恐竜が来た
一週間後 キッチン ヨウコが皿を洗っている。後ろの物音に気づいて振り返ると、ヨウコの背ぐらいある二本足の肉食恐竜が部屋の入口に立っている。
「うわあ!」
恐竜、首を傾げるとヨウコに向かって歩き出す。ヨウコ、慌ててアーヤを抱き上げると、壁際まで下がる。
「なんでこんなものがいるのよ? ちょ、ちょっと来ないでよ」
ヨウコの前まで来ると、恐竜が口を開く。
「ぎゃあ、噛まないで!」
恐竜がのんびりした口調でヨウコに話しかける。
「あの、サエキさんはどちらでしょうか?」
「……は、はあ?」
「こちらだと聞いて来たのですが」
ローハンが入ってくる。
「スズキさん、こっちにいたの? サエキさんは自分の部屋にいるよ」
「ああ、ローハン、この人を驚かしちゃったみたいだよ。やっぱり知らない男が急に入ってきたら驚くよね。すみませんでした」
恐竜(以下スズキ)、ぺこりと頭を下げる。
「スズキさん、これはヨウコ。俺の奥さんなんだ。この子は俺の娘のアーヤだよ」
「ああ、こちらがヨウコさんですか。初めまして。かわいいお子さんですねえ」
「ローハン、気をつけて。アーヤを食べちゃうかも」
サエキが入ってくる。
「おう、スズキ。遅かったな。それ、なかなかいいじゃないか」
「でしょ? 尻尾が邪魔ですけどね。昨日はテーブルの上のモノ、全部なぎ倒してかみさんに叱られました」
「……この人、サエキさんのお友達?」
「うん。今度のコンベンションで一緒にコスプレするんだ。今日は打ち合わせに来てくれたんだよ」
「それじゃこの人、人なのね」
「……人だけど。なんだと思ったの?」
「恐竜のコスプレしてるつもりなんだ。身体を丸ごと換えるのもコスプレって言うの?」
「マリリーナちゃんの相棒の恐竜なんです。本番までに慣れておかないといけないんで、一昨日からレンタルしてるんですよ。動きやすいんですけど、視野が広いので落ち着きませんね」
「マリリーナちゃん?」
サエキが割って入る。
「ああ、それはな……」
ヨウコ、慌ててさえぎる。
「説明しなくていいです。サエキさんもいい歳してコスプレなんてやってるの? 一体どんな格好するわけ?」
「俺たちは21世紀のアニメキャラクター専門だな。高尚な趣味なんだぞ。ヨウコちゃんの時代だって、お祭りで公家の格好したりするだろ?」
「それとは全然違うと思うんだけど」
サエキ、ポケットに手を入れて封筒を取り出す。
「ほら、これ、去年の写真だよ。見たい?」
「サエキさん、写真をプリントしてるんですか?」
「うん、こういう平面の写真が好きなんだ。頭の中で立体で鑑賞なんて俺には無理だからな」
サエキ、ヨウコに写真を手渡す。
「……こ、これ、サエキさん?」
「美少女戦士達を苦しめる美形悪役なんだ。おいしい役だろ」
「元ネタ知らないけどそれでも本物みたいだわ」
「カッコいいかも、って一瞬思ったな」
「思ってないわよ」
サエキ、にんまり笑う。
「いいや、思ったよ」
「しまった、サエキさん、エンパスだったか」
「今のはわかりやすかったぞ」
「ああ、サエキさんごときに一瞬でも目を奪われた自分が情けないわ」
「声に出して言うなよ」
スズキも首を伸ばして写真を見る。
「サエキさん、毎年カッコいいんで人気者なんですよ。僕は一昨年のが好きでしたね。軍服姿が最高でした」
「……写真ある?」
「ヨウコちゃん、見たいわけ?」
「ちょっとね」
ローハン、むくれる。
「もう、節操ないなあ。こんないい男がここにいるってのにさ。そうだ、俺もコスプレに参加してやろうか」
「駄目よ。この人たちの仲間になることだけは絶対に許さないからね」
サエキ、スズキの方を向く。
「でも、よくそんな格好でこっちに来る許可が取れたな」
「ガムランは笑ってましたよ」
「誰かに見られたらどうする気なのよ?」
「そういえば丘を登ってくるとき、道路の向かい側からおばあちゃんが見てましたね」
「ええ?」
「会釈したら手を振ってくれたので、ここの関係者かと思ってました」
「クリスばあちゃんね……」
「ほんと、何者なんだろうな、あのばあちゃん」
ヨウコ、スズキを見上げる。
「スズキさん、ちょっと触ってみてもいい?」
「いいですよ。黙ってれば本物と見分けがつかないでしょ?」
「本物は見たことないからわかんないわ」
ヨウコ、スズキの体をぺたぺた触る。
「ヨウコさん、お腹なんて触っちゃくすぐったいですよ」
「男の身体なんて触るなよ。それも裸だよ。いやらしいんだから」
「裸って言っても恐竜じゃない。スズキさん、ルークが戻ってくるまでいてちょうだいね。あの子、恐竜、大好きだから見せてあげたいの。……ねえ、背中に乗ってみてもいい?」
「どうぞどうぞ。どうせマリリーナちゃんを乗せなきゃなりませんからいい練習になります」
「やったあ」
ヨウコ、スズキの背中によじ登る。
「ヨウコ、はしゃぎすぎだよ」
「小さい頃から恐竜に乗るのが夢だったのよ。スズキさん、重くない?」
「マリリーナちゃん役の女の子はボディが金属製なんで、ヨウコさんよりずっと重いんです。平気ですよ」
「なんでボディが金属製なの?」
「単に好みの問題ですね。磁場が感じられるのがなんとも気持ちいいんだそうですよ。僕は試してみたいとは思いませんけどね」
「あ、ほら、一昨年の写真もあったぞ。見る?」
サエキ、スズキの背中の上のヨウコに写真を手渡す。
「見る見る。うひゃ、これは凄いわ。カッコいいって認めてあげるから、これからこの格好で暮らしなさいよ」
「やだよ。軍服なんて窮屈なだけだろ?」
「ちょっと、この隣に写ってる人、誰? サエキさんよりカッコいいんだけど。人柄もよさそうだしめちゃめちゃタイプだわ」
スズキ、首を曲げて写真を覗きこむ。
「それ、僕ですけど」
「はあ?」
「そんなに褒めてもらうと嬉しいなあ。その衣装、資料が少なかったんで作るのに苦労したんですよ」
赤くなったヨウコを見て、ローハンが笑う。
「ほーら見ろ。恥かいちゃってみっともない」
「……こっちも触りたいなあ」
「ええ?」
「じゃ、身体を交換したらまた遊びに来ますよ」
「そうしてくれる?」
「ちょっと、ヨウコ」
「冗談に決まってるでしょ? またそんな顔しちゃってかわいいんだから」
サエキがにやりとする。
「今のは冗談じゃなかったぞ」
「冗談だってば。サエキさん、変な言いがかりはやめてよね」
「だって、ヨウコちゃん……」
ヨウコ、スズキの頭をつかむと、無理やりサエキの方に向ける。
「ほら、スズキさん、そこの鬱陶しいエンパス、食べちゃって」
「ヨウコさん、それは無茶というものです」




