ショック療法
翌朝 キッチンでサエキとヨウコが話している。
「今朝も変わりないの。子供達の顔も覚えてなかったわ。もう仲良くなって遊んでるけどさ」
「何でも一度で覚えるから、不自由はないんだろうな。ガムやウサギたちが解決策を探してくれてる。なんとかなるよ」
「人間だったらショックを与えたら思い出したりするわよね」
「その手も使えるかもしれないな。でも、あいつって何したら驚くのかな。普段からぼーっとしてるからなあ」
「キースが心配して来てくれるの。もうそろそろ着く頃よ。撮影が終わったから時間があるんだって」
「ガムでもわかんないんだから、キースなんて役に立たないよ」
「もしかして、キースにヤキモチ焼かないかしら? そこまで今のローハンが私の事を好きなのか疑問だけどさ」
「それ、いいんじゃないか? 駄目元でやってみようよ」
ローハンが入ってくる。
「サエキさん、おはよう」
「おはよう。気分はどうだ?」
「気分はとてもいいんだけど、相変わらず何も思い出せないんだ。ねえ、ヨウコ……」
「なに?」
「……ううん。なんでもないよ」
「気になるでしょ? 朝はトーストとコーヒーでいいよね。そこに座ってよ」
ローハンが席に着くと、ドアからキースが入ってくる。
「こんにちは。ヨウコさん、疲れた顔してるなあ。大丈夫なの?」
キース、ローハンに近づいて顔を覗き込む。
「何も思い出せないって? 僕の事も?」
「ごめん。覚えてないや。君は人間じゃないね」
キース、離れたところに立っているサエキとヨウコのところに来ると、小声で話しかける。
「思ったよりひどいなあ。サエキさん、直せるんですか?」
「原因は分かってるんだけど、直し方がわからないんだよ。お前さ、ローハンの前でヨウコちゃんにチュウしてみてくれないか?」
「ショック療法ですか?」
「頼むよ。試せるものは試してみたいんだ」
キース、ヨウコに近づくと、いつものようにそっと唇を合わせる。見ていたローハンが立ち上がる。
「……ヨウコ、俺と結婚してたんじゃないの?」
サエキ、ヨウコ達にささやく。
「反応あったぞ。よし、実は不倫してたってフリしてみろ」
キース、ヨウコの顔をじっと見る。
「……構わないの?」
「うん、お願い」
「ほら、許可が出たんだから遠慮はいらん。情熱的にやれよ。驚かせなきゃ意味がないからな」
ヨウコ、申し訳なさそうにキースの顔を見上げる。
「ごめんね、キース。おかしな事頼んで」
「僕は俳優だからね。こんなのお安い御用だよ」
キース、ヨウコを抱き寄せるが、そこで動きを止める。
「おい、なんでためらってるんだよ?」
「あー、ヨウコさん、君に会えなくて、凄く寂しかった」
ヨウコ、キースにささやく。
「ちっとも寂しかったようには見えないんだけど。しっかり頼むわよ」
キース、ためらうが、そのまま続ける。
「毎日ヨウコさんのことばかり考えてたんだよ」
「……うん。私もキースに会えなくて寂しかったんだ」
「えーと……」
「……えーと?」
「……ヨウコさん、愛してる」
キース、ヨウコにゆっくりとキスする。ローハン、愕然と二人を見つめる。
「サエキさん、この人は誰なのさ?」
「キースって言うんだ。有名な映画俳優でさ、ヨウコちゃんは彼の大ファンなんだよ。あれ、どうかしたの?」
「だからって、なんでヨウコといちゃいちゃしてるの?」
「気になる?」
「ヨウコがよくわからないよ」
ローハン、そのまま部屋から出て行く。
「よし、かなりショックを受けてたぞ。ヨウコちゃん、様子を見ておいでよ」
「うん、キース、協力してくれてありがとう。……いつまで抱いてるのよ?」
「え? ああ、ごめん」
ヨウコ、キースの腕から抜け出すと、ローハンの後を追う。サエキ、キースを呆れた顔で見る。
「なんだよ、あのぎこちない演技は? よくあれでハリウッドスターが務まるな」
「演技なんてしてません」
「なんでだよ? 真面目に協力しろ」
「ヨウコさんの顔見たら、できなくなっちゃったんです」
「……まあ、チュウは凄かったからな。俺が見ててドキドキしたよ。ヨウコちゃん、平然としてたけど」
「ローハンのことで頭がいっぱいなんですよ」
「お前も辛いなあ」
「ヨウコさんに手を出すなって言ったの、サエキさんでしょ? カレーの匂いがする。食べてもいいですか?」
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ヨウコ達の寝室 ヨウコが入ってくると、ベッドに腰かけているローハンに話しかける。
「ローハン?」
「何か用?」
「うん、用」
「俺、ヨウコの事、何も知らないんだよな。ヨウコはあの人が好きなんだね。俺の記憶があったときから好きだったの? 浮気してたの?」
「妬けた?」
「なんだか凄く悲しくなっちゃったよ」
「もしかして、ショックを与えたら記憶が戻るんじゃないかなあ、ってやってみただけなのよ。ごめんね」
「あれは演技だったの? 本当に? 演技には見えなかったけど」
「キースは名優だもん。私が好きなのはローハンだけだから」
「でも、あの人はヨウコのこと、好きだよ」
ヨウコ、笑う。
「ありえないって。キースだよ? 私なんて好きになるはずないでしょ」
「本当にヨウコは俺だけが好きなの?」
「うん。すっごくすっごくすっごく好きなの。どうしようもないくらい好きなの」
「そんなに?」
「そんなに好きなようには見えないでしょ。でも好きなの」
ヨウコ、隣に座ってローハンを抱きしめる。
「ヨウコ、泣かないでよ。俺もヨウコのこと、好きだよ。きっとどこかでヨウコのことを覚えてるんだと思う。二年も一緒にいたのに思い出せないなんて悔しいなあ」
「ローハンが思い出したいと思ってるんだったら、きっと思い出せるよ。気長に待つね」
「キスしてもいい?」
「うん」
ローハン、ヨウコにキスする。
「……チュウの仕方も忘れたんだ」
「今のはファーストキスだったんだよ。許してよ」
「このまま記憶が戻らなくても、ずっと私といてね」
「うん、俺にはここしかいる場所がないよ」
「二年分の思い出くらいすぐに一緒に作れるよ」
「ありがとう、ヨウコ」
「週末、家族でどこか行こうよ。そうだ、泊りがけで西海岸までドライブするのはどう? いつも都合が悪くなって、のびのびになってるでしょ? と言っても覚えてないわよね」




