リュウの休日
居間 法衣を着たリュウが雑誌のページをめくっているところに、アーヤを抱いたヨウコとサエキが入ってくる。
「ヨウコさん、お部屋を使われますか?」
立ち上がろうとするリュウをヨウコが止める。
「座っててよ。今日はオフなんでしょ?」
「はい。ローハンが休みをくれたのですが、どうも落ち着きませんね」
「私が休みを取ってもらうように言ったんだから気にしないで。だって、リュウが来てから一度ものんびりしてるの見たことないでしょ?」
「そうだったんですか。真にありがたきお心使い……」
サエキがさえぎる。
「『ありがとう、ヨウコさん』ってさらっと言えばいいだろ? お前といると肩がこる」
「お揉みしましょうか?」
「……いや、いいよ。お前は休日を楽しんでくれ」
「そうよ、リュウ。せっかくなんだからお出かけでもしたら? そうだ、私、買い物に行くからついてくる? たまにはリュウとデートってのもいいかも。おいしいもの、おごってあげるよ」
「ヨ、ヨウコさんとプライベートでご一緒させていただけるのですか?」
「ヨウコちゃん、やめとけよ。こいつ、休みどころじゃなくなっちゃうだろ」
「そりゃそうか。せっかくお気に入りワンピを着てくつろいでるのに、お休みの日にまでボディガードさせるなんてかわいそうよね」
「いえ、私は構いませんが……」
「なんだかがっかりしてるぞ。『カミサマの使い』と、お出かけしたかったみたいだな」
「じゃ、今度、勤務中に付き合ってもらうわ。それならいいでしょ。今日はゆっくりしなさいね」
「心優しきご配慮……」
サエキがまたさえぎる。
「だから『ありがとう、ヨウコさん』と言いなさい。寝る前に壁に向かって百回唱えるんだ。そうすれば自然に口から出るようになる。わかったな」
「わかりました。『ありがとう』の部分を『ありがとうございます』に変えてもよろしいですか」
「よきにはからいなさい」
ヨウコ、リュウの隣に座る。
「ねえ、リュウ、ちょっと聞いてもいい?」
「なんでしょうか?」
「どうしてリュウみたいなおだやかで優しい人が、テロリストなんてやってたの?」
「両親ともに軍のメンバーだったもので、選択の余地がなかったんです。南米の僻地で外の世界とも隔離されていましたし、私はネットワークにも接続できませんからね、疑問を抱くこともありませんでした」
「そういうことだったのね」
「テロリストといっても、この時代のようにバスや建物を爆破して回るわけではないんですよ。ガムランの独裁体制から人類を解放するという大義を持った者たちの集まりなんです。自分たちでは解放軍を名乗っているぐらいですからね」
「24世紀じゃ反政府、反ガムランの集団は、すべてテロリストの指定を受けるんだよ」
「ずいぶんと手厳しいのね」
「ガムの奴、頭ごなしに嫌われると、意地悪したくなっちゃうんだってさ」
「へえ、ガムさんを嫌ってる人もいるんだ」
「割合からすればごくわずかだけどな。それでもよほど悪質なのをのぞいては、好き勝手に泳がせてるんだ。軍っていったってガムならものの十分あれば制圧できる規模だからな。害はないだろ」
「十代後半になって、工作員としての訓練を受けるために初めて外の世界に出たのですが、聞かされていたのとあまりにも様子が違うので、衝撃を受けました。なにしろ人々は人間としての尊厳を奪われた惨めな暮らしを強いられていると教えられてきましたからね」
サエキ、苦笑する。
「そりゃ、ショックだっただろうな。想像がつくよ」
「しばらく悩んだ末に軍を去ることにしたのですが、なにしろ世間知らずなもので、行き倒れになりかけたところを教団に拾われました。そこの祭壇に飾られていたヨウコさんの似姿が、あまりにも神々しく……」
「つまり、似姿でもなんでもなかったってことだな」
ヨウコ、横目でサエキを睨む。
「サエキさん、むかつくんだけど」
「……この方に一生を捧げようと誓った次第なのです」
「でも、このヨウコちゃんを見て何も疑問に思わなかったのか?」
「最初は確かに驚きましたが、ヨウコさんは『己の目に映るものを信じるべからず、何事もその本質を見極めるべし』と仰せでしたので、ご自身にも当てはめられたのかと……」
「どこにでもありそうな教訓だな」
ヨウコ、笑う。
「へえ、私もなかなかいい事言うんだね。そうそう、女はやっぱり見かけじゃないのよ。特に顔が綺麗なのには調子に乗ってる性格の悪いのが多いからね。ひっかかっちゃ駄目よ」
「はい。その教え、心に刻んでおきます」
「妬みと恨みと偏見に満ちてるな。『カミサマの使い』の言葉とは思えん」
リュウ、手帳を取り出すと真剣な顔で書き込む。
「お前、ヨウコちゃんに何か言われるたびに書き留めてるだろ。今までに役に立つアドバイスはあったのか?」
「そうですね。牛乳が腐ってるかどうか確かめるには少し加熱するとよい、というのはとても役立つ教えでしたね。牛乳が腐るものだとは思っていませんでしたので」
「……そうか。それはとても実用的だな」
「ところでさ、リュウは自分が人間兵器だって言ってたじゃない。どんなことが出来るの? お腹からミサイルが出たりするんじゃないでしょうね?」
「いえ、ただ身体を強化してあるだけですよ。それにたいていの武器なら扱えますし、戦闘中には通常の人間の数倍の反射速度が出せます。これは短時間しか続きませんが」
「戦闘なんてしたことあるの?」
「いえ、訓練だけですよ。実戦経験はありません」
「まだ生きてるってことは、つまりそういうことだろうな。ガムが本気になりゃ、戦闘する間もなく全滅だ。武装集団って言っても、時代遅れの火器しか持ってないんだろ?」
「ええ、それでも昔は互角に戦えるものだと本気で信じていましたね」
ヨウコ、興味深げにリュウの身体を見回す。
「どういう風に強化してあるの?」
「肌は防弾になっています」
「弾を跳ね返しちゃうってこと? ちょっと触らせてよ」
「と、と、とんでもありません。ヨ、ヨウコ様が私などに触れては……」
「腕に触るぐらい構わないでしょ? 何もイヤラシイことしようっていうんじゃないんだから」
「イヤ……ラシイ……」
「何で赤くなってるのよ。私がおかしなおばちゃんみたいじゃない」
ヨウコ、リュウの腕を指でつつく。
「……言われなきゃ気づかないぐらいだけど、人間の肌とはなんとなく感じが違うわね。感覚はあるの?」
「感覚は普通の身体と変わりありませんね。痛覚はありませんが」
「ふうん。ちょっとためしてみようよ。殴ってみてもいい?」
「いいですよ」
「サエキさん、アーヤ抱っこしてて」
ヨウコ、サエキにアーヤを渡す。
「おい、ヨウコちゃん……」
「自分のボディガードの能力を知っておきたいのは、命を狙われてる者としては当然の心理でしょ?」
「ただの好奇心じゃないか」
ヨウコ、コーヒーテーブルの下から金づちを取り出す。
「どうしてそこから金づちが出てくるんだよ?」
「そこの額をかけかえようと思って置いてあったのよ。どこ、殴ったらいいのかしら?」
「腹にしとけば? 狙いやすいだろ」
「お腹ですね」
リュウが法衣のすそをまくりあげる。
「うひゃ、あんた、なんてお腹してるのよ」
「若い男の腹を金づちで殴りたがるなんて、おかしなおばちゃん以外の何者でもないぞ」
「ヨウコさん、遠慮はいりません。どうぞ心行くまで殴ってください」
「SMカップルみたいだなあ」
ヨウコ、金づちでリュウの腹を軽く殴る。
「えい」
「もっと強く叩かないとわかんないだろ?」
「いいの?」
「思い切り殴っても平気ですよ」
「じゃあ、いくよ」
ヨウコ、今度は勢いをつけて強く殴る。
「あれ? へっこんじゃったけど……。金づちの跡がくっきり……」
「そうやって衝撃を吸収するんです」
「ええ! ずっとこのままなんじゃないでしょうね?」
「ご心配されなくても、だいたい一時間ぐらいで元に戻りますよ」
「ああ、よかった。この見事なお腹を傷物にしちゃったかと思ったわ。せっかくだからお腹にも触っておこう」
「ヨウコちゃん、自制心」
ルークとウーフが入ってくる。
「ねえ、人間兵器、遊ぼうよ」
「今日はリュウはお休みなのよ。そっとしておいてあげなさい」
ウーフが唸る。
「俺は休みなんかもらってないぞ」
「あんたはしょっちゅうごろごろしてるでしょ?」
「何を言ってる。ヨウコが誘拐されてからは俺も警備のシフトに組み込まれてるんだぞ。おかげで出稼ぎにもいけないじゃないか」
「そうなの? そりゃ悪かったわね。じゃ、明日はあんたにお休みあげるようにローハンに言っとくわ。ほら、ルークは外で遊んでおいでよ」
「私は構いませんよ。ルーク、それじゃ川に釣りに行きますか? 前から行きたがっていたでしょう?」
ルーク、嬉しそうな顔になる。
「やったあ。俺にもピラルク釣れるかなあ」
「……何を釣りに行くって?」
「ピラルクですけど? 軍にいた頃はよく釣ったんですよ。一番大きいので二メートル近くありました。ピラニア釣りも楽しいのですが、お子さん向けではないですね。ヨウコさんはアロワナのから揚げはお好きですか?」
「……あの、この国にはそんなのいないんだけど」
「ええ? それじゃ何が釣れるんですか? ワニ?」
「……マス……かな?」
「それはどのような魚なんですか?」
サエキが口を挟む。
「お前、今、自分がどこにいるのか知ってるのか?」
「皆さんの会話から判断すると、ニュージーランドという場所にいるようですね」
「どこにあるのか知ってる?」
「いえ? 南十字星の位置から南半球だというのは分かりますが、正確には」
「まさか、自分がどこに送られるのかも知らずに、この仕事を受けたのか?」
「ヨウコさんのボディガードをさせていただけるのであれば、たとえ地獄にだって参りますよ」
「……給料はいくら貰ってるんだ?」
「給料? めっそうもない。そのようなモノをいただいてはバチがあたります」
ヨウコ、驚いた声を上げる。
「ええ? 無償奉仕だったの? その上、今日まで休みもなし?」
「実はお金などいただいても使い方がよくわからないんです。軍や教団では必要ありませんでしたので」
「ガムのやつ、こんなところで経費の節約しやがって。文句言ってやるよ。こういう事してるから反ガムラン団体なんかできるんだ」
「そうしてあげてよ。世間知らずの家出少年を騙して使ってるようなもんじゃない」
リュウ、おろおろとサエキ達を見る。
「やめてください。首にされては困ります」
「サエキさんに任せとけば大丈夫だってば。人生、貰えるものは貰っとかなきゃ損しちゃうわよ。人にうまく使われてばかりじゃ駄目なの。えーと、これは特別な人にしか教えない大事な教えだから、しっかり覚えときなさいよ」
「特別な人、ですか? ……身に余る光栄……」
「『ありがとう、ヨウコさん』だ」
「あ、ありがとうございます。ヨウコさん」
「よし。上手に言えたぞ」
「えらいえらい」
リュウ、考え込むような表情を浮かべる。
「……しかし、マスという魚は釣り方がわかりませんね。生肉を吊るせば釣れますか?」
「おい、リュウ、釣りはまた今度にしようよ。俺がルークと一緒に湖に連れてってやるからさ。それから今晩からは一般教養講座を開いてやるからな。かかさず参加するように」
「サエキさんって優しいのね」
「だってこいつ、心配で見てられないだろ? ローハンですら常識人に思えてきたよ」




