『きっかけ』
一週間後 家庭菜園でヨウコがローハンに話しかける。
「ローハン、青梗菜はどうしたの? たくさん残ってたと思ったのに」
「コウサギさん一家が柵から脱走して食べちゃったんだよ。レタスもほとんどやられちゃった」
「今日のおかずに使おうと思ったのになあ。替わりにウサギのシチューってのはどう?」
「その冗談、面白くないよ」
ローハン、顔を上げてゲートの方を見る。
「あれ、誰か『穴』を抜けてきたよ」
「お客さん? 」
「わかんない。ローブみたいなのを頭からかぶってるんだ。顔が隠れてカメラからは見えなかったよ」
男がゲートに近づいて来る。ローハン、立ち上がると男に向かって声をかける。
「誰なの? そこで止まってもらえる?」
男、言われた通りにその場で立ち止まる。
「顔を見せてよ。人が来るなんてガムランから聞いてないんだ。サエキさんの知り合い?」
男が被っていたフードを後ろに下げた瞬間、ローハンがヨウコを地面に突き飛ばす。
「伏せて!」
ヨウコ、驚いた顔で男の顔を見つめる。
「……リュウ? ど、どうして?」
リュウ、黙って微笑むと、ヨウコ達に向かって頭を下げる。
「ヨウコ、すぐに終わらせるから動かないで」
ローハン、全速力でリュウに駆け寄って地面に押し倒し、右手で頭を押さえ込む。
「これで終わりだ」
リュウ、笑う。
「あなたには手加減しないように言ったはずですよ」
ローハン、困惑した顔でリュウを見つめる。
「どうして何も起こらないんだよ? 俺は確かに撃ったんだよ」
ローハン、ヨウコを振り返る。
「ヨウコ? ヨウコが俺を止めてるの?」
「殺さなくてもいいでしょ? お願いよ」
「だって、こいつはヨウコを殺したんだよ?」
ヨウコ、リュウに話しかける。
「リュウ、あなたはまた私を殺しにきたの?」
リュウ、穏やかな口調で答える。
「いいえ、違います。あなたを殺すのは私ではありません」
「一体何が起こっているの? あなたは更生させられたんじゃなかったの?」
ローハン、顔に怒りを浮かべてヨウコを見る。
「ヨウコ、俺を解放して。撃たなきゃ何するかわからないよ。俺たちがこいつのボディに干渉できないって知ってるだろ? ヨウコにだって止められないんだ。脳を破壊するしかないんだよ」
リュウ、地面に押さえつけられたまま、ローハンの顔を冷ややかに見つめる。
「ローハン、あなたはもう私の命令を聞かなくなったんだそうですね」
「こいつ…… 」
ローハン、怒りに満ちた目でリュウを睨むが、急に気を失って地面にくずおれる。
「ローハン! どうしたの?」
リュウ、ローハンの体を押しのけて立ち上がる。
「リュウ? ローハンに何をしたのよ?」
「何もしていませんよ。私はただ『きっかけ』を出しに来ただけですから」
「きっかけ?」
「ええ、ここは彼の出番なのです。彼には幕開けを演じてもらわなければなりません」
「どういう意味なの? 幕開けって何?」
「『終幕』の幕開けですよ」
「意味が……わからないわ」
「ご心配は無用です。すぐにあなたにもわかりますから」
リュウ、ヨウコに向かって頭を下げると、向きを変えて立ち去る。 ヨウコ、我に返ってローハンに駆け寄る。
「ローハン、起きてよ!」
ヨウコ、不安気にローハンの顔を見つめる。
「どうして起きないの? ……起きないんだったら起こしに行くわよ。勝手に潜っちゃうからね。起きないあんたが悪いんだから怒らないでよね」
ヨウコ、地面に座ったまま目をつぶる。
*****************************************
ヨウコ、白く凍りついた広大な風景の中に立っている。
「またここなの? しばらく止まってたのに……」
ヨウコ、寒さに身震いしながら、周りを見回して白い衣装をまとったローハンの姿を見つける。
「……今日は話しかけないわけにはいかないわね」
ヨウコ、ローハンに近づいて呼びかける。
「ローハン、どうしちゃったのよ? なんで起きないの?」
「君は誰?」
「あんた、自分の妻の顔を忘れるんじゃないわよ」
ローハン、冷たい目でヨウコを見返す。
「ヨウコはもういない。嘘をつくな」
「前回とまったく同じパターンね。私はここにいるでしょ? いい加減に目を覚ましなさい」
「目を覚ますって? 目なら覚めてるよ」
「それなら私がわかるはずでしょ?」
ローハン、首を傾げてヨウコを見つめる。
「君は本当にヨウコだっていうの?」
「そうよ。わからないの?」
「……君はすごいパワーを持ってるね。でも、機械でもない。俺のヨウコはそんなんじゃないよ」
「私は一度死んだけど生き返ったのよ。『じいさん』に頭にチップを入れられて人間離れしちゃったけど、それでも昔と同じヨウコなの」
ローハン、ぼんやりとした笑みを浮かべる。
「そうだ、そうだったね。夢の中ではそうなんだ。ヨウコは『天使』になるんだって言ってたよ。ずっとずっと幸せに生き続けるんだって。いつだって夢の中ではハッピーエンドなんだ」
「夢? 夢って何のこと?」
ローハン、うつろな目でヨウコを見る。
「君は本当にヨウコだって言うんだね?」
「うん、そうよ」
ローハン、ヨウコに歩み寄ると冷たい手でヨウコを抱き寄せる。
「うわ、ローハン、冷たいよ」
「もし君がヨウコなら今度こそ君を守らなきゃならないな」
ローハン、冷たく笑う。
「心配はいらないよ。ヨウコを傷つけるモノは俺がすべて排除する。今度は君を失ったりはしない」
「傷つけるモノって?」
「俺以外のすべてのモノだよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。自分が何言ってるかわかってるの? 冗談じゃない。離してよ」
ヨウコ、ローハンを突き放して、数歩下がる。サエキから『通信』が入る。
『ヨウコちゃん、聞こえる? どこにいるの?』
「ローハンの心の中。また何もかも凍りついちゃってるの」
『戻って来てくれないか。大変なことになってるんだ』
「今、取り込み中なのよ。後にしてもらっちゃダメ?」
『世界中でネットワークが分断されていくんだ。今、キースが原因を探してる』
「それ……ローハンだ」
『え?』
「ローハンがやってるのよ 」
『嘘だろ? 敵の攻撃じゃないのか?』
「敵? ……そうね、そうかもしれないわ」
『そうかもしれないって、今、ローハンがやってるって言っただろ? わけがわかんないよ』
「話は後よ。ローハンを止めなきゃ。キース、手を貸して」
ヨウコの隣にキースが現れる。
「ヨウコさん、どうなってるの? 片っ端から修復してるんだけど僕の力じゃ追いつかないよ」
「全部ローハンの仕業なの。何かとんでもない事をしようとしてる。止めなきゃ大変なことになるわ」
ローハン、冷たい目でキースを見つめる。
「そこのお前。お前が誰だか知ってるぞ。お前のせいでヨウコは……」
「何を……何を言ってるの?」
「ずっとこんな感じなのよ。言ってることが支離滅裂なの」
ローハンがキースに向き直ると、キースの顔に恐怖の色が浮かぶ。
「……ヨウコさん、こいつ、本当にローハンなの?」
ローハン、キースに向かって手を延ばす。
「キース、逃げて。あなたを殺す気だわ。ここにいちゃ危ない」
「でも、ヨウコさんを残しては行けないよ」
「あなたなら今何をすべきなのかわかってるでしょ? ここにいても足手まといよ。あなたは被害を食い止めて。ローハンは私にしか止められない」
「でも……」
ヨウコ、ローハンに抱きついて押しとどめる。
「早く行きなさいって!」
キース、一瞬ためらった後に姿を消す。 ヨウコ、辛抱強くローハンに話しかける。
「ローハン、やめて。あんたが世界を滅ぼしてどうするのよ?」
「俺はヨウコを守りたいだけなんだよ。ヨウコを苦しめるものは全部消えてしまえばいいんだ」
「でも、世界がなくなっちゃったら私も生きていけないよ。ルークもアーヤもタネだって生きていけないわ」
ローハン、無表情でヨウコを見つめる。
「どうしちゃったの? そんな事もわからなくなっちゃったの?」
ヨウコ、泣きそうな顔でローハンを抱きしめる。
「あなたを止めるわ。壊さずに止められるかどうかわからないけど……でも、こんなに冷たいあなたをもう見たくないの」
ヨウコ、はっとしてローハンを見上げる。
「……違うわ、サエキさん」
『どうした?』
「『氷』が何を意味してるのかわかったの。悲しみだわ。ローハンは私を失った悲しみに縛られてるの」
『悲しみだって? ヨウコちゃんは生きてるんだから悲しむことなんてないだろ?』
「今のローハンにはわかってないのよ。私が死んだと思い込んでるの」
ローハン、感情のこもらない声でヨウコに語りかける。
「俺が馬鹿な機械だったから君は殺されてしまった。命令に逆らえず、君が撃たれるのをただじっと見ていたんだ。あれから俺はずっと夢を見てる。夢の中ではヨウコは生きていて、俺と一緒に過ごしてるんだ。でも、夢の最後には必ずここに戻ってきてしまう。あれは現実じゃないって、ただの夢なんだって思い出すために 」
「ローハン、私を見て。私、ちゃんと生きてるよ。死ななかったの。あなたと一緒にここにいるんだよ」
「ヨウコはもういないよ」
ヨウコ、ローハンの肩を掴んで揺さぶる。
「この馬鹿ロボット! 私はここにいるって何度も言ってるでしょ? 人の話をしっかり聞きなさいよね」
ローハン、混乱した表情でヨウコを見る。
「あなたは夢に捕まっちゃったのね。何が現実なのかわからなくなって、ずっとずっと一人で苦しんでたんだ。どうしてもっと早く気づいてあげられなかったんだろう?」
ヨウコ、ローハンを抱きしめる。
「無茶してプログラムをえぐり取ったもんだから、自分自身に大きな穴をあけちゃったんだね。こんな傷を見落としてたなんて本当にごめんね。今、ふさいであげる。もうそんな恐ろしい夢は見なくていいのよ」
ヨウコ、ローハンにキスする。周りの真っ白な景色が消え、ローハンが驚いた顔でヨウコを見つめている。
「目が覚めた? 悪夢から抜け出せなくなるなんて、ほんと間抜けな王子様なんだから」
「……どうしてヨウコが俺の中にいるの? 」
「あんたが急に寝ちゃったから、起こしに来てあげたのよ」
ローハン、不思議そうに辺りを見回す。
「様子がおかしいよ。ネットワークがめちゃくちゃになってる。ヨウコ、何があったの?」
ローハン、暗い顔でヨウコを見る。
「これ……俺がやってるんだね?」
「うん、そうなの。早く止めてよ」
「ダメだ、ヨウコ。俺には自分が止められないみたいだよ。ヨウコが止めてくれないかな?」
「どうやって? 」
「俺にこの力を与えてるのは『じいさん』のチップなんだよ。だから俺とチップを切り離して欲しいんだ。ヨウコになら簡単だろ?」
「で、でもそんなことしたらローハンが壊れちゃうよ」
「俺を止めなきゃ何もかも壊れちゃうんだよ」
「そんな事できるわけないでしょ?」
「……そうだね。ヨウコに俺が壊せるわけないか」
ローハン、ヨウコにキスする。
「ねえ、ヨウコ……」
「何なの?」
「……約束、守れなくてごめんね」
ローハン、にっこり笑うと目をつぶる。




