【サイドストーリー5】 穴の底のミア その1
このお話の舞台は24世紀と『もう一つの』21世紀。第四幕中盤あたりの出来事になります。
クリスばあちゃん曰く、「『穴』は様々な時間や場所に繋がっている」ので、その設定を使って『異世界モノ』を書いてみました。世界観を広げすぎたかと思い、自サイトにも短期間しか掲載しなかった作品ですが、ガムランがいい男なのでこちらに保存しておきます。
本編にも登場するキャラクターはガムランとヒルダのみ。ネタバレはありませんが、この二人の関係を含め、本編の世界観を理解してからの方が楽しんでいただけると思います。
※この作品に何度も登場する『穴』に関しては本編第三幕「『穴』と『パスワード』」の後半でサエキさんが『説明』してくれています。
ジョシュは途方にくれた様子で辺りを見回した。森の中の小さな空き地に出るはずだったのに、彼は今、古めかしい石造りの建物の中に突っ立っていた。足元には黄色味を帯びた石板が敷き詰められている。見たこともない場所だ。
それよりも彼を困惑させたのは、彼を取り囲むように座っている十人ほどの男達だった。皆、僧侶のような黄土色の質素な衣服を纏っている。どこかの寺院に着いてしまったのだろうか?
頭にターバンのようなものを巻いたリーダーらしき男が前に進み出ると、ジョシュに向かって深く頭を下げた。平静を装ってはいるが興奮の色が見て取れる。
「ようこそ、サキ=デム=ガルジへ。賢き方よ」
ジョシュの普段使っている言葉なのだが、アクセントがどことなくおかしい。
「ここはどこ……ですか? あなた達は誰?」
「ようこそ、サキ=デム=ガルジへ。賢き方よ」
ジョシュの問いが聞こえなかったかのように、男はもう一度繰り返した。
21世紀に着いたらフギンと連絡を取るように言われたのを思い出し、ネットワークを探そうとするがどこにも見つからない。焦って周りを見回したとき、通話許可を求めるメッセージが届いた。慌てて許可を出すと自ら話しかける。
『誰?』
『俺はサトルって言う。いいか、今から君は俺のいるところまで護送される。俺に会うまでは誰とも話すんじゃない。話しかけられても黙って笑ってろ。そこにいる奴らには、どうせ俺たちの言葉は分からないんだけどな』
『ここはどこなの?』
『それも会ってからだ。訳あって今説明するわけにはいかない。俺以外から『通信』が入っても絶対に答えるな。そこからだと夕方にはこっちにつく。出された食べ物は食っても大丈夫だ。じゃな』
ここで『通信』を切られてはたまらない。必死になってジョシュは食い下がった。
『俺は21世紀に行くつもりだったんだ』
サトルが申し訳なさそうに笑った。
『たしかに君は21世紀に着いたんだよ。ただ……ちょっとばかりズレたとこにな』
*****************************************
ミアは白と朱色に塗り分けられた豪奢な渡り廊下を走りぬけた。顔にあばたのある大柄な男が後を追う。
「ミア様、お待ちください。どちらへ行かれるのですか?」
「大賢人の部屋よ。急いで来いって言うの」
大賢人の興奮した口ぶりから察するとかなり重要な用件らしい。サジを信頼してはいるが『弟子』の前では話しにくいこともある。できれば彼を連れて行きたくはなかったが、日中はどこへ行くにも『弟子』を同伴しなければならない規則だった。
ミアが入ってくると大賢人は分厚いノートから顔を上げた。彼のオフィスはいつも紙でできたもので一杯だ。本にノートにたくさんのメモの切れ端。大昔の映画の一場面みたい。
一足遅れて部屋に飛び込んできたサジが大賢人を見て慌てて頭を下げた。
大賢人には皇帝でさえ敬意を払う。そのような地位には似合わないほど彼は若く見えた。せいぜい二十代後半というところだろうか。賢人の実際の年齢は見かけでは判断できないとサジは知っていた。賢人たちの人種は様々だが大賢人は黒い髪に茶色い瞳、サジたちとよく似た外見をしている。
興奮した表情で大賢人が言った。
「新入りだよ。今朝、アジラム地区で『召喚』された」
「オセアニアね? オーストラリア?」
「ニュージーランドだ」
「皇帝はそんな辺境にまで召喚師を送り込んでたの?」
「俺が指示したんだよ。ガムランのお膝元で誰かが消えれば、さすがに奴も動かざるを得ないだろうと思ったんだ。予想以上にうまく行ってね、なんと『本社』の敷地内の『穴』から引きずり込まれたんだ。おそらく『会社』関係者だよ」
彼は嬉しそうに笑った。生真面目そうな顔も笑うととたんに子供っぽくなる。
「この人ったら嬉しくてしかたないのよ。『召喚』された人の身にもなってあげなさいって言うのに」
後ろで書類の整理をしていたリンが口をはさんだ。リンは大賢人の弟子だ。三十代の小柄な女性で恐ろしく頭がいい。この世界の出身だが、賢人たちの言葉をわずか半年でマスターしてしまった。頭の中に補助装置が埋め込まれていないとは思えないほどだ。弟子は皇帝のスパイだと相場が決まっているが、賢人たちは彼女には絶大の信頼を置いていた。
「念のため高速機を配備しておいてよかった。そろそろ到着する頃だ」
大賢人が立ち上がる。
「ミアは新入りを出迎えるのは初めてだろう? 謁見の間に行こう」
*****************************************
馬鹿げた衣装を纏った三人の召喚師達が、青白い顔の男を囲むようしてに入って来た。男は召喚師達より頭一つ分背が高い。疲れ果てた表情で部屋の中を見回している。謁見の間と言ってもせいぜい五メートル四方の小さな部屋だ。ミアたちを含めてもその場にいるのは十名ほどだったが、それでも狭苦しく感じられる。
召喚師の長は神妙な表情を崩さないまま男を大賢人の前まで案内した。賢人を『召喚』することに成功すれば、多額の報酬と長期の休暇が与えられる。貧しい農村に生まれ召喚師に志願するしか道のなかった男達にとっては、まさに夢のような話だ。小型の高速機に乗りきれなかった残りの召喚師達は、すでに職務から解放されているだろう。この男達も、早く自由になりたくてうずうずしているはずだが、大賢人の前ではそんなそぶりは見せはしない。
ミアは大賢人の大きな木彫りの椅子の後ろに立って男を眺めた。枯れ草色の髪に明るい茶色の瞳、派手さこそないが均整のとれた美しい容姿をしている。たしかに彼女と同じ時代から来た人間だ。おそらく生身ではないんだろう。
大賢人が立ち上がると召喚師達にねぎらいの言葉をかけた。
「ご苦労だったな。もう下がっていい。皇帝陛下より追って沙汰があるだろう」
召喚師達が立ち去ると大賢人は男に近づき微笑みかけた。
「旅はどうだった? 改めて挨拶させてもらう。俺がサトルだ」
少し照れたように付け加える。
「ここじゃ大賢人なんてふざけた肩書きで呼ばれてるけどね。なんてことはない、24世紀じゃエンジニアをやってた」
男はすがるような表情でサトルを見た。
「あなたも24世紀から来たの? あの人たち、俺のことを賢人って呼ぶんだ」
「24世紀からきた人間は誰であろうと賢人扱いされちまうんだよ」
「もう頭がおかしくなりそうなんだ。頼むから何があったのか説明してよ」
ミアには彼の気持ちが痛いほど理解できた。半年前の彼女と同じだ。彼女も召喚師達に囲まれてこの部屋に通されたのだ。
*****************************************
あの日、怯えた顔のミアに向かってサトルは申し訳なさそうに告げた。
「君がいるのは21世紀の地球だ。天体の位置からもそれははっきりしている。ただ、なんていうか俺たちの世界とは違った歴史を歩んでるようなんだ」
「パラレルワールドってこと?」
「そういうことになるんだろうな」
「『穴』での時間旅行は安全だって聞いてたわ」
「そう発表せざるを得ないんだろう。ガムランが行方不明者に気づいていないはずがない。これまでにかなりの数の人間が『召喚』されてるからな」
「召喚って?」
「皇帝は一人でも多くの賢人を呼び寄せようと躍起になってる。国中の『穴』の周りで召喚師たちが呪文を唱え続けてるんだ。それこそ一日中な」
『穴』はパスワードに反応して開く。呪文というのはパスワードなのだろうか?
「誰かを呼び寄せられるとは知らなかったわ」
「くわしく調べたいんだが、賢人は『穴』に近づくことを禁じられている。呼び寄せると言ったって三年に一人も引きずり込めればいいほうだからな。君は五年半ぶりの犠牲者だよ」
*****************************************
男の名はジョシュといった。惨めな表情でサトルの話を聞いている。自分がこれからこの世界で暮らさねばならないという事実を、受け入れられないようだ。
サトルがミアを手招きした。
「彼女はミアだ。半年前に召喚されてね、君が来るまでは一番の新顔だった。この子となら話が合うんじゃないかな」
ミアはジョシュに近づくと、安心させるように微笑みかけた。彼には識別チップが埋め込まれている。チップは行政側に保存されているデータを照会するためのもので、チップ自体にはたいした情報は入っていない。アクセスしてみたが、ミアには彼が人間だってことしかわからなかった。
彼もミアのチップを読んでいるようだ。24世紀では誰もがネットからの情報に依存して暮らしている。ここに来たときには五感を奪われたような衝撃を受けたが、今では不便にも感じない。人間というのは案外適応が早いものなのだ。
ジョシュがおずおずとミアに話しかけた。
「えーと、初めまして」
なんだか間の抜けた挨拶だ。
「こんなところに突然来ちゃって驚いたでしょ」
ミアも間の抜けた返事を返した。そりゃ誰だって驚くに決まってる。
「……戻れないって聞いたんだ。本当なの?」
残酷なようだが新入りにはまずこれを最初に聞かせる。さもなければ誰もこっちの話なんて聞こうとしないから。
「うん、ここから24世紀に戻った人は誰もいないの」
「『穴』に近づけないから?」
「違うの。試した人はいるんだけど逆方向には『穴』が開かないんですって。一方通行なのよ。でもね、ここはいいところよ。あなたもすぐに慣れるわ」
彼の失望した様子を見てリンがミアに声をかけた。
「ねえ、ミア。あなたがこの人の面倒をみてあげてくれない?」
ミアは驚いて彼女を振り返った。
「でも『世話係』がつくんでしょ?」
新入りは皇帝より『世話係』を賜るのが習慣になっている。新入りがこちらの生活に馴染み適正がはっきりすれば次に『弟子』が与えられる。どちらも体のいい見張り役であることに変わりはないのだが。
サトルが笑う。
「皇帝はろくなのをよこさないからな、適当に理由をつけて断ったんだよ。それに言葉の通じる君といる方が彼も落ち着くと思うんだ。ミアの部屋のすぐ隣が開いてるだろ? 連れてってここでの暮らし方を一通り教えてやってくれないかな。明日、ミアが出仕する前にまたここにつれて来てくれればいいよ」
ミアは慌てた。24世紀にはもう二度と戻れない。彼と話をして向こうの事を思い出してもかえって辛くなるだけだ。断ろうとして口を開くよりも早くジョシュが礼を言った。
「君が一緒に来てくれるの? ありがとう」
彼の安堵した表情を見たら引き受けないわけにはいかなくなった。
「じゃあな、ジョシュ。今夜はゆっくり休むといいよ。明日の朝、また会おう」
サトルがドアを開けて二人を送り出す。その後にサジが続いた。立ち上がるとジョシュはずいぶんと背が高い。ミアは落ち着かなげな彼の顔を見上げて笑ってみせた。
「さ、行こうよ」
ジョシュが弱々しい笑顔を返す。子供のような邪気のない笑顔に、ミアは思わず見入ってしまった。人間の肉体なんて気軽に改造してしまえる24世紀では、容姿が美しいのは当たり前のことだ。でもこの人にはそれとは違う何かがある。
彼の世話係もそう悪くはないかもしれない、薄暗い廊下を歩きながらミアは思った。




