがよさそうな──。
──パシッ!
「はうっ!」
「よそ見するな、灯」
いつの間にかそばに立っていた利賀先生から、教科書の表紙で頭に一撃。
体罰にならないラインギリギリ、肩ポンくらいの衝撃。
それでもいきなりだとびっくり。
この先生、気配を消すのがうまいところある。
「す……すみません」
「1時限目からそれじゃあ昼を越せないぞ。きょうは午後から体育だろ?」
うう~。
自分だって、1時限目からポカしたくせに~。
ああ、みんなの笑いがあたしへシフト。
蔭山さんも笑ってる。
いったいどんな目をして笑ってるのか……見たい。
いや、見る。
近いうちに絶対見てやる──。
──灯和泉、15歳。
あたしの高校生活は、蔭山さんの前髪を気にするところから始まった。