ソフィアとキース
一週間後 居間でヨウコとサエキが話している。
「サエキさん、ローハンなんだけどね。またあれが始まっちゃったの」
「あれって? 」
「ほら、ローハンが『氷の世界』に突っ立ってた事があったでしょ? あれがまた始まったのよ。今朝でもう三日目なんだ。やっぱり本人は覚えてないんだけどね」
「ここんとこ止まってたじゃないか」
「うん。落ち着いてきたのかと思ってたのになあ。あれ、一体どういう意味があるんだろ?」
「『氷の世界』はヨウコちゃんがローハンから感じ取ったものを視覚的にわかりやすくイメージしたものなんだ。だからヨウコちゃんの見たものにヒントが隠されてるはずだよ」
ヨウコ、首を傾げる。
「ヒントねえ」
「氷や霜って聞いたら何を連想する?」
「そうだなあ。私、寒いの嫌いだからいいイメージはないな。『冷酷』とか『無慈悲』とかそんな言葉が浮かぶわね」
「ローハンのイメージとは正反対だな」
「ほかには……『絶望』……『痛み』? なんにしろいい印象はないわよね」
「嫌だなあ。トラブルの予感しかしないよ」
「今度また起こったらもうちょっと探りを入れてみるわ。あのローハンに気づかれると面倒なことになりそうだから注意しなくちゃね。刃みたいに冷たい顔して突っ立ってるのよ。ぞくぞくするほどキレイで力に溢れてるんだ」
「ヨウコちゃん、そのローハンに魅力は感じるの?」
「ううん。私の夫はお人よしで間抜けなロボットだもん。氷みたいなローハンなんていらないわ」
「以前あいつがおかしくなったときには『じいさん』のチップのおかげで助かっただろ? 今回はチップが助けてはくれないのか?」
「それならローハンが自分で自分を壊しかけたときに何かしてくれそうなもんじゃない? ここまで放っておくんだもん、『じいさん』はなんにもする気がないんじゃないかな?」
「まあ、『じいさん』は当てにしないほうがいいな。もうしばらく様子を見てみるか」
サエキ、話題を変える。
「そうだ、昨日マサムネに会ったんだ」
「元気にしてた?」
「ヨウコちゃんのこと、気にはなるみたいでいろいろ聞いてきたけどな。でも、諦めはついたみたいだ。うまくプログラムを解除できたんだな」
「よかった。早く誰かを好きになってくれればいいんだけどな」
「あいつなら大丈夫だろ。相変わらずモテるみたいだよ」
「妬けるなあ」
「欲張るなよ」
「だって、普通なら一生かかっても出会えないぐらい素敵な人なんだよ」
「当然だろ? ヨウコちゃんに合わせて作られたんだからさ。……もしかして惚れたのか?」
「会えなくなって胸が痛むぐらいにはね」
サエキ、ヨウコの顔を見て笑う。
「胸がものすごーく痛むぐらいに、だな」
ヨウコ、赤くなってサエキから目をそらす。
「やめてよ」
「あいつ、いい男だったろ?」
「うん。男運って良過ぎるのも考えものね」
サエキ、笑う。
「ヨウコちゃんもそんなセリフが口に出来るようになったんだな。そういやキースの奴、声明を出したぞ」
「ええ? いつの話よ? 気づかなかったわ。おかしなこと言ったんじゃないでしょうね?」
「自分の付き合ってるのはヨウコという女性で、現在二人の間に生まれたばかりの息子が一人がいるってさ」
「ええ、タネのことまで話したの?」
「名前は出してないけどな。一般人なので身元は明かせないって言ってたよ」
「どうせなら最初からなにもかも秘密にしておけばいいのに。わけわかんないよ」
サエキが笑う。
「まあいいじゃないか。あいつも自分の幸せを全世界に知って貰いたいんだろ」
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ロサンゼルスの撮影所の廊下 角を曲がったキースがソフィアと鉢合わせする。
キース、微笑む。
「やあ、元気だった?」
ソフィア、キースを暗い表情で見上げる。
「私と付き合ってたときにはもうあの人は妊娠してたのね。聞いていたのと話が違うわ」
「僕は知らなかったんだ」
「でも、ずっと片想いだったって言ってたじゃない。それなのにどうやったら子供ができるの?」
キース、また微笑む。
「ごめん 」
「私に嘘をついてたのね」
「嘘はついていない。話さずにいたことはあるけどね」
「でも……」
「君にはすべてを打ち明けるよ。その部屋でいいかな?」
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キース、ドアを開けてソフィアを小さな部屋に通す。ソフィア、不安そうに部屋を見回す。
「盗聴器がないかしら?」
キース、笑う。
「この部屋は大丈夫だよ」
「あなたはいつも自信たっぷりなのね。あの人の話をするとき以外はそうだったわ」
「座ってよ」
「早く済ませて。もうすぐ打ち合わせなの」
「わかってる。時間はとらせない。まずは僕の正体を話すよ」
ソフィア、怪訝な顔でキースを見上げる。
「正体?」
「僕は24世紀製のコンピュータ……AIなんだ。本体はシベリアの地下にあってね、この身体は人形で遠隔操作で動かしている。よくできてるだろ?」
「……何を言ってるの? 馬鹿にしないでよ」
「してないよ。君だから話すんだ」
ソフィア、キースを睨む。
「私、あなたとの事、真剣に考えてたのよ。それなのにそんなおかしな言い訳聞きたくない」
「僕がほかの人とは違うから、僕といると安らぎを感じるから、だから、僕は君にとって特別な存在だと信じた。そうだね?」
ソフィア、目を見開いてキースを見る。
「君には僕の感情が読めない。僕といると静かな部屋の中にいるような気持ちになれる。周りの人間の醜い感情に振り回されずにいられるんだ」
「何を言ってるの?」
「君はエンパスなんだよ。他人の苦しみがすべて自分のことのようにわかってしまう。優しい君は救いの手を差し伸べずにはいられない」
「エンパス?」
「ほかの生き物と共感する能力を持った人のことだよ。心当たりがあるね?」
ソフィア、青醒めた顔でキースを見つめる。
「でも、僕の気持ちだけはどうしたってわからない。僕が人間じゃないからだ」
「だからってあなたがコンピュータだなんて信じられるはずないでしょ?」
「確かにそうだね。証拠を見せようか?」
ソフィア、首を横に振る。
「見せろって言えば見せるんでしょうね。私が信じずにはいられないような事を……」
キース、微笑む。
「僕の好きな人はね、未来では救世主と呼ばれる人なんだよ。僕は今、彼女の手助けをしている。僕に与えられた任務はこの世界を救うことだ」
「世界を救う?」
「24世紀は君が夢見ているような素敵な場所なんだ。飢えも戦争も貧困もない。誰もが他人を気遣うことを知っている。僕がこの任務を成し遂げれば、この時代は平和な24世紀へと繋がるんだよ」
ソフィア、キースを見つめる。
「私ね、確かにあなたが何を感じてるのかちっともわからなかった。でも、あなたが苦しんでいるのは……あなたが孤独なのはわかったわ。だから私を必要としてくれてると信じてた。私を好きだと言ったのは本当であって欲しかったの」
「君は凄い人だよ。エンパスでありながら妬みや欲望に満ち溢れた芸能界で女優を続けている。自分に影響力があればあるほど多くの人を救えるとわかってるからだ。そんな君を僕は自分勝手な理由で傷つけてしまった。心から後悔してるよ。すまなかったね」
「謝らないで。余計に惨めな気持ちになるじゃない」
「僕は君の恋人にはなれない。でも、君さえ許してくれるのなら償いをさせてほしいんだ」
「償い?」
「僕達が目指しているものは同じなんだよ。だから君の行っている活動の後押しをさせてはもらえないかな。今の僕になら国だって動かせる。君の力になれると思うんだ」
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クリスマスの五日前 泥で汚れた服を着たまま昼食を食べるローハンとキースを、ヨウコが怪訝な顔で眺めている。
「そんな泥まみれになって準備しなきゃならないプレゼントって何なのよ? 気になるなあ」
キースがすました顔で笑う。
「さあ、何でしょう? 『あっと驚く』こと、間違いなしだね」
「キースがそう言うからには今年は期待していいみたいね」
ローハンがふくれる。
「だから俺が何度もそう言ってるだろ?」
「いつ終わるの?」
「あと三日もあれば終わるかな。でも、クリスマスまでは絶対に覗いちゃだめだよ。囲いから向こうは立ち入り禁止だからね」
「約束は守るわよ。でも、キースが泥だらけになってるのなんて初めて見たなあ」
「戦争映画で泥にまみれてただろ?」
「実生活の話をしてるんでしょ?」
「こんな姿、ヨウコさんには見られたくないんだけどな」
「どうして? 泥まみれになって働いてるキースなんてそそられちゃうけどなあ」
「……本当に?」
「うん」
ローハンが期待に満ちた顔で身を乗り出す。
「俺は?」
「あんたはいつも泥まみれだもん」
「なんだか俺って差別されてない?」
「嘘だってば。ドロドロのローハンにもむらむらするって」
「その言い方に差別を感じるんだよ」
二人が食事を終えて立ち上がる。
「ごちそうさま。じゃ、また泥にまみれてくるよ」
「じゃね、ヨウコ」
キースとローハンが部屋から出て行くと、テーブルの隅で新聞を読んでいたサエキが顔を上げる。
「へえ、ヨウコちゃんともあろうものが馬鹿正直に覗いてないんだな」
「面と向かってお願いされちゃったからね。約束を守らないわけにはいかないでしょ? ついつい偵察衛星に繋いだりローハンの目に入りこんだりしたくなっちゃうけど、辛抱してるのよ」
「クリスマスまで見ないでいられるのか?」
ヨウコ、笑う。
「そのぐらいは我慢しなくっちゃね。だって、二人とも私を驚かせようと必死なんだもん。無邪気な機械たちをがっかりさせちゃかわいそうでしょ?」




