前世の約束
同日の晩 キッチンでヨウコが片付けをしているところにローハンが入ってくる。
「ヨウコ、手伝おうか?」
「ううん、もう終わるからいいわよ。ローハン、どうかしたの? 私が戻ってきてからずっとおかしな目で見てるでしょ? まさかキースに妬いてるの?」
ローハン、後ろからヨウコを抱きしめる。
「そんなんじゃないよ」
「変なローハン。どうしちゃったのよ」
「何があっても俺はヨウコを裏切ったりしないからね」
「わかってるってば」
ヨウコ、笑う。
「そうか、トニーに何か聞かされたのね」
「なんにも聞いてないよ」
「ヨウコには秘密だって言われたんでしょ? あんたが嘘ついてもすぐにわかるわよ。何を聞いたの?」
「うん……」
「教えなさいよ。トニーには言わないから」
「ナオキと別れた後、悪い男にひっかかったって話だよ」
「ああ、あれか。もう昔の話でしょ。気にすることないよ」
「そんなはずないだろ?」
「そりゃ、思い出したら涙が出るほど悔しいけどさ。でも今は幸せだからね。いつまでもくよくよしてたら、大切な時間がもったいないでしょ?」
「ねえ、ヨウコ。あいつらね、キースが捕まえてくれたんだよ。今はオーストラリアで刑務所に入ってる。ヨウコにお湯かけられた跡も残ってるってさ」
「そう……なんだ」
ヨウコ、ぺたんと椅子に座る。
「大丈夫?」
「……なんだかやっと胸のつかえが取れた気がする。ありがとう、教えてくれて」
ローハン、ヨウコの隣に腰を下ろす。
「ねえ、あの後、ヨウコ、失踪したんだろ? どこに行ってたの?」
「ええ? そんなことも聞いたの?」
「教えたくなきゃいいけど……」
「ううん、ローハンになら話してあげる。あの日は岬まで海を見に行ってたのよ。小雨の中、崖っぷちに立ってずっと海面を見下ろしてたの。そしたら男の人が近づいてきてね、私に『生きてた方がいいと思うよ』って言ったのよ」
「……死ぬ気……だったの?」
「ううん。別に死のうと思ってたわけじゃないんだけどね。でも、飛び降りちゃってもおかしくない精神状態だったわね」
「その人は誰だったの?」
「知らないわ。聞かなかったし。駐車場には他に車はなかったし、ウォーキングするような天気でもなかったから、どこから現れたのかさっぱりわかんないの。でも、なかなか格好よかったのよ」
「格好いい男に会ったから元気になったの?」
「まさか。でも、なんだかとても不思議な出来事だったからね、人生まだまだ楽しいことがありそうだ、って気がしたの。それからすぐに『じいさん』に会ったから、予感は当たってたってことかな」
「ふうん。ねえ、ヨウコ。俺に出会うまでキースはヨウコの心の支えだったの?」
「そんな大げさなもんじゃないわよ。でも、希望はくれたわね。キースを見てたら嫌な事全部忘れられたし」
「じゃあ、俺も少しはキースに感謝しなくっちゃね」
「あら、ずいぶん寛大になったのね」
ローハン、ヨウコを抱き寄せる。
「今度生まれ変わったらね、俺がヨウコの最初の男になるよ。最初から最後までずっとヨウコのそばにいる。だからもう誰にもヨウコを傷つけさせやしないよ」
「またこのロボット、生まれ変わりだなんて言ってるわ。そんな守れるかどうかもわからない約束しても仕方ないでしょ? 第一、今世もまだ終わっちゃいないっていうのにさ」
「それもそうだね」
「……もしかしたらあんた、前世でも同じ約束したんじゃないの?」
「ええ?」
「あんたがさっさと私を見つけないもんだから、散々ひどい目にあったじゃない。どうしてくれるのよ?」
「ご、ごめん、ヨウコ」
ヨウコ、笑い出す。
「そんなはずないでしょ? ほんと単純なんだから」
「今の、冗談?」
「当たり前でしょ?」
「ひどいよ」
ヨウコ、ローハンの首に腕を回してぎゅっと抱きしめる。
「ローハン、大好き。もし生まれ変わりなんてものがあるんだったら、今度は私が見つけてあげるわ。だからもう、おかしな心配するのはやめなさいよね」
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翌日の昼前 ヨウコが居間のソファの上で眠っている。キースが入ってくるとヨウコに声をかける。
「ヨウコさん? 寝てるの」
キース、ヨウコに近づいて顔を覗き込む。
「もう行くね。次はニューヨークなんだ」
キース、かがんでヨウコにそっとキスすると、耳元で何かをささやく。そのまま部屋を出て、廊下の壁にもたれて立っているローハンに声をかける。
「ありがとう」
「何で俺が礼を言われなくっちゃならないんだよ?」
「じゃあね。飛行機の時間なんだ」
キースが足早に出ていくと、ローハンがつぶやく。
「飛行機の時間なんて、自分の都合で変えちゃうくせに」
ローハン、部屋に入るとヨウコをそっと揺さぶる。
「ヨウコ、こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ。ちゃんとベッドで寝なよ」
ヨウコが目を開ける。
「……ローハン?」
「なんでこんな時間に寝てるんだよ?」
「寝不足なのよ。昨日、どこかのロボットが離してくれなかったから」
赤くなったローハンを見て、ヨウコが微笑む。
「今、キースの夢、見てたわ」
「そういうのは夫には言わなくていいよ」
「キースに『愛してる』って言われちゃった。いつもの無感情な声で」
「ますます俺に言わなくていいだろ?」
「いいじゃない。ありえないんだし。最近、ローハンが冷たいから欲求不満なんだわ」
「俺、ヨウコに冷たかったの? そんなつもりはなかったんだけどな。気づかなかったよ。ごめんね」
「昨夜の後に欲求不満になるわけないでしょ? バーカ」
「なんだよ。もう」
ローハン、いきなりヨウコを抱き上げる。
「ちょっと、何すんのよ?」
「ベッドに連れてくの。キースの夢なんか見ないように俺が隣で寝てやるよ」




