【サイドストーリー4】 ロボットと刀と小料理屋 その2
ムサシが週末を部屋で過ごしていると知った大将は、彼に遊びに行くように言いました。
「給料入れといたからな」
「給料ですか?」
「そりゃあ、働けばお給金がもらえるに決まってるだろう。それがこの世の決まりってもんだ。おめえの口座を開いておいたからな。たいした額じゃないが、欲しいものを買え」
土曜日の朝、女将がいなくなると、彼はころころと町を散策に出かけました。近所の人はムサシのことを知っていたので彼が外に出ると声をかけてくれました。
広場まで出ると、週末のマーケットが開かれていました。色とりどりの出店が並び、大小様々の絵画や手作りのアクセサリー、可愛らしく包装された焼き菓子などが売られているのでした。ムサシはきれいな物を見るのが大好きでしたから一つ一つの出店を覗きながらころころと進んでいましたが、あるお店の前でぴたりと足を止めました。それは貝殻を削って作ったアクセサリーを売るお店でした。屋根のキャンバスを支える支柱の間に太いロープが渡され、淡く光るペンダントやネックレスがいくつもぶら下がっていました。彼の刀に浮き出ているような貝殻細工の柔らかな模様に惹かれて、彼はしばらく眺めていました。
「ロボットのお客さんは初めてだ」
髭面の店主が言いました。
「きれいですね」
「へえ、機械のあんたに分かるのかい?」
ムサシはおかしな質問だと思いました。だってペンダントはどれもとてもきれいでしたから。
「全部俺が作ったんだ。買ってくれるのなら安くしておくよ」
彼は断りかけましたが、ふとこのペンダントなら色の白い女将に似合うだろうと思いました。プレゼントにしたいのだと告げると店主は笑いました。
「女かい? 最近のロボットは隅におけないね。いや、俺が古いのかもしれないな」
散々迷った末、彼は薄いピンク色のペンダントを買いました。
町を歩けば人間に混じってたくさんのロボットが行き来していました。彼らはどれも洗練された形をしていました。わざと古臭い格好に作られたロボットもいますが、それは彼らのデザインが人々に好まれていたからです。
ムサシはお店のウインドウに写った自分の姿を見て、惨めな気持ちになりました。それは素人に組み立てられたとても醜いものでした。金属板はどれも適当に切ったような形をしているのに、継ぎ目だけは気味が悪いほどなめらかに処理されていました。いびつに歪んだ自分の身体を通して、彼は博士の狂気を感じました。博士が天才科学者だったとはとても信じられませんでした。
彼の身体で唯一美しいのは、遠い昔に刀鍛冶によって鍛えられた二振りの抜き身の刀だけだったのです。そしてそれは人を殺すために彼の腕に取り付けられているのでした。こののどかで美しい街角に自分がいること自体間違っているように思えて、彼は惨めな気持ちで女将の部屋に戻りました。
翌日の夕方近く、女将は戻ってきました。ムサシがペンダントを渡すと嬉しそうに首に巻いて見せてくれました。ですが、その時、彼は女将の指に見慣れない大きな指輪が光っているのに気づいたのでした。
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「おめえさ、ちゃんとした手をくっつけてもらっちゃどうだ」
ある日、大将がムサシに向かって言いました。
「手ですか?」
「ああ、五本の指のくっついた奴だ。手があればもっと教えられることもあるからな」
「そうなったらまるで弟子みたいですね」
「だから俺の弟子にしてやると言ってるんだ」
ムサシは驚いて大将を見つめました。大将の顔は笑っていましたが、冗談を言っているわけではないようです。
「いっそのこと、その刀ごと交換してもらえ。刀の代わりに包丁を使えばいい。おめえなら刺身の盛り付けだってすぐにできるようになるさ」
ムサシは大将の弟子になれるなんて夢のようだと思いました。ですが、ロボットを改造するには持ち主の許可が必要です。果たして、言いつけに背いた彼を博士は許してくれるでしょうか。
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ある金曜日の夜でした。夜中近くになって女将の部屋にあの男が入ってきました。男はこっそりと女将のベッドにもぐりこみました。女将は驚いた声をあげ、そのあとすぐに笑い出しました。二人が楽しそうにささやきあうのを聞いて、ムサシはいたたまれなくなりました。そっと部屋から抜け出すと裏口から表に出て仕方なく夜空を眺めました。
「お嬢のな、結婚の許可が下りたそうだ」
翌朝、下ごしらえの最中に大将が言いました。
「そうですか」
ムサシは人参から目を離さずに答えました。
「妬けるか?」
「いえ」
「そうか。だがな、おめえの人参の厚さがこんなに不ぞろいなのは初めてだぜ」
大将は叱る風でもなくそう言いました。
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次の週のことでした。まだ土曜日の晩だというのに、女将が部屋に戻ってきたのです。彼女の顔は涙で濡れていました。ムサシは急いで女将のそばに転がっていきました。
「大丈夫ですか?」
彼は尋ねました。
女将は彼のいびつなボディにすがりついて泣き出しました。泣きながら彼に何があったか話しました。 女将の話は順序がばらばらでしたが、ムサシには大体の事情が飲み込めました。女将の恋人は彼女が結婚してからも店を続けることを、あまり快く思っていないのです。彼の仕事を優先にして、代わりに誰かを雇えというのです。そういえば彼は何度も女将を迎えに来ましたが、一度たりとも店には姿を見せていません。
「だから別れたの」
女将は言いました。
「この店を継ぐのが私の夢だったから。諦めたら後悔すると思うんだ」
そしてまた彼女は泣き出しました。
こういうとき人間がどうするかムサシは知っていました。抱きしめて慰めてあげるのです。ですが、彼がそんなことをすれば女将が真っ二つになってしまいます。抱きしめるどころか刀身がうっかり女将に触れてしまうことのないように、ムサシは馬鹿みたいに腕を持ち上げていました。彼はまったくの役立たずでした。
「すみません」
彼は言いました。
「女将が泣いているのに、私には何もできないのです」
「あいつの首、ちょん切ってくれる?」
「いいえ、それはできません」
人間は感情が昂ると思ってもいないことを口にするものだと知ってはいましたが、それほどまでに女将が胸を痛めていると分かり、彼はとても悲しくなりました。
「分かってる。ごめんね。ムサシは優しいもんね」
女将は涙に濡れた顔を上げました。
「あなたがいてくれてよかった」
いいえ、ちっともよくなんてありません。ムサシはこれほどまでに自分が無力だと感じたことはありませんでした。女将が眠ると彼はすぐに家を飛び出しました。
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ムサシは夜の道をひたすら走りました。博士の家に着いてみれば、前よりも汚くなった部屋で博士は力なく座っていました。
「博士」
博士は顔を上げました。そしてムサシを見て嬉しそうに笑いました。ムサシは急に罪の意識を覚えました。女将のところに行ってからというもの、彼は博士のことを案じもしませんでした。彼があの店で楽しく暮らしている間、博士はここにずっと一人でいたのです。
博士はすべての女は邪悪なのだといいました。でもムサシにはそれは間違いだとわかったのです。博士は外の世界がどんなに楽しいところなのか忘れてしまったのですから、さっさとここから連れだして思い出させてあげればよかったのです。
彼はこれからは博士の面倒を見てあげようと決めました。ここをもっと居心地のよい場所にしてあげるのです。そのためにも彼には手が必要でした。
「私は五本の指のある手が欲しいのです」
彼は博士にいいました。
「刀はもう必要ありません。付け替えてはもらえませんか? でなければ自分で取り替えてもらいに行きますから、改造の許可をください」
「それでは、もう世界中の女を殺してきたのだね?」
「いいえ、誰も殺してはいません」
博士の顔から急に表情が消えました。
「では、お前は私の命令を守らなかったのだね」
「すみません。ですが、私は人を殺したくはないのです」
「そうか」
博士はムサシの耳元で何かをささやきました。そのとたんに彼の身体は動かなくなりました。意識がぼんやりとしてきます。博士は緊急時用のコードを使ってムサシを停止させたのです。
薄れ行く意識のなかで、彼は博士がナノファイバー糸鋸で彼の首を、そして次には両腕を根元から切り落とすのを感じていました……
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「お客さん、すみません。こいつおしゃべりが大好きで」
板前が僕の前に天ぷらの盛られた皿を置いた。
「これじゃあ、ゆっくり食事が出来ねえでしょう」
「いえ、とんでもありません。とても面白いお話ですよ。お料理もとてもおいしいです」
男が話している間も、僕は次々に運ばれてくる料理を食べ続けていた。僕は自分の味覚にあまり自信がないのだが、吸い物は出汁が利いていておいしかったし、刺身ときたら舌が蕩けそうだと思った。
だけど僕は話の続きが気になって仕方なかった。そこに飾られている刀がロボットにくっついていたものだということは僕にだって分かる。でもムサシはどうなってしまったんだろうか。
「そのロボットはどうなったんですか?」
「今、お話しますよ。でもお客さん、冷める前に召し上がってくださいね。うちの自慢の天ぷらなんですから」
男に言われて僕は揚げたての大きな海老を口に入れた。実を言えば天ぷらを食べるのは生まれて初めてなのだ。
「……おいしい」
「そうでしょう」
自分が揚げたわけでもないのに男は得意そうに笑った。困った奴だと言わんばかりの顔で板前がカウンターの向こうに戻ると、彼はまた語り始めた。
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朝になってムサシがいないことに気づいた女将と大将は、すぐに行政コンピュータに問い合わせて居場所を教えてもらいました。この世界の出来事で彼らに分からないことなんてありませんからね。博士の家に到着すると彼らは家のドアをたたきました。ですが、返事がないので無断で中に入りました。ドアには鍵がかかっていなかったのです。
天敵である女が入ってきたのを見て博士は驚き慌てました。よたよたと逃げだして部屋の隅のガラクタの間でひざを抱えて小さくなってしまいました。
ムサシがばらばらになって転がっているのを見ると、女将は悲鳴を上げました。大将が駆け寄ってムサシの身体をあらためます。彼の頭部が細かく切り刻まれているのに気づいて、女将は青い顔で座り込んでしまいました。
「お嬢、ムサシの頭脳は胴体の中にあるんだ。こいつが自分でそう言ってました。胴体には傷はねえ。大丈夫ですよ」
大将は博士を睨みつけるとドスの利いた声で怒鳴りました。
「いくらだ? いくらで売る?」
「はあ?」
「このロボットをいくらで売るのかと聞いてるんだ」
「も、もうそれはいらん。何の役にも立たない奴だ」
大将の剣幕に怯えきった博士は、震える声で答えました。
「じゃあ、もらってくぜ。『バジル』、聞いてたな。俺がこのロボットを爺さんから譲り受ける。記録してくれ」
大将は行政コンピュータに話しかけました。『バジル』はくすくす笑いながら、ロボットの所有者の名義を大将の名前に書き換えてくれました。
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「話はそこまでだ。おめえ、今日は大事な用事があるんじゃなかったのか?」
再び板前が割り込んだ。
「あ、そうでしたね」
男が慌てて立ち上がる。
「お客さん、話の続きなら私がしますよ。おめえはそこの爺さんをなんとかしろよ」
板前に言われて、男はまだ眠りこけている爺さんを振り返った。
「へい、じゃあ、あとはよろしく。お客さん、また来てくださいよ。今度は私が作りますから」
「あれ、あなたも板前なんですか?」
「そうなんです。包丁捌きじゃ大将には負けませんよ」
彼の言葉に板前が目を剥いた。
「おい、ムサシ。生意気言うんじゃねえ。おめえが板前を名乗るにゃ百年も二百年も早いぜ」
僕はびっくりして若い男の顔を見つめた。板前はにやにやしている。お客の驚いた顔を見るのが楽しくて仕方ないんだろう。
「ほら、博士、起きてください。家まで送っていきますよ」
気持ちよく寝ていたところを起こされて不満げな老人に肩を貸すと、ムサシは店から出て行った。引き戸が閉まると板前が僕に言った。
「あのボディは私が買ってやりました。男前でしょう。なあに、そのうち出世払いで返してもらいますよ。初めて一年続いた弟子ですからね」
「彼がロボットだなんて思いもしませんでしたよ」
「そうでしょう。なんでもあいつの頭脳は『会社』の純正だったそうでね。それも人間そっくりの思考を行うとかいう最新型なんだそうで。どうしてそんなたいそうなモノがあの爺さんの元に届いたのかは『天使』の悪戯だか思し召しってとこでしょうな」
「もしかしてあのおじいさんは……」
「ええ、あいつの元の持ち主です。ロボットこそ専門外ですが、昔は名の知れた物理学者だったそうですよ。治療を受けてちょこっとは正気を取り戻したようですがね、ムサシの奴、義理堅く世話を焼いてやってるんです。私はあまり面白くありませんけどね」
厨房の奥の暖簾の間から、和服姿の女性が顔を出した。
「大将、ムサシはどうしたの?」
「博士を送ってったよ。今からお嬢と出かけるんだろう? 早めに送っていかせたんだ。ほんと、手のかかる爺さんだぜ」
「あら、失礼いたしました」
僕がいるのに気づき、女将は顔を赤らめた。美人というよりは、愛嬌のある魅力的な顔立ちをしている。
「今じゃお嬢の方が惚れてなさるのさ」
「ちょっと、お客さんに何を話してるのよ」
「またあいつが始めたんですよ。なに、お嬢との馴れ初めを自慢したかったんでしょうな」
ますます顔を赤く染める彼女を見て、なんてムサシは運のよい奴なのだろうと僕は思った。
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表に出ると雪が降リ始めていた。今年初めての雪だ。僕は店の軒先に笹が飾ってあったのに気付いた。そう言えば今夜は七夕だったっけ。遠い昔にアジアのどこかで生まれたこの風習は、今でも世界中で受け継がれている。笹の枝を飾るのは確か日本風だ。雨が降れば牽牛と織女は会えないと言うれど、雪ならばなんとかなるんじゃないのかな?
「ずいぶんと粋なはからいじゃないか」
空を仰いで僕は言った。孤独な老人に息子を与え、後継者に悩む職人には弟子を与え、跡取り娘には心優しい理想の婿殿を与えたわけだ。いつもながらの見事なお手並みだよ。
『天使』達が僕にあの店を薦めた理由がなんとなく分かった気がした。希望さえ失わなければ、この僕もいつかは誰かに巡り合えるのだろうか? 真実を知っても僕を愛してくれる誰かに。
-おわり-
ニュージーランドが舞台なので日本とは季節が逆になっています。作中の『僕』は本編に登場するキャラクターですが、誰だか分かりましたでしょうか?




