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 風が道を作った。持ち上げる事が出来なかったのが嘘のように軽い剣を肩に担いでアシュラは村の広場を目指した。参道を駆け抜ける。神域の標を抜けた所で槍を突き出した二人の狗人が歩いてくるのに気付いた。村の者が神域に逃げ込んだのを追って来たに違いない。金目の物があれば取り上げておこうという算段だ。狗人達は辺りに気は配っているものの抵抗を受けるとは思ってもいないような風だった。二人ばかりで様子を見に来たのがいい証拠だ。アシュラが神域から走り出てきたのに少しばかり驚いた様子だったが、環も過ぎぬような子供であることに気付くとニヤニヤと笑った。軽く相手をしてやろうかというように槍先を向ける。アシュラは速度を落とさずに駆けた。

「シュウレ」

風を呼ぶ。アシュラの背を励ますように叩きつける突風が狗人たちをも襲った。砂塵が舞い上がる。

「行け」

風が言った。道を閉ざしているのはこの者達だ。担いだ剣をなぎ払うようにして指し示すと狗人らが握り締めていた筈の槍が吹き飛ばされ、次いで狗人らも衝き転ばされる。狗人らが叫び声をあげる。そのまま剣を反対の肩に担いでアシュラは駆け抜けた。後ろも見ずに駆ける。村の広場だ。広場に村人らが囚われている。駆けに駆けてアシュラは村の広場へ飛び込んだ。

 袋が破れ、撒き散らされた小麦。倒れたまま動かぬ男。すすり泣く女。税として運ぶ算段がついていたものばかりでなく、家々から持ち出された食料や銀が馬車に積まれ、積みきれぬ物が広場に散乱している。抵抗を諦めた者らが縄でつながれ、怪我や打ち身に呻きながら荷と同じく運び出されるのを待っていた。場を取り仕切っているのは一際大きな狗人で、木の上から見つけた巨人はのろのろと動き回っては村の家を積み木で遊ぶようにして壊してゆく。そこへアシュラは風と共に飛び込んだ。

「村の者たちを解き放て」

風に負けぬ声で叫んだ。狗人の長を睨みつける。捕らえられた村人らがざわめいた。「アシュラ」母が悲鳴を上げて首を振る。逃げろと言っているのだ。隠れていればいいものを出て来てしまったアシュラにうろたえている。抵抗を示したアシュラを「馬鹿な子だ」と憐れむ声のなか、村長の呻きだけがはっきりと聞こえた。

「それは雨の剣か…」

狗人らは子供が剣まで持ち出した事がさもおかしい冗談であるかのように笑った。

「遊んで欲しいのか」

笑いを浮かべたまま狗人の長が歩み寄ってくる。その腕は太く、アシュラの首の骨など一掴みでへし折れそうだ。剣を地に付きたてた。

「この村より何も持たずに己の地へ帰るのだ」

アシュラの肩から背中から立ち上ったものがあった。それが怒りなのかどうかアシュラには分からなかった。狗人は恐れもせずに対等な口を聞くアシュラに興味を失ったようで「その剣と引き換えに命乞いでもするのかと思いきや」唾を吐いた。

「生意気な子供は奴隷にも売れぬ」

長の脇を固める数人の狗人がアシュラに向かってきた。目を閉じた。

「シュウレ」

願う。祈る。風が応えた。秋晴れの空がにわかに掻き曇り、黒々とした雲が見る間に低く垂れ込める。不吉な音と光が迫り始めるのに皆声を失い、不安げに辺りを伺った。

「風は我とともにあり」

瞬時の轟音。光と共に爆発したような衝撃が大地を打った。跳ね飛ばされたのは人であったのか。空からシュウレの笑い声が降り注ぐ中そちこちから悲鳴が上がる。

今一度。

大気の塊が槌の様に振り下ろされ、頭を抱えた者達が転げ逃げ惑う。アシュラと巨人を除く立っていた者の全てが地に伏せていた。宣した。

「疾くと去れ」

アシュラの叫びと同時に広場のあちこちから悲鳴が上がる。突如小さな竜巻が巻き起こり、起き上がろうとする狗人らを飲み込んだ。狗人らは槍を取り落とすばかりか、何も触れぬのにその肌が切り刻まれてゆく。血煙と悲鳴が上がった。風が起こした真空の刃が荒れ狂う。顔を庇った腕も足も血に染めてゆく。狗人の長が喚いた。

「あの剣を!」

アシュラではなく、アシュラの齎した剣がこの風の技をなしていると見たのだ。這い回るばかりの狗人の兵はあてにならぬが、巨人がそれに応えて吠えた。風の太刀も巨人の厚い肌を傷つけることは出来ずにいた。巨人がアシュラに向かって手を伸ばす。アシュラは剣を掴んで飛び退った。風が乱れる。巨人が広場の木をその根もろとも引き抜いた。土塊が降り注ぐ。大量の土が風にまい村人らも叫びながら目と口を覆う。振り下ろされた楡の木を剣を振り払いながら避ける。剣は軽い。シュウレはアシュラを守り続けているのだ。心が強くなった。アシュラが剣でなぎ払った通りに大木の枝葉が切り落とされた。だが、その刃も幹には届かず、大地に打ち下ろされた大木が地響きを立てる。枝葉がしなって地に伏すものたちを襲う。二度三度と打ち下ろされる大木を避けながらアシュラの体は思い出していた。

(同じだ)

これは薪を打つのと同じ。軌跡を読んで体を動かす。避けるか打つか瞬時に決める。飛び退る。走り寄る。そうしてアシュラは自分が透明になって行くのを感じた。村人の声も、狗人の叫びも御伽噺を聞いているように遠くなってゆく。身体はたぎるように熱しているのに心だけが醒めてゆく。アシュラの中に満ちてゆくのは水。雨が降り始めた。アシュラの手の中の剣が唸り始めた。アシュラを巡検神事の韻律が包む。

(世界が…)

この世の理がアシュラの手の中にあった。雨の剣は振り下ろすべき一点を求めていた。巨人が纏わり付くハエを払うようにアシュラを追う。うんざりとした巨人が幹ばかりとなりつつある楡の木を振りかぶった時、アシュラはそれを見つけた。アシュラは巨人の足元に走りこんだ。飛んで上から打ち下ろす事は出来ない。だから、大地から生えた大木のような巨人の右足を膝下から掬い上げるように剣を跳ね上げた。風の技で羽のように軽かった剣が一瞬だけ抵抗を見せた。巨人の脛に触れたときだ。その刃が肉に食い込むかと思われたとき抵抗は消えた。風の力ではなかった。薪を氷の割れ口のようにした力、アシュラの中から湧いた力がそれをした。全ての生き物は水で出来ている。生き物の中の水がアシュラの命に従ったかのように、剣筋のまま巨人の足はぷつりと断ち切れた。真空の風が傷をつけることしか出来なかったものを骨が見えるほどに裁った。巨人が咆哮をあげながら倒れ、地響きが起こった。馬車が横転し、馬が嘶く。村長の館が倒れ掛かった巨人を支えられずに崩れた。繋がれたままの村人が逃げ惑う。倒れた者を引きずって逃げる。戦う意志を無くした巨人は村の門の方へと這い始めた。アシュラは狗人の長を振り返った。アシュラが何も言わずとも狗人らは地に張り付いたまま呻くばかり。これ以上、賊が奪う事はない。口をきく者はなく、皆がアシュラを見ていた。暫しの沈黙の後に、

「よくやったぞ」

どこからかニレが飛び出してきた。アシュラの肩を叩く。アシュラは雨の剣を放り出した。瓦礫の山に駆け寄る。最後に母がいた場所だ。ようやく我に返った大人たちに村長が指示を出し始めた。

「縛り上げよ」

狗人らを縛り上げ、彼らが持ち込んだ奴隷運搬用の馬車に放り込んだ。怪我人を運び出し、散乱した物を片付けるなか、家族が手を取り合う。

 村長の館は壁石が崩れ落ちていた。アシュラが一抱えもある石を一つまた一つと転がすと母の背中が見えた。

「母さん!」

アシュラの母はあちこちを打ちつけて血を流していた。袖で拭う。母は目を閉じたままだ。アシュラの首から下がった守袋は、その中に入っていた大神官の推状ごといつの間にかなくなっていた。禁は破られた。だから推状も消えたのだ。背後に村長が立っていた。

「アシュラよ」

振り返ることなくアシュラは母を掻き抱いていた。

「神籠石の封は解かれた」

この流れの先をアシュラは知らない。


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