なんで私が好きなのよ
しばらくして不機嫌そうな顔で店に戻ってきたヨウコを、トニーが迎え入れる。
「あら、戻ってきたの?」
「トニー、あの男、帰ったよね?」
「なんだ、気になってるんだ。手を出す度胸なんかないって言ってたのに」
「そうなんだけどさあ」
「でも、すごい逃げ足だったわよ」
「さっきはどうしていいかわからなかったのよ」
「今はどうしていいかわかったの?」
「うん。逃げて正解だった。あの男はヤバいよ」
「でも、気になってるんでしょ?」
「すごくね」
「一緒にいて楽しい?」
「なんていうのかな。言ってることもやってることも意味不明なんだけどさ、なんだか居心地いいのよね」
「居心地?」
「一緒にいるとさ、現実から離れた別世界にいるような気分になれるの。ずっとこのまま一緒にいたいなあ、って思っちゃったんだ」
「まあ、それってめちゃめちゃ惚れてるんじゃないの?」
「やっぱりそう思う? まずいなあ」
「どうして?」
ヨウコ、表情を曇らせる。
「もう辛い思いはしたくないからさ」
「付き合っちゃったら辛いことになると思う?」
「思う。あんな雑誌でしか見たことないような男が、会ったとたんに告白してくるはずないでしょ? とんでもない裏があるに決まってるわ」
「危険を覚悟しなきゃ恋愛なんてできないよ」
「でもね、最近やっと平穏な気持ちで暮らせるようになってきたところなんだ」
トニー、優しく微笑む。
「そうだったわね。忘れてたわ」
「しばらくこっちには来ないから。もうあの人に会わないようにする」
「大丈夫なの?」
「……うん、たぶん」
「ダメージ受けちゃった?」
「うん……思ったよりひどいかも」
「好きになっちゃったんだね。あの人が」
「うん……もうやだ。今日なんで来ちゃったんだろ? 馬鹿みたい」
トニー、笑って後ろを向く。
「ほーら、好きだって言ってるわよ。聞こえた?」
「うん。聞こえた」
カウンターの後ろから出て来たローハンを見て、ヨウコ、立ちすくむ。
「何してるのよ?」
「ヨウコを待ってたんだよ」
「ちょっと、トニー?」
トニー、笑う。
「この人、真剣だって言ってるしさ、あたしもこの人なら信頼できると思うんだ。だから、チャンスぐらいあげたら?」
「だって……」
ローハン、ヨウコに向かって両腕を広げる。
「何してんのよ?」
「俺の胸に飛び込んで来たいかと思って」
「飛び込みたくなんかないわよ」
「でも、好きなんだろ?」
「ちょっぴりね」
「俺はもの凄く好きなのになあ」
「それがわかんないんだって。今まで会ったこともないのに」
「ミステリアスでいいだろ?」
「ミステリアス過ぎるのよ」
トニーが口を挟む。
「あなた達、もう一杯飲むでしょ? 何にする?」
ローハンがすかさず答える。
「ラテをふたつね」
「もう、勝手に決めないで」
「でも、ヨウコはラテが飲みたい気分なんだろ?」
ヨウコ、ぷっとふくれる。
「そうだけどさあ。なんでわかるのよ?」
「どこ座る? そこのソファなら並んで一緒に座れるよ」
「普通の椅子でいいよ」
「そうか、その方がお互いの顔がよく見えるよね」
「九十度の角度で座ろうよ」
トニー、笑う。
「ヨウコが居心地いいって言ったわけが分かった気がするわ」
「ええ?」
ローハン、にこやかに笑う。
「ヨウコが失恋しなくてよかったなあ」
「ひとごとみたいに言わないで。あんたも当事者でしょ? それにまだあんたと付き合うなんて言ってないわよ」
「付き合ってもらわなくてもいいよ。でも、ずっと一緒にいようね」
「わけわかんないよ。それに会ったばかりの女にそんな事言うかなあ?」
「ずっと一緒にいたいって言ったのはヨウコだよ」
「ちょっとトニー、この人なんとかして」
「あたしはコーヒー作らなきゃ。ほら、早く座りなさいよ」
ローハン、ヨウコの手をひいてソファに座らせると、隣に自分も座る。
「あのさ、最初に言っとくけど、私、お金ないよ」
「コーヒーならおごるよ?」
「じゃなくて、私、超貧乏だよ。失業しちゃって今はパートタイムの仕事しかやってないし」
「俺、ヨウコの金目当てなんかじゃないよ。まだ、疑ってるの?」
「その上、子持ちなの。九歳の生意気な男の子がいるんだ」
「何が言いたいのさ?」
「だってさ、普通の男ならひくでしょ?」
「そうなの?」
「たいてい逃げちゃうからさ、必ず最初に言うようにしてるの。好きになってから逃げられちゃたまんないからね」
「おかげでヨウコが今までフリーでいられたわけだね。普通の男に感謝しなくっちゃ」
ローハン、赤くなったヨウコに笑いかける。
「……そうだ。マフラー返すよ。さっきしたまま出て行っちゃった」
「まだ寒いからしときなよ。似合ってるからあげるよ」
「いいの?」
「同じ柄のマフラー、もう一つ買っちゃおう。色違いで」
「この年で男とおそろいのマフラーなんてしたくないんだけど」
「ヨウコってずいぶんと冷たいんだね。ちっとも知らなかったよ」
「え?」
「でも、俺はすぐに慣れるからさ、気にしなくていいんだよ」
「はあ?」
ローハン、ヨウコの顔を覗き込んで笑う。
「なによ」
「チュウしようと思って」
「だめ」
ローハン、ヨウコに素早くキスする。
「だめって言ったけど」
「隙だらけだから誘ってるのかと思ったよ。彼氏にチュウされるの嫌なの?」
「いつから私の彼氏になったのよ?」
「じゃあ、俺が今、この店から出て行って二度と戻ってこなくても平気?」
「……平気じゃない」
「だろ? 保険掛けといたほうが安心だよ」
「まずは友達からでいいじゃない」
ローハン、笑う。
「それでいいよ」
ローハン、またヨウコにキスしようとする。
「友達でしょ?」
「うん。友達にチュウされるのも嫌?」
ヨウコ、ローハンに見つめられて赤くなる。
「……嫌じゃないけどさ」
ローハン、にっこり笑ってヨウコにキスする。
「ヨウコ、真っ赤だよ」
「あんたの顔が良すぎるから落ち着かないのよ」
「そうだ、俺、格好いいんだったね」
「ほんとに自覚ないんだ。あんた、何者なのよ?」
「プログラマーって言ったろ?」
「職業を聞いてるんじゃなくてさ、この国の人間じゃないでしょ? 出身は?」
「俺、イギリス人」
ヨウコ、胡散臭げにローハンを見る。
「見えないなあ」
「アクセントあるだろ?」
「そういわれりゃね」
「他に質問は?」
「どうしてこの国に来たの?」
「羊飼いになろうかと思って」
「はあ?」
「田舎でのんびり暮らすのに憧れてるんだ」
「じゃあさ、何で私の事が好きなのか教えてよ。まさか昨日、道端で一目惚れしたわけじゃないんでしょ? もしかして待ち伏せしてたの?」
「わかった?」
「だって私に一目惚れなんて考えられないよ」
「自分に自信がないんだね」
「ないよ、全然。きっかけは何なの? いつどこで私に興味を持ったのよ?」
「また今度教えてあげる」
「気になって仕方ないよ。今教えて」
「話しても信じてもらえないから駄目」
「何を言っても信じるよ」
「……いや、無理だと思う」
「そんなんじゃ安心して好きになれないでしょ?」
ローハン、赤くなる。
「三か月前から好きだった」
「ええ?」
「ほーら、信じないだろ」
「どうして?」
「ええと、ヨウコの事を聞いたんだ。あー……俺の知り合いに」
「はあ?」
「いい子がいるよ、って」
「それじゃキャバクラの客引きじゃない。知り合いにそう言われただけで好きになっちゃうの? ますますわけがわかんないよ。その知り合いって誰なのよ?」
「またいつかくわしく話すから。ね。今日はここまでにしてよ」
「……うん。でも、絶対に教えてよね」
ローハン、ほっとした様子でラテの入ったグラスを見つめる。