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 逃げる気はなかったが、男らはアシュラの二の腕を捻りあげて離さなかった。痛みに従って参道を引きずられて行く。月は雲に隠れていた。調べも音声もない夜の海のような闇を歩いた。怖ろしさよりも母の事が気掛かりでならない。アシュラの姿が参道に見えると人々は静まり返った。アシュラを待つ間、宴は始らぬままだったらしい。その人々の中を探す。

(母さん)

あれからまた暴れたのだろう、母は村人の輪から遠ざけられ、取り押さえられていた。自分の腕の痛みなどよりもアシュラは母の痛みに呻いた。母を辱めぬためならば、受けなくともいいと思った環だった。それなのに、アシュラは環も受けられぬまま母を苦しめていた。母娘が罪人として衆目に曝されているのをシュウレも見ている筈だ。失う物などなかったのに、まだこんなにも苦しいのが不思議だった。アシュラは神籠石の前に引き据えられた。うな垂れたまま跪く。巫女たちがざわめいた。腰を浮かせている者まで居た。

「お、大巫女様!」

それを大巫女が手で制した。先手を打って罰を与えてあった事を誇るように司祭が告げる。

「これがモルダの子であります」

アシュラが戻るまでの間、司祭はアシュラがどれほど罪深い命であるかを語ったのだろう。

「その者であるようだな」

大巫女が頷いた。まだ頭が高いと、アシュラが下げた頭は地面にこすり付けられた。砂を食う。またも巫女らがざわめいた。アシュラにとってこれは日常だが、こんな野蛮さは普段巫女たちの目に触れるものではないのだろう。

「放せ」

大巫女の命に男らはアシュラを突き放した。アシュラは両の手をつき這いつくばった。下される罰がどのような物であっても、何の感慨も沸かぬだろう。月が自らを喰らう姿を曝されているように、この姿を母とシュウレに見られている事だけが悲しかった。大巫女がアシュラに近づいた。アシュラの肩を上向かせ、土に塗れた顔を絹の袖で拭った。

(汚れてしまう!)

あまりにも恐れ多い。アシュラは打ち据えられるよりも怯えた。

「年は幾つだ?」

直答せよと言うらしい。恐る恐る答えた。

「…今年環を迎えました」

「環の列におらなんだが?」

「…神籠石に触れた罰です」

これは尋問なのだろうか。それにしては大巫女の口調は穏やかで、次の言葉の意外さにアシュラは虚をつかれた。

「ピレの風に惑わされたそうだの」

ピレの風、シュウレのことだ。惑わされたとは即ち、アシュラがシュウレの「触れてみよ」との言にに従ってしまったことを言っているのだろう。つまりは

(シュウレは私を庇ったのだ…)

アシュラは聞いていないところでシュウレがそう言ったに違いない。もはや痛まぬだろうと思っていた胸が痛んだ。そしてもうそれだけで十分だった。

「あの人は、シュウレは悪くないのです。私が」

アシュラは真実己を悔いて目を閉じた。司祭が怒った。

「嘘までつくか!この者一人の仕業でございますよ!」

大巫女は司祭を訝しげに眺めた。あの時、アシュラと共にシュウレが居たのは司祭にはばれていないらしい。それはアシュラにも都合がよかった。アシュラは額を土にこすり付けて言い募った。

「どうか私に罰を」

シュウレと母にアシュラができる事はそれだけしかなかった。願わくばこの苦しみを全て終わりにする罰を自分に。大巫女は長くアシュラを眺めていた。

「この者には如何な罰を?」

促す司祭に大巫女がようやく口を開いた。

「お前は我らへの同行を許す」

アシュラはゆっくりとその目を開いた。アシュラは罰の内容を理解できなかったのだ。大巫女の言を頭の中で繰り返して考える。アシュラのした事を王都で裁くというのだろうか。いや、罰を下すのに「同行」はあるまい。それも強制ではなく、「許す」許可である。何か妙だった。いぶかしんだのは皆も同じで村の者らはひそひそと顔を見合わせている。

(それは…罰なのか?)

どう考えてもこれは罰ではない。皆の疑問に答えるように大巫女は告げた。

「罰などない。水の全き者よ」

物音一つたたぬのは誰もそれを予想していなかったからだ。

(罰せられない?)

そして最後の言葉。全き者とは全ての神素が同一の者の謂いである。大巫女はアシュラを「水の全き者」と呼んだ。

(ま、まさか)

アシュラは口を開けたままの間の抜けた顔で、正面から大巫女の顔を眺めるという不敬を働いた。だが、今度は誰もそれを咎めようとしなかった。呆気に取られているのはアシュラだけではない。全ての者が今耳にしたものを信じられずに居た。

「お前の最後の神素は水である」

瞬きも忘れてアシュラはその場に凍りついている。

(環…)

今、アシュラは神素を判じてもらったのだ。これは断罪の場などではなかった。

「如何にもこれはお前の環である」

判じられた神素は水と水と水と水。水の全き者。霊験あらたかなこの大巫女は神代にしか聞かぬそれがアシュラだと言う。先程とは違う震えが這い上がってきた。

(ほ、本当に…?)

これまでの一々が符合してゆく。都から来た巫女たちにはアシュラの姿が見えた時からそれが分かってざわめいたのだ。シュウレもまたアシュラを水の娘と呼んだ。村の司祭がそれに気付かなかったのはモルダへの憎悪と老いのため…。

(ああ…)

どよめいた。村の者たちは口々に怒鳴りあい、今耳にしたものを確かめ合っている。

「水の館に恩を売るのも悪くない」

同行を許すとはこのまま巫女らと都へ赴き、巫女になる事だったのだ。

「こ、これはモルダでございますよ!」

司祭が悲鳴のような声を上げる。年かさの巫女が怒鳴った。「物の見えぬ司祭は要らぬわ」司祭が鼻白んだ。アシュラは呆気に取られたまま母の姿を探した。

母は人垣の向こうに立ち尽くしていた。

母の髪はほつれ、アシュラ以上に顔も服も土に塗れていた。美しいその頬には大きな掠り傷。一着しかないスカートは足が露になるほど裂けていて村の男供と組み合った母がどれほど暴れたのか分かった。

「母さん…」

母が頷く。母娘の中を苦しく悲しかった年月が流れてゆく。一生に一度の晴れの場で娘は肩布も付けず引き据えられたまま、母もまたこれ以上ない程みすぼらしい姿を曝して、お互いを見つめた。アシュラの捻られた腕は下手をすると折れているかもしれない。母の頬の傷は暫く残っているだろう。それでも、

母はこの世で一番美しい笑顔を浮かべていた。

(母さん…)

母の姿が滲む。澱みの中を漂うばかりの時もその先を見ていた母だった。当の娘が己を疑っても「いつか」を信じ続けた母だった。

(母さんが正しかった)

胸を熱が満たしてゆく。流れは唐突に優しさを増して、その先を目指していた。アシュラは思った。

(これは私の成し遂げた事じゃない)

そのように世界を動かしたのは母だ。母の祈りを世界が聞き届けたのだ。

(見てよ、シュウレ)

これをどこかで見ているシュウレに語りかけた。込み上げる誇らしさは自らに下された神素にではない。

(これが私の母さんなんだ)

アシュラは何よりこの母を誇った。


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