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 風などないままに雨を降らせていた雲が割れ、天空には星降る道が真っ直ぐに現れた。雨の乙女が裾を翻して早馬のように天へ駆け上ってゆく。見る間にぬかるんでいた大地は乾きあがり、草は露を散らせて、アシュラの道を作りあげた。月が照らす。駆けた。背負っていた苦しみが消えたわけではない。それは今も身のうちにあり、現実の痛みになってアシュラを苛んだ。腹が痛い。足が痛い。それでも駆けた。体力が残されていたのでない。身体を廻り、満たすヌンが意志によって呼び起こされたに違いない。それはもはや人知ならざる働きのなす所だった。痛みに鞭打たれてもアシュラはその足を止めなかった。関節は軋み、足裏に小石がめり込む。足の爪が順に爆ぜた。痛みと重さに膝が上がらなくなっても、ついには歩くような速度になっても、アシュラは一歩を踏み出した。数日かけて彷徨った距離を一昼夜で戻った。

 ピレが夕陽に染まる頃、アシュラは村の門に辿り着いた。門は閉ざされていた。再び賊に教われぬように守りを固めているのだ。それがアシュラが間に合った事を教えていた。だが、遺された時間は少ない。森から大回りする事は考えなかった。そのようにこっそりと村に戻ってはならない。アシュラは高く越える事の出来ぬ門扉を叩いて門衛を呼ばわった。

「誰ぞ!誰ぞ!」

小窓が開く。

「お、お前はアシュラではないか!」

門衛の上げた声に幾らか人が寄ってきたようだ。扉の向こうがざわつく。

「村長を!村長を呼んでくれ!」

濡れ、汚れ、そのままに乾いた髪と服が張り付いたみすぼらしい姿を曝して、アシュラは顔を上げた。

「村を捨てた者の声など聞かぬわ。さんざん村に迷惑をかけおって」

「アシュラ!」

扉の向こうからニレの声がした。

「アシュラ!何故戻った!村長はお前を追わぬと決めたのに」

悲鳴のような声は「あっちへ行け、奴隷」怒鳴り声に追いやられたが、掻い潜って再び戻った。

「逃げたのではなかったのか?」

逃げた。辛い事どもから逃げた。だが、逃げ切れないと分かった。

「村長を!」

ならば向き合うよりない。こんな自分だけれども、世界には愛されているのだから。騒ぎに出てきた村長はやはりアシュラを見て絶句した。構わずに告げた。

「昨夜、ピレの頂に灯を見た。ピレに登った者が居るのか?」

「まさか」「見間違えだ」ざわめきが上がる。「嘘に決まっている。こいつはモルダだ」「風を解き放ってこの村を苦難に陥れた者ぞ」やはりヌンレはアシュラを苦しめたが、アシュラは前を向き続けた。村長が言った。

「この村からも近隣の村でもそのような事は聞いておらぬ」

ならばやはりそうなのだ。

「確かか?」

アシュラは頷いた。村長はアシュラが戻った理由を解した。

「門を開け!」

門衛がうろたえる。「これから日が暮れようというのに」悲鳴が上がる。村長は命じた。

「村の者達すべてに伝えろ。荷を纏めよ。この村を離れる」

アシュラはその場に崩れ落ちた。

 そうして門が開かれた。モルダの目的は王都の陥落だ。モルダがピレから降りてくるとしても人も食料も財もないならば行過ぎるだけ。駄賃に家畑を焼いて行くのが関の山だ。王都への早馬も発った。広場の篝火は逃げる人々を急かす。突然の避難に泣き叫ぶ赤子。不安そうな幼子とその母。全てを運び出さんと村の者たちは慌てふためいた。やがて家畜を曳き、荷を抱えた人々の列が門を出てゆく。「ようやく風がおさまったというのに」「麦を蒔きおえたばかりだ」嘆きと不満の声が漏れる。崩れ落ちたまま、汚れた犬のように門脇に座り込んだアシュラにかけられる声はなく、唾を吐く者さえあった。殿の村長がアシュラに立つように言った。アシュラが弱弱しく首を横に振るともうもたないと思ったのだろう無理強いされる事はなかった。夜を徹して犬の子までが村を離れた後、開け放たれたままの門の脇でアシュラは疲れ切った身体を引き釣り起こした。まだ生きている。アシュラは神域の森へ向かった。


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