ローハンの決断
翌朝 キッチンにヨウコが入ってくるとサエキに話しかける。
「サエキさん、おはよう」
「おはよう。あいつ、今朝はどんな感じだ?」
「あんまり変わりないみたい。えーっと……」
「どうしたの?」
ヨウコ、顔を赤らめる。
「……思い出すきっかけにならないかと思って、誘ってみたんだけど……」
「どうだった?」
「え? あ、あの凄くよかったわよ。……初めてなもんだから、ローハン、かわいいし……」
「……感想を聞いてるんじゃなくってな、それによって何か変化はあったのかって聞いてるんだけど……」
「そ、そっちの方ね。残念ながらそれはなかったみたい。でも、もういいんだ」
「……どういう意味?」
「あまり記憶、記憶っていうとローハンがかわいそうなのよ。自分のせいでもないのに悩んだ顔しちゃってさ。だから二年分の思い出ぐらい一緒に作り直せばいいよ、って言ったの」
サエキ、沈んだ表情でヨウコを見る。
「……ヨウコちゃん、ちょっと座ってよ」
「うん」
ヨウコ、不安そうに腰を下ろす。
「昨日の検査の結果なんだけどね……」
「悪いニュースなのね。顔に出てるわ」
「わかる? じゃあ、はっきり言うよ。このままだとローハンはもって数週間なんだ」
「頭のチップのせいね」
「うん。これからは記憶障害以外の問題が出てくるよ」
「そんな……じゃ、どうしたらいいの?」
「直すには、頭脳を丸ごと入れ替えるしか方法はないそうだ」
「ローハンの頭脳を? そんな事したら別の人になっちゃうじゃない」
「でも、同じ人格に出来るんだよ。ヨウコちゃんに出会った頃のローハンに戻っちゃうけどね。今のローハンもどうせ記憶はないんだし、違いはないだろ?」
ローハンが後ろから話しかける。
「そうしてもらってよ。ヨウコ」
「ローハン? 聞いてたの?」
「お願い。ね、ヨウコ」
ヨウコ、懇願するようにサエキの顔を見る。
「サエキさん、わからない? 記憶を無くしてても、ここにいるのは二年間私と一緒にいたローハンなんだよ。出会った頃のローハンとは全然違う人なの」
「……ヨウコちゃんならそう言うと思ったよ」
ローハン、ヨウコの手を握る。
「ヨウコ、駄目だよ。もっても数週間なんだろ? 俺にはまだ二日分の記憶しかないんだからさ。サエキさん、俺の頭、入れ替えちゃってよ」
「うるさい。欠陥品は黙ってなさい。私が駄目って言ってるの。絶対に許さないからね」
「でも、ヨウコ……」
「私のローハンはこのローハンだけなの。代わりなんていらないよ」
「俺が壊れたら、ヨウコが一人になっちゃうよ」
「ローハンはハッピーエンドを信じてるんでしょ?」
「……俺、そんな事言ってたの?」
「すっごく偉そうにね」
ローハン、下を向く。
「今は全然自信ないよ」
「私は信じてる。だからあなたも諦めないで」
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ヨウコ、庭先の芝生の上に座っている。サエキが急ぎ足で家から出てくると、隣に座ってヨウコの肩を抱く。ヨウコ、涙にぬれた顔を上げる。
「サエキさん?」
「ヨウコちゃん、息を吸って。深呼吸するんだよ」
ヨウコ、何も言わずにサエキに従う。しばらくしてヨウコがサエキの顔を見上げる。
「……そうか、サエキさんにはわかるんだね」
「パニック発作を起こしかけてたんだろ? ヨウコちゃんの心の悲鳴が聞こえたよ。俺までつぶされるかと思った」
「家の中にいるのが息苦しくなってきたから出てきたの。でも、この景色を見たら今度はあまりの広さに怖くなっちゃった」
「俺には希望を持たせるようなこと言えないけどさ……でも、ヨウコちゃんを二度とひとりぼっちはさせないよ。俺も子供たちもずっと一緒にいるからさ。キースやリュウやウーフだってヨウコちゃんから離れやしないよ」
「でも、サエキさんは未来の人じゃない」
「俺はこの件の責任者だからな。ヨウコちゃんが俺なんて要らないって言うまでは、責任持ってここにいてやるよ」
ヨウコ、弱々しく笑う。
「格好いい事言うなあ。サエキさんじゃなきゃ惚れてるわ」
「だろ? ほら、涙拭いて中に入ろ。ローハンにそんな顔、見せられないだろ?」
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居間 ローハンが入ってくると、ソファに座っているキースに声をかける。
「キース、ちょっといいかな」
「どうしたの?」
「俺、あと数週間しかもたないらしいんだ」
「うん、サエキさんに聞いたよ」
「俺がいなくなった後、ヨウコを頼める?」
「僕に? ヨウコさんを?」
「キースなら何があってもヨウコを守ってくれるだろ?」
「無理だな。僕は君の代わりにはなれない」
「無理でも頼むよ。ヨウコを好きになってくれるような物好きは、他に見つかりそうもないからさ」
「ヨウコさんは僕なんか受け入れやしないさ」
「俺にいい考えがあるんだ。キースは俳優なんだよね?」
「ああ」
「俺のこともよく知ってるんだろ?」
「一年半の付き合いだからね。よく、って言えるかどうかはわからないけど」
ローハン、にっこり笑う。
「じゃあ、俺の身体、君にやるよ」
キース、ローハンの顔を見つめる。
「……何を……言ってるんだ?」
「だからさ、これからは君にヨウコの傍にいてもらいたいんだ。俺のフリをしてね」




