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電気羊飼いと天使の卵  作者: モギイ
サイドストーリー
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【サイドストーリー5】 穴の底のミア その14

 ミアが『穴』を抜けたとたん、ガムランから『通信』が入った。


『ミア、大丈夫か? すぐに迎えをやる。外に出てじっとしてろ』


「うん、ありがとう。あなたのおかげで戻って来られたわ」


 24世紀では『穴』の上に小さなブースが建てられていることが多い。この『穴』も例に漏れず、半透明の壁に囲まれていた。『穴』のある位置には丸い印がつけられている。ミアは瞳を凝らして印を見つめた。


「ジョシュ、どうしたんだろう?」


『ジョシュか? あいつも戻ってくるんだな』


「うん。私の後を追うって言ってたの。どうしたんだろう。うまく逃げられなかったのかしら」


 最悪の予感が胸をよぎる。自信のありそうなことを言ってはいたが多勢に無勢だ。皇帝の家来に取り押さえられてしまったのかもしれない。


「私、戻る。ジョシュのところに戻るわ」


『ジョシュはロボットだよ。奴のためにもどることはないだろう?』


「ジョシュはジョシュでしょ? 私、彼がいない世界になんていたくない。私がこっちに戻ってきたいって思えたのはジョシュがいたからなの」


 丸い印の上に立ったミアを、ガムランが強い口調で制止する。


『待て、行くな』


「止めないでよ」


『あっちに戻れるかどうかも分からんのだぞ。『穴』を抜けてもおそらく21世紀に出るだけだ』


「やってみなきゃ分からないでしょ?」


 ミアはパスワードをつぶやくと目をつぶり意識を集中させた。もう一度ジョシュに会いたい。どうか私をあそこへ運んで。


 だが、目を開くとそこはまだ半透明のブースの中だった。途方にくれてあたりを見回す。


「どうして? どうして何も起こらないの?」


『お前は行かせない』


「でも、どうなってるの?」


『「穴」を不活性化した』


「だって、『穴』には誰も干渉出来ないって……」


 ガムランが気まずそうな口調になった。


『これは俺にしかできないんだ。誰にも言うなよ。いいか、お前は家に戻ってジョシュを待て』


「でも……」


『お前を見てれば何があったか察しはつくよ。俺はジョシュを知ってる。奴ならお前を諦めやしない。信じてここで待つんだ』



        *****************************************



 晴れ渡った冬の空の下、ミアは海岸沿いのベンチに座って海を眺めていた。テンシンの海は澄み渡り、真っ青な海上を白いレジャーボートが行き来している。結局、暮らし慣れたシャンハイには戻らなかった。次に戻るときはジョシュが隣にいるものだと信じていたのだ。一人で戻れば、失ったものの大きさに押しつぶされてしまいそうで怖い。


 補助記憶装置の中にはジョシュの残した記憶が大切に保存されている。人間であるミアにとっては読み込むことすら出来ないデータの塊に過ぎないが、それでも今の彼女にとってはかけがえのないものだった。ジョシュと過ごした遠い世界での思い出が、この中には封じ込められている。


 突然、ガムランから『通信』が入った。


『ミア、どうだ? 元気にしてるか?』


 元気なはずないじゃない。


 向き合いたくもない現実に引き戻され、ミアは頭の中でぶっきらぼうな返事を返した。


『何か用?』


『ジョシュが見つかった』


 ミアが息を呑んだ。


「どこにいたの?」


 思わず上擦った声が漏れる。通りがかりの老人が振り返って微笑んだ。


『シーアン郊外の自然保護区内で倒れているところを保護された。監視カメラが『穴』から現れるところを捉えてな、すぐに捜索隊を送ったんだ。サジという男と一緒だ』


『サジ?』


『彼がジョシュを運んで来たんだよ』


『サジが? ジョシュは? ジョシュは大丈夫なの?』


『危ないところだったんだがな、今、『本社』に運んで修理中だ。なんとか元通りにできそうだってさ。ただ、ミアの言ってた通り、記憶がリセットされちゃってるんだよ。お前の持ってるあいつの記憶を転送してくれないか?』


 じっとしていられず、ミアはぴょこんとベンチから立ち上がった。


『分かった。ねえ、早くジョシュに会いたい。会いに行ってもいい?』


『ダメだ』


 ガムランが厳しく言い放った。


『どうしてなの? お願いよ』


『それじゃあ、さっき俺に無礼な態度を取ったことを詫びてもらおうか』


『ご、ごめん、ガム』


 慌てて謝るミアに、ガムランが笑い出した。


『修理が終わり次第、連絡するよ。もう少しそこで我慢してろ』



        *****************************************



 ミアは死人のようにベッドに横たわるジョシュをこわごわと見つめていた。未だに目の前に彼がいることが信じられない。触れれば煙のように消えてしまうのでは、そんな妄想じみた不安に襲われて、窓際に立っているガムランの人型端末を振り返る。


「お前が起こしてやれよ。王子様を起こすのはお姫様の役目だからな」


「反対じゃないの?」


 ガムランは自信たっぷりに笑った。


「いいや。俺が間違ってるとでも言うのか?」


 彼の笑顔に励まされるようにミアはジョシュに近づいた。アッシュブロンドの髪と長いまつげは窓からの柔らかい光を受けて金色に輝いている。かがみこんでジョシュの顔に自分の顔を寄せると、彼の寝息が聞こえた。


「おはよう、ジョシュ」


 ミアは彼の耳元でそっとささやいた。


 やがてジョシュの目がゆっくりと開いた。まぶしそうに目をしばたたかせながら、ミアの顔に焦点を合わせると、にっこり笑う。


「おはよう、ミア」


 何も言わずミアはジョシュにキスした。彼も嬉しそうにキスを返す。いつもと同じキス。唇をそっと触れ合わせるだけの優しいキス。


「今日はいよいよあっちに戻れるんだね」


 彼の言葉にミアは笑顔を浮かべた。予想したとおり、彼はまだ自分が『穴の底』にいると信じているようだ。


「……あれ? おかしいな。ネットワークを感じるよ」


 ジョシュの顔に浮かんだ動揺を見て彼女は笑い出した。


「おかしいでしょ」


「ここ……24世紀なの? どうして?」


「私たち、戻ってきたのよ。ここは『会社』の中なの。あなたには前日までの記憶しかないから、まだ向こうにいるつもりでいるのよ」


「戻ってきた? で、でも、俺は……」


 うろたえた様子でジョシュが周りを見回した。落ち着かせようとミアが慌ててジョシュの手を握る。


「どうしたの?」


 後ろから二人を見守っていたガムランが声をかけた。


「おい、修理したてなんだ。あまり刺激を与えるな。また壊れても知らんぞ」


「そうね、ごめんね」


 ジョシュは説明を求めるようにミアの顔を見た。


「何があったの?」


「あの日、あなたは私と一緒に戻って来れなかったの。でもね、後からサジがあなたを連れてきてくれたのよ」


「サジが?」


「あなたが壊れたと聞いて罪の意識を感じたんですって」


「やっぱり俺は壊れちゃったんだね」


 思いもよらない運命の悪戯で彼は送り戻されたようだ。ジョシュの反応を興味深そうに見守っているガムランにミアが尋ねた。


「サジはどうなっちゃうの?」


「俺にとっちゃ初めての異世界からのお客だからな。優遇させてもらうよ。本人の希望は、こちらで勉強して向こうに知識を持ち帰ることらしい。病理学に興味があるようだな」


「お願いするわね。彼、すごく頭がいいんだ」


「ああ、話してみたが確かに切れる。気が変わればこちらで使いたいぐらいだよ。落ち着いたら会って話してやれよ。お前に申し訳ないことをしたって悔やんでたよ」


 ミアは微笑んだ。


「怒ってなんかないわ。ジョシュを連れてきてくれてありがとうって、そう伝えておいて」


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