『饅頭』に潜る
居間 ヨウコがソファにもたれて本を読んでいると、ローハンが入ってくる。
「ヨウコ、俺のプリン食べただろ?」
「食べてないよ」
「でも、口にべっとりカラメルソースがついてる」
「ええ?」
ヨウコ、慌てて自分の口に触れる。
「嘘だよ。やっぱり食べたんじゃないか」
ヨウコ、ローハンを睨む。
「私が作ったんだもん。私のモノよ」
「だって最後の一個は俺にくれるって言ったじゃないか」
「そんなこと、言ったっけ?」
サエキが入ってくる。
「今度は何で喧嘩してるの?」
「ヨウコにプリン、食べられた」
「プリンぐらいでぶちぶちうるさいなあ」
「わかったよ。ヨウコのバーカ」
ローハン、ふくれっ面で出て行く。
「あいつ、プリンが好きだなあ」
「子供じゃないんだからさ」
ヨウコ、立ち上がる。
「仕方ないから作ってくるわ。卵あったっけ?」
「今朝、子供たちが鶏小屋に取りに行ってたよ。ヨウコちゃん、ずいぶんとローハンに優しいじゃない。馬鹿とまで言われたのに」
「どうやら私が約束破ったみたいだからさ。あの男、人が言ったこと、絶対に忘れないでしょ? ほんと、融通の利かない機械は困るわ」
ヨウコが出て行ってからしばらくしてローハンが戻ってくる。
「あれ、ヨウコは? 怒らせちゃったかなあ?」
「気になって戻ってくるぐらいなら捨て台詞なんて吐くなよ。プリン作るって出て行ったよ」
「ほんと? やっぱり俺って愛されてるんだなあ」
「早く仲直りして来いよ」
「うん」
ローハン、嬉しそうに部屋から出て行く。
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ローハンがキッチンを覗くとヨウコが椅子に座って頭を抱えている。
「ヨウコ? 頭痛、酷いの?」
「うん。薬の効きが悪くなってるの」
「言ってくれればよかったのに」
「言っても仕方ないでしょ。心配かけるだけだし」
「夫にそんなこと言うなよ」
ローハン、隣に腰を下ろしてヨウコの肩を抱く。
「ごめんね、馬鹿なんて言って」
「ううん、私が悪かったよ」
「何ですんなり認めてるんだよ? 素直で弱気なヨウコなんて嫌だよ。その頭痛、ウサギさんには治せないの?」
「『饅頭』の根っこが複雑に入り込んじゃってるから、怖くていじれないんだって。それに脳みそには痛覚がないから脳自体が痛いわけじゃないのよね」
「なんとかならないのかなあ」
「早くこの身体から出て行けって言われてる気がするんだ。でも、どうしたらいいのかわかんないの」
「そうだ、ヨウコに潜ってみてもいい?」
「ニンゲンの脳には入れないわよ?」
「でも『饅頭』の部分になら潜り込めると思うんだ。試してみてもいいだろ?」
「うん、わかった。やってみてよ」
ローハン、ヨウコの顔を見る。
「ねえ、ヨウコ」
「なに?」
「ヨウコって自分の姿を見たことある?」
「ネットの中での? そりゃあるわよ。私の目には現実の私と同じ姿にしか見えないけどね」
「『饅頭』がそう見せてるんだろ? 俺を通して見てごらんよ」
「機械の見てるものは人間の五感じゃ理解不能なんでしょ?」
「今のヨウコなら感じられるんじゃないかな? 試してみて」
「うん、じゃあ、お邪魔します」
ヨウコ、目を閉じる。
「……何か、ものすごく大きなものを感じるわ。どこかの国かしら?」
「あれがヨウコだよ」
「ええ? そんなはずないって」
「凄いだろ。『饅頭』が育つにつれて広がっていくんだ」
「あれじゃ化け物じゃないの」
「そうだよ。だからそう言ってるだろ?」
「周りを衛星みたいなのがたくさん回ってるね」
「あれは『使い魔』達だよ。あれもヨウコの一部なんだけどね」
「もしかしてキースにも同じように見えてるの」
「うん」
「あんたたち、よく私といて平気ね」
「こうやって見ると綺麗だろ?」
「そうなの? あれが?」
「俺の自慢の奥さんだよ」
「そんなので褒められてもちっとも嬉しくないなあ」
「『ヨウコビジョン』に切り替えてくれていいよ。今から『饅頭』に潜るからね。ヨウコも俺と一緒に来るだろ?」
「私、自分自身に入り込んだことなんてないよ?」
「俺にくっついておいでよ。迷っても自分の頭の中だから平気だろ?」
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ローハンとヨウコ、巨大な空洞の真ん中に浮かんでいる。『ポウナム』がヨウコの後ろをついてくる。
「だだっぴろいところねえ。壁一面になにかくっついてるんだけどなんだろう? あんまり近くで見たくないな」
「これじゃ頭痛の原因なんてわかんないか。潜ってみればなんとかなりそうな気がしたんだけどなあ」
「『お魚』達に聞いてみるよ。探し物が得意なんだ」
ヨウコの背後から魚に似た生き物の群れが現れて四方八方に泳いでいく。
「あんな『使い魔』いたっけ? どこから出したの?」
「さっきからずっといたでしょ? ほら、何か見つけたよ。馬鹿でかいクジラが泳いでるって。あそこだ」
「どれがクジラなの? 俺にはわかんないよ」
「私の目を通して見なさいよ」
「ヨウコの見てるもの、あまり見たくないんだけどなあ。衝撃的過ぎていつも夢に出てくるんだ」
「大丈夫だってば。ただのクジラだよ。……ピンクと黄緑色の目玉が千個ぐらいついてるけどさ」
「どうしてそれを先に言わないんだよ? 見ちゃっただろ? そいつはどういうプログラムなの?」
「聞いてみるわ」
「ヨウコ、あれと話せるの?」
「うん、『ポウ』が通訳してくれるからね。……ええと、『饅頭』が元気に成長するようにモニターするのが『クジラ』のお仕事なんだってさ」
「どうやったらヨウコが『天使』になれるのか聞いてみたら?」
「『饅頭』のお世話が仕事だから『天使』なんて何のことかわからないって言ってる」
「頭痛のことは? 何か知ってる?」
「頭痛がなんなのかも知らないみたいよ。ねえ、ローハンは脳みそについてくわしいの?」
「24世紀でわかってることならだいたい知ってるけど?」
「じゃあそのデータちょうだい。私にはわかんないから『ポウ』に渡して。『クジラ』と話し合いさせるわ。お互い知ってることを照らし合わせたら何かわかるでしょ」
ローハンが恐る恐る『ポウナム』に近づく。
「噛まないでよ」
「あんたを噛んでどうするのよ? ほらデータをあげてよ」
「こいつがヨウコの一部だって自覚は全くないんだね?」
「うん、全然。……わかったわ。このまま『饅頭』が育ったら、あと数日で私に頭が痛いと錯覚させている部分も侵食されるみたいよ」
「そうしたら頭痛はなくなるってこと?」
「うん。薬を多めに飲んでしばらく我慢するわ。どうせ先は長くないんだから、飲みすぎても問題ないでしょ」
「じゃあ、戻ろうか」
「そうだね。プリン作るの手伝ってね。全部ローハンにあげるから」
「やった」
「この世にいられる間にローハンに優しくしとかなくっちゃね」
「そんなこと言うの、やめてよ」
「冗談だってば。あ、やっぱりプリンは全部食べちゃダメ。キースにも一つ残しといて。今夜の飛行機で着くんだったわ」
「この間来たところじゃないか。仕事は忙しくないのかな?」
「あんたが嫌味ったらしいこと言ったから気にしてるんでしょ? さ、行こうよ。自分の頭の中にいるのは落ち着かないわ」
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同日の晩 ヨウコ達がお茶を飲みながら話している。
「私さあ、『天使』になったら精神だけの存在になっちゃうんでしょ? 子供たちに会えなくなるのはいやだなあ」
サエキがヨウコの身体を眺める。
「『天使』になってもそのボディがそのまま使えるんじゃないか?」
「ローハンの身体を乗っ取るみたいな感じかしら?」
「俺にはよくわかんないけど、たぶんね。キースの端末みたいな造りに改造すれば扱いやすいんじゃないかな?」
「造りって言われてもよくわかんないわね。ねえ、キース、身体貸してよ。試着してみるわ」
キース、無表情でヨウコを見る。
「嫌だよ」
「なんでよ? ちょっと端末借りるだけじゃない」
「だって……ヨウコさんには貸したくない」
「ケチケチしないでよ。私、あんたの妻でしょ?」
「だから余計に嫌なんだよ」
「どうして? 心の中には入れてくれるのに身体はダメなの? 普通、妻になら身体くらい貸すわよ」
サエキが割って入る。
「普通じゃないだろ? ヨウコちゃん、こいつ恥ずかしがってるんだよ」
「そうなの?」
キース、下を向く。
「サエキさん……ヨウコさんに身体なんて貸せません。勘弁してくれるよう言って下さい」
「かわいそうだから許してやれよ。ヨウコちゃんなら問題なく動かせるよ」
ヨウコ、キースの顔を覗き込む。
「恥ずかしがってるキースなんてかわいすぎるわ。そそられるなあ」
「ヨウコさん、もうやめてってば」
「じゃ、私が死んだらすぐにこの身体を24世紀に持って行って改造してもらってね。最近暑い日が多いから脳みそが腐ると困るでしょ?」
ローハンが呆れた顔をする。
「嫌だなあ。どうしてそんなこと思いつくんだろう?」




