雪の日
しばらくして、キースが部屋の中を覗き、ベッドに座ってうつむいているヨウコに声をかける。
「ヨウコさん、大丈夫?」
「見ないでよ、こんな顔」
「こんな顔って泣き顔のこと?」
「結局、ローハンを失っちゃった気がするの。どうしようもないのは分かってるんだけど……」
キース、隣に座ってヨウコの肩を抱く。
「ローハンに潜った時、あいつの記憶を覗いただろ。たった二日半の短い記憶なんだけどね、あいつ、ヨウコさんと一緒に過ごせてすごく幸せだったんだよ」
「……そっか」
「あいつは後悔なんてしてない。だからそんなに悲しまなくていいよ」
「……うん。ありがとう、キース」
キース、ヨウコの顔を見つめる。
「僕はちょっぴり後悔してるけどね」
「何のこと?」
キース、笑う。
「なんでもないよ」
「……もう、ここでの仕事は終わったのよね? すぐにロスに戻らなきゃいけないんでしょ?」
「飛行機は土曜の朝だよ。次の撮影は来週からなんだ」
「じゃあ、もうちょっとだけ一緒にいてもらってもいい?」
「先に鼻水と涙を拭いてくれたらね。もの凄いことになってるから」
ヨウコ、笑って顔を拭くとキースの肩に頭を乗せる。キース、ヨウコをそっと抱き寄せる。
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三日後の朝 玄関にヨウコとキースが立っている。
「ごめんね、ヨウコさん。ローハンとサエキさんが戻ってくるまでいられればよかったんだけど」
「大事なミュージカルの撮影でしょ? 行ってくれなきゃファンの私が困るわよ。リュウとウーフがついててくれるから心配しないで」
「うん。不安だったらいつでも連絡してよ」
「飛行機の中じゃ電話はできないでしょ?」
「……あのさ、ヨウコさんはいつも僕の本体と直接話をしてるんだよ。もしかして忘れてた?」
「そう言えばそうだったわね。多忙な『キース・グレイ』が、かける度に電話に出てくれるはずないもんね」
「そういうこと。じゃ、行くよ。ローハンの事は心配ないよ。すぐに戻ってくるさ」
「うん、ありがとう」
キース、ヨウコにそっとキスをすると出て行く。ヨウコ、不安そうにキースを見送る。
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同日の午後 ヨウコが電話で話している。
「……うん、まだなの。……大丈夫よ。……わかった、行くわ」
ヨウコが受話器を置くと、そばにいたリュウが声をかける。
「どうされましたか?」
「トニーが家で落ち込んでないで、カフェまで遊びに来いって言うの」
「ご一緒します」
「じゃあ、十分後に出よう。アーヤの支度をしてくるね。今日は寒いからリュウも暖かくしていきなよ」
「ご心配されなくても私の身体でしたら、氷点下18度までは問題ありません」
「だからってそこまで薄着だと、やせ我慢してるおかしな人みたいでしょ? 頼むから人前じゃ普通の人のフリしてよね」
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ベビーカーを押したヨウコとリュウが図書館前の前を歩いている。いつの間にか雪が降り出している。
「あなたも目立つわね。女の子がみんなあなたのこと見てるわよ」
「お恥ずかしい限りです」
「……なんで恥ずかしがるのよ? 格好いいんだからいいじゃない。リュウは彼女、いなかったの? その……軍とか教団にいたときにさ」
「軍にいた頃には数人の女性とお付き合いしておりました。パートナーとしたい女性とは巡り合えず、体だけの関係でしたが」
「24世紀ってそれが普通なのよね。リュウみたいないい男となら、体だけでもいいかなあ」
赤くなったリュウを見て、ヨウコが笑う。
「冗談だってば。かわいいなあ。ローハンみたい」
「ご冗談でしたか。教団に入ってすぐに、身も心もヨウコさんに捧げると誓いを立てましたので、ヨウコさんさえ望まれるのでしたら、いつでも覚悟は出来ております」
「うわ、そんなの覚悟されても困るんだけどなあ。私は天罰下したりしないから、彼女でもセフレでも好きなだけ作ってくれていいのよ」
リュウ、急に立ち止まる。
「ヨウコさん、あそこ」
ヨウコ、リュウの指差した先を見る。
「……ローハン?」
ローハンがトニーのカフェの前にぼんやり立っている。ヨウコ、走り出す。
「ローハン!」
ローハン、ヨウコの方を見るとにっこり笑う。勢いよく駆け寄ったヨウコをローハンが抱きとめる。
「こんなところで何してるのよ? ずっと家で待ってたのよ」
ローハン、ヨウコの顔をじっと見つめる。
「君がヨウコだね」
「……はあ?」
「俺の奥さんなんだろ? すぐにわかったよ」
「ローハン?」
「何?」
「覚えて……ないの?」
「覚えてないって何を?」
ヨウコ、慌てて離れると、唖然とした表情でローハンを見上げる。
「……そんな……」
ローハン、笑顔を浮かべる。
「例えば……ヨウコがこっそり俺のプリンを食べちゃっても、絶対に謝らないとか、自分はパジャマ脱ぎっぱなしのくせに、俺が同じことするとネチネチ嫌味を言うとか、エッチしたくても自分から誘うのが恥ずかしいもんだから、俺が誘うまで待ってるうちに恐ろしく不機嫌になっちゃうとか、そういうことならよーく覚えてるけど」
「……ローハン」
「なあに? ヨウコ」
「あんた、覚えてるんじゃない」
ローハン、笑う。
「うん。覚えてるよ。何もかも全部ね」
「ローハンの馬鹿! びっくりしたでしょ」
「いつもいじめられてるから、仕返ししたくなっちゃったんだよ」
ヨウコ、ローハンを抱きしめる。
「これからはもっともっと意地悪してやるわ」
「ヨウコ、ごめんね。みんなに心配かけちゃったよ」
「ほんとだわ。もう二度と会えないと思ったんだから」
サエキとトニーが笑いながらカフェから出てくる。
「トニーもサエキさんもひどいよ。笑える冗談じゃないでしょ?」
「だって、ヨウコちゃんがローハンに騙されるとこなんて、滅多に見れないだろ?」
「ヨウコったら情けない顔しちゃってさ。ほんと、ローハンがいなきゃ駄目なのね」
「ヨウコちゃん、待たせたね。思ったより時間がかかっちゃった。寂しかっただろ」
「ボディガードにはリュウがついててくれたし、キースも今朝まで一緒にいてくれたから平気よ」
ローハンがふくれる。
「油断も隙もない」
「いい加減にキースに妬くの、やめなさいよね。それじゃ『じいさん』に言われた通り、チップだけ移して、頭の中身を取り替えたんだね」
ローハン、微笑む。
「うん、人格も記憶も元通りだよ。以前と同じ状態に頭脳を焼き直したような感じかな? 俺にもどういう仕組みなのかわかんないけど、前より調子がいいみたいだ」
「そっか。それじゃ前の頭脳は……」
「廃棄したよ。もう使い物にならないんだから、必要ないだろ?」
ヨウコ、下を向く。
「ヨウコ、どうしたの? 俺が戻ってきて嬉しくないの?」
「嬉しいよ。何言ってるの?」
「ふうん。でも何か変だよ。失恋したみたいな顔して。俺のいない間に浮気でもしてたの?」
「馬鹿なこというのやめてよ」
「じゃあさ、ヨウコが元気になるように、週末、家族でどこか行こうよ。そうだ、泊りがけで西海岸までドライブするのはどう?」
「……ローハン?」
ローハン、笑う。
「なあに、ヨウコ?」
「それも覚えてるのね? どうなってるの?」
「記憶障害を起こしてからの俺もちゃんとバックアップされてたみたいだよ。自分が二人いたみたいでおかしな感じだけど」
「どっちのローハンもローハンなのね?」
「そうだよ。自分でもややこしい」
「あんなに悲しんで損しちゃった」
「これからは数年ごとに頭を交換してもらわなきゃいけないみたいだよ。そのたびにヨウコに泣かれちゃ困るだろ」
ヨウコ、ローハンに抱きつく。
「よかったあ」
「ヨウコと初チュウと初セックスできたからなあ。しっかりと覚えておかなくっちゃ。ヨウコ、俺にすっごく優しかったんだ。時々記憶をなくすのも悪くないな」
「やめてよ。やっぱりそんなの忘れちゃってくれていいよ」
トニーが感慨深げにヨウコ達を見る。
「最初にローハンがヨウコを連れてあたしのカフェに入ってきたのも七月だったわよね。あれからちょうど二年経つんだ」
「もうそんなに経ったのね。早いなあ」
「まだたったの二年だろ? ヨウコが百歳まで生きるとしたら、あと60年以上一緒にいられるよ」
「よぼよぼになるまで生きたくないなあ。80歳ぐらいでいいけど」
「それでもあと40年ちょっとあるね。これからもよろしくね、ヨウコ」
サエキ、空を見上げる。
「雪がひどくなってきたな」
ヨウコがローハンの顔を見上げる。
「どう? あと30分でやみそう?」
「ううん。これから二時間は吹雪くと思うよ」
「ええ?」
トニーがカフェのドアを開ける。
「ほら、みんなお店に入っていらっしゃいよ。今日はあたしがおごってあげるからさ。あたし、そこのリュウくんと、一度ゆっくりお話してみたかったのよね」
第二幕 -完- 第三幕に続く




