【サイドストーリー5】 穴の底のミア その6
翌朝、目を覚ましたミアは無意識にジョシュのぬくもりを求めて腕を伸ばした。冷たいシーツの感触に昨日の出来事を思い出す。昨夜は遅くまで寝付けなかった。やっとこの異質な世界で一緒に生きていける人に出会えたと思ったのに。
どうしてあんなもの、作るのよ。人形に失恋だなんて笑い話にもなりはしない。ぽっかりと穴があいたような喪失感に、枯れたと思っていた涙が再び溢れ出す。出仕の時間が迫るまでミアは肩を震わせて泣き続けた。
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いつもの時間にサジが迎えに来た。ミアの泣きはらした顔には気づかないふりをして少し先を歩く。彼女は彼の思いやりに密かに感謝した。まっすぐに講義室に向かう。幸いなことに今日は面倒な実習がびっしりと詰まっていた。ジョシュのことを思い出してる余裕などないはずだ。
一日がゆっくりと過ぎ、やがて夕刻になった。一人で部屋に戻るのは気が進まない。いつもより時間をかけて後片付けを終え準備室を出た。
もうジョシュに会うつもりなんてなかったのにミアの足は自然とサトルのオフィスに向かう。彼がちゃんとやってるか確認するだけよ。そう自分に言い聞かせながらドアを開けた。
ジョシュはサトルの隣で分厚いノートに何かを書き込んでいるところだった。ミアの視線に気づき顔を上げる。ぱっと表情が明るくなった。
「どうした?」
サトルも顔を上げる。
「ああ、ミア、今日は忙しかったのか? 一度も顔を出さなかったじゃないか」
「実習が三つも入ってたの」
ジョシュは立ち上がるとミアに向かって笑いかけた。
「ミアって言うの?」
やはり今朝も記憶を失くしたようだ。
「俺はジョシュって言うんだ」
「うん、知ってるよ」
惨めな気持ちでミアは答えた。知ってるに決まってるでしょ? 私達、恋人同士だったんだから。
「会ったことあるんだね。俺、毎朝、こっちに来てからの記憶をなくしちゃうんだって。覚えてなくてごめんね」
「気にしないで。ここで働くのは楽しい?」
「うん。みんな親切にしてくれるよ」
ジョシュが幸せそうに笑う。楽しいフリをしてるだけよ。これはロボットなんだから。
「そう、よかったわ。じゃ、私は行くね」
彼の明るい笑顔に耐えられずミアは別れを告げた。 とたんに彼の表情が曇る。
「行っちゃうの? もうちょっとだけ話そうよ」
ジョシュの後ろでサトルが首を横に振ってみせた。
「ごめんね、今日はもう帰らなきゃ」
そして明日になればあなたは私のことなんて忘れてる。もう二度と会いになんか来るもんですか。
ジョシュの目が潤んだかと思うと大粒の涙がこぼれ落ちた。唖然としてミアは彼を見つめた。
「ジョシュ?」
「おいおい、いくらよく出来てるからってそれはないだろ?」
サトルが驚いて立ち上がる。
「俺だって悲しいときには泣くよ」
「ロボットに感情なんてないよ」
「でも俺にはあるんだよ」
「感情のあるロボットだなんてそんなの聞いたことないわ」
「俺は今までで一番人間に近いモデルなんだ。まだ数体しか作られてないんだよ。存在するのも秘密になってる」
つまり彼には心があるってこと? 人間と同じような?
サトルが笑い出した。
「なんだ、そうだったのか。それならそうと早く言ってくれよ」
ジョシュがぷいとむくれた。
「誰も信じてくれないと思ったんだよ」
「お前を見てりゃ信じないわけにはいかないよ。自分がロボットだと思い込んでる人間なんじゃないかって疑い始めてたところだ。それじゃモノみたいに扱われて気分が悪かったな。すまなかった」
人のいいサトルは素直に謝った。
「いいんだよ。もう慣れてる。『会社』にもね、どうしてもロボットはモノだとしか思わない人間がいるんだ」
彼の表情が曇ったのにミアは気づいた。何か辛い思い出でもあるのかな。サトルが不思議そうにジョシュに尋ねる。
「ミアと会えなくなるのが泣くほど辛かったのか? 今、会ったばかりなのに?」
「だってこの人は……」
ジョシュが口ごもった。どう説明すればいいのかわからずミアとサトルの顔を交互に見る。
「俺はこの人、知ってるんだよ」
「『召喚』されてからの出来事は毎朝忘れるんだろ?」
「よく分かんないけど、俺はミアといなくっちゃだめなんだよ」
サトルがミアを振り返った。
「ずいぶん懐かれちまったな。ロボットじゃパートナーにはならんと思うが、もう少し面倒みてやるか?」
ミアが笑顔で答える。
「喜んで。ジョシュなら大歓迎よ」
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サトルのオフィスを出て、ミアとジョシュはいつもの渡り廊下を並んで歩いた。
「ミアの部屋はどこ?」
「歩いて十分ほどのところよ。昨日も一昨日もジョシュはここを歩いて私の部屋に来たんだよ」
「本当に? どうして思い出せないんだろうなあ。俺はミアのところに泊めてもらったの?」
ミアがジョシュを見上げた。
「そう、私たち一緒に寝てね、愛し合ったんだよ。ジョシュは私の事、好きだって言ってくれたの。私もあなたにとても惹かれた。だから私たち、これからは一緒に暮らそうって約束したの」
ジョシュの表情が凍りついた。
「もしかして……ミアは俺が人間だと思ってたんだよね」
「うん、昨日の朝まで知らなかったよ」
「話してなくてごめんね。きっとミアに嫌われたくなくて言えなかったんだ」
「昨日の晩、私、約束破っちゃったの。一緒に暮らすって言ったのに、ジョシュをあんなところにおいて部屋に戻っちゃった」
ミアが泣き出した。
「ミア?」
ジョシュがおろおろと彼女の顔を覗き込む。
「あなたがロボットだって知ってすごく悲しかった」
「ごめん」
「違うよ。悲しかったのはね、ジョシュが私のことを好きなフリしてただけだと思ったから」
「じゃあ、ミアはまだ俺のこと好きなの?」
うなずくミアを彼は優しく抱き寄せた。
「さっきミアが部屋に入って来た時、すごく嬉しかった。誰だか分かんなかったけど、俺にとって大切な人だっていうのは分かったんだ」
ジョシュの腕の中で、ミアは彼の顔を見上げた。
「ずっと一緒にいてくれる? もう約束を破ったりしないから」
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彼が存在しないかのように振舞う二人をサジが冷ややかに見つめていた。
ジョシュが人の形をした機械だと聞いて生理的な嫌悪を感じた。前日の二人を祝福する暖かい気持ちは微塵も残っていない。
賢人たちは人間ですら創ってしまうのか。これは悪魔の技ではないのか。あのような化け物が彼の敬愛するミアを抱いていたのかと思うと虫唾が走る。すぐに皇帝に報告すべきなのだが、ミアは彼を信頼してくれている。彼女を裏切りたくはなかった。サジはただ黙って唇を噛んでいた。




