52. シャスティルハーニャ教
シャスティルハーニャ教。聖女シャスティルハーニャが無名の神を信仰対象として創設した宗教組織。世界で最も広く知られており、人々から絶対的な支持を得ている。
宗派があり、シャスタナ派、テルフィ派、ハーニャ派と三つに分かれている。
地域によっては無名の神を信仰しながら宗教名が異なることもあるが、それを考慮しても世界規模の宗派には変わりはない。
勧誘などはしておらず、自ら志願して入信する者のみとなっている。基本的にシャスティルハーニャ教の勢力圏の大半が無宗教である。
そんな宗教の一部である教会のシスターに、エリナが聖女になった瞬間を目撃されてしまったことで牧師も出てきて、教会は大騒ぎとなった。
そして、リックとエリナの二人はギルドに呼び出された。エリナは個室で教会のシスターに〝聖印〟の確認をされた後、リックとともにギルド長室に通された。
その場にはリックとエリナ、ギルド長、牧師、そして担当官のアメリアがそろった。
「まさか聖女誕生の場にリックがいるなんてね。あれからも活躍は聞いてるよ」
「ありがとうございます」
「そんなかしこまるような間柄じゃないだろ? 楽に喋ってくれ」
「そうか。遠慮する必要もないな」
「それはそれとして……あいかわらずクソダサい服着てるねぇ」
アルトリア・アールハットマンは、リックの服を見てそう言った。室内の気を和ませたい意図があるのだろうが、緊迫した空気は消えず、一瞬の静寂に秒針が鳴る。
「まずは選ばれたことを祝福しようか。聖女エリナ殿」
「ありがとうございます」
エリナは感謝の言葉とともに頭を下げる。
「君のことはアメリアから聞いているよ。謎の寺院から出てきたんだってね」
「出たというより、逃げ出した、のほうが正しいですね」
「はっきり言うんだね。まあ、君の意思で出たのであれば俺からはなにも言うまい。それで、君は外に出るのが初めてだと聞いている。どうだい、ザルツブルグは?」
エリナに深く追求することはせず、アルトリアは話題を変える。
「とても良いところです。寺院では目にしなかったものばかりで、外の世界はこんなにも発展していることに驚きました。まるで時間の流れが違うかのようです」
エリナがそう言うと、アルトリアは楽しそうに口角を上げた。
「ほう。やっぱり箱入りだとそう見えるんだね」
「と、言いますと?」
「これでも文明は後退しているんだ。文明が後退する前の技術を携えてね」
カルマの言葉に、無表情のエリナは目を見開いて驚いた。
その反応が気に入ったのか、アルトリアは楽しそうに表情を綻ばせ、
「どうする? もうちょっと聞くかい?」
そう言うと、隣にいた牧師は咳払いをした。
「その話はまた今度にしてくれませんか?」
「ああ、ごめんよ。アメリアからエリナさんのことを聞いてたからさ」
アルトリアがそう言うと、アメリアは堂々と胸を張った。
牧師はもういちど咳払いして口を開く。
「お初にお目にかかります。私はエラルドと申します。以後、お見知りおきを」
「ご丁寧にありがとうございます。エリナ・クラークロンドとお申します」
自己紹介をする二人。エラルドは、シャスティルハーニャ教本部からザルツブルグに派遣されてきた牧師だ。茶髪、琥珀色の瞳に眼鏡をかけた優男である。
「エリナ様は、寺院、と呼ばれる場所からきたと聞き及んでいます。そのどんな宗派なのか、こちらとどのくらい違いがあるのか聞いてもいいでしょうか?」
「はい。宗派は、私にもよくわかりません。違いがあるとしたら他種族の認識でしょうか」
「ほう。それはどんなものですか?」
「おおまかに言いますと、人間以外の種族は、人間に不純物が混ざった出来損ない、下等な生物、ゴブリンといった亜人と同格だと教えられています」
エリナの言葉に、ギルド長室は空気が変わった。緊張が走る中で、彼女は飄々とした表情を崩さずにまっすぐ牧師を見ていた。牧師もまっすぐエリナのことを見ていた。
「つまり人間以外は差別対象、ということですか?」
「そうなりますね」
「にしては、エリナ様は普通に接しているように見られます。ずっと黙っているリックさんとも普通に接していますし」
「え? リックさんは人族ではなかったのですか?」
今更な感じでエリナは驚いた様子でリックを見た。
「まあ、聞かれなかったからな。俺は人間とドワーフのクォーターだ。エルフも混じってる。父親は人族、母親はエルフの血を持ったハーフドワーフだったらしい」
「そうだったのですね」
「どう思った?」
「とくにありません。見た目は人間そのものだったので驚きはしましたが」
以前にカンナが問いかけたときと同じ答えがエリナから返ってきた。
「そうか。だそうだぞ?」
リックはエラルドに視線を向けて言う。
「種族にこれといった偏見がない、ですか。よく寺院に支配されませんでしたね」
「ほかの種族を見たことはありませんでしたし、教えに矛盾のようなモノも感じていましたから。この都市で生活を送ったことでその矛盾はさらに顕著なものになりました」
「聡いのですね」
「簡単な話です。同じ知能、同じ言語を使うのに下等と決めつけるのはおかしいでしょうし、人間同士でも上と下を決めたがって争うでしょうに」
「……。いやはや、参ったね、これは」
エリナの考えに呆気に取られるエラルド。まさか箱入りとはいえシスターの彼女から答えが出てくるとは思っていなかったのだろう。そのおかげか室内の張り詰めた空気が消えた。
「なら、普通に人間以外の種族と交流はできるんだね」
「はい。先日もダークエルフの方とお話ししましたから」
「け、けっこう難易度の高い子と交流してたんだね。逆にすごいよ」
「物静かで優しい方でしたよ?」
ダークエルフは悪い噂が絶えない種族だ。実際は義理堅く、静かな性格だ。他種族にも優しいのだが、エルフ特有の美しさが悪い方向にいってしまっている悲しい種族でもある。
ダークエルフはザルツブルグに片手で数える程度しかいない。
「まあ、エリナ様からそれが聞けたなら安心かな」
「正体不明の寺院のシスターですから、邪教とも捉えられてもおかしくはありません」
「……、自分でそれを言うんですね」
「寺院で、ほかの宗派があるならそれは邪教とも教えられましたから。こちらがそうなら、そちらからしたら私は邪教の信者です。リックさんが私を庇おうとしてましたし」
エリナの言葉にエラルドの視線は顔を反らしたリックに向かう。
「一つ言わせていただきますと、聖女同士は気配でわかるのでいずれバレますよ」
「えっ、マジ?」
「マジです」
「マジかぁ……、数秒間必死に悩んだ自分が馬鹿みたいだ」
聖女同士がおたがいを感知できるのであれば最初から詰んでいたということになる。
「そこまで悩むものですか?」
額に手を当てるリックの大袈裟な反応に、エラルドは苦笑を浮かべながら問いかける。
「いや、なにされるかわかったもんじゃないし。拷問とか、辱めを受けた後に、磔や串刺しとか、晒し首なんてあったら溜まったもんじゃない」
「邪教と混同しないでください! まったく。旧時代の宗教のせいで信仰そのものが畏怖の対象になっているのが気に食わないったらありゃしない」
リックのあまりの良いように、エラルドは愚痴を吐いて言葉を続ける。
「はっきり言っておきます。私たちは邪教のシスターとして見ません。新人冒険者の神聖術師として聖女になったエリナ・クラークロンドという認識でいます」
「それでいいのですか?」
「いいのです。エリナ様を見るに、寺院に戻る気はないようですから」
エラルドは優しい笑みを浮かべながらそう言う。帰りたいと言ったらどうする気だ、とリックは思ったが、エラルドはそれを感づいて睨んできたので視線を反らした。
「忘れていました。エリナ様の魔法を見せてもらいたいのです」
「どうしてですか?」
「聖女の力を確認したいのです。もし可能ならの話ですが」
エラルドの言う聖女の力には肉眼でも確認できる特徴が存在する。とくに神聖術や治癒魔法などにそれが顕著に表れるのだ。
「聖女の力……」
エリナは自分の手を見つめて、リックとアメリアに視線を移した。
「すみません。リックさん。アメリアさん。私のほうに来てくれませんか?」
呼ばれた二人はエリナのほうに近づく。そして、エリナは二人の古傷に手をかざして、
「――〈ヒーリング〉」
治癒魔法の〈ヒーリング〉を行使する。エリナの使用するその魔法は、普段から目にすることのある治癒魔法とは違い、光の粒子を纏っていた。
そして、リックとアメリアの顔にある古傷をあっという間に消してしまった。本来なら時間経過による治癒魔法の効果外の傷を治してしまった。
「いかがですか?」
リックとアメリアは手鏡を持って自分の顔を確認する。
「女の勲章がっ!」
「男の勲章がっ!」
現役冒険者と元冒険者は顔の傷が治ったことに愕然とした。
「あ、あの」
思っていた反応と違ったことでエリナは戸惑いを見せる。
「ああ、気にしないでくれ。冒険者は傷があるとモテるんだ」
アルトリアは二人の反応について説明をした。冒険者は危険な冒険へと出る。その際に負った怪我に治癒が間に合わず、傷跡が残ってしまうことがある。冒険者には男女問わずそれが魅力的に見えるのだとか。勇敢さ、逞しさ、生命力、人生、と人はそれぞれ語る。
なお、服に隠れてるならなおのこと良い。
「そうなのですか? そうとは知らず勝手に、申し訳ありません」
「いや、いいんだ」
「そうよ。面の良い二人に戻っただけ。変わらず男は寄ってくるわ」
リックとアメリアは空笑いで対応した。内心、物凄く落ち込んでいる。それでもエリナの好意を無下にしたくなくて必死に取り繕う。
「二人のほうはともかくとして、確かに拝見させてもらいました」
エラルドはそう言って言葉を続ける。
「エリナ様がよければ、うちの教会に来ませんか?」
「え?」
「私たちは、聖女を守る義務があります。もちろん、エリナ様の力をお借りすることもありますが、無理強いはしません。悪い話ではないと思います?」
エリナは少し悩んでから深々と頭を下げた。
「大変うれしい申し出ですが、謹んでお断り致します。私はリックさんに命を救っていただきました。できることなら、リックさんのお役に立てればと思っております」
「エリナの自由にしていいんだぞ?」
「それでも。リックさんが問題なければ、今後ともおそばに置いてもらいたいです」
「……。わかった。エリナを尊重するよ」
「ありがとうございます」
聖女なら教会で手厚く保護してもらったほうが安全だろう。だが、エリナが決めたのであればリックはなにも言うことはなかった。
「わかりました。エリナ様のご意思を尊重いたします」
エラルドは会釈しながら言った。
何事もなく終わってよかったと、リックは息をつく。不安は同席していたアメリアに気づかれていたようで「大丈夫そうで良かったね」と耳打ちされ、「本当に」と返した。
それでずっと静観していたアルトリアが口を開く。
「話が終わったなら、エリナ様にはこれを渡しておく」
エリナの目の前に置かれた一枚の紙、それは昇格手続き用の用紙だった。
「聖女になった君には昇格してもらう。すでにハウウルフも討伐できるみたいだからな。おめでとう! これで君もC級冒険者だ」
アルトリアはエリナの昇格を宣言した。
「お、おい、アルトリア。それはいくらなんでも早すぎるんじゃないか?」
「いいんだよ。リックと一緒ならC級まであっという間だろうし、ステータスも申し分ない。むしろ聖女を最低ランクに置いておくほうが問題だ」
「……。まあ、アルトリアがそう判断したなら」
アルトリアはほくそ笑みながら両手を広げて、
「おめでとう。これで君もC級冒険者だ。今後の活躍に期待してるよ」
エリナのC級昇格を宣言する。
「ありがとうございます。ご期待に添えるよう精進いたします」
C級への飛び級昇格でも、エリナは淡白な反応を示す。本当なら飛んで喜ぶほどの異例の昇格だというのに、彼女は静かに感謝の言葉を添えて会釈する。
今後、聖女誕生の話は広く知れ渡っていく。エリナの意向を汲んでくれるなら口外とは言わなくても穏便に済ませてくれる。
リックの中に不安は残る。祝福となるか、呪いとなるか、エリナの聖女としての対応が今後を左右する。慎重にならなくては、とリックは思った。
「そうでした。聖女としての祝福を受けた際に、神託を受け取ったはずです。いったいどんな神託をもらったのか聞くことはできますか?」
「神託、ですか。そのようなものはもらっていません」
「えっ……。そ、そんなことはありません。聖女になった者は必ずもらっています」
「……、笑う声のようなものはしましたが、ほかにはなにもありませんでしたよ」




