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第三話 最初の選択とダンジョンからの脱出

響の視線は、倒れ伏した他の冒険者たちから、バルトのわずかに震える指先へと移る。致命傷は免れたものの、左腕からは血がじわりとにじみ、鈍い痛みが走っているだろう。響は、その傷口から『痛み』と『不安』の感情が、微かな、しかし確かなエネルギーとして流れ込んでいるのを感じていた。それは、彼女の体内で淡い熱を帯びていく。


『こいつ……本当に人間なのか?あの魔物を一瞬で……いや、今はそれどころじゃない。生き残ってるのが俺だけだ……助けてくれたんだ、信用するしかねぇ』


バルトの心の声は、響の耳にはっきりと届いていた。表面では警戒心を保ちつつも、その奥底には、響の圧倒的な力を前にした恐怖と、生き延びたいという切実な願望が渦巻いている。響は、その揺れ動く感情を静かに分析する。まるで、目の前の人間が、複雑なデータを持つ分析対象であるかのように、彼の心を解体していく。


「……ここは、アビスダンジョン、最下層だ。あんた……何者なんだ?」


バルトは震える声で答えた。アビスダンジョン。響が読んだファンタジー小説にも出てくるような、深淵を意味する言葉だ。その単語が、響の脳内で関連情報を瞬時に検索し、類似の知識を呼び覚ます。


「何者、か……。ただの、通りすがりだ」


響はそう答えた。感情を排した、平坦な声だった。心の声で、バルトの心に『警戒』の感情が微かに生まれたのを読み取る。しかし、同時に『信じざるを得ない』という諦めのような感情も混ざっていた。響は、この男に自分の素性をすべて明かすつもりはなかった。異世界から来たなどと伝えれば、事態は間違いなく面倒になる。彼女にとって、余計な手間を増やすことは、最も避けたい事態の一つだった。


『まさか、こんな奴が……いや、あの力は尋常じゃない。このダンジョン、一度入ったらクリアするまで出られないって話だ。あいつは……出口を知ってるのか?』


バルトの心の声が、響の脳に響く。ダンジョンはクリアしないと出られない。その情報に、響の興味がわずかに揺れた。それは、長い間閉ざされていた扉の隙間から、新しい知識の光が差し込むような、微かな興奮だった。


「……私の知る限り、私は、ここに来る前は、普通の人間だった。突然、光に包まれて、ここにいた」


響は、自分の知る限りの情報を、感情を込めずに淡々と述べた。異世界という言葉を伏せ、あくまで「普通の人間」という認識で押し通す。バルトの顔が、驚愕に染まる。彼の目は、彼女の言葉と、その背後にある圧倒的な力とのギャップに混乱しているようだった。


「そ、そうか……。俺はバルト。しがない冒険者だ」


バルトは、ようやく自分を落ち着かせ、名乗りを上げた。その心の声には、『助かった』『生き残りたい』という切実な願いが強く響いている。響は、その「願い」の感情が、自身の体内で淡いエネルギーとして循環するのを感じた。まるで、彼の生への執着が、そのまま響の力の一部となるかのようだ。


「佐倉響」


響も簡潔に名乗った。バルトの心の声から、彼が響の力を頼りにしていることが明白だった。その依存心が、響にとっては利用可能な情報に過ぎない。彼女の脳内では、すでにバルトの役割が明確に定義されていた。情報源であり、このダンジョンからの脱出のための駒の一つだ。


「このダンジョンは、この世界に突如として現れた魔物の巣だ。一度足を踏み入れたら、最深部のボスを倒すか、特殊な脱出アイテムを使わない限り、外には出られない……はずだったんだがな。あんた、あの魔物をどうやって……」


バルトは、響の力について核心を突こうとしたが、響の冷たい視線に言葉を詰まらせた。響は、バルトの問いかけを遮るように、静かに、しかし有無を言わせぬ圧力で彼を見つめ返した。その視線には、これ以上詮索すれば命はない、という明確な警告が込められていた。


響の脳内で、バルトの言葉と、自身の内側の感覚が整理されていく。


(ダンジョン。クリアしないと出られない。そして、私のこの力……ノイズを喰らい、力を具現化する……)


響は、自身の右手を静かに握りしめた。先ほど、魔物を瞬殺した時の、あの満ち溢れるような力。彼女の体の中には、まだあのエネルギーが確かに残っている。それは、今まで感じたことのない、完璧な制御感だった。長年彼女を苦しめてきた不快な「ノイズ」が、この世界ではそのまま、彼女の意のままに操れる「力」へと変質する。彼女の指先が、まるで新しい武器の感触を確かめるかのように、ゆっくりと開閉した。


『あの、ノイズにまみれた世界には、戻りたくない。だが、この力は、あのノイズを消し去るための、あるいは、ノイズを支配するための、唯一の手段になるかもしれない』


響の心の奥で、葛藤が生まれた。元の世界への帰還。それは、彼女にとって未だ答えの出ない問題だ。彼女がいた世界は、表面的な笑顔の裏で、醜い本音が渦巻く場所だった。この場所は、魔物はいるが、少なくとも心の声は単純で、分かりやすい。だが、この得体の知れないダンジョンから脱出し、この力を完全に理解し、使いこなすことが、今の最優先事項だと判断した。この力は、彼女にとって、新しい世界の可能性を提示している。


「バルト、このダンジョンを出る。この先の道案内をしてもらおう。その代わり、この世界の状況を詳しく教えてもらう」


響は、即座に決断した。彼女の視線は、ダンジョンの奥へと向けられた。そこには、まだ見ぬ危険と、そして未知の力が眠っている。同時に、出口への方向も、既に彼女の脳内で計算されていた。彼女の脳裏には、このダンジョンの簡易的な地図が、既に見えているかのようだった。


『この女……何を考えているんだ……いや、強い。ついていくしかない』


バルトの心の声に、響は微かに笑みを浮かべた。それは、彼の『恐怖』と『依存』を糧にする、冷徹な捕食者の笑みだった。しかし、バルトはそれを見ることができなかった。響の口角が、ほんのわずかに上がっていたことに気づく者はいなかった。ただ、彼女の瞳の奥で、静かな熱が燃え上がっていることだけが、響自身の知る真実だった。この力は、彼女の人生における、最大の「面白い」要素になるだろう。


響とバルトは、生き残った冒険者たちが散乱する薄暗いダンジョンを後にし、出口へと向かい始めた。響の足取りは、先ほどまでとは比べ物にならないほど軽やかだ。足元の粘液を踏みしめる音すら、響にとっては心地よいリズムに聞こえる。彼女の瞳は、未来への期待と、そして新たな「力」への探究心に輝いていた。ダンジョンの闇は、彼女にとって、もはやただの障害ではなかった。それは、自らの力を試すための、巨大な実験場に過ぎなかった。

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