48. 常識のずれ
ザルツブルグの端。そこは建物が一切なく、街に入るには少し歩かなければいけない。小川にかかった古い石橋を渡った先にリックの住居が存在する。
古い一軒家で、見た目は館の二階建ての家だ。
アメリアに引っ張られて女性用の必需品を一通り買い揃えたリックは、三人で食事をした後、アメリアと別れ、エリナを連れて自宅へと帰路についた。
「まさか宿が見つからないとは思わなかった。すまないが、今日は俺ン家に泊ってくれ」
「私は構いません」
「……。そうか」
素っ気ないというか、淡泊な反応しか示さないエリナ。自宅まで来たわけだが、ここに来るまでの間、リックは彼女との距離の縮め方がいまだにわかっていない。
話題があればいいのだが、寺院から外に出たことがない箱入りシスターと経歴五年の冒険者。冒険譚を話すこともできるのだが、当の本人は冒険者などまったく知らない。なんならそこらじゅうに転がっている話題でさえ、会話が成り立たない。
気まずい。その一言に尽きる。
リック自身、仲良くしたいのだが、エリナの懐に入りづらかった。
まあ、時間がなんとかするだろうと、リックは楽観的に考えている。
「着いたぞ。ここが俺ん家だ」
「けっこう立派な家なのですね」
「おんぼろだが、内装は綺麗だから安心してくれ」
リックは扉を開けて、エリナを自分の家に招き入れた。
「あっ、玄関の前は抜けてるから気をつけてくれ。重ねてる板の上を歩いてくれ」
「どうして突き抜けているのですか?」
「最近、新調した武具が重すぎて突き抜けてしまってな。地下倉庫まで一直線だ」
「そうですか」
淡泊な返答をして隙間を覗くエリナ。前にもカンナと同じようなやりとりをしたな、とリックは思いながら我が家に入る。
「ちょっと待ってろ。いま風呂を沸かすからな」
「手伝います」
「さすがに客人にそんなことをさせられない。そこのソファでゆっくりしててくれ」
リックはエリナを荷物と一緒にソファに座らせ、風呂を沸かすと同時に寝床を準備する。寝室は二階にあるのだが、一部屋以外は一から掃除しないといけないため、今日はリックの寝室で一緒に寝てもらうことになる。もちろん、エリナはベッドでリックはソファだ。
エリナは風呂初心者と思われたが、普通に風呂場へ向かったので問題はなかった。
先にエリナにお風呂に入ってもらい、その次にリックが風呂に入った。
「ああ、サッパリしたぁ……」
なんかめっちゃ甘い匂いしたけど、と前に泊まったカンナより濃くそれを感じたリックは思いながら、長めの髪をタオルでふいた。
リックの寝室。寝支度を済ませたエリナが待機しており、開いた窓から涼しい風が入り込んできていた。
「今日は満月か。気持ちの良い夜風が入ってくる」
のぼせ気味の火照った体には嬉しい風だった。リックは満月が照らす夜の世界を眺めながら冷水を飲み、余分な熱が引いていくのを待った。
「……。そろそろ、寝るか」
リックがそう言って視線をエリナに向けると、彼女は寝巻を脱ぎ始めた。
「……、なにをしてる?」
リックが訪ねると、エリナはボタンを外すのをやめて距離を詰めた。窓辺に立った彼女を月明かりが照らし、脱ぎかけの服から肌色と豊満な谷間が強調される。
「リック様には、今日だけでもたくさん良くしてもらいました。成り行きと言っていましたが、見ず知らずの、それもどこのシスターかもわからない私を拾ってくださいました」
エリナは無表情のまま、淡々とそう言って、言葉を続ける。
「ですから、私の体を、リック様に差しあげます」
「なにを言って……」
「男性というのは性欲が溜まりやすく、そのつど発散しなければいけないと、寺院にいたときに教えられました。どうすればいいのかも、知っています」
「……教え? 寺院には男はいたのか?」
「いえ。寺院には女性しかいませんでした。男性はリック様が初めてです」
女性しかおらず、外にも出ることを許されなかった箱入りシスターが性教育を受けていることにリックは不思議に思った。だとしても、嫁入り前にしては世間を知らなすぎる。
「アメリアさんに、冒険者は命をかけてお金を稼いでいる、と教えてもらいました。そんな大事なお金を、私に使ってくださいました。体だけでは足りないかもしれませんが」
「いや、ホント、気にしなくてい――――」
リックが後ろに下がろうとしたとき、エリナに優しく手を握った。
「それに、リック様はとても良いお方です。なにかと理由をつければ、私のことなんて好きにできたでしょうに。あとでいい、と言って先送りにしようとするのですから」
そして、リックの手をゆっくりと上げ、エリナ自身の胸に触れさせた。
「リック様でしたら私はなにをされても構いませんよ」
エリナをそう言いながらリックの掌に強く押し当てた。
リックはこの状況に目を見開いて驚いた。手に伝わる感触。柔らかく、でもずっしりと押し返す弾力。意識していなかった自分の中にある男の本能が呼び起こされ、性への欲望が一瞬で沸き上がったのを感じた。
だが、頭がパンクしそうになりながらも、リックは一呼吸して平静さを取り戻して、エリナの目をまっすぐ見つめた。
「気持ちは嬉しいが、受け取れない」
「ですが……」
「気持ちは嬉しい。だが、それだけは受け取れないんだ」
真剣な気持ち。欲望を振り払ってリックは答える。
「鼻血、出てますよ?」
「…………、」
びちゃぁぁ、とリックの鼻から血が流れ出ていた。
リックはあらゆる耐性を所持している。その中には魅了に対する耐性もあった。だが、生まれてこのかた二〇年。冒険者になってなお女性と親密な関係になったことが一切なく、そのうちいってみたいと思っていた娼館にもいまだにいったことがない。
魔法的な魅了には耐性はあった。
だが、物理的な女性への接触には耐性がなかった。胸に触れるとなると、なおさら。
未経験者には刺激が強すぎた。
「私に魅力がない、ってわけじゃないみたいですね。安心しました」
エリナの意思は変わらないようだった。リックを受け入れる準備はできていると彼女の目が物語っていた。だが、リックの意思も変わらず、目を伏せて鼻血を拭う。
「これでも貴族の端くれだ。と言っても没落貴族で地位を失ってるかもしれないけど」
リックはそう言いながら、胸から手を離して、言葉を続ける。
「面倒を見ると言った以上、エリナには誠実でありたい。自分の身を安売りしてまで返してほしくはない。もっと自分を大事にしてくれ」
「ですが、それではなにも返せません」
「べつの男でもお礼と称して体を差し出すのか?」
「それは……」
まっすぐ見据えた目が揺ぎ、エリナは言い淀んだ。肯定するわけでもなく、否定するわけでもない。おそらくは彼女の中には最初から答えなどないのだろうと、リックは思う。
(そういえば初めて見る男性は俺なんだっけか)
据え膳食わぬは男の恥。完全に腰抜けのそれだが、それでいいとリックは思っている。
彼女の行動は、植え付けられた知識と男性への認識ゆえの行動とみるべきだろうか。体を差し出すことに対して躊躇がない。
そういうこと、を寺院で教わったとエリナは言った。その話が本当だとするならば、自分の意思関係なく、男性に奉仕は当然、という認識なのかもしれない。
だとするならば、危うい、とリックは思った。
もしも誰かに体を要求されたら簡単に差し出す危うさを、彼女は持ち合わせていた。
そして、彼女が過ごしたという寺院の異常さを現していた。
「今日はもう遅いから寝よう。エリナはベッドを使ってくれ」
リックは欠伸をしながら窓を閉めて、布団をかぶってソファに寝転がった。
「エリナも早く寝たほうがいい。明日に差しつかえる」
「……、はい」
なんとか切り抜けたリックは、心臓が激しく鼓動するのを感じながらも眠りについた。




