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第五話 最深部の王と、支配する言霊


最深部を示す地響きが、洞窟全体を震わせていた。響は一歩ごとにその振動を足裏に感じ取りながら、その音の根源へと向かう。バルトは顔色を失い、響の背中に隠れるようにしてついてきていた。彼の心は『死』の恐怖と、『頼むから逃げてくれ』という悲鳴で満ちている。その感情は、濁流のように響の体内に流れ込み、彼女の力を高めていく。だが、響の胸の奥には、これまでとは異なる、微かな違和感が生まれていた。それは、ただのノイズとは違う、不快なざわめきだった。


「……もう、無理だ……。こんな地響き、経験したことがない……」


バルトの心の声が、響の脳内で甲高く響く。その恐怖が、響の体内で新たなエネルギーへと変換されていく。彼女の視線は、すでに通路の奥に広がる巨大な空間を捉えていた。その瞬間、足元にわずかな引っかかりを感じ、響は止まる。これまで、ダンジョンは響にとって、ただの「面白い」ゲーム盤だった。だが、この最深部には、これまでとは異なる、重く、ねっとりとしたノイズが充満している。それは、単なる魔物の殺意ではない。何か、意識的な悪意が、彼女の神経を逆撫でするようだった。


広大な空間の奥、禍々しいオーラを放つ玉座に、それは鎮座していた。全身を漆黒の鱗に覆われた、巨大な竜。その体は岩のようにごつごつしており、背中からは鋭い骨の翼が生えている。瞳は血のように赤く輝き、口からは硫黄の匂いがする息を吐き出している。だが、その巨体よりも、響の注意を引いたのは、竜から放たれる「心の声」の質だった。


響は、その魔物の名を、心の声から読み取った。情報が、明確なデータとして脳裏に浮かび上がる。


『アビスダンジョンの支配者、全ての絶望を統べる者、【終焉を告げる黒竜・カタストロフ・ドラゴニア】』


(また長ったらしいな……いや、それだけじゃない……)


響は内心で呟きながらも、その違和感に集中した。目の前の黒竜から放たれる『絶望』と『支配欲』、そして微かな『傲慢』の感情が、一気に響の体内に流れ込んでくる。それは、これまで吸収してきたどの感情よりも強大で、響の全身を痺れさせるほどの、強力なエネルギーだった。しかし、その強大な感情の奥に、奇妙な「静けさ」が混じっている。まるで、感情の奔流の向こうに、計算された知性が隠されているかのようだった。


カタストロフ・ドラゴニアが、玉座からゆっくりと立ち上がった。その巨体が動くだけで、地面が大きく揺れる。咆哮がダンジョン全体に響き渡り、バルトは耳を塞いでその場にうずくまった。


『我の支配領域に、よくも踏み込んだな……無礼者めが……喰い殺してやる……!』


黒竜の心の声が、響の脳を直接叩く。その純粋な『殺意』と『侮蔑』が、響の体内で爆発的な力へと変換されていく。彼女の瞳は、これまでにないほど強く、赤く輝きを放っていた。だが、響は攻撃に移らなかった。


「……煩い。だが、お前は……」


響は、静かに、しかし絶対的な冷徹さをもって言い放つ。彼女の言葉が、まるでダンジョンそのものに響き渡るかのように、空間の振動を鎮める。黒竜の咆哮が、ぴたりと止んだ。


カタストロフ・ドラゴニアは、響の言葉に目を見開いた。その心の声から、『驚愕』と『困惑』、そして微かな『畏怖』が読み取れる。だが、その感情の奥に、『分析』と『理解』という、人間のような思考のノイズが響いた。


『な……何者だ、貴様……我の、言葉を……読み取る、のか……?』


黒竜の心の声が、明確な問いかけとなって響の脳に直接語りかける。その瞬間、響の背筋に冷たいものが走った。この魔物は、ただの獣ではない。響の能力を、理解している。これまで、彼女のノイズを理解する存在など、元の世界にはいなかった。それは、彼女の絶対的な優位性であり、同時に、孤独の象徴でもあった。


響は、自身の無表情が崩れるのを自覚した。僅かに、口角が引きつった。


(こいつ……私と同じ……いや、違う。このノイズは……意図的だ)


黒竜から流れ込む感情の波は、これまでの魔物とは明らかに異なっていた。それは、彼女の力を誘発させるような、計算された『絶望』と『恐怖』のノイズだった。まるで、響の能力を試すかのように、あるいは、響の力を最大限に引き出すために、感情を「供給」しているかのように。


「……面白い」


響は、再び口角を上げた。それは、嘲笑でも、勝利への確信でもない。自身の領域に踏み込んできた、未知の存在への、純粋な好奇心だった。その好奇心は、彼女の冷え切った心を、微かに震わせた。


『ほう……面白い、だと?貴様も、我と同じ……いや、それ以上の存在か……』


黒竜の心の声が、響の脳内で響く。その声に、響は、初めて「対等な相手」を見つけたかのような、奇妙な高揚感を覚えた。これまで、周囲の人間は皆、響のノントーラスな心を理解することなく、ただノイズを撒き散らす存在だった。だが、目の前の黒竜は、響の能力を理解し、その上で問いかけてきた。


「私の力は、お前のような存在を、消滅させるものだ」


響は、あえて挑発するように言い放った。彼女の瞳は、好奇心と、そして相手を理解しようとする探究心に燃え上がっている。


『ならば、試してみるがいい。我は、このダンジョンの意志そのもの……全ての絶望を糧とする。貴様のその力も、いずれは我の糧となるだろう……!』


黒竜の心の声は、自信に満ち溢れていた。その瞬間、空間が歪み、ダンジョンの壁から無数の影が現れた。それは、これまで響が倒してきたオークやゴブリン、そしてグリゴラッチェのような甲殻の魔物たちだ。しかし、彼らは実体を持たず、半透明な影となって響を取り囲んだ。


『絶望』『恐怖』『憎悪』『苦痛』……。


無数の「負の感情」のノイズが、影となった魔物たちから、濁流のように響めがけて押し寄せる。それは、ダンジョンそのものが、響の能力を逆手に取り、彼女を圧倒しようとしているかのようだった。


響の体内のエネルギーが、制御不能なまでに高まっていく。これほどの量の感情を一度に吸収したのは初めてだ。力が溢れ、制御しきれない衝動が彼女を襲う。


「っ……煩い!」


響は思わず声を荒げた。頭の中で無数のノイズが渦巻き、視界が歪む。これまで常に冷静だった彼女の表情に、初めて苦痛の色が浮かんだ。バルトがその異変に気づき、怯えながらも響に声をかける。


「ひ、響!どうしたんだ!?」


『心配』と『狼狽』の心の声が、響に届く。その感情が、濁流の中に、微かな抵抗の波を立てる。


(……このままでは、私がノイズに飲み込まれる……!)


響は直感的に理解した。この黒竜は、ただの魔物ではない。響の能力を理解し、逆手に取って、彼女を感情の奔流で押し潰そうとしている。それは、彼女が最も嫌悪し、避けてきた「ノイズ」そのものに飲み込まれることだった。


響は、震える手で自身のこめかみを強く押さえた。頭の中のノイズを、なんとか振り払おうとする。その時、彼女の脳裏に、かつての学校の教室で、無数の「心の声」に囲まれ、一人静かに本を読んでいた光景が過った。


『どうすれば……このノイズを……』


彼女の心の中で、一筋の光が差し込んだ。


(……吸収するだけが、力じゃない)


響の瞳が、再び鋭い光を宿す。これまでは、与えられた感情をただ力として具現化してきた。だが、この圧倒的なノイズの濁流を、ただ吸収するだけでは、彼女自身が崩壊してしまう。


「……濾過ろか


響が、震える声で呟いた。彼女の体から、目に見えない透明な波紋が広がる。濁流のように押し寄せていた影の魔物たちのノイズが、まるでフィルターを通されたかのように、少しずつ澄んでいく。影の魔物たちの輪郭が薄くなり、その感情も、純粋な『エネルギー』として、響の体内に取り込まれていく。


カタストロフ・ドラゴニアの心の声から、『何だと……!?』という驚愕が読み取れる。


響は、濾過された純粋なエネルギーを両手に集中させた。それは、透明な光の塊となって、彼女の掌で脈動している。


「……お前は、私を理解しようとした。だが、私は、お前を理解し、そして……」


響は、その光の塊を黒竜に向かって突き出した。


「……沈黙させる」


その言葉と共に、光の塊が、黒竜の心臓めがけて一直線に放たれる。それは、特定の感情を付与された攻撃ではない。響が「ノイズ」から得た力を、完全に自身のコントロール下に置いた、純粋な「存在の否定」の言霊だった。


光の塊は、黒竜の胸に吸い込まれた。すると、黒竜の巨体が、まるで内部から崩壊するかのように、音もなく、しかし急速に塵となって消滅していく。その心の声も、一瞬にして完全に沈黙した。


そして、ダンジョンの最奥に、一筋の清浄な光が差し込んだ。透明なクリスタルのようなものが輝いている。


『終わった……のか?』


バルトの心の声が、安堵と、そして響への新たな『畏怖』で満ちている。響は、彼に目を向けることなく、光の中心へと歩みを進めた。


「……行くぞ、バルト」


響の口から、冷たい言葉が紡がれる。だが、彼女の心の中は、奇妙な熱に満たされていた。黒竜との戦いは、彼女にとって単なる攻略ではない。自身の能力を深く理解し、そして「ノイズ」との新しい向き合い方を見つけた、重要な転換点だった。


『これは……私の世界だ。そして、私は、この世界の「ノイズ」を……』


響の瞳が、未来への期待と、そして新たな「力」への探究心に輝いていた。ダンジョンの闇は、彼女にとって、もはやただの障害ではなかった。それは、自らの力を試すための、巨大な実験場に過ぎなかった。そして、彼女は、その実験の、最初の大きな成果を得たのだ。

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