55. 発生。 ――白漂領域
中央ブルース。ザルツブルグ周辺。
魔境と呼ばれる土地へと足を踏み入れているのに、閑散とした大地が広がっている。
討伐依頼を受注して魔境へ踏み入ったリック、エリナ、カンナと魔導巧機重鎧00号機は目撃されたという標的を探していた。
「……。いないな」
「いないね」
「いないですね」
三人は周辺を捜索していたが、それらしい魔物は見当たらなかった。
「魔物ってあのレッドボアだよね? こんなに見晴らしいが良いのに襲ってくる気配がないなんて、目撃個所から移動しちゃったのかな?」
「可能性はあるな」
カンナの言葉にリックは肯定する。
「そっかぁ。それじゃ、私の人形師としての初実戦はお預けかぁ」
「俺も新しい武器の性能を試したかったなぁ」
「あれをボアに使うのぅ? 斧はともかく銃は消し飛んじゃうよ」
「それもそうか」
高火力の銃を撃てばボアも消し飛んでしまう。せっかくの素材や肉がもったいない。
またべつの機会に実戦投入だな、とリックは思いながら周辺を見回す。
「一度、ザルツブルグに戻ったほうがいいと思います? 雲行きが怪しくなってきました」
空を見上げるエリナはそう言った。
「……。そうだな。一度戻ったほうがよさそうだな」
「ね。来るときはあんなに晴れてたのに」
今日は雲一つない晴天だった。今は白い雲が空一面を染め上げている。雲の厚みがそれほどないのか、薄暗くはない。しかし、湿り気を帯びた強風が平原を走り抜けており、ザルツブルグに戻る頃には雨が降っていてもおかしくはない。
「今日の依頼は収穫なしかぁ」
肩を落として溜息を吐くカンナは、ザルツブルグの方向に向けて歩き出し、リックたちもそれに続いて歩き始める。
そんなときだった。
「ん?」
異様な気配がしてリックは足を止めて後ろを振り向く。
しかし、なにもない。
「どうしましたか? リックさん」
「んぅ? どうしたの?」
立ち止まったリックに、二人も足を止めた。
「……。なにか変な気配がしてな」
「気のせいだった?」
「いや、今も感じてる…………なんだろうな、この気配は?」
リックは道を外れて周辺を見渡す。
気のせいか。その気配は徐々に濃くなっている。
「ホント、なんだ?」
その異様な気配にリックは額に手を当て困惑する。
視界にはなにも映らない。地下でも、空でもない。
全体的に、その気配を感じている。
「リックさん、大丈夫ですか?」
「らしくないよ?」
エリナとカンナは、いつも冷静なリックが動揺している姿に、心配そうに声をかける。
「どこだ? なんだ? この感じ?」
既視感はある。しかし、リックはそれが思い出せなかった。
「ねぇ、リック。なんだか周辺の魔力濃度が高くなってない?」
「魔力濃度……」
かちっと、リックの中に足りなかったピースがはまって目を見開く。
違和感の原因を理解した。
魔力濃度だ。
リックが感じていたものは気配ではなく魔力だ。それも異質な、ぴしゃりと冷水をかけられたような感覚の。それは冒険者の口からしか聞いたことがなかった現象。
――〝白漂領域〟が発生する前兆だった。
「カンナ! エリナ! 白漂領域が発生する! 全力でザルツブルグまで走るんだ!」
リックは二人に叫んだ。
だが、すでに遅かった。
――ずんっ、と周囲の空気が重くなった。
――次第に、白く靄がかかり、世界から色が褪せていき、黒い塵が漂い始める。
――そして、コールタールのようなものが空へと落ちた。
発生してしまった。〝白漂領域〟が。最悪なタイミングで。
だが、発生した以上、慌てても仕方がない。いったん冷静に戻るリックは周囲を警戒する。それは戦闘に慣れているカンナも同じで、エリナを庇うように周囲を確認している。
「どうしよう、リック。完全に領域の中だよ」
「まだ平気だ。周囲に魔物はいなかった。領域に侵食されている魔物はいな――――」
そう言い切ろうとした瞬間、リックたちにめがけて人型の魔物が飛び込んできた。
瞬時にリックは跳躍し、その人型の魔物を全力で蹴り飛ばした。
魔物は地面にめり込み、リックは軽快に着地する。
危機一髪と言いたいところだが、リックは額に汗を滲ませた。
「マジかよ。もう湧きやがった」
領域の発生直後なら魔物はすぐに発生しない。だが、今回にかぎって魔物の発生が以上に早い。〝白漂領域〟における記録には、一定時間の猶予が存在する。
それを覆すかのように魔物が現れた。
それも侵食された魔物ではなく、領域原産の魔物がすでに目の前にいる。
「――うっ」
突然、エリナは口を手で覆って倒れそうになる。異変にいち早く気づいたカンナは、
「エリナちゃん! しっかりして!」
倒れそうになった彼女の体を支えて座らせてあげた。
「なんかすごくヤバい気がする。この領域、変だよ。あの魔物、リックじゃなくてエリナちゃんめがけて飛んできた。それに、瘴気が異常に濃い気がする」
「エリナはあとどれくらい持ちそうだ?」
リックは平静を保ちつつ、周囲を警戒しながら訊く。
「まだ平気だけど、そんなに持たないと思ったほうがいい」
魔導巧機重鎧に片手直剣を持たせ、エリナを支えながら武器を装備したカンナが言う。
「難しいな。もう迎え撃つしかないようだぞ。――〈アイアンウィル〉ッ!」
逃走する選択が消えたいま、戦う覚悟を決めたリックは、敵の意識を自分に強く向けさせるスキル〈アイアンウィル〉を発動させる。スキル〈フルヘイト〉と違い、強制的に敵の意識を向けるほどの効力はない。代わりに、ダメージ軽減、耐性強化、気絶、怯み耐性強化、が自身に付与される。
リックは魔導巧機重鎧を装着しようと収納魔法を行使したときだ。
地面を割って人型の魔物が現れる。
土気色をした白磁の肌。枯れた古木のような骨と皮だけの細身。窪んだ目元。顎が下りたままの口。損傷した革装備を身に纏い、刃こぼれした剣を持っていた。
人型の魔物は出現した直後、リックたちに向かってくる。
リックも魔物に向けて武装を装着しながら前へ出た。
ほんの少しの距離だ。ほんの少し二人と距離が離れた瞬間だ。
狙ったかのようにリックの背後から、地面を割って同じ魔物が数体ほど現れた。
「――ッ!」
魔物は、背中ががら空きのリックを無視して、カンナとエリナの二人のほうに向かう。
魔導巧機重鎧02号機の装着には隙がしょうじる。
魔物との距離といい、完全装着しての戦闘には間に合わない。
なにもかもが想定外。イレギュラー。
だが、窮地でも迷えば二人が危ない。
リックは装着が済んでいる片腕をかざしながら振り返って土魔法を行使する。
カンナは試作型魔導巧機重鎧00号を操作して剣を構えさせた。
その瞬間だ。
カンナとエリナの二人の前に人影が現れ、肉薄する魔物たちを殴り飛ばした。
一瞬にして蹴散らされた魔物は地面に突っ伏した。
「お前は……」
身に覚えのある背格好にリックは魔法を中断して、かざした手をおろした。
「よう。元気にしてたか? リック」
その者は、かつて所属していた『バラン・ガタッタ』のメンバーであり、リックが追放された時にはいなかった人物だ。仲の良い友人であり、頼れる冒険者が目の前にいる。
「ザルツブルグと極東のハーフ。その名もハルト・ヴァルバック。ここに参上!」




