昔の彼氏
キッチンでヨウコとローハンがコーヒーを飲んでいると、ヨウコの携帯の着信音が鳴る。ヨウコ、携帯を手に取ってメッセージを読む。
「え?」
「どうしたの?」
「あ、ああ、昔の友達がこっちに来てるんだ」
ヨウコ、それっきり何も言わずに窓の外に目をやる。
「ヨウコ、どうかしたの?」
「どうかしたって?」
「なんか、悩んでない? さっきのメールは何だったの?」
「別になんでもないよ」
ヨウコ、携帯をポケットに入れる。
「ねえ、ちょっと出てくる」
「その友達に会いに行くの?」
「うん、そう」
「それって誰?」
ヨウコ、ためらう。
「……二年前にこっちで知り合った人なんだけどね……」
「そうか。俺には話したくないんだね」
「ごめん。後で絶対に話すから」
「わかった。ヨウコがそう言うんならいいよ」
ヨウコ、立ち上がると部屋から出て行く。
*****************************************
居間、サエキがテレビを見ているところにローハンが入ってくる。
「サエキさん。ヨウコが男に会いに行ってるんだ」
「ええ?」
「携帯のメール、読んじゃった」
「それは覗き見だろ? あまり感心できないな」
「わかってる。でも、ヨウコの様子が気になってさ。相手はナオキっていう男だよ」
「ナオキ? それならヨウコちゃんと一昨年、一緒に住んでた奴だな。五つも年下でなかなかの男前なんだ」
「一緒に住んでたの? 同棲ってこと?」
「でも、ヨウコちゃんを置いてオーストラリアへ行っちゃった。ヨウコちゃんはかなり落ち込んだみたいだよ。よっぽどショックだったんだろうな。そのあとろくでもない男にひっかかってさ……。いまさら、会いに来るなんて何の用だろ?」
「俺、出かけてくるよ」
「うん、いってらっしゃい」
ローハン、急ぎ足で出て行く。
*****************************************
街中のカフェでヨウコとナオキが窓際の席に座っている。
ナオキが窓から外を眺める。
「春らしくなってきたね。天気がいいんだから外の席に移らない?」
「ダメ、上から見えるでしょ」
「誰が見るの?」
「……もういい歳なんだから、これ以上日焼けしたらヤバいって」
「そういうの、以前は気にしなかったのにね」
「そうだったかな?」
「あっちでの仕事がうまく行ってるんだ。オーナーに気に入ってもらえてさ、メルボルンの郊外で新しい店のマネージャーをやることになったんだ」
ヨウコ、微笑む。
「良かったね。心配してたんだ。ほっとしたよ」
「ルークと一緒に俺のところに来ない? 二人ぐらいは養えると思うんだ」
「はあ?」
「……やっぱり無理か。あんな別れ方しちゃったしね」
「うん、ごめんね。今日はあなたの顔を見に来ただけだから。でも、ありがとう」
「好きな人、いるんだね。本当は会ってすぐわかったんだ。満ち足りた顔してるからさ。どんな人なの?」
「すっごくいい男。一緒にいるだけで幸せなんだ。こんなに幸せでいいのかなって思うくらい」
「あれからずっと気になってたからさ。あの時はヨウコ達を一緒に連れて行く自信がなかったんだ。無理やり連れてけばよかったのかな」
「そんなこと、言わないでよ。誘われても私にはついてく度胸はなかったと思うよ。子供抱えてビザや仕事の心配する余裕なんてなかったもん。やっぱり私たちはあれで終わりだったんだよ」
ナオキ、笑う。
「気が変わったら連絡して。そんな事はなさそうだけどね」
「ナオキならすぐに誰か見つけちゃうでしょ。あの頃は誰かに取られちゃうんじゃないかっていつも心配してたなあ」
「ヨウコはいつも何かしら心配してたよな。今はそんなことないんだね」
*****************************************
しばらくしてナオキが席を立ち、ヨウコの頬にキスをする。
「じゃあね」
「うん。元気でね」
ナオキ、カフェを出て行く。ヨウコ、しばらくナオキの後ろ姿を見送った後、後ろを振り向く。
「ローハン。こっちにおいでよ」
隅の席に座っていたローハン、立ち上がってヨウコのところへ来る。
「ごめん。来ちゃった。気づいてた?」
「あんた、目立つのよ。入って来たとき客がみんなそっち見たからさ。すぐにわかったわ」
「……俺って不便だなあ」
「浮気するんじゃないかと思ってつけて来たの? 私って信用ないのかなあ?」
「違うよ。元カレと会ってヨウコが泣くようなことになったら、そばにいてあげなくっちゃ、って思ったんだよ」
「泣かないわよ」
「だってすごく好きだったんでしょ?」
「昔はね。今はあんたがいるじゃない」
「すっごくいい男って俺のことだよね?」
「ほかに誰がいるって言うのよ? サエキさん?」
「そのいい男と一緒にいるだけで幸せなんだよね?」
「そうよ」
「俺には一度もそんなこと言ってくれないし」
「……ローハン」
「なに?」
「愛してる」
ローハン、赤くなってうろたえる。
「え、え?」
「もう言わなーい。照れちゃって馬鹿みたい」
「ヨウコに愛してるって言われたの、初めてだよ。いつもさめた声で『好き』って言うだけだろ」
「さめた声で言った覚えはないんですけど」
「あとで再生して聞いちゃお」
「あんた、私との会話、全部記録してるんじゃないでしょうね」
「……してないよ」
「してるんだ。消してやる!」
ヨウコ、立ち上がるとローハンの肩をつかんで揺さぶる。
「やめてってば。みんな見てるよ」
「ナオキの方が普通でよかったわ。今ならまだ間に合うかも」
「ええ!」
「うそだって。バーカバーカ」




