ヨウコ、再びローハンに会う
翌日、ヨウコが落ち着かなげに部屋の時計を見上げると、もうすぐ一時になろうとしている。意を決したように、上着を羽織り外へ出るとすぐに雪が降り出す。
図書館前でヨウコが辺りを見回す。雪は激しさを増して、路上にも積もり始めている。
「そうよね。いるわけないか。私って学習能力ないなあ」
いきなり、雪まみれになったローハンが後ろから声をかける。
「ヨウコ!」
「うわあ!」
「来てくれると思ってた」
「図書館に本を返しに行ったのよ。なんでこんなとこに座ってるの? 頭に雪が積もってるじゃない」
「昨日の本、もう読んじゃったの?」
「そう、そうなの。私、読むの早いから」
「それなのに次の巻は借りなかったんだね」
「しばらく忙しくなるから読む暇ないんだ」
「ふうん……。貸し出し期間は四週間もあるのに、わざわざこんな酷い天気の日に返しに来るんだ」
ヨウコ、赤くなる。
「あんた、図書館関係者なの? いつ返そうが私の勝手でしょ? じゃ、帰るから。さよなら」
「コーヒー、飲もうよ。おごるからさ」
ヨウコ、いきなりくしゃみをする。
「帰るってば」
「雪が降ってるのにそんな薄着で来るなんて馬鹿だなあ」
「馬鹿とは何よ。 家を出たときには雪なんて降ってなかったのよ」
「三十分したらやむよ。それまでカフェに入ろうよ。あったかいよ」
ローハン、ヨウコの手をつかんでひっぱっていく。
「なんでわかるの?」
「丘の向こうは晴れてるからさ。もうすぐ晴れ間がこっちに来るよ」
「丘の向こうなんて見えないじゃない」
ローハン、何も言わずに微笑む。ヨウコ、急に寒さを感じて身震いする。
「わかった。じゃ、三十分だけね」
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トニーのカフェの中 ヨウコがローハンのマフラーを巻いて暖炉の前に座っている。
「大丈夫? ちょっと湿ってるけどコートも着る?」
「温まってきたからいいよ」
「いいから着ときなって。風邪ひいたら大変だよ」
ローハン、自分のコートをヨウコの肩にかける。
「ほら」
ヨウコ、コートを羽織りながら無意識ににおいをかぐ。
「どうしてにおいなんて嗅ぐの?」
「癖でついつい嗅いじゃうのよ。ほっといてよ」
「俺、臭うかな? ヨウコと何があってもいいように、ちゃんとお風呂に入ってきたんだけどな」
「はあ?」
トニー、ウキウキと飲み物を運んでくる。
「男を待たしちゃ駄目じゃないの。この人、ずっと外にいたのよ。雪が降ってきたから入りなさいっていうのに入らないし」
ローハン、恥ずかしそうに頭をかく。
「また時間を間違えちゃったんだ」
「マシュマロ、おまけしておいたわよ」
「ありがとう」
トニー、ローハンに微笑みかけると、テーブルに飲み物を置いて立ち去る。
「もてるわねえ。 ……マシュマロもらってマジに喜んでる?」
「うん。なんで?」
ローハンにまた見つめられて、ヨウコ、赤くなる。
「見ないでよ」
「ヨウコが来てくれてよかったよ」
「だから図書館に用だってば。なんか普通の話しようよ」
「普通の話ってどんな話? そうだ、この後、一緒に遊びに行こうよ。俺、今日は一日暇なんだ」
「その話題じゃなくて」
「そこの美術館で印象派展をやってるよ。あんまり有名な絵は来てないけど、モネとかモリゾとか見れるよ」
「え、ほんと? そんなのいつからやってたんだろ?」
「興味ある?」
「ある」
ローハン、胸ポケットからチケットを取り出す。
「ちょうど前売りチケットが二枚あるんだ。美術館デートだね」
ヨウコ、赤くなる。
「……トイレ行ってくる」
「冷えてお腹こわしちゃったの? 全部出したらすっきりするよ」
ヨウコ、ローハンを睨む。
「こわしてない」
ヨウコ、ローハンのコートを椅子の背に掛けて洗面所に向かう。しばらくして出てくるとカウンターへ行って、トニーに話しかける。
「トニー、ラテを追加ね。カフェイン取りたい気分なの」
「ヨウコ、あんたの彼氏、凄いわね。今までどこに隠してたの? 親友のあたしに教えてくれないってどういうことよ?」
「彼氏じゃないよ。昨日ここで会ったばかり」
「あら、そうなの? でもいい感じじゃない? 今日もかわいい子に声かけられてたのに、ずっと待ってたのよ。雪ダルマになってさ」
ヨウコ、自分の頭を指す。
「それがさあ、顔はいいんだけど、ここがかなりおかしいみたいなの」
「あたしならとりあえずはキープしといて、それから考えるけどな」
「私、いつも男で失敗してるからさ。最初から怪しいと分かってて手を出す度胸ないよ。からかわれてるだけかもしれないしね」
「確かにヨウコは男運がないものねえ。はい。ラテ、どうぞ」
席に戻ってきたヨウコを、ローハンが嬉しそうに迎える。
「おかえり。すっきりした?」
「……気になって仕方ないから聞くけどさ、あなた、どこかの病院から抜け出して来たの?」
「それって嫌味だね。ヨウコはきついことばかり言うなあ。 初対面なのに」
「昨日も会ったでしょ?」
「ほんとだ。俺たち、毎日会ってるんだね」
「昨日と今日の二日で毎日とはいいません。明日会う可能性は全くないし」
「つれないなあ。それじゃ、モテないよ」
「モテないです」
「俺がいるから安心して」
「そうじゃなくって……」
「俺もトイレに行こうかな。いない隙に逃げないでね」
ローハン、立ちあがる。
「おごってもらっといて飲み逃げなんかしないわよ。あ、ちょっと、こっち向いて」
ヨウコ、手を伸ばして、紙ナプキンでローハンの口についた泡を拭くが、慌てて手をひっこめる。
「ご、ごめん、子持ちなもんでついくせになってて……」
真っ赤になって固まったローハンを、ヨウコが訝し気に見つめる。
「……あんた、もしかして本当に私に気があるの?」
ローハン、黙ったままうなずく。赤くなったヨウコに、ローハンがそのままかがんでキスをする。
「うわ! ちょっと、ちょっと待ってよ」
「俺じゃ駄目なの?」
「駄目!」
「そこをなんとか」
ローハン、ヨウコの腕をつかもうとするが、ヨウコが振りほどいて立ち上がる。
「なんとかならない」
ヨウコ、自分の上着とバッグをつかむと店から走り出る。
「……また逃げた」
ローハン、悲しそうにトニーの方を振り返る。トニー、カウンターから出てローハンのところへやって来る。
「惜しかったわねえ。あれで落ちないとはヨウコもたいしたもんだわ」
「俺、そんなに怪しいのかなあ?」
「あの子、男で散々苦い経験してるからさ、野生動物みたいに疑い深くなってるの。あんたってなまじ顔がよすぎるから、どうして自分に興味があるのか理解できないんでしょ」
ローハン、呆然として自分の顔に触れる。
「俺、そんなにいい男だと思う?」
「ほんとにおかしいんだ。ヨウコの言った通りだわ」
「そんな事言ってたの? やだなあ」
「あの子さ、すごくいい子なのよ。あんたも目の付け所が違うわね」
「うん、知ってるよ。でも、どうやったら俺の事、信じてもらえるんだろ?」
「あんたにだいぶ惹かれてるからさ、諦めなさえしなければ希望はあるわよ」
「ほんとにそう思う?」
トニー、急に真面目な表情になって、ローハンの顔を見つめる。
「あんたの方は真剣なんでしょうね。あの子、あたしの親友なんだからね。ヨウコを泣かすようなことがあれば、もうマシュマロなんてサービスしないわよ」
「どうして俺がヨウコを泣かせなきゃなんないのさ?」
「ちょこっと付き合って捨てる気じゃないわよね? あんた、仕事はしてるの? 奥さん、いたりしないわね? あの子にはトラブル背負い込む余裕なんてないんだからね」
「おとうさんみたいだな」
トニー、ふくれて見せる。
「まあ、おかあさんって言って欲しいわ」
「俺の事、信用してもらって大丈夫だよ」
「だったらさ、コーヒーをもう一杯いかが?」
「コーヒー?」
「あの子、しばらくしたら戻ってくるわよ。五十パーセントぐらいの確率かな。今日来なくても明日は間違いなく来るからさ。すぐにまた会えるわよ」
「自信たっぷりなんだね」
トニー、にこやかに笑う。
「女心だったら任せてよ」