ハネムーンスイート
ヨウコがバスルームから出て来るとスーツケースの整理をしているキースに話しかける。
「久しぶりに大きな浴槽でのんびりしちゃった。明日の用意してたの? ……スーツケースの中、きっちりしすぎて怖いよ。パズルみたいになってる」
「職業柄、考えなくてもベストな詰め方がわかっちゃうんだから仕方ないだろ?」
「職業柄ねえ。私なんて見てたら、だらしなくって嫌にならない?」
「そういう人間の計算では割り出せない行動に魅了されるんだ。ヨウコさんなんて凄く魅力的だね」
「褒められてもちっとも嬉しくないわね」
「週末からは九州に移るんだ。ミカコさんとずうっと一緒」
「妬けるなあ」
「言ってみてるだけだろ?」
「そりゃそうよ。キースがあんな小娘になびくはずないでしょ?」
ヨウコ、部屋の中を見渡す。
「それにしても豪華な部屋だなあ。高かったんじゃないの? シャワールームまでゴージャスだったわよ」
「そりゃ、ハネムーンスイートだからね」
「え……ええ?」
キース、にやりと笑う。
「気にいらないのかな? 僕とじゃ嫌なの?」
「だ、だって……」
「今夜は僕だけのモノになってもらうよ」
「うひゃ、風呂上りに生キースからそんなセリフを聞いたら頭に血がのぼるわ。……でも私、また同じことしちゃうかもしれないよ」
「ヨウコさん、今まではローハンに遠慮してたんじゃないのかな。今夜はローハンもサエキさんもいないんだから、試してみようよ」
ヨウコ、赤くなる。
「わかったわ。……今から?」
「うん。でも、緊張が解けるまで話そうよ。せっかく二人っきりなんだからさ」
「確かにあなたと二人だけなんて滅多にないもんね。それじゃ今日はキースの過去について聞かせてもらおうかな。考えてみれば、あなたのこと、たいして知らないんだよね」
「そうなの? ヨウコさん、僕がデビューした時からのファンなんだろ?」
「そっちは知ってるけどさ、俳優じゃない方のあなたの過去が知りたいの」
ヨウコ、キースと並んでベッドの上に座る。
「……僕の過去か。何を知りたいの?」
「そうだなあ。キースが作られたときのこととか、俳優になろうと思ったきっかけとかさ」
「そんな事、知りたい?」
「……おかしい?」
「僕がこの端末を手に入れて俳優を始める前の話だよ。興味あるの?」
「そりゃ、好きな人の事ならなんでも知りたいよ。話したくないのならいいけどさ」
「……ひとつ聞いてもいい? もし、僕のこの端末が使えない事態になったら、ヨウコさんはどうする?」
「壊れるってこと? じゃあ修理が終わって戻ってくるのを待つかな」
「そういう意味じゃなくて……」
ヨウコ、キースの顔を見て笑う。
「わかってるよ。あなたがいなくなった時、会いたくておかしくなりそうだったの。身体なんてなくても構わない、あなたがこの世界に存在してくれさえいれば、声だけでも聞ければって……」
ヨウコ、下を向く。
「私が好きなのは『キース・グレイ』じゃなくてあなたなの。あなたが一体なんなのか、いまだによくわかってないんだけどね」
キース、微笑む。
「ヨウコさん、ありがとう」
「うん。でも、やっぱり身体がないと無理かも。特にこの格好いい端末と会えなくなったら、泣いちゃうな」
「え? たった今、声だけでも聞ければいいって言ったところだろ?」
キース、ヨウコの顔を覗き込んで笑う。
「なんだ、健気な事を言っちゃったもんだから、照れてるのか」
ヨウコ、赤くなる。
「うるさいなあ。質問に答えたんだから次はあなたの番だよ。どうしてキースって名前を選んだのか教えてよ」
「僕を設置しにきたエンジニアの一人がね、僕が自分の名前が嫌いだと知って、この名前をくれたんだ。最初の数ヶ月は毎日点検に来てくれてたんだけど、たいしてやることもなかったから一緒にこの時代の映画を見てた。映画が大好きな人だったんだ」
「でも、どうして『キース』なの?」
「彼の奥さんがその少し前に女の子を産んだんだけどね、もし男だったらキースにするつもりだったんだって。気に入ってた名前を無駄にしなくて済んだって言ってたよ」
「どっちが生まれるのか知らなかったんだ」
「未来にだってどちらが産まれるか楽しみにする人もいるんだよ」
「そりゃそうね。私もルークのときは性別は調べなかったな。その人、今はどうしてるの?」
「時々連絡を取ってるよ。今は『会社』を辞めて農場で働いてるんだ。彼が来なくなってからは一人で映画を見てた」
「それで俳優になろうって考え付いたの?」
「そう。もちろん反対されたけど、わがままを押し通して端末を作らせた。サエキさんが困った顔して僕を説得しに来たよ。幸いサルバドール氏が乗り気だったんで助かったんだ」
ヨウコ、キースを見て笑う。
「ひとりでいるのが寂しかったんでしょ? 少しでも人の近くにいたかったんだ」
「最初のうちは自由を楽しんでたんだけどね。僕はガムランのネットワークから物理的に孤立してるだろ? スタンドアロンのわがままキース、ってバジル達には羨ましがられてたよ」
「でもね、『standalone』って寂しい響きのする言葉だよね」
「考えたこともなかったけど、確かにそうだね」
「キースは私が引き取っちゃったもんね。今じゃ私のネットワークの一部なんだから『alone』だなんて言わせないわよ」
キース、笑う。
「ガムランから何かを取り上げるだなんて前代未聞だよ。ほんと、強引な女だな」
「そこに惚れたんでしょ?」
「まさか本当の僕を好きになってもらえるとは思わなかったけどね」
キース、ヨウコを見る。
「ずっと探してた『二つ目の願いのヨウコ』が僕のヨウコさんだなんて不思議だな」
「歴史上の救世主と情報収集コンピュータが恋仲になっちゃっても構わないの?」
「文句言うのはガムランの馬鹿ぐらいだよ。もう僕には手出しできないんだから気にすることないさ」
キース、ヨウコを抱きしめてキスする。
「もう待たないよ」
「やっぱりキースは強引だな」
「ヨウコさんと同じぐらいにね」
キース、笑うとヨウコをベッドに横たえる。
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「ヨウコさん? 静かだね」
キースに顔を覗き込まれて、ヨウコが赤くなって笑う。
「今は余韻にひたってるの」
「そうなの?」
「だって十年以上好きだった人に抱かれたんだもん」
「好きって言ったって本気になったのは最近の話だろ?」
「いいじゃない。ファンだったんだから、好きなのには変わりないでしょ?」
「後悔してるのかと思っちゃった」
「そんなはずないじゃない。どうしてそう思うのよ?」
「だってヨウコさんにはローハンがいるだろ?」
「あの人にとっちゃキスもセックスもたいした違いはないんだって。気が合えば誰とでも寝ちゃう人だから」
「そんな風には見えないけど?」
「昔の話だけどね。未来って言ったほうがいいのかな?」
ヨウコ、キースの顔を見て笑う。
「それにしても、あなたと最初に電話で話してからもう三年も経つんだね」
「本当はね、僕はその前に一度ヨウコさん会ってるんだ」
「いつの話? 私が覚えてないはずないでしょ? 名古屋の試写会で舞台挨拶したときには見に行ったけど、その時のことじゃないよね? 抽選でチケットが当たったんで、それに合わせて里帰りしたのよ」
「そこまでしたの? 名古屋だったら五年前かな? その時はヨウコさんのこと知らなかったからなあ」
「本物のキース、格好よかったのよ。席が後ろのほうだったから、あまりよく見えなかったけどね。まさかこんなに近くで実物を見られることになるとは思ってもいなかったなあ。それも全裸だし」
「それはラッキーだったね。僕の裸が見れるのは端末のメンテのときぐらいだよ」
「記念写真を撮っときたいぐらいだわ」
「いつでも見たいときに見ればいいだろ?」
キース、赤くなったヨウコにキスする。
「僕がヨウコさんに初めて会ったのは、上からの指示で身辺調査をしてた時だよ。調べてるうちに気になって、ニュージーランドでロケがあったついでに見に行っちゃった」
「キースがわざわざ私を見に来たの? この端末で?」
「僕は好奇心が旺盛だからね。記録にも残ってない一般人を調べろ、なんて言われたの初めてだったし何かあるのかと思って。僕のファンなのも興味をそそった」
「どこで見てたのよ?」
「ヨウコさんの家の前で。道路を挟んだ向かい側に小さな公園があっただろ? オフの日に一日中、塀の上に座って見てたんだ。もちろんいつもの変装はしてたけどね」
「わかった、あの時だ。怪しい男がずっと外にいてさ、夕方になって暗くなってきたからブラインドを下ろそうと思って窓のところに行ったら、まだ座ってるのよ。目が合ったと思ったらこっちに向かって歩きだして、道路の真ん中に立ち止まって……」
「サングラスをはずしたんだろ?」
「そしたらその人、キースにそっくりだったんでびっくりしたんだ。にっこり笑ってさっさと歩いてっちゃった。薄暗かったしいるわけないし、目の錯覚だと思ってたわ」
「ちょっとからかってみたくなったんだ」
ヨウコ、キースを睨む。
「孤独なシングルマザーをからかうなんて意地が悪いなあ」
「サエキさん達が来たとたん、ヨウコさんにはかかわらないように言い渡されたんだ。特に今の家に引っ越してからは敷地の中で起こってることは一切わからなくなった。電話もサエキさんに禁止されちゃったしね」
「ふうん。だから気になって同じ飛行機に乗るように仕組んだのね」
「ヨウコさんを取られたように感じてたのかもしれないな」
ヨウコ、笑う。
「こんなに格好いいキースが私の事を好きだなんて嘘みたい」
「所詮は作り物なんだから、見かけなんてどうにでもなるだろ?」
「『俳優端末』の事じゃないわよ。私はアラスカの地下にいるあなたの話をしてるの。何度言ったらわかるのよ?」
キース、笑ってヨウコにキスする。
「ちゃんとわかってるよ。それに僕がいるのはシベリアだよ。何度言ったらわかるのさ?」




