【サイドストーリー4】 ロボットと刀と小料理屋 その1
その小料理屋は中心街から少しはずれた閑静な裏通りにあった。着いたときには閉店時間を少し回っていたが、僕は駄目で元々と暖簾をくぐった。以前より知人から薦められていたのだけど、なかなか近所までくる機会がなかったのだ。
「へいらっしゃい」
暖かい店内に入ると、テーブルの片づけをしていた若い男が人懐こい笑顔で迎えてくれた。
「ちょっと遅かったですね」
客のいない店内を僕は見回した。白木を基調とした店内はこざっぱりとして感じがいい。日本料理屋といえば日本らしさをやたらにアピールした店が多い中、とても新鮮に思えた。
「いえ、大将、まだいけますね?」
男がカウンターの奥の中年の板前に声をかけた。
「いいよ。お客さん、何にしましょうか?」
「そうですね。お勧めを見繕ってください。いつも友達がオーダーしてくれるもので、日本料理はよく分からないんですよ。なま物は大丈夫です」
「お客さん、この店は初めてですね?」
「ええ、友人に聞いて気になってたんですが、こっちまで足を伸ばす機会がなくて」
僕は少し疲れていたので、カウンターではなく壁際の落ち着けそうな席を選んだ。そこからは店の奥の座敷の席が見えた。仕切りにもたれて年老いた客が気持ち良さそうに眠っている。
「おや、ぐっすり眠ってますね」
「あの方はいつもああなんです」
仕方ないといったふうに男が笑う。居心地のよい店の雰囲気につい飲みすぎてしまったのだろう。僕は座敷の突き当たりの一段高くなった場所に(たしか床の間って言ったっけ?)二振りの刀が飾られているのに気づいた。
「あれ、日本刀だよね? 本物?」
そんなはずはないだろうと思いながらも、なんとなく気になって僕は尋ねた。
「ええ、鞘と柄はレプリカですが、刀身は本物ですよ。博物館でしかお目にかかれない代物です。ごらんになります?」
僕は喜んで見せてもらうことにした。どうも男というものは平和な時代に暮らしていても武器に対する憧れは消えないものらしい。男は二本のうち長い方の刀を持ってくると、慣れた手つきで鞘から刀を抜きはなった。 いつもお客に見せているんだろう。
「うわ、きれいですね」
刀身にくっきりと浮き上がる波のような模様を見て、僕は思わず息をもらした。
「でしょう? 鑑定してもらったのですが、たしかに江戸後期の物だそうです。 特殊なコーティングを施されているので少し輝きは鈍いのですけどね。そのおかげで錆びもせずにこの状態で残っていたようですよ」
江戸後期と言われても分からなかったので、僕はすばやく検索をかけた。なるほど、これは確かに値打ち物だ。
「このお店も古いのでしょう? お店に昔から伝わって来たんですね」
「いえ、この刀はほんの一年ほど前にこの店にやってきたんです」
「やって……きたんですか?」
刀がやってきたという言い回しに僕は思わず聞き返した。
「ええ、これには面白いいきさつがあるんですよ」
小さな器に入った料理を運んできた板前が呆れた顔で笑った。
「おめえ、またあのみっともねえポンコツロボットの話を始めるつもりかい?」
ポンコツロボットだって? これまでの流れに僕はすっかり疲れを忘れてしまっていた。刀の由来が気になった僕は男に頼んだ。
「よかったら聞かせてください。一人で食べるのもさびしいですからね」
僕の食事の邪魔にならないように、男は少し離れたところに座ると、ゆっくりとした口調で語りだした。
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あるところに年老いた博士が住んでいました。 博士はある日、一体のロボットを作りました。それはずいぶんと風変わりなロボットでした。両腕のひじの部分から先には、手の代わりに日本刀が取り付けられていたのです。 ロボットが完成すると博士はとんでもないことを命じました。刀を使って世界中の女を殺してくるようにと言いつけたのです。
お分かりだと思いますが、博士の頭は少しおかしくなっていました。過去に女性に裏切られた恨みを忘れることができず、一人で家に篭ってそれを晴らすことばかり考え続けていたのです。
ロボットの金属製の頭は真四角の箱で、長四角の胴体の上に細い首を挟んで乗っかっているだけでした。ボディには色さえ塗られておらず、鈍い灰色をしていました。胴体の下側には足の代わりに一対の車輪が取り付けられていました。そのほうが女を追いかけるのに好都合だと博士は思ったのでしょうね。
さて、ロボットは博士の命令を受けて、初めて外の世界に出ました。鬱蒼とした木々に囲まれた博士の家の門をくぐると、周囲には広々とした畑が広がっていました。人付き合いが苦手な博士の家は住宅地からすこし外れた小さな雑木林の中にあったのです。ロボットが細い田舎の道をころころ転がって行くと向こうの方から長い髪をした人間がやってきました。
ロボットはのっぺりとした頭の真ん中に取り付けられた二つの目玉でその人間を見つめました。
「あなたは女ですか?」
「そうだけど、どうして?」
ロボットは博士以外の人間を見たことがなかったので、間違いがないように確認しました。『女』の長い黒髪と白い肌はとてもきれいに見えました。博士のしわしわで垢にまみれた姿とは大違いです。ロボットはこんなに素敵なものをばらばらにしてしまうなんてとんでもないことだと思いました。
『女』もロボットの識別コードを読み取りました。この時代、みかけじゃ判断できませんからね。ロボットは確かにロボットでした。『女』はロボットの姿をしげしげと見つめました。おかしな姿をしたものは巷にあふれていましたが、両手に刃物をくっつけたロボットなんて珍妙なものは見たことがありませんでした。
「凄いね。それ、日本刀でしょ?」
「そうです」
ロボットは両腕を前に突き出して『女』に刀を見せました。右の刀は長く、左の刀は少し短めでした。元々対になっていたものを博士がどこから手に入れて来たのです。
「へえ」
ロボットは『女』が感心している様子なのですっかり嬉しくなりました。
「ねえ、あっちに向かってるのよね」
「はい」
「これ、運ぶの手伝ってもらっていいかな? 今朝はいいのがたくさん出てたから、ついつい買いすぎちゃった」
「いいですよ」
『女』は野菜の入った風呂敷をほどくと彼の胴体にたすきがけにぶら下げました。
「あなたはこんなにたくさんの野菜を食べるのですか?」
「私一人で食べるんじゃないのよ。うちは料理屋なの」
『女』は店で使う野菜を農家まで買いに来ていたのです。色々な話をしながら彼らは店へと向かいました。博士はロボットにたいした知識を与えてくれませんでしたし、ネットワークへの接続も許していませんでしたから、彼は恐ろしく世間知らずでした。見るものすべてが新しくてロボットは楽しくてしかたありませんでした。
彼らは『女』の店の裏口から厨房に入りました。荷物を台の上に置くと『女』はロボットに礼を言いました。
「ええと、あなた、お名前は?」
「ありません」
ロボットには名前がありませんでした。博士は彼を『お前』と呼んでいましたから名前をつける必要を感じていなかったのです。
「じゃ、ロボットさんね。あなたは……お茶は飲めないか」
『女』は彼ののっぺりとした顔を見て言いました。
「あなたはどこから来たの?」
「あっちです」
「今からどこに行くの?」
「分かりません。命令を遂行するまでは戻ってくるなと送り出されたのです」
「命令って?」
「世の中の女を皆殺しにすることです」
『女』がちょっと不安そうな顔になったのでロボットは悲しくなりました。
「ええと、じゃあ、あなたは私も殺すつもりなの?」
「いえ、やめました」
ロボットは答えました。『女』と話している間にこの世界には何億もの人間がいるのを知りました。つまり博士は彼に実行不可能な指示を与えたのです。できもしないことはやるだけ無駄ですから、彼は博士の指示など無視することにしたのです。
「でも、それだとお家に戻れないんじゃないの?」
「そうですね」
「女将」
その時カウンターの向こうから仏頂面の中年男が女に声をかけました。彼はこの店の板前でした。朝早くから店に出て下ごしらえをしていたのです。彼は奇妙なロボットを見て眉をひそめました。
「こりゃあ、いったい何を拾ってこられたんで?」
「途中で会ったのよ。荷物を運ぶのを手伝ってもらったの」
彼はロボットの腕に取り付けられた刀に気づいて息を呑みました。大将は昔かたぎの人間で、厨房では皿洗い機以外の機械は絶対に使わないという男でした。ですが、毎日包丁を握ってるせいか刃物の良し悪しはよく分かったんです。それは大変見事なものに思えました。
「おい、おめえ、この大根を切ってみろ」
大将は大きな大根を手に取ると、彼が切りやすい角度で掲げました。ロボットはどうして自分が大根を切らなくてはならないのか理解できませんでしたが、言われたとおりに右の刀を振り下ろしました。大根はきれいに真っ二つになりました。
「ふん。おめえ、いい筋してるな」
「それじゃ、彼に手伝ってもらったらどうだろう?」
女将の突拍子もない提案に、大将もロボットも驚きました。
「なんだって? 女将、こいつは機械ですぜ。こんなもの使っちゃ反則だ」
「野菜を切ってもらうぐらいならかまわないでしょう? ロボットさん、あなたも予定が変わったんだから時間はあるわよね」
「でも、女将……」
「お願い。大将は働きすぎよ。たまには誰かの手を借りなくっちゃだめ」
この店は人手不足でいつも忙しかったのです。だからと言って大将が素人のアルバイトやロボットを厨房に入れようとしなかったので、女将も困っていました。仕事はすべて大将がこなすので支障はないのですが、もう若くもない彼のことを女将はひどく心配していました。それに彼が病気でもしたらその間は店を閉めなくてはなりません。早く弟子を取れと頼むのですが、大将が厳しいので皆数ヶ月も働くと辞めてしまうのでした。
「それに刀なんて人殺しの道具だぜ。そんなもんで食材を切っちゃばちが当たる」
「そうかしら? 人を切るより野菜を切るほうがずっといい使い道だわ」
その日も予約が一杯入っていました。女将に説得されて大将はロボットに野菜を切らせることにしました。大将はロボットの前に立つと見事な包丁さばきで数種類の野菜を切ってみせました。
「おめえにこれができるか?」
ロボットは切るのは得意でした。ですが彼の両手は刀だったので、野菜をまな板の上に固定することができません。
「私がやるわ」
彼は女将に食材を押さえてもらって刀で切りました。女将の細い指など触れればすっぱり切れてしまうのですが、女将は彼を信じきっているようでした。こうしていつもより下準備は早く終わりました。
「ねえ、あなたは行くあてがないんでしょう? 明日からも手伝ってもらってもいい?」
「おい、お嬢」
大将が慌てて声をかけましたが、女将は一度心に決めると大将に負けないぐらい頑固なのです。こうしてロボットは家を出たその日に住む場所と仕事を手に入れたのでした。
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女将は店の裏の小さな部屋に住んでいました。ロボットもそこに寝泊りさせてもらうことになりました。寝泊りと言っても夜の間、部屋の隅っこに突っ立っているだけでしたけどね。
練習を重ねるうちにロボットはもう一つの刀の先や腹を使って食材をうまく押さえられるようになりました。初めは人参や牛蒡を切っていましたが、そのうちに桂剥きまでこなせるようになったのです。最初のうちは下ごしらえが済めば仕事は終わりだったのですが、やがて店の営業中にも手伝いを許されるようになりました。
今では珍しい本物の板前を見に店にやって来るお客さんも多かったのですが、それに加えて日本刀で野菜を切るロボットも話題になりました。
「これじゃあ見世物小屋じゃねえか」
そう大将はぼやきましたが、それでも彼を厨房から追い出そうとはしませんでした。
「やっぱり名前がないと不便ね」
ある時、女将が言いました。 大将はしばらく考えていましたが、やがてロボットにこう尋ねました。
「ムサシってのはどうだ? 二刀流だからな」
ロボットはその名前が気に入りました。ちょっと安易過ぎやしないかしらと言いながらも女将も気に入った様子なので、それからは彼はムサシと呼ばれるようになりました。
「名前もついたんだし、このまま弟子にしちゃったら?」
「板前は切るだけじゃやっていけんからな」
大将は厳しい表情で言いました。
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毎晩、女将の部屋に戻ると彼女はムサシの身体をきれいに拭いてくれました。そして寝る時間まで色々な話をしてくれるのでした。世間知らずのムサシは聞き役でしたが、質問をされれば思ったことを正直に答えました。最初のうち女将が笑い転げることがあったので、彼は間違ったことを言ってしまったのかと心配になりました。でも彼女が彼を馬鹿にしているわけではなく、むしろ彼の答えを楽しんでいると分かったので彼も気兼ねなく会話を楽しむことにしました。
女将が眠りについた後は部屋の隅でその日の出来事を振り返って幸せな気持ちになるのでした。そして朝が来ると女将と一緒に市場へ出かけました。ムサシは毎日が楽しくて仕方ありませんでした。たった一つ不満があるとすればそれは週末でした。週末はお店はお休みなので、女将はどこかへ出かけてしまうのです。だからムサシは部屋で映画やドラマを見て一人ぼっちで過ごさなくてはなりませんでした。
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ある金曜日の夜のことでした。仕事が終わると男の人がやってきました。背が高くて洒落た服を着たとてもきれいな人でした。
「女将のあれだ」
大将が小声で言いました。
「あれ?」
「男だよ」
「たしかに男性のようですが……」
「そういう意味じゃない。恋人だ」
女将に恋人がいたなんで初耳でしたから、ムサシはとても驚きました。
「きれいな人ですね」
「あのボディ、何でもすごく有名なデザイナーのデザインらしいぜ。金が余ってんだろ。しっかし、あんなのはお嬢の好みじゃねえと思ったんだがなあ」
大将は時々女将のことをお嬢と呼びました。先代の頃からここで働いているので昔の癖が出るのです。
「男はな、中身だ。俺もこれで勝負した」
大将は自分の身体を指差しました。大将の身体はほとんどが生身で、彼もそれを自慢に思っているようでした。
「だけどな、おめえはただのロボットなんかじゃねえな」
大将は彼の平べったい顔をじろじろと眺めました。
「どんなに人間そっくりに作ってあっても、ロボットを見りゃ俺にはびびっとわかるんだ。だがな、おめえはたしかに間抜けなところはあるが、とても機械だとは思えねえ。本当は人間なんじゃないだろうな」
金属製のボディに入った人間は珍しくはありませんが、脳みそを健康に保つには細やかなメンテナンスが必要です。大将はそう言ったものの、ムサシが人間でないのは明らかでした。
「おめえを作った博士は天才じゃねえのか?」
「いえ、私の頭脳は博士が作ったわけではないんです」
ムサシは言いました。
「博士が作ったのはボディだけです。頭脳はパーツ屋から取り寄せたと言っていました」
まったくのところ、人工知能は博士の専門外だったのです。とにかく人を殺しさえすればいいのですから、セールになっていたものを買ってロボットのボディに納めたのでした。
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その夜、ムサシはどうも落ち着きませんでした。翌日も定休日なので市場の買出しもありません。映画を見たいとも思いませんでした。女将の役に立つようなことをしようと思っても、腕が刀では家事すらできません。ただ部屋の中でくるくると動き回って女将の帰りを待っていました。
女将は日曜日の晩に戻ってきました。車から降りると男は彼女を抱きしめてキスをしました。ムサシは今ではいろいろなことを知っていたので、女将と男が愛し合っているということが分かりました。それからも毎週末、女将は出かけて行きました。
ムサシは女将にはいつも笑顔でいて欲しいと思っていました。ですが、あの男と楽しそうにしている女将を見るとなぜか悲しい気持ちになるのでした。




