ヨウコとローハン、テニスをする
キッチン ヨウコとサエキが話しているところに、ローハンがテニスラケットを抱えて入ってくる。
「ねえ、ヨウコ。テニスしようよ。運動不足だろ?」
「やらない」
「どうしてだよ? せっかくコートを作ったのに、ほとんど使ってないじゃないか」
「丘の斜面にコートを作ったのはどこの間抜けよ? 打ちにくいったらありゃしない。リュウとやりなよ」
「だって、うちの敷地には斜面しかないだろ? リュウは勤務中だって言って遊んでくれないんだよ」
「あの子、真面目よねえ」
「じゃあ、平らなコート、借りる?」
「公園の無料のとこならいいけど。アーヤはどうするの?」
サエキが声をかける。
「俺がみといてやるから行っておいで」
「でも、お天気がいいから順番待ちが凄そうよ。待ってる間に日焼けしちゃうよ」
サエキが笑う。
「じゃ、キースに頼んでやるよ。そこのスポーツクラブなら、いつでも予約取ってくれるって言ってたからさ」
「キースとローハンがゴルフしたところ? めちゃくちゃ高そうじゃない?」
「ついでに料金も払ってもらいな。あいつ、金の使い道に困ってるんだからさ」
「頼りになるなあ」
ローハン、むくれる。
「頼りにならなくて悪かったな」
「いいよ。慣れてるから」
ローハン、助けを求めてサエキを見る。
「ちょっと、サエキさん、なんか言ってやってよ」
「やっぱ、コネのある男ってカッコいいよな」
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ローハンとヨウコがウーフを連れてスポーツクラブの門をくぐると、待ち構えていた男性が話しかけてくる。
「ジョーンズ様ご夫妻ですか?」
「そうだけど」
「わたくし、当スポーツクラブの支配人をしておりますウィリアムズと申します。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
ヨウコ、入り口の横に張ってある注意書きに目を留める。
「あれ、ペットは連れて入っちゃいけないんだ」
「いえ、お気になさらないでください」
「ほんとに? えらくサービスがいいのね」
ローハン、笑う。
「キースに脅されたんだろ。かわいそうに」
支配人、ヨウコ達をテニスコートに案内する。
「こちらのコートでよろしいでしょうか?」
「うわあ、きれいなコートね。何時まで使っていいの?」
「終日貸切にしてありますので、お好きなだけどうぞ」
ローハン、笑う。
「そりゃいいや」
「私、30分ももたないと思うけど?」
「それではごゆっくりどうぞ。御用がありましたら、そちらのインターホンでいつでもお呼びください」
支配人が出て行くと、ヨウコとローハンがラケットを持ってコートに出る。ヨウコ、ウーフに声をかける。
「ウーフ、球拾い、お願いね」
ローハン、呆れた顔をする。
「ここなら球拾いなんていらないだろ? フェンスがあるじゃないか」
「フェンスを越えたら拾ってきてよ」
「もう、へたくそなんだから」
ローハンが打った球をヨウコが返す。
「ヨウコ、うまくなったんじゃない?」
「やっぱり平らなコートは違うわね」
ヨウコがもう一度打ち返すと、ボールがフェンスを越える。
「そうでもないか」
ウーフ、立ち上がってボールを拾いに出て行く。
「ボールならたくさんあるから、後でまとめて拾えばいいよ」
「暇なんだから拾ってきてもらえばいいじゃない。次、打ってよ」
ボールをくわえて戻ってきたウーフの後から、高級そうなテニスウェアに身を包んだ男女が入ってくる。男がヨウコに声をかける。
「ちょっといいかな?」
「なんですか?」
「君たちの犬が彼女を脅かしたんだよ」
「え? ウーフ、何かしたの?」
ウーフが口を開こうとするが、ヨウコが慌てて合図して止める。ウーフ、恨めしそうに首を横に振る。
「何もしてないって言ってるけど? この子はボールを拾いに行っただけでしょ?」
「こんな汚い牧羊犬が急に出てきちゃ、誰だって驚くだろ。連れてこられちゃ迷惑だ。ペットは禁止だって知らないのか?」
ヨウコ、ムッとする。
「人の犬捕まえて汚いなんて、あんた、いくらなんでも失礼じゃないの?」
ローハンがコートの反対側から駆け寄ってくる。
「ヨウコ、どうしたの? この人達、誰?」
男、ローハンをじろじろと見る。
「犬も汚なきゃ女の趣味も悪いんだな。田舎のモデルが田舎のクラブの会員になって、いい気でいるんだろ?」
「俺、会員じゃないよ」
「そういう問題じゃないでしょ?」
支配人が慌てて走ってくる。
「何かございましたか?」
男がじろりと支配人を睨む。
「俺たち、こっちのコートを予約してたんだけど? どうしてこんな奴らが使ってるの?」
「申し訳ございませんが、やむを得ない事情がありまして……」
ローハンが口を挟む。
「だからってヨウコに絡むことないだろ? コートぐらい言ってくれりゃ替わってやったのに」
ヨウコ、男を睨む。
「ローハン、女の趣味が悪いとまで言われてんのよ。なんか言ってやってよ」
「そうだなあ……」
ローハン、無邪気な笑顔を浮かべる。
「ねえ、君、テニスは上手なの? ずいぶんと高そうなラケットを持ってるよね」
支配人が慌てて割って入る。
「そ、それは……」
男が支配人を押しのけて前に出る。
「もの凄くね」
「もしかして、田舎のモデルなんかに負けたら、プライドが傷つくぐらいの腕はあるのかな?」
「そんな事になったら、恥ずかしくて死んじゃうかもな」
「じゃ、俺とシングルで試合して。おじさん、審判お願いね」
「で、でも……」
ヨウコ、支配人の袖をひっぱる。
「いいから。あなたには絶対に迷惑かけないって約束するわ」
ヨウコ、ローハンにキスすると意地悪く笑う。
「ローハン、手加減なしでやっちまいな」
「おう」
男が鼻で笑う。
「よほど自信があるんだな。そのラケット、どこのブランド? 見たことないよ」
「ガレージセールで買ったからわかんないや。メイドインチャイナって書いてあるよ。格好いいだろ?」
「ジャージ着てるのは、もしかしてテニスウェアなんて持ってないからとか言うなよな」
「よくわかったね。平らなコートでテニスするの、今年は初めてなんだ」
ヨウコが笑顔でローハンに話しかける。
「ほら、しゃべってないで始めようよ。その人、自信ありげだし、先にサーブを打たせてあげたら?」
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その日の午後 キッチンでヨウコとローハンとサエキが話している。
「エンリコ・ライヒマンにストレート勝ちか」
「テニスの試合なんて何年も見てないから、まさかプロだなんて知らなかったのよ。愛人とニュージーランド旅行に来てたらしいわ」
「おじさん、驚いてたね」
「そりゃそうでしょ。あの男、昨年は世界ランキング三位だったんだってよ。ローハン、格好良すぎ」
「惚れ直した?」
「ローハンが最初のサーブを返したときのあいつの顔、サエキさんに見せてあげたいな」
「記録なら残してあるよ。見る?」
サエキが笑う。
「生身の人間の反射神経じゃ、どうあがいてもローハンには勝てないよ。キースが、よくやった、だってさ。クラブの防犯カメラを使っていい位置で見れたらしい」
ローハン、むくれる。
「なんだよ。偉そうに」
「そういや、さすがのローハンも、キースが相手だと最初のセットは絶対に落とすわよね」
「そんなの今、思い出さなくてもいいだろ? どうせ残りは俺が取るんだよ」
「キースはさ、テニスの腕はローハンより上なんだけど、身体の方は人間と変わらないもんだから持久力がないんだ。ローハンはかなり補強されてるからな」
「サエキさんの説明ってほんとにわかりやすいわね。帰りがけにウーフがあの男に向かって『ざまあみろ』って言ったんだ。笑っちゃった」
「ええ? また一般人に話しかけたの? 何度言ったらわかるんだよ」
ウーフ、不機嫌そうにサエキを見上げる。
「俺のこと、汚いって言ったんだぞ。風呂に入ったところなのに」
ヨウコが笑う。
「まあ今回だけは許してあげようよ。こんなに気分のいいことってあんまりないんだからさ」
サエキがにやりとする。
「キースがさ、さっきの試合の動画をネット中の動画サイトへ流しといたって。画像をエンハンスしたから、エンリコ本人だって丸分かりらしい」
「そりゃ面白いわ。ローハンは誰だかわかんないようにしてあるわよね」
「謎の天才テニスプレイヤーだな」
「でも、そこまでキースがやらなくてもいいんじゃないの? 馬鹿にされたのは私達なんだしさ」
「自分の友達を侮辱する奴は許せないんだろうな」
ローハン、苦笑いする。
「友達ねえ。ほんと、キースって友達思いだよな。熱い友情に涙が出そうだよ」




