平穏な午後
居間 サエキが新聞を読んでいるところにキースが入ってくる。サエキが顔をあげて怪訝な表情を浮かべる。
「あれ、今週はロンドンじゃなかったのか? ミュージカルはどうなった?」
「まだ撮影中ですよ。次はアメリカに舞台が移るんですけど、五日ほど空きが出来たんで抜けて来ました。週明けには戻りますけどね」
「そんなにここに入り浸ってていいのか? 他の仕事も入ってるんだろ?」
「最近、仕事を減らしてるっていったでしょ。こんなに稼いでも使い道ないし、寄付もやりすぎれば偽善者扱いされる世の中ですよ」
「南の島に別荘でも買おうよ。みんなで遊びに行けるだろ」
「それ、いいですね。世界中に何軒か買いましょうか」
ヨウコが入ってくる。
「キース! 来てたんだ。来るんなら連絡くれたらいいのに」
「驚かせようと思って突然来ちゃったんだ」
「今日も格好いいなあ。こっち向いて見せて。ストールの使い方、絶妙よね」
「一昨日、イギリスのファッション紙のベストドレッサー賞を貰ったんだ。これ、撮影で使った服。気に入ったんでお願いして貰ってきちゃった」
「すごーい。飛行機、長かったのにくしゃくしゃにならなかったのね」
「僕は人間みたいに無駄に動き回らないからね」
キース、ヨウコに近づいてキスする。
「ヨウコさん、元気にしてたの?」
「うん、ローハンもすっかり元通りだしね。コーヒー、入れてくるね。最近のキースはコーヒーの味にもうるさいでしょ。おいしいの入れるよ」
ヨウコが部屋を出て行くと、サエキが冷ややかにキースを見る。
「おい、キース」
「なんですか?」
「なにが、無駄に動き回らない、だ。その服、わざわざ飛行機を降りてから着替えてきたんだろ。ヨウコちゃんに見せようと思って」
「サエキさん、いつもながら鋭いです」
キース、ソファにぐったりと座る。
「いつものクールなキースはどうしたんだ? 大丈夫か?」
「意識してクールに振舞ってるわけじゃないんですよ。所詮、僕はでかい計算機なんです」
「その人を見下したような冷たい態度はわざとかと思ってたけどな」
「この間、ローハンに潜ったときに、彼の記憶を覗いたでしょう。記憶障害を起こしてからの二日半分の記憶なんですけどね……」
「うん」
「あれ、出てくるときにコピーして持ってきたんです」
「どうして?」
「……あとでローハンに渡そうと思ったんですよ。でも、あの時の記憶も一緒に持っていけたみたいだから、必要なくなりました」
「そうだな。ヨウコちゃんが悲しまずにすんでよかったよ」
「でも、それは建前なんです。本当は僕が欲しかったから貰ってきちゃったんです」
「……なぜそれを俺に聞かせる?」
「サエキさんはカウンセラーじゃないですか」
「お前のカウンセラーになった覚えはないぞ」
「じゃ、今、任命します。あとでガムランから正式に通知が行きますんでよろしく」
「仕方ない奴だなあ」
「本当のこと言うと、サエキさんしかこんなこと話せる人はいないんですよ。たまには優しくしてください」
「ローハンの感情が詰まった記憶なんて、お前には刺激が強すぎるんじゃないのか? お前はもともと感情を持つようには設計されてないんだからさ。あまり深いところまで見ないで捨ててしまえよ」
「もう手遅れなんです」
「……馬鹿だなあ」
「今まで馬鹿って呼ばれたことはなかったんですけどね。ヨウコさん以外からは」
「何度も言うけどな、自分とローハンを重ねるのはやめとけ。ヨウコちゃんはお前なんて恋愛対象としては見てないんだから」
「でもヨウコさん、かわいいんですよ。記憶を失くしたローハンを元気付けようと必死になっちゃって。口調は意地悪なんですけど言ってる事は優しいんです」
「ほら、もうやめとけって。むなしくないの?」
キース、サエキの顔を見る。
「……むなしい、という言葉の意味がやっと実感できました」
「相当、きてるなあ。ヨウコちゃんが気づいたら最後、チュウなんてしてもらえなくなるぞ。今は無邪気なファンですんでるからいいんだよ」
「よく分かってます」
ヨウコ、コーヒーを載せたトレイを持って入ってくる。
「私がどうかした?」
「コーヒー、まだかなあ、って言ってたんだ」
「ごめん、エスプレッソマシンの余熱に時間がかかっちゃった。はい、サエキさん」
「ありがとう、ヨウコちゃん。絵まで描いてくれたの? ドクロ?」
ヨウコ、ムッとする。
「それはハッピーフェイスのつもりなんだけど。これでもトニーに習ったのよ」
「僕のは? お尻かな?」
「逆向きだって。ほら、ハートよ、ハート。キース・ラブ」
サエキがぼそっとつぶやく。
「無神経」
「なんか言った?」
ローハンが入ってくる。
「やあ、キース。来月末まで来れないって言ってなかったっけ? ヨウコ、俺のはないの?」
「だってローハン、忙しそうだったからさ」
「ランギが最近不機嫌なんだ。もっと遊んであげないとね」
「それじゃ、今度、乗馬トレッキングでもしようよ。コーヒー、すぐ作るね。リュウも呼んでくれる?」
「俺のには猫、描いてね」
「任しといて」
ヨウコが出て行くと、ローハンがキースに向き直る。
「先日はお世話になったね」
「何、改まったこと言ってるの? 気味が悪いな」
「あの時、キースに頼んだことだけどさ……」
「もうあのことは忘れたほうがいいよ」
「ううん。もし俺に何かあったらヨウコを頼むね」
サエキがローハンを睨む。
「おい、不吉なことを言うんじゃない」
「俺はヨウコを置いてくつもりはないけどね。でも人生、何があるかわかんないし」
「お前の人生、やっと二年半だろ。悟ってんじゃないよ」
「ねえ、キース」
「なに?」
「あの時、俺を助けてくれただろ?」
「うん」
「俺がいなければ、ヨウコを自分のものに出来るのに、って思わなかったの?」
「思ったよ」
サエキ、驚いてキースを見る。
「ええ?」
ローハン、笑う。
「そうか」
「おい、そこで納得するなよ。じゃ、なんでこいつを助けたんだよ?」
キース、無表情でサエキを見る。
「僕はそこまで非情じゃないですよ。僕のこと、機械だとでも思ってるんですか?」
「いや、すまん。……でも機械だろ?」
ルークがアーヤを抱いて入ってくる。アーヤが嬉しそうにキースに向かって手を伸ばすのを見て、サエキが笑う。
「アーヤはキースおじさんが大好きだな」
「俺の娘まで誘惑してもらっちゃ困るんだけどなあ。ほら、アーヤ、おとうさんのところへおいで」
ルーク、アーヤをローハンに渡すと、キースのところに行く。
「ねえ、スーパーコンピュータ、宿題教えてよ」
ローハン、驚いてルークに声をかける。
「俺が教えてやるって言ったろ?」
「おとうさんよりも説明がわかりやすいんだよ」
キースが笑う。
「僕はかまわないよ。ノート、もっておいで」
「そりゃあ、俺じゃ計算機にはかなわないよな」
むくれたローハンを見て、サエキが笑う。
「お前の頭も計算機だろ?」
ルーク、キースの隣に腰を下ろす。
「サエキさんの説明もおとうさんよりわかりやすいよ」
「ええ?」
「でも、おとうさんの方がウーフよりはちょっとだけわかりやすいかな。ウーフは紙に書いて説明できないからね」
「ウーフ? 犬に宿題教えてもらってるの?」
ヨウコが入ってきて、ローハンの前にコーヒーを置く。
「はい、コーヒー。あれ? なにかあったの? 傷ついた顔してるけど」
「なんでもない。今日のは猫に見えるよ」
「昨日のは何に見えたって言うのよ? キース、ルークの勉強みてくれてるんだ。いつもありがとう。おかげで成績いいみたいよ」
「うん、こういうの楽しいよ。あまり子供とは交流する機会がないからね」
「子供って手はかかるけどかわいいでしょ。キースもさあ、これからも人間のフリして暮らすんだったら家庭を持ってみたらどうなの? 子供も作っちゃったらいいじゃない」
サエキ、慌ててヨウコに話しかける。
「あー、ヨウコちゃん、今日の夕食当番って誰だった?」
「サエキさんだけど。さっき何作ろうかって悩んでたところじゃない。ぼけたの?」
ローハンも慌てた様子でサエキに話しかける。
「俺、サエキさんのねぎたっぷりの親子丼がいいな」
「そうか、じゃあそうしよう」
リュウが入ってくると、キースに向かって深々と頭を下げる。
「こんにちは、キース。お元気ですか?」
ローハン、不思議そうにリュウを見る。
「リュウってキースに対してずいぶん頭が低いよな。俺には普通なのに」
「だって、キースはヨウコさんの『チュウ友』なんですよ」
「でも俺はヨウコの『夫』だよ。『チュウ友』よりも格が上だと思わない? チュウよりももっと凄いことしちゃうんだよ」
リュウ、青くなる。
「そ、そういえばそうでしたね。失念しておりました。今までの無礼をお許しください」
「ローハン、リュウをからかうのやめなよ。リュウもローハンには今までどおりに接してくれたらいいからね。わかった?」
ヨウコ、立ち上がる。
「リュウのコーヒーも入れてくるわ。待っててね」
「いえ、結構ですよ。せっかく皆さんでお話されているのに……」
「いいのよ。すぐにできるから。リュウには何を描こうかなあ」
「あのー」
「何? 遠慮せずに言ってよ」
「よろしければローハンのと同じニャンコがいいです」
「今、ニャンコって言った?」
「はい、何かおかしいですか?」
ローハン、笑う。
「リュウはニャンコが好きなんだよ。モギーとも仲いいよな」
「ニャンコねえ」
ヨウコが笑いながら出て行くと、サエキとローハンがキースの方を向く。
「キース、気にするなよ。いつものことだろ?」
宿題をしていたルークがキースを見上げる。
「おかあさん、鈍いんだよ」
「ルーク?」
「スーパーコンピュータはおかあさんが好きなんだろ? 俺からおかあさんに言ってやろうか?」
サエキが慌てて口を挟む。
「あー、ルーク、それは駄目だよ」
「どうしてさ?」
「これはね、世界の運命を変えてしまうほどのトップシークレットなんだ」
「そうか。じゃあ駄目だね」
「そう、絶対にバラしちゃ駄目だぞ。もしバラしたら人類が滅んじゃうかもしれないんだ」
「わかったよ。責任重大なんだね」
リュウが不思議そうにキースの顔を見る。
「お話からするとですね、キースはヨウコさんに好意をお持ちなのですか?」
キース、うなずく。
「うん」
「それはいつ頃からですか?」
「君が派遣されてくるずっと前からだけど」
「……全く気づきませんでした」
サエキが苦笑する。
「ここにももう一人、鈍いのがいるなあ」




