指輪
同日の夕方 花束を抱えたキースが居間に入ってくる。
「ただいま」
ヨウコ、キースから目をそらしたまま答える。
「おかえり」
「それだけ?」
「……オスカー受賞、おめでとう」
「ヨウコさん?」
「私はローハンと結婚してるの。だからあなたとは結婚できません」
「はっきり言うんだなあ。ちゃんとこっち向いて話してよ」
しぶしぶとキースに顔を向けたヨウコ、愕然とする。
「うひゃあ、なんで着いたばかりでそんな格好してるのよ? カッコよすぎるじゃない」
「空港を出る前に着替えてきたんだよ。ほら、僕の顔を見てよ」
キース、ヨウコの足元にひざまずいて花束を差し出す。
「ヨウコさん、僕と結婚してください」
「……や、やめてってば」
「本気なんだよ」
ヨウコ、赤くなってうろたえる。
「で、でも私………」
ヨウコ、ローハンを振り返る。
「そ、そ、そこにいる人と離婚しなきゃ結婚できないし」
「ヨウコ、何言ってるの? 気をしっかり持って」
キースが笑う。
「なんだ、そんなこと気にしてたの? 平気だよ。法律なんてどうにでもなるから」
「じゃあ、いいわ」
「ありがとう」
「ヨウコ? お受けしてどうするんだよ? 重婚になるよ」
「だってこの状況でどうやって断れって言うのよ? あのアカデミー賞取ったキースがバラもってスーツ着て私の前にひざまずいてるのよ。こんな機会、二度とないでしょ?」
サエキがおかしそうに笑う。
「いや、そいつの事だから、承諾するまでしつこくプロポーズしてくるだろ」
キース、サエキに向かってうなずく。
「その通りです。断られた場合に備えてシナリオは百種類以上用意してありましたから」
「ええ? お前、そこまで自信なかったの?」
ローハン、困惑した顔でヨウコを見る。
「ねえ、俺の立場はどうなるの?」
「まだ好きだから」
「まだ、ってどういう意味? サエキさん、なんか言ってやってよ」
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ヨウコ達の寝室でローハンとヨウコがベッドに並んで座っている。
「ヨウコ、本気でプロポーズ、受けたの?」
「あまりの格好良さにわけがわかんなくなっちゃったのよ」
「さっきはああ言ったけどさ、ヨウコが結婚したければ、俺はかまわないんだよ。キースの言う通り、法律なんてなんとでもなるんだからさ」
「ううん、断るからいいよ。私の夫はローハン一人だよ。悪いけどキースには恋人だか愛人だかで我慢してもらう」
ヨウコ、ローハンを見上げる。
「ごめんね、ふらふらしてて。やっぱり三角関係には向いてないんだわ」
ローハン、笑うとヨウコにキスする。
「ヨウコはキースが好きなんだろ? 今と状況が変わるわけでもないんだから、結婚しちゃえばいいじゃないか。憧れの『キース・グレイ』の妻になれるんだよ。嬉しくないの? あいつと式を挙げたいって思わない?」
「式? あの人と並んじゃ不細工が目立ってしかたないわよ。もっとかわいかったら考えるんだけどなあ」
「どうして落ち込んでるんだよ? キースを落としたのは世界でヨウコ一人なんだから自信を持ちなよ。よし、決めた。ヨウコはあいつと結婚しなさい。俺がプランナーやるからさ」
ローハン、急に立ち上がる。
「そうと決まったら返事してくるよ」
いそいそと部屋を出ていくローハンをヨウコが慌てて追いかける。
「ちょっと待ちなさいよ。プロポーズされたの、私でしょ?」
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数週間後 戻ってきたキーズを、ヨウコと日本から遊びに来ているヨウコの母が玄関で出迎える。
「ただいま、ヨウコさん。おかあさんもお久しぶりです」
「フライトが遅れたんだね」
「うん。空港まで行く途中、パパラッチがなかなかまけなくてね。仕方なく飛行機を遅らせたんだ。プロポーズしてから追っ手が増えて大変だよ。おとうさんは?」
「居間で日本のドラマを見てるわ」
キース、居間のドアを開けると父に話しかける。
「おとうさん、ご無沙汰しています」
父、顔を上げてキースを見る。
「ヨウコの事で来たのか?」
「来たのか、って偉そうに。キースの家はここなんだけど? 挨拶ぐらいまともにしたらどうなのよ」
キース、父の前に正座する。
「ヨウコさんとの結婚を許していただきたいんです」
「授賞式で言ってたな」
「はい」
「ヨウコはもう結婚しとるんだが」
「それはなんとでもなります」
「そうだろうな。ヨウコはどうなんだ? このアレと結婚したいのか?」
「うん、したい」
「じゃあいいだろ」
キースが頭を下げる。
「ありがとうございます」
ヨウコ、怪訝な顔で父を見る。
「それだけ? ずいぶん簡単に終わったわね」
「だって、そいつはタネの父親なんだろ? しっかり責任取ってもらえよ」
「質問はないの? 年収とか職業とか気にならない? 昔付き合ってた男は尋問してたじゃないの。娘が心配じゃないのかしら」
父、呆れた顔をする。
「こいつなら金も地位も名声もあり余ってるじゃないか。いまさら何を聞けって言うんだ?」
母が嬉しそうに笑う。
「キースちゃんが義理の息子だなんて素敵だわ。ところで、年収ってどのくらいなの?」
「俳優業に限っての収入でしたら、昨年度は70億円ほどでしたね」
「ふうん、すごいのねえ。ヨウコって貧乏性でしょ?」
「おかあさんに似たのよ」
父が苦笑いする。
「二人とも貧乏性過ぎるんだよ」
「式は貧乏臭く身内だけで済ませるつもりにしています」
ヨウコ、驚いてキースを見る。
「し、しき? 式はやらないって言ってたでしょ?」
「明日の午後二時からだよ。残念ながらトニーとアリサちゃんしか招待できないけどね」
「そんな勝手に決められても、なんにも用意してないってば」
「何もいらないよ。庭でバーベキューパーティするだけだから。一昨年のクリスマスにあげたワンピース 着て欲しいな」
「やっぱりあなたは強引ね」
キース、笑う。
「僕じゃないよ。何かやらないとプランナーが納得しないんだよ」
「ローハンのこと? でも、どうせ式を挙げるんだったら、ドレス着て一緒に写真撮りたかったなあ。もうそんなに若くもないけどさ」
「ドレス着たヨウコさんとの写真ならもう撮ってもらったよ。三年前だけどね」
「ローハンとの結婚式での写真のこと?」
「気に入ってるんだ。あれで十分」
「あんな写真を?」
「だって、ヨウコさん、僕の花嫁みたいな顔して写ってたでしょ?」
「……私、無神経なこと、たくさんしてきたんだね」
キース、笑う。
「これから償ってくれるんだったら許してあげてもいいかな?」
父が笑う。
「そうそう、そのぐらい強気でないとヨウコの尻に敷かれるぞ。ローハンみたいにな」
「やめてよ、おとうさん。キースにそんなことしないってば」
キースがヨウコの顔を覗き込む。
「そうだ、聞くのを忘れてたよ。やっぱり結婚指輪は欲しい?」
ヨウコ、自分の手を持ち上げて、誕生日に貰った指輪を見つめる。
「ううん、これでいいよ。ほかの指輪はしたくない」
「そう言うと思ってたから用意しなかったんだ」
ヨウコ、キースの指のお揃いの指輪を眺める。
「私ってほんとに片想いされてたのね」
キース、ヨウコを抱き寄せる。
「もう離さないからね」
「ああ、なんて素敵なんでしょ。写真撮っとかなきゃ」
母、カメラを取り出して二人の写真を撮る。
「おかあさん、写真写りの悪いのは消しますからね」
母、笑う。
「これ、フィルムカメラだから、キースちゃんには消せないんじゃないかしら」
キース、ヨウコを見る。
「ヨウコさん、お母さんに教えたの?」
「いいでしょ? どうせ私はいつだって写真写りが悪いんだから、あんたもたまには付き合いなさいよ」
父がヨウコの顔を見る。
「そういや、アリサはあの男と交際してるのか? あいつは何者だ? この家にいるって事はもしかしてアレなのか?」
「うん。そうなの」
「アリサの相手に相応しいんだろうな?」
「それがさあ……」
父、厳しい顔でヨウコを睨む。
「ヨウコ、やっぱり何か隠してるだろ。言ってみろ」
「あの人、ウーフなのよ」
「ウーフ? まさか犬のウーフか?」
母、笑う。
「あら、だからウーフちゃんを見かけなかったのね。すっかり素敵になっちゃって」
「犬だぞ、姉さんになんて言う気だ?」
「お姉ちゃん、犬好きだから気にしないわよ。アリサもいい人を見つけてよかったわねえ」




