【サイドストーリー5】 穴の底のミア その11
サトルの私室にある大きなテーブルを囲んで、賢人たちが密談していた。深夜なので『弟子』はリン以外にはいない。賢人たちは『穴』の仕組みについては興味を持ったが、サトルの予想した通り、誰一人として自分が24世紀に戻ることには関心がないようだった。
ハナフィは南部の水耕農場の立ち上げに夢中だし、リンドンはこの世界の歴史を調べ上げることに情熱を燃やしている。もはや彼らにとっては『あちら側』こそが異世界なのだ。今夜の話題はどうやってミアとジョシュを送り返すかということだ。
サトルが憂鬱そうに一同の顔を見渡した。
「問題はどうやって『穴』に近づくかだな」
帝国内では『穴』という『穴』の上に石造りのパゴダが立てられ、内部では召喚師達が日夜祈り続けている。周囲には武装した衛兵が立ち、『穴』に近づく者は例え賢人であっても殺してよいことになっている。見せしめのためだ。
ミアは向かい側に座ったトムに声をかけた。
「あなたはこれからどうするの? 私達と一緒に戻る?」
夢見るような口調でトムが答えた。
「せっかく来たのだから、もう少し楽しんで行きますよ。この時代の人間に化けて世界を見て回ろうと思ってます。ある程度情報を集めたら一度報告に帰るつもりですが、またすぐに戻ってきますよ。この世界と『あちら側』との連絡係になれれば理想的ですね」
「そんなに簡単に行き来できるの? 『穴』を使わなきゃ戻れないのよ」
トムがにこやかに笑った。
「こう見えても私のボディは戦闘用ロボットをベースに作られているんです。 見張りの目を盗んで『穴』に近づくぐらい朝飯前ですよ。次に『召喚』されてくるときには、疑われないように顔を変えてきます」
ハナフィが目を輝かせた。
「戦闘用ロボットか。それじゃ、君の力を使えば『穴』の一つぐらい乗っ取れるんじゃないか?」
「手荒な真似はしたくないんです。そんなことをすれば、今後こちらに残るあなたたちの生活に支障が出るでしょう。監禁されてしまっては困りますからね」
リンドンが皮肉っぽく笑う。
「つまりあの寛大なる『皇帝陛下』から、ミア達を送り返す許可を賜れということだな?」
「それが理想ですね」
サトルの表情がまた沈んだ。
「俺達は生ける国宝みたいなもんだからな。あのクソ親父が快く手放すわけがないだろう?」
「皇帝陛下に向かって無礼じゃないの。私からクソ親父に密告しておくわね」
リンの言葉にサトルが苦笑いする。彼女にかかればさすがの大賢人も形無しだ。
以前、サトルがミアに向かってぼやいたことがある。時々、どちらが大賢人なのか分からなくなることがあるって。今ではそれがただの冗談ではなかったことが分かる。
ミアは再びトムに問いかけた。
「ここに来るには絶望を感じなきゃいけないって言ってたわね?」
「ええ、とても嫌な気分でしたね」
トムがおどけるように顔をしかめて見せた。
「どうやったの?」
「私はAIですから感情をプログラムすることが可能なんですよ。ありがたいことに『穴』をくぐった時点でプログラムは無効になりますけどね」
*****************************************
翌朝、ミアはいつも通り、サトルのオフィスでジョシュと別れた。講義室へ向かう途中、今まで一言も話さなかったサジが口を開いた。
「ミア様、お話があります」
いつになく真剣な彼の声にミアは立ち止まった。
「どうかしたの?」
「賢人の国へ戻るおつもりなのですか?」
「ええ」
「ジョシュ様のためですね?」
「聞いていたの?」
サジはうなずいた。
「あの方は人間ではないのでしょう? 彼のためにあなたまで戻る必要があるのですか? 『天上世界』には未練はないとおっしゃっておられたではないですか」
「『あちら側』に戻って修理して貰わなければ、彼は壊れてしまう。どうしても戻らなくてはならないの」
「でも、どうしてミア様まで……」
「私が一緒じゃなきゃジョシュは行かないから」
「どうか、行かないでください。こちらに残ってください」
「私がいなくなってもあなたはここで勉強を続けられるのよ。心配はいらないわ」
「違います。私はあなたと……あなたと別れたくありません」
サジは衝動的に腕を伸ばし、ミアを抱き寄せた。強く抱きしめられ、ミアは初めて彼の言わんとしていることに気がついた。
「私がこれほど醜くなければ、あなたを引き止めることもできたのに……」
温厚なサジのものとは思えない苦痛のこもった声に、驚いて彼を見上げる。
「あなたは醜くなんかないわ」
彼はジョシュに劣らず背が高く、体格もがっしりしている。顔立ちは優しく、知的な茶色の瞳は彼女を惹きつけた。魅力的だと思っても、醜いと感じたことは一度もなかった。姿など自由自在に変えられる24世紀では、誰も肉体的な欠陥など気にもとめない。天然痘の残した傷跡を、彼がそこまで気にしていたとは思いもしなかった。
サジもまたミアが自分の容姿を気にするなどと本気で思ってはいない。どんな理由でも構わない。ただミアを責めたかっただけなのだ。自分ではなく人形を愛してしまったミアを。
今の今まで自分がミアに恋しているとは気づきもしなかった。彼女に対する想いは尊敬の念でしかない、そう思い込もうとしていたのだろう。醜い自分が天女に恋をするなんて惨め過ぎる話だから。
申し訳なさそうにミアは彼から身を離した。
「ごめんなさい。私はジョシュが好きなの。だから彼と行くわ。あなたのことはほかの賢人たちに頼んでおくから、後のことは心配しないで」
「申し訳ありません。弟子という立場を忘れ、取り乱してしまいました。どうかお許しください」
頭を下げるとサジはまた先に立って歩き始めた。
どうしてミアがジョシュに惹かれるのか、今ではサジにも分かっている。賢人たちの作り出したのは、人の醜さを持たない人間。彼はまっすぐで美しく純粋だ。
それに比べて彼はどうだろう。嫉妬のあまり身体だけでなく心まで醜い化け物に成り下がってしまった。それでもミアを行かせるわけにはいかない。彼がこれからすることを、ミアは決して許さないだろう。
*****************************************
翌朝、ミアがジョシュとサジを引き連れてサトルのオフィスに到着すると、皇帝からの使いが入れ違いに出て行くところだった。 不機嫌そうに使いを見送るサトルにミアが声をかける。
「何があったの?」
「参ったよ。ジョシュがロボットだという事が皇帝に知れた」
「どうして?」
サトルが厳しい表情でミアの背後に視線を向ける。
「サジだよ。彼が報告した」
ミアがサジを振り返った。
「どうして? どうしてそんなことしたのよ?」
サジはまっすぐにミアの目を見つめた。
「皇帝陛下に対する裏切りを、このまま見過ごすわけには行きませんでした」
違う、許せなかったのはミアの自分に対する裏切りだ。だから自分からミアを裏切った。
「いいんだよ」
静かな声でジョシュが言った。
「それでいい。俺に考えがあるんだ」




