サエキ、焦る
ヨウコが部屋に戻ると、キースが立ち上がる。
「ヨウコさん、僕、もう行かないと」
「あれ、もうそんな時間? 今日の撮影は近所なんでしょ? 終わったらすぐに戻っておいでよ」
「そうさせてもらうよ。ありがとう」
キース、ヨウコにキスする。
「じゃあね。ハルノさんもまた」
キースが出て行くと、ハルノが怪訝な顔でヨウコを見る。
「ヨウコさん、今のは何?」
「なんのこと?」
「キースがヨウコさんにキスしたでしょ。この時代って一対一が基本だって聞いてたんだけど」
「ああ、キースとはいろいろあってさ、あれはただの挨拶なんだ」
「そうなの?」
「うん。そうは言っても、キースにチュウされるとドキドキしちゃうけどね。私さ、あの人がデビューした時からのファンなんだ。ハルちゃんもキースの出てる映画を見てごらんよ。凄く格好いいんだよ」
「うん、見てみるわ」
「ねえ、ハルちゃんはキースのこと、どう思う?」
「向こうじゃよく同型のコンピュータと話す機会があるんだけど、ずいぶん感じが違いますね。なんていうのか……キースの方がずっと人間っぽいわ。環境の違いなのかしら?」
「あの人、私たちの前じゃ無表情でしょ? しゃべり方も抑揚ないし」
「そうですね。でも、中身はそんなことないでしょ?」
「私にはよくわかんないや。……あの人、素敵だと思わない?」
「うん、すごく素敵ですね」
ヨウコ、笑う。
「ハルちゃん、今日はご飯を食べていきなよ。ローハンが料理教室で習ったのを作ってくれるって言ってたよ。見た目は怪しいけど、味はいいんだ」
「いいの?」
「子供たちもハルノおばちゃんがいれば喜ぶからさ」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
「ローハンにお茶を持って行ってくるよ。あの人、このところ畑仕事に夢中なんだ」
ヨウコが部屋を出て行くと、サエキがこそこそと入ってくる。
「ハルちゃん、ちょっといい?」
「どこ行ってたの? キース、もう行っちゃったよ」
「あいつはどうでもいいんだ。どうせここへ戻って来るんだろ。ねえ、あいつのこと気に入ったの?」
「うん、格好いいよね。私と付き合ってくれないかな?」
「え、それ本気?」
「あの人なら、私でも受け入れてくれるかもしれないでしょう?」
「で、でも、あいつ、好きな人がいるんだよ」
「だって、どう考えたって望みはないんでしょ? それなら私にだってチャンスはあるかもしれないよ。話はそれだけ?」
「違うよ。今日は俺の質問に答えてくれないかな?」
「なんなのよ?」
「ハルちゃんさ、プライベートで誘ってもいつもかわされるだろ? 何か理由があるの?」
ハルノ、厳しい表情でサエキを見る。
「サエキさん。この際だからはっきり言っておくわ。もう私に付きまとうのやめてくれないかな?」
「ほんとにはっきり言うなあ。なんで俺じゃ駄目なんだよ。眼鏡が気に入らないんだったら、はずしたっていいんだよ」
「わからない? 私はセックスの相手なんていりません、って言ってるのよ」
「更にはっきり言ってくれたな」
「だって、サエキさん、しつこいんだもん。こうでも言わなきゃわからないんでしょ?」
「あのさ、ハルちゃん、何か誤解してないか? 俺、本気でハルちゃんと付き合いたいって言ってるんだよ? 俺のパートナーになって欲しいんだけど」
ハルノ、愕然としてサエキを見る。
「はあ?」
「俺、ハルちゃんが好きなんだよ。……もしかして気づいてなかったの?」
「……サエキさん、私がAIだって知ってるわよねえ?」
「俺が知らないはずないだろ?」
「人権もないし結婚も出来ないし子供だって持てないのよ。それも分かってる?」
「俺、ハルちゃんがなんなのかちゃんと理解してるからさ。結婚なんてしなくても、ハルちゃんが一緒にいてくれるだけでいいんだ。ヨウコちゃんがローハンの事、好きなぐらいにはハルちゃんを好きになれると思うよ。それじゃ足りない?」
「そんなに?」
「あの二人に負けない自信はあるよ。……どうしたの? 驚いた顔して」
「驚いたのよ」
「なんでそんなに驚くわけ?」
「だってサエキさん、誰ともまともに付き合わないので有名じゃない。セフレだけはたくさんいるけどさ」
「それって『会社』で定説になってたりするのか?」
「うん。セックスにしか興味がないって言われてるわよ」
「それは酷すぎやしないか? 俺は長年の片想いと失恋で忙しかっただけだぞ?」
ハルノ、真面目な顔でサエキを見つめる。
「ほんとに私がロボットでも構わないのね」
「それでいいって言ってるだろ。しつこいのはハルちゃんのほうだよ」
ハルノの表情が曇る。
「……私ね、一ヶ月ほどハニマと付き合ってたの」
「やっぱり……」
「先週、結婚を前提に付き合わないかって言われたんだ。だから私、思い切って自分が人間じゃないって話したのよ」
「え? バラしちゃったの?」
「だって、そんなの一生隠し通すわけにはいかないでしょ? 結婚を申請すれば分かることだもの」
「まあな」
「彼とはそれっきりよ。顔を見れば挨拶はしてくれるけどね」
「……それは……辛かったな」
「さすがに落ち込んだなあ。彼に恋してたわけでもないんだ。でも、あの人なら私を受け入れてくれると思ったの。そんなに甘くなかったわ」
サエキ、うつむいたハルノの顔を覗き込む。
「ハルちゃん、俺と付き合ってよ。俺がハルちゃんに相応しいかどうかは、それから決めてもらえばいいからさ」
ハルノ、赤くなってうなずく。
「ありがとう、ハルちゃん」
「うん」
「格好いいキースの方がよかった?」
「ううん。さっきはサエキさんに意地悪したくなっちゃったのよ。本気だなんて思ってなかったから」
「スケベ男をじらしてやろうと思ったんだろ?」
「そうよ」
「ひどいなあ」
「誘われるたびに悔しくてさ。一夜の相手が欲しくて誘ってるんだと思ってたから」
「俺はずっと本気だったのになあ」
「最初からはっきり言ってくれればよかったのに」
「一度もまともなデートもしないで? チャンスをくれなかったのはそっちだよ。でも、ハルちゃんってこの時代の子みたいだね」
「どういう意味?」
「だって、24世紀じゃセックスだけの付き合いなんて普通だろ? 誰もそんなの気にしないのに」
「遊び相手ならね。でも、好きな人と体の関係だけで終わっちゃうってわかってるのに、付き合うなんて惨めでしょ? それなら最初から何もないほうがいいよ」
サエキ、驚いた顔でハルノを見る。
「え? ハルちゃん、俺のこと、好きだったの?」
「私が作られて最初に優しくしてくれたのがサエキさんだったのよ。サエキさん、ローハンの担当だったからいつも周りをうろうろしてたでしょ」
「それで惚れた?」
「サエキさんが女の子なら誰にでも優しいんだって、すぐに気づいたけどね」
「俺の本命はいつだってハルちゃんだったのになあ」
ハルノを抱き寄せたサエキを、入ってきたヨウコが冷ややかな目で見つめる。
「サエキさんってずいぶん単純なのね」
「ヨウコちゃん?」
「私があんな事言ったから焦ったんでしょ?」
「当たり前だろ」
「キースには恋愛なんてできないんだから、心配することないじゃない。サエキさんってほんとにハルちゃんのこと好きなのね。よかったね、ハルちゃん」
「ありがとう。ヨウコさん」
「サエキさんもお礼くらい言ったらどうなのさ」
「……ありがとう。……おい、もしかしてヨウコちゃん、ハルちゃんが俺のこと好きなの知ってたの?」
「当たり前でしょ? いつも話を聞いてあげてたのよ。忙しいハルちゃんがこんな所までしょっちゅう遊びに来てたのは、サエキさんが気になってたからなのよ。どんだけ鈍いのよ?」
サエキ、苦笑する。
「……今の言葉、のしを付けてヨウコちゃんに返してやりたいよ」
「なんの話?」
「なんでもないよ。それなのに、どうして俺が本気だってハルちゃんに伝えてくれなかったんだよ?」
「だって、そんなのわかんないもん。かわいいハルちゃんをフィギュアの延長だと思ってるだけかもしれないでしょ?」
「俺、変態?」
「違うの?」
「……違うけど」
「浮気なんてしちゃ駄目よ。ドラミちゃんを泣かせたら、この家にいられなくしてやるからね」
「なんだよ、ドラミって?」
「だって、ローハンは私のドラえもんでしょ?」
ヨウコ、笑うと部屋から出て行く。
「ヨウコさんに何を言われたの?」
「ハルちゃんとキースをくっつけるって言われたんだよ。本気で焦った」
「キースにはヨウコさんしか見えてないでしょ?」
「冷静に考えればそうなんだけどな。キースに妬くローハンの気持ちがちょっとだけわかったよ」
「キースには恋愛ができないって、どういう意味なの?」
「そういうことになってるんだよ。あいつの気持ちにヨウコちゃんが気づいたら、ややこしいことになるだろ? 誰にも言うなよ。ガムに知られるとヤバいからな」
「わかったわ。でも、あの人、どうするつもりなんだろ?」
「胸が痛むけどな。俺には話を聞いてやるぐらいしかできないよ」
サエキ、ハルノの顔を見る。
「ハルちゃん、キスしてもいい?」
「うん」
サエキ、眼鏡をはずして素顔になる。
「……あの、サエキさん」
「なに?」
「眼鏡かけてもらってもいい? サエキさんの顔が違うと落ちつかないわ」
「ええ? ハルちゃんまでヨウコちゃんみたいな事言うのか?」




