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 税を送る作業が始まった。税は交易に必要な街道を整備したり、村々に司祭を配したり、攻め入るモルダに備えて兵を養うのにも使われる。国から暮らしを買うようなものだ。税にはその年の収穫物を納める。粉を挽き、麻袋に詰め、織り上げた布を積み、鶏や家畜の頭数を揃え、足りぬ所は銀で補う。村長がその一々を取り仕切る。広場は物品で溢れている。広場が空になると冬だ。荷駄が出来上がれば、アシュラはそれに従う事になる。

 環以来、アシュラは村の当惑の種だった。

「ヌンがモルダを選ぶとは」

他の者に抜きん出て神素に恵まれている事で、皆はアシュラをどう扱ってよいのか分からなくなったのだ。全き者ともなれば水の館の長さえ望める。これまでのように怒鳴りつけたり、小突き回したりはできないのだ。子供らは大人たちを見てアシュラに近づくのを止めた。どう振舞ってよいのか分からぬからだろう。あの煩かったニレだけが寄ってきて「俺も鳥だったらな」と言った。ニレが今までの事を詫びたかったのかどうかはアシュラには分からない。皆は「あれは母親の血だよ。あれの母は二乗対で水と土の相乗だからね。本来はあの母親が巫女になる筈だったのさ」と納得するための理屈を欲しがった。

 が、どう振舞ってよいのか分からぬのはアシュラも同じだった。今までアシュラは自分を虐げる村の者と立場が逆転すればどれほど胸がすく事だろうと思っていた。しかし少しも快い事などなかった。彼らはかつてアシュラを虐げたように謙って見せているだけ。流されてゆく向きが変わったに過ぎない。手放しで喜んでいるのはアシュラの母だけだった。その母への想いは少しばかり変化したものの、だからと言ってこれまでの事が全てなかったかのように態度を変える事も出来なかった。実の所アシュラは困っていた。

(都で巫女になる…)

村を出る想像の中でそれだけは考えてこなかった。皆、アシュラが王都へ行く事を欠片も疑っていない。それは名誉な事なのだ。だが、アシュラだけはこの変化を持て余していた。流されてゆくうちに勝手に眺めが変わりだしたようなもので、それをどうして良いのか分からない。いや、そもそもどうにかできる物なのだろうかと疑問に思うばかり。流れて行く先は海へ続く道なのか先細って澱んでしまう流れなのか、アシュラには分からなかった。

 流れはいつも流されている者の想いなど知らず、速み進む。騒ぎが起こったのは収税の作業で村人が総出で立ち働いている時期だった。母が村の広場で働いている間、アシュラはヤギと鶏の世話をして、母と二人の食事の支度をはじめていた。ザワと森が鳴るほどの風が吹いた。開けてあった窓が勢い良く閉まり留め具が軋む。胸騒ぎがして表に出た。村の大路を神域へ駆けて行く者がある。神域へ用事があると言う風ではない。後ろを振り返り振り返り慌てふためいて駆けて行く。一人、また一人。赤子を抱えた若い母親。子供達、鶏を抱えた者が居る。何かがあったのだ。大路へでて誰かを捕まえて尋ねようか。いや、目を凝らす。収税の作業をしていた広場の様子がおかしかった。

 整然と積まれ纏められていた荷が放り出されている。村の門が開け放たれているではないか。税を運ぶ荷駄が仕上がるにはまだ日数が掛かるはずだった。それなのに門を開け放つような無用心をするだろうか。

(何が…?)

そして目を疑った。村長の館の側に人が居る。その大きさがおかしかった。館の二階家の屋根に手をかけている。その背は館を越えていた。

(巨人だ…)

話にしか聞いた事のない、北の方に住む者達だ。巨人が一人。広場から咆哮があがる。良く見れば広場をうろついているのは村人ではない。粗末な衣に槍を持った両の腕は遠目にも長く猛々しい。あれは狗人だと思った。そこまでは見えぬがきっと耳までもある口をしているに違いない。痩せた土地に住まう彼らは乏しい資源を奪い合ううちにそのような姿になったのだという。村の者はと目を凝らすうちに、地面に転がされた者達が幾らか、館の壁際に身を寄せ合う女たちの姿が見てとれた。

(賊だ)

自ら産することなく、人のものを奪う輩。ヌンレにそれが現れた事はなかったが、近隣の村が襲われた話はアシュラも聞いた事があった。おそらくは税を取りまとめたこの時期を狙ってきたのだ。村のとばくちに馬車が突っ込んでいるのを見つけた。粉屋の馬車だ。粉屋が村へ戻る所を襲い、騙して村の門を開けさせたのだろう。賊は奪うだけ奪ったら出てゆくのが常だ。だから村の者は神域へ逃げ込んでいるのだ。万が一、賊に村が襲われたような場合はアシュラも鶏やヤギと共に神域の森へ逃れるよう教えられていた。だが、税の分だけでなく全てを奪われてしまえば、冬の間に食うものすらない。アシュラは迷った。そうして目を凝らすうちに館のうちから数人の女が引き出されてきた。総毛立つ。

(母さん!)

遠くても一目で分かった。逃げ遅れたのだ。女たちは村長の館の壁に沿って並ばせられた。

(ああ、どうしよう。母さんが、母さんが…)

賊に捕らえられた者は動物のように奴隷として売られてしまう。

(母さんが連れてゆかれてしまう!)

村の外に数台の馬車が留め置かれているのはその運搬のためだ。それが分かってもアシュラは何も出来なかった。

(母さんが…)

アシュラは無力だった。手を揉みしだき立ち尽くす。全き者だと呼ばれても精霊が見えるだけで、アシュラにそれを使役する事など出来ない。

(母さんが……)

今この時に神素など何の役にも立たないのだ。神素に恵まれていても、精霊が母とその家族をモルダから守らなかったように、何も。震えながら成り行きを見守る事しか出来なかった。呻き声がもれる。何故この時に役に立たぬのだ。ああ、どうしよう…。

(神素なんか)

己を詰って、気付いた。何もできないのはアシュラであって、世の中には精霊を使役する者も居るのだ。

(…シュウレ!)

シュウレならば母を助けてくれるかもしれないと思った。そうだ。シュウレはアシュラと同じく精霊が見えていた。当たり前だ。

(王都の神官見習いだもの)

それも大巡検に役を担うほどの者である。風の技を身に付けているに違いないと思った。何も賊と戦ってくれずとも良いのだ。捉えられている村人の、母の戒めを解いてくれるだけで良いのだ。

だがシュウレに助けを求めるためには

(神域に入らねばならない)

大巫女の禁を破らねばシュウレに会うことは出来なかった。守袋を取り出して眺めた。アシュラが身につけることの出来なかった晴れ着の組紐を綴りあわせて作った守袋だった。矢車菊が踊る。

(母さん……)

ようやく受けられた環だった。王都で身を立てるための推状がもらえる事は万に一つもない。蔑みに満ちたこの村から出てゆける道。二度も手の届く幸運ではないとアシュラも知っていた。なにより母がそれを喜ばぬのは分かっていた。

(だけど…)

思った。母がおらぬのに巫女になってどうするのだ。それを喜んでくれる母がおらぬのに。

(母さん!)

司祭が財を抱えて神域へ駆け行くのが見えた。猶予はあまりない。

(…大巫女様、ごめんなさい)

大路へは出ずに森を目指す。アシュラは駆けて駆けて森へ飛び込んだ。慌てるあまり何度も躓き、薮に引っかかれ、それでも気にせず走った。蹴散らした茂みから身を潜めている者の押し殺した叫びがあがる。アシュラが禁を破って神域の森へ再び入ってきたことにも驚いたろう。だが、賊が攻め入る異常な事態にそれも止むなしと思ったか、声をかける者は居ない。アシュラは森を走りぬけ神籠石の前に飛び出した。

「アシュラ!」

声を上げたのはニレだった。他にも数人の大人子供がいた。

「大巫女の禁を破ったか!」

悲鳴のような声だった。ニレに構わず神籠石に取り付いた。

「シュウレ!シュウレ」

名を呼ばわる。

「シュウレ!」

この辺りに居るはずだった。神事の後始末をしていた筈のシュウレが神域を離れよう筈がない。

「シュウレ…」

森が鳴った。神籠石の裏手からシュウレが姿を表した。会わなかったのは少しの間なのに懐かしい姿。込み上げる物を後回しにして叫んだ。

「村に賊が」

神域に入る事を禁じられていたアシュラを見てもシュウレは動じていないようだった。状況は知っているらしい。頷く。

「お願い。母さんを助けて」

アシュラの頬を涙が伝った。泣かないと決めていたのにこぼれる涙が不思議でならない。だが、みっともなくてもよかった。憐れまれてもよかった。母を助けてもらえるならば、神素も推状もこの命さえ、全て要らない。

「お願い」

目の前に立つシュウレに縋ろうとした手が

「!」

シュウレの身体を通り抜けて神籠石の肌にぶつかった。アシュラは言葉を失った。

「汝は吾を都の神官だと思っていたのだろう?」

シュウレは悲しく笑った。肩を触れ合わせた事も、手を握った事もなかった。驚くほど軽い身のこなしも、いつも気配もなく現れることも、神域の外に出ぬことも、アシュラ以外の者とは話さぬことも。アシュラはようやくそれを知った。

「シュウレ…」

シュウレは神籠石に封ぜられたピレの風だったのだ。

「あのままで居たかったのだがな」

普通の子供同士のように友達で居たかった。アシュラは村で貶められる身であることを、シュウレは精霊である事をお互いに知られずに居たかった。

「…私もだ」

まさかお互いに秘密を抱えていようとは。苦い驚きを抱えて見詰め合う。もう元には戻れない。あの時間は流れすぎて、アシュラもシュウレも自分自身を曝しあってしまった。いまや流れは逆巻く渦に姿を変えて、二人を急かしている。ピレの風は厳かに告げた。

「我が友よ、汝の願い聞き入れよう」

ごうと風が音を立てて神域の森を揺らした。

「ヌンの娘、この剣を抜け」

それは神籠石からピレの風を解き放つことを意味していた。シュウレが神域の外にまでその力を及ぼすにはそれが必要だった。大巫女がアシュラに課した禁はそのためのものだったのだ。水の全き者のアシュラが誤ってもピレの風を解き放たぬように。

「何をしているか!」

司祭だった。抱え込んだ財を下ろす事も出来ずにアシュラを怒鳴りつけた。

「禁を破って神域に入ったお前は巫女にもなれぬわ。どうせ館の下働きであったろうがな」

アシュラを嘲る。司祭だけでなく、神域に逃げ込んだ村人たちが一人また一人と現れた。全き者と宣されたアシュラが何をしているのか見に来たのだ。

(この者たちは何も出来ない)

そう思った。流れの中でもがくアシュラに手を差し出したのはこれまでにたった一人。シュウレだけだった。

(精霊は願いを聞き入れた)

雨の剣の柄に手をかける。しっとりと手になじんだ。後の事など考えなかった。今、母を助けなければ後などないのと同じだ。

「シュウレ」

自分の声が遠のく。世界にはアシュラと雨の剣しかなくなった。柄に加わっていた力が薄れてゆく。あの時と同じ。だが、今度は途中で止める事はなかった。願う。片足を踏ん張って身を捩った瞬間、

ずるりと剣が抜けた。

声にならぬ叫びを上げてアシュラは地に倒れる。宙に散った砕けた小石が雨と振り人々は小さな悲鳴を上げた。がばと神籠石を振り返れば柄があった場所が砕け散り、岩に大きな亀裂が入っているではないか。

「ああ、ああ、ああ…」

司祭がうろたえる。

「何と言うことをしてくれたのだ。何という事を!」

突風が吹き荒れた。

「ははははははははははははははははははは!」

天から雷のような笑い声が降り注いだ。神素の優劣など越えて全ての者の耳を劈く。人々は怯え惑った。アシュラの手には雨の剣が握られていた。かつてその存在を疑った剣は錆もせず、雲が沸き立つような気を放っている。その長大な刃は今、天に曝された。雨の剣。ヌンの恵みによりて鍛え上げられた厚く重いそれをアシュラは持ち上げる事ができなかった。

「シュウレ」

泣き声をあげる。

「手を貸そう」

途端に剣が軽くなる。大気が剣の重みを支えている。シュウレの姿は掻き消えて

「アシュラよ」

その自由なる声は天から降った。

「雨の剣持ちて吾を導け」

アシュラは跳ね起きた。


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