サエキの眼鏡
結婚式の翌日 キースが庭のテーブルで雑誌をめくっていると、ローハンがやって来る。
「いつまで新婚さんのお宅に居座るつもり?」
「飛行機、明日の朝なんだ。君たちにも予定なんてないんだろ? 僕がいたって構わないじゃないか」
「うちはだなあ、質素でエコロジーな生活をしている一般中流家庭なんだよ。お前がいると半径五メートルがセレブ空間になっちゃうよ」
「一般中流家庭にあんなジェネレーターがあるもんか」
「二酸化炭素排出量を気にせずに風呂に入れるじゃないか」
「あれは21世紀には持ち込み厳禁だよ。あんなモノの存在が知れたら歴史が変わっちゃうだろ?」
「厳禁? 他にも一つあるって聞いたけど?」
「もう一つは僕の本体の電力供給源なんだよ。ロシア人から電気を買えとでも言うのか? 僕と君んちの風呂と一緒にされてたまるか」
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居間 窓から外を眺めているサエキにヨウコが声をかける。
「サエキさん、ローハン見なかった?」
「キースと外にいるよ。面白いからそこの窓から見てみな」
「……あの人たち、何してるの?」
「どちらがたくさん箸でハエを捕まえられるか競ってるらしい」
「あ、捕った。すごい動体視力よね」
「な、面白いだろ?」
「昨日の晩のパーティでもあんな事してなかった?」
「りんごの皮をどちらが長くむけるか競ってたな」
「仲いいわねえ。ローハンにも同類の友達が出来てよかったわ」
「仲がいいようには見えないんだけどな」
「終わったみたいよ」
「ローハンが勝ったな。嬉しそうな顔してる」
ヨウコ、笑う。
「これからはハエ捕りはローハンの仕事にしようっと」
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キッチン ヨウコとサエキとキースの三人が座ってコーヒーを飲んでいる。キースがサエキの眼鏡に目を留める。
「サエキさん、いつまでその眼鏡、かけてるんですか? もう素顔は見られちゃったんだし、変装の必要はないんでしょう? 持ち込み禁止の品なんだから、次にあっちに戻ったら置いてきてくださいよ」
ヨウコ、興味深げに眼鏡を見る。
「それ、未来の眼鏡だったの? 秘密道具?」
「気に入ってるんだよ。俺が古い物、集めてるの知ってるだろ? それにすごく便利なんだよ」
「新しいの、古いの、どっち?」
「22世紀初頭に作られたビンテージモノなんだよ。24世紀仕様にリストアしてもらって使ってるんだ」
「いくら古くても、この時代じゃ未来のハイテク機器なんですよ」
「どんな風に見えるの?」
「かけてみる?」
サエキ、眼鏡をはずすとヨウコに手渡す。ヨウコ、サエキの素顔を見る。
「サエキさん、やっぱり美形よねえ。眼鏡一つでこんなに雰囲気が変わるなんて信じられないわ。私のタイプじゃないなんてもったいないなあ」
「ほんとに残念だよ。ほら、早くかけてみなって」
眼鏡をかけたヨウコを見てサエキが吹き出す。
「似合わないなあ」
「似合いませんね」
「うるさいなあ。キースまで言うことないでしょ? 眼鏡が似合わないの、知ってるわよ。……線とか字とかが見えるんだけど……英語よね?」
「24世紀じゃだいぶ言葉が変わっちゃってるけど、なんとなくわかるだろ? 例えばだな、そこの花瓶に入ってる花を見てみな」
「文章みたいなのがずらずらっと出てきたわ。ほとんどわかんないや」
「データベースになってるんだよ。面白いだろ。距離や温度も測定できるんだ」
「もの凄く鬱陶しいんだけど、よく平気ね。SF映画のロボットになった気分だわ。ローハンもこんな風に見えてるのかしら?」
「まさか。本人が聞いたら怒っちゃうよ。サエキさん、データベースなんて頭の中に入れとくものでしょ?」
「頭の中に入ってるものを使うのが苦手なんだよ。蕁麻疹が出そうだ」
「『会社』の職員とは思えませんね」
「ガムにもよく言われるよ」
「あ、これなら私にも読めるわ。『サンフラワー』って書いてある。ひまわり?」
キース、周りを見回す。
「ひまわりなんてどこにもないよ」
「窓からそこのタンポポ見てるんだけど」
「サエキさん、その眼鏡、あんまり信用しないほうがいいんじゃないですか?」
「そういうところがレトロなモノを使う醍醐味なんだよ。俺のささやかな趣味なんだから見逃してよ」
「まあ、いいですけどね。どこかで落っことしてきたりしないでくださいよ」
「それなら大丈夫よ。結婚式まで一度もはずしたの見たことなかったからさ」
サエキ、ヨウコに向かって手を伸ばす。
「ほら、もう返してよ。それしてないと落ち着かないんだ」
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翌日 キッチンでヨウコとローハンとサエキが昼食を食べている。
「あーあ、キースが帰っちゃった。がっかりだなあ」
「夫の前でそんなこと言うんだ。それも新婚ほやほやなのに」
「そうね。ローハンで我慢するしかないなあ」
「我慢って?」
「冗談に決まってるでしょ。おとうさんたちも明日帰るし、そしたら二人きりだね」
ヨウコ、立ち上がるとローハンを後ろからぎゅっと抱きしめる。サエキ、腰を浮かせる。
「俺、遠慮した方がいいよね?」
「サエキさんは空気みたいなもんだから、気にしないで」
「それはどういう意味にとったらいいのかな?」
ローハン、ヨウコを振り返る。
「ねえ、ヨウコ。新婚旅行には行きたくないの?」
「ルークも学校だし、当分は無理でしょ? これだけ一緒に住んでたら、いまさら新婚って気分でもないしさ」
「ヨウコちゃん、ルークの面倒ぐらい俺がみてやるよ。第一コブつきじゃ雰囲気もなにもあったもんじゃないだろ? 近場でよければ行ってこれば?」
「それじゃヨーロッパに行こうよ」
「近場って言ったろ? 地球の裏側じゃないか」
「言ってみただけでしょ? 日本から戻ったところだし海外はもういいよ。どこかでかわいいコテージでも借りてのんびりする?」
ローハン、嬉しそうに笑う。
「ヨウコと新婚旅行かあ」
「何うっとりしてるんだよ。旅行中、お前一人が集中的にいじめられるんだよ。覚悟しとけ」
「土日は避けて月曜日からにしようよ。田舎の小さい町にする?」
「お、早速プランを立てはじめたぞ」
「ヨウコの生理は来週末まで来ないよね?」
「聞かないでよ」
「大切なことだろ? 新婚旅行でやることやれなかったらどうするのさ?」
「だから、そういうのはこっそり聞いてって言ってるの」
サエキ、ニヤニヤする。
「俺は空気だから気にしないで」
「ローハンって計画立てるの大好きなのよね。こっちは楽でいいや。車に積んどくとナビ代わりになるし便利よね」
「ねえ、ヨウコ。ゴルフ場があるところにしてもいい?」
「あんた、ゴルフなんてしないでしょ?」
「三週間後にキースとまわることになったんだ。練習しとかなきゃ」
サエキ、驚いた顔をする。
「ええ? あいつまた来るの?」
「ハエ捕りのリベンジにゴルフで勝負だっていうから、受けて立ったんだ。クラブのセット、買いに行かなきゃ」
「中古でいいんでしょ? 不用品売買の新聞ならそこのかごに入ってるよ」
「相手はキースだよ。精度の高いクラブを使わないと勝てっこないだろ?」
「新品買うの? もったいないなあ」
ヨウコ、首を傾げる。
「あれ? あの人、ゴルフはあまりうまくないって聞いたけど? チャリティイベントでたまにプレイするぐらいでしょ?」
「目立たないように下手なフリしてるだけだよ。あいつがプロだったら間違いなく賞金王だな」
「うひゃ、そりゃ絶対見に行かなきゃ」
「俺の応援してくれるんだよね?」
「当然でしょ?」
「怪しいなあ」
「いいじゃない。あんたの方がハエ捕るのうまいんだからさ。ゴルフよりも実用的だわ。それと新婚旅行中にゴルフの練習するのは許さないからね」
サエキ、出て行き際にローハンにささやく。
「キースにうまいこと乗せられたなあ。あいつ、戻ってくる口実が欲しかっただけなんじゃないのか? ここに来るなっていうのはお前だけだからな」
「ああ! そうかも……」
愕然とするローハンを見て、サエキが笑う。
「あいつの方がお前よりも脳みそ、うんとでかいんだからさ、気にするなよな」




